著者は1947年生まれ。学園紛争の起きる直前に大学に入学し、その勃発から全共闘の誕生、そして運動の消滅を自らの体験として生き抜いた世代である。その「全共闘世代」の一人として、個人的な見聞をベースとし、全共闘とは何だったのか、全共闘世代の生き方や考え方の根底に流れているものは何かを自らに問い掛けるようにして綴っている。
著者によると、全共闘というのは組織のようで組織らしくないものだったという。何かしなければという思いを持つ者たちが群集化し、一つの団体になったのだそうだ。代表者は一応いるけれど、上意下達的な仕組みはなく、最終的な目標もそれぞれに違い、集団として何をどう決着をつけるべきかも決まっていなかったのである。
私たちの世代は「新人類」と呼ばれた。何を考えているのかわからないというのである。しかし、私は私で「全共闘世代」が何を考えていたのかよくわからないのである。本書を読んだあとも、結局大学紛争とは何だったのか、熱に浮かれたように空騒ぎをし、人死にまでだし、その時代の気分を引きずったまま切り替えることもできずに社会に呑み込まれていく。そんな世代であると、本書からは感じられた。
結局、著者にもまだあの時代の決着はついていないのだろうと思う。そして、おそらく決着がつかないまま終ってしまいそうな気がする。哲学を読み解きシャープな切れ味で解説できる著者でさえそうなのだ。
人は、その生きている時代の倫理の中でしか生きられない。だから、時代というものにどうしても流されてしまうことは確かであろう。しかし、時代が変われば、それを受け入れなければならないし、その中で「おたく」と蔑まれようと、自分の好きなものに対して執着しながら「新人類」たる私たちは生きている。その「執着」が感じられないところに違和感があるのだろうか。
しかし、本書は、全共闘の時代とその推移を平易で客観的に解説してくれていところに大きな価値がある。その点は著者ならではの著作といえるだろう。
(2006年8月29日読了)