読書感想文


乗っ取られた聖書
秦剛平著
京都大学学術出版会 学術選書
2006年12月10日第1刷
定価1800円

 タイトルだけから連想すると、なにかミステリかサスペンスみたいな印象を与えるが、れっきとした学術書である。
 もともとヘブル語で書かれた旧約聖書をギリシア語に訳したのはいつ頃のどういう人で、何の目的で訳したのかということは実はよくわかっていない。著者の研究では、エジプトのプトレマイオス王朝の時代にアレクサンドリア在住のユダヤ人が、自分たちの出自の古さを証拠づけるために、当時の学術用語であったギリシア語に訳したのではないかという。決してヘブル語を読めなくなった同胞のために訳したのではないのである。
 後の文書で「72人のユダヤ人の賢者がアレクサンドリアに集まって訳した」とされ、「70人訳聖書」と呼ばれるようになった聖書は、もっと少ない人数の、しかもヘブル語での地名の読み方を知らないユダヤ人に訳されたのではないかと、著者は推理するのである。
 しかし、キリスト教の誕生で、この「70人訳聖書」はユダヤ教だけの聖典ではなくなる。福音書にはこ「70人訳聖書」から抜き出された文言が多くちりばめられているという。つまり、ユダヤ教の聖書はキリスト教に「乗っ取られた」のである。
 後にユダヤ人がヘブル語からの直訳を試みたりするが、聖典として「70人訳聖書」は長く用いられることになる。そして、その誤訳から「イエスはキリストとして旧約聖書の中で予言されていた存在なのだ」という解釈も導き出されたりするのである。
 本書のタイトルからは、そのような内容が推理過程も含めてスリリングに書かれているような印象を受けるが、決してそのように書かれたものではない。地道な文献研究の成果を平易に解説したもので、タイトルの付け方にちょっとハッタリをきかせている(嘘はついていないし)だけなのである。ただ、私はもう少しセンセーショナルな内容を期待して読み始めたので、少し肩透かしを食らったような気分ではあった。
 古代の文献というもはどのように読み解かれているのかを知ることができたのは面白かったし、古代ユダヤ人が決して聖書を絶対的なものとして一言一句もいじらなかったわけではなかったということも興味深く感じられた。そういう意味ではかなりためになる本だったのだが、私の最初に求めたものと幾分違っていたという、そこらあたりで「タイトルにだまされた」という思いが残ってしまった。それは自分のせいではあるのだけれども。

(2007年2月18日読了)


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