明治の終り頃、四国の小さな町の学校につとめていた英語教師の古賀は、いつも赤いシャツを着ている教頭が、自分の幼なじみで許嫁である遠山多恵子と交際していることや、数学教師の堀田が教頭や校長と対立していることなどを知り、それを疎ましく思いつつも何もできないでいる。東京から赴任してきた五分刈りの江戸っ子数学教師は古賀に「うらなり」などという好ましくないあだ名をつけながらもなぜか好意的に近寄ってくる。老母が給料をあげてほしいと校長に談判しにいったことかきっかけで古賀は九州に転勤させられてしまう。姫路によい職場を紹介された彼は、そこで結婚し、子どもや孫に恵まれる。旧知の仲である堀田の原稿が目にとまり、手紙を出すと返事があり、古賀は久しぶりに堀田と東京で再会し、事の顛末を知ることになるのであった。
夏目漱石の『坊っちゃん』をもとに、「うらなり」の視点から物語を作った、リスペクト作品である。作者の得意にしているパスティーシュ、パロディを期待していると肩透かしを食らう人もいるだろうが。
『坊っちゃん』の主人公は、視点を変えてみると、物語に出てくる事件に関しては実はたいした役回りはしていない。「山嵐」と「赤シャツ」一派の対立と、そこにからんで「うらなり」の追放があるのみである。作者は本書で『坊っちゃん』の構造を明確にした上で、隠された物語を明らかにしていく。いわば、実作によって『坊っちゃん』論を書いたといえなくもない。
興味深いのは、転勤以降の「うらなり」の物語である。ここには大正時代のインテリゲンチャーが、時代の動きにどのようについていこうとし、あるいはついていけなかったかが描かれている。つつましやかで自己主張をしないいわば「その他大勢」のような人物であろうと、その人生には様々な「事件」があるのだ。「マドンナ」との再会などの「事件」を通じて、作者は英語教師の穏やかな生活に細波を起こさせる。そしてその波により、作者が「坊っちゃん」に感じていた何かもの足りないものを埋めていっているのだと、私には感じられた。
『坊っちゃん』とは対照的な淡々とした筆致で書かれた『裏・坊っちゃん』。そこには『坊っちゃん』というみごとな語り口の作品に対する深い敬意が感じられ、読後、『坊っちゃん』を読み返してみたくなる。これもまたみごとというべきだろう。
(2006年7月29日読了)