著者があちこちの新聞や雑誌に書いた「藝」に関する短い文章を、著者の旧友でもあね小沢昭一のすすめで一冊にまとめたものの文庫化。評論家が新聞などに書いた時評やコラムなどは分量がたまってもなかなか一冊にまとまるということはない。時評では時が過ぎれば情報としての鮮度が落ちてしまうし、コラムはよほど好きな人でないと再読しようという気にはなりにくいからだ。
しかし、そういった文章も、時が過ぎればそれらが書かれた時代を物語る貴重な資料となる。本書がいい例で、表題となっている「志ん生の右手」などは、古今亭志ん生が生きていた時に書かれているからこそ意味がある。親本の表題作であり本書の副題にもなってある「落語は物語を捨てられるか」に書かれた柳家小三治と毒蝮三太夫のエピソードは、私は昔読んだ「落語無頼語録」(大西信行)で知っていたけれど、その場にいなかったもにとってはまさに実況中継的な興奮すら起こさせる(ちなみに本書の解説を当事者の小三治師匠が書いている。それと合わせて読むと、藝の奥深さを感じとることができる)。
かなりマニアックなファンでないと面白くないかもしれない。例えば1980年代はじめの東京での演劇評などは、私にはもうひとつピンとこなかった。そういう意味では読者を選ぶものかもしれないけれど、「藝」というものが好きな者にはたまらない、資料としても読物としても貴重な一冊なのである。
(2006年2月10日読了)