討幕から明治維新にかけて、中心的役割を果たした西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、板垣退助らは、幕末の時点で新政府についてどのような構想を持っていたのか。また、新政府ができた後に、彼らはそれぞれどのような思惑で動き、どのようなせめぎあいがあったのか。その結果、できあがった政府は果たして彼らの構想していたものと同じであったのか。
本書は、明治維新関係の書簡をつぶさに検討し、定説とは違った見解を明らかにした上で、明治政府の理想と現実の差というものを考えていく。
著者は前著「明治デモクラシー」で「民主主義」は明治の段階で明確に形をとっていたと分析している。本書では、その「民主主義」を形成する下地がどこにあったかを追究しているのである。本書は西郷隆盛の書簡から、彼が戦うことしか考えていなかったという定説をくつがえす。勝海舟などの影響を受け、諸候を中心とした議会制の設立をすでに構想に入れていたのである。
また、「富国強兵」と一言ですまされるけれど、実は「富国」と「強兵」は同時に進めようとすると必ず無理が出、大久保利通は「富国」に力を入れ、西郷隆盛は「強兵」に力を入れていた。その路線の違いが西南戦争につながっていく。さらに木戸孝允は「憲法制定」と「立憲政治」を早急に成立させるべきだと考え、板垣退助は「議会開設」が先だと考えていた。これが後の明治政府の政争につながっていくのである。
板垣退助の考える「議会」が必ずしも民衆の代表による議会ではなかったという説は、自由民権運動の時期に板垣がすぐに政府の役職についてしまい変節を非難されるという事実の裏書きをするものであろう。
このような政争の根源に、彼らが幕末に敵としていた徳川慶喜が消え、味方同士の意見の食い違いが表面に出てしまったことを著者はあげている。仲間意識がある分だけ、政争は感情的になりやすく、冷静さを失ってしまったのである。
従来の明治維新に対する見方を変える注目すべき所見を随所にはさみながら、細かな動きから明治維新そのものを再構築していく。近代史の好きな方にはご一読をお薦めする。前著とあわせ、明治政府というものに対する考え方を新たにするシリーズといえるだろう。
(2006年3月24日読了)