マルチメディアの時代になり、テレビは娯楽の王者ではなくなった。かつて映画がたどった道を、テレビもたどろうとしているのか。受像機が映し出すものは地上波の番組だけではない。衛星放送、ビデオやDVD、ゲーム、そしてインターネットのモニターにすらなりつつある。著者は「日経ビジネス」の記者である。本書では、経済史的な視点も交え、時代を象徴する人物たちにスポットを当てながら、テレビを中心としたメディア史を綴っている。
長嶋茂雄、力道山、手塚治虫、大橋巨泉、黒澤明、山口百恵、角川春樹、鹿内春雄、ジャニー喜多川、北野武、ペ・ヨンジュン、堀江貴文。本書でとりあげられた人物たちである。テレビを利用しのし上がった者、テレビの前に敗北した者、テレビに踊らされた者と、その立ち位置はそれぞれさまざまであるが、これらの人物とテレビのかかわりを綴ることにより、映画からテレビ、そしてマルチメディアへと時代が移り変わっていく様子がはっきりとわかる。
テレビは肥大しすぎ、権益となりすぎ、新しいものを作り出す力は他のメディアに行ってしまう。残ったものは、「視聴率」という数字しか物差しのないテレビ局員とスポンサー(広告代理店もはいるだろう)と判断力を失った視聴者だけということになる。
自分の時代と何一つ変わっていないと断言する角川春樹。テレビは貧乏人のメディアになったと切って捨てる大橋巨泉。多くの人々の証言が、テレビを取り囲む現状を浮き彫りにしていく。
私も東京キー局が垂れ流すどうでもよいテレビ番組の作り方に疑問を抱いていたが、テレビで育った世代だけに、テレビを見捨てることはできそうにない。しかし、本書を読み、やはりテレビが末期的症状にあることを再確認し、これまで以上にテレビのどの部分を切って捨て、どの部分を利用するかを考えなければと感じたのである。
(2006年8月11日読了)