日本の歌謡曲は、楽曲としての魅力だけでヒットしたものよりも他のメディア(映画、テレビドラマ、コマーシャルなど)とのタイアップによるものの方が圧倒的に多いと、著者は説く。レコード流行歌第一号の「東京行進曲」は映画の主題歌であった。東京オリンピックと連動した「東京五輪音頭」や大阪万博と連動した「世界の国からこんにちは」は三波春夫を「国民的歌手」の座におしあげた。ビーイング系のWAHDSやZARDは、テレビ主題歌とのタイアップのためにその歌手の存在感すら消してみせた。日本の歌謡曲はタイアップ抜きで語ることはできないのである。
本書では様々な形のタイアップ曲を例にとり、それが例えばレコードの時代、CDの時代、オンラインダウンロードの時代とともにどのように変化してきたかをたどっていく。歌謡史を「タイアップ」という視点から読み直すという作業は、ユニークであり、しかし流行歌というものの本質をずばりと指摘するものでもある。
ただ私は、著者の「タイアップ」の定義が広すぎて、どんなものでも「タイアップ」のおかげでヒットしたような印象を残してしまうところに違和感を覚えた。映画やテレビの主題歌は、本書では出演者が歌っていればタイアップにならないという扱いをしたものと、出演者が歌っていてもタイアップとみなすものとがあるが、その境界線がはっきりしていないように思われる。「主題歌」が「タイアップ」になる場合とならない場合の違いなどは、アニメソングを例にとれば割とはっきりするのではないかと思うのだが、著者はさの方面にはあまりくわしくないらしく、辛うじてエイベックスやソニーがテレビアニメの主題歌を1クールずつ変えて自社の歌手のプロモーションに使用しているのをあげているだけである。
そういった弱さもあるけれど、特にコマーシャルと流行歌のプロモーションの関係についてのていねいな分析など、注目すべき記述も多く、「タイアップ」という視点から見た歌謡曲の歴史は、本書を出発点にして今後もさらに増えていくように思うのである。
(2007年2月12日読了)