「差別」ということばが出てきた時に、私たちはどのようなことを思い浮かべるだろうか。臭いものに蓋式の自粛、差別に対するヒステリックな糾弾、真剣に向き合う事への窮屈さ……。著者は長年にわたり被差別者へのフィールドワークを積み重ね、日常における小さな「差別」を具体的に語り、決して構える事はないのだと説く。
他者に対する想像力があれば、差別は少なくなっていく。自分の中にある「権威主義」をとりはらえば、差別することはなくなっていく。著者のいいたい事はこれにつきる。しかし、著者のあげる具体例を読んでいけば、これらの実行がいかに難しいかがわかる。
明らかな差別発言であっても、「失言」というカテゴリーにおしこめる事によって問題をなかった事にしてしまったり、「過激な発言」というカテゴリーにくくってしまう事で差別的な意図をもねじ曲げてしまったり。そういう具体例をあげながら、著者は「差別」とどのように向き合うべきかを提示していく。
差別は、人間が社会生活を営んでいく限り、決してなくなる事はないだろうと、私は思う。これまであった差別がなくなっても、新たな標的が作り出されるだろう。人間という社会的な生物の属性ではないかと私は考えている。しかし、だからこそ差別をなくす努力を捨ててはいけないのである。努力しなくなれば、その差別は拡大していくのだから、最小限のところで食い止める必要があるのである。
本書は、現代社会における「差別」の実態を示す事によって私たちがすべき「努力」は何かという事を考えさせてくれる。中学や高校の「人権学習」に違和感を感じたりしていた人に勧めたい一冊である。
(2007年6月16日読了)