読書感想文


月光とアムネジア
牧野修著
ハヤカワ文庫JA
2006年8月15日第1刷
定価600円

 〈レーテ〉という怪現象が起こっているまっただ中にいた刑事、他山はこの現象によって引き起こされた記憶障害に苦しめられていた。〈レーテ〉内に3時間以上滞在すると、その時間ごとに記憶が失われてしまう。〈レーテ〉内に潜伏している月光夜という暗殺者を探し出す部隊に組み込まれた他山は、鶴田隊長の指示のもと、アガタ原中県とケモン帆県の県境まで歩を進める。そこに現れた謎の少女、ニユミ。〈レーテ〉内で両親を失ったという彼女は、実は月光夜なのではないかという疑いが持たれる。記憶を維持する薬を注射された他山は、自分が警察内部での裏切りをあばきたてようとしたために故意に〈レーテ〉内に置き去りにされ、妻子も惨殺されたことを思い出す。月光夜の正体は。そして他山の進むべき道は……。
 記憶を失うということは、アイデンティティの喪失を意味する。また、作中には他人の脳内に自分の記憶を移すという現象も登場するが、これなど肉体と精神のかかわりを根本的に問いかけるところだろう。
 記憶というものを手がかりに、作者は「自己」というものを追求していく。過去を忘れてしまった自分は、どのように未来を築いていけばよいのか。本書のテーマを突き詰めていくと、そこに至るのである。だから、肉体という容れ物は変わっても、記憶が連続してさえいれば、自分というものは維持される。
 「物心二元論」の当否はともかく、「記憶」という高度な情報が人間らしさを支えているというところに、本書の核がある。それに加え、「アガタ原中県」「ケモン帆県」「ゆずす兵」「ホッファ窯変の会」などの作者独特の言語感覚や現実と非現実の狭間で組み立てられるような世界観が、〈レーテ〉という奇怪な現象に不思議なほどにリアリティを与えている。
 作者が描く狂気は、ついに世界全体を覆い尽くしてしまった。面白いことに、その中での主人公は実に常識的な人間なのである。いや、狂的な世界が常識として設定させられているとすれば、私たちから見て常識的な人間こそ、その世界の中では非常識な存在となるのではあるまいか。そういった倒錯的な世界観が、妙に心地よい。

(2006年8月20日読了)


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