今や国際語となった「anime」「manga」そして「otaku」。本書の著者は子どものころから日本製のアニメやマンガに魅了され、現在は日本に在住しているアメリカ人の「otaku」である。
本書は、現在のアメリカ市場において日本製のアニメやマンガがどのような評価を受けているか、受け入れられるまでにどのような過程を経てきたか、そしてアメリカの「otaku」の実態などを綴ったものである。
アメリカ向きにアニメは改変され、日本製とは知らされないまま子どもたちに受け入れられてきた。日本製のロボット玩具は子どもたちの間に浸透し、その玩具の「原作」であるアニメが輸入され……といった具合に日本のアニメや特撮やマンガは受け入れられていく。ただ、他文化を尊重しない国だけに、その輸入のされ方はかなりいびつなものになってしまってはいたが……。
私が特に面白いと思ったのは、日本のアニメやマンガが浸透していった過程である。異文化をどのように消化し、理解し、受け入れ、そして自分たちの文化に組み込んでいくかということについての好例なのだ。日本人がアンパンやカレーライスを発明したのと同様に、アメリカンotakuたちは日本のオタクたちの行為をなぞり、そしてアメリカ人らしい発展のさせ方で受け入れていく。
本書はその結果生まれた「ズレ」を笑うという形で読むことも可能であるが、それよりも日本人が西洋文化を吸収していったのを西洋人たちがどのように見ていたかということを、全く反対の立場から見るという読み方を、私はしたい。グローバル化と口で言うのは簡単であるが、真にグローバルに受け入れられる文化というものがあるのかどうか。文化というものはそんなに底の浅いものではないのではないか。
割と軽く書かれたエッセイ集なのだが、逆にそのことによって見えてくる「文化論」的要素に注目したい一冊である。
(2006年8月16日読了)