一口に「記紀神話」というけれど、中世から近世にかけては「古事記」は数ある歴史書の中の一つとして顧みられることは少なく、日本の正史として広く読まれていたのは「日本書紀」であった。中世には「日本紀」として神仏習合の本地垂迹説にのっとり、神々の性格はもともとの記述とはかなり違う解釈がまかり通るどころか、「トンデモ本」的な異伝が僧侶や神官たちを中心に新たに編まれ、思い切り神話の改変が行われているのである。
明治維新以後、国家神道のもとに神話解釈は政治的なものにからめとられ、戦後はマルクス史観的な解釈や考証学的な研究がなされるようになった。
本書はそのような日本神話解釈の変遷をたどったものである。
本居宣長の「古事記伝」が意外と中世の珍解釈とよく似た性格の内容を含んでいることや、戦時中に弾圧された大本教などは国家神道から弾き出された「宗教としての神道」というせいかくのものであったことなど、中世の「トンデモ解釈」は現代にもその系譜を伝えている。
宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」は実は神話的な要素を強く含んでいるのに対し、後に作られた「もののけ姫」は、「神話性」を拒否することで成り立つ物語であったなど、興味深い考察がなされている。
文化というものは、このようにして伝わり、そして私たちの心性のどこかに大なり小なり影響を与え続けてるのだ。歴史を一望できる上にそのことを確認させてくれる示唆に富んだ一冊である。
(2007年1月2日読了)