なぜ私たちは受信料を払わなければならないのか。受信料を払っているお客様である私たちが「こういう番組を作ってほしい」という要求を出す仕組みがなぜないのか。「公共放送」というが、この場合の「公共」とは何を指しているのか。
著者は、通信・放送の歴史、アメリカ式の営利放送とイギリス式の国営放送の違い、戦前の「日本放送協会」から戦後の「NHK」を貫くものなどを検証し、放送の「公共性」とは何かを論じる。
戦前、ラジオ放送が国民全体を意識の上で一体化させるものとして利用された。ラジオ放送は新聞との兼ね合いで、報道機関としての役割はあまり与えられず、政府の広報機関という役割を担うことになる。戦後は三木鶏郎に代表される風刺的な番組が人気を呼ぶのだが、時の政府はこれに対し、圧力を加えたりもする。
いつでも、NHKはそうした政府の影を見せながら、「みなさまのNHK」を連呼してきた。しかし、だからこそ近年の不祥事の連続に対して「みなさま」は不払いという手段で対抗したのである。
著者は「公共性」とは「支配せず、支配されない」ものであるべきだと考える。そして、ネットに頼ってしまうが故にウェブ上で発信されない情報をとらえられなくなる現代人に対して、放送ならではの、特定の層に偏らない上質の情報を提供する可能性を示唆する。
単にNHKのみならず、「公共性」とは何かということの本質を問いかける、刺激に満ちた一冊。「みなさま」とはいったい誰なのか。それはただ単に多数派というだけではないだろう。多数派に知ってもらいたい少数派についての情報もあるだろう。「公共」と一口にいっても、簡単に定義できるものではないことを、本書は示してくれるのである。
(2006年12月26日読了)