2006年に急逝した著者が生前に書き著した、手塚治虫に関する文章を集め、編集したもの。手塚治虫の小伝、初期SF三部作から未完に終った「火の鳥」など代表作に関する解説、マンガ史における手塚の位置付け、ヒゲオヤジ・ランプ・ロックの三大スターに関する論考、そして「手塚エログロナンセンス」についての論考などからなっている。
著者の「手塚論」を貫くものは、「エログロナンセンス」の重要視である。多くの論者が手塚ヒューマニズムを語りたがる傾向があるのだが、著者は手塚作品の根底に流れる畸形的なものを徹底的に追い続ける。そして、手塚の死後、彼ほどの物語性の高さをもったマンガ作品が生まれていないことに対する悔しさをあらわにする。
私はかつて「手塚ニヒリズム」について雑誌だか文庫解説だかに書いたことがあったが、それは作品の表面に現れたものを指摘したに過ぎなかった。著者は違う。その生育歴や、赤本という稚拙な製版・印刷技術のものからスタートした来歴、マンガの歴史において手塚的ストーリーマンガが生み出されるようになった必然性など、そのよってきたるところを精査していくのである。
著者は手塚マンガ論を完結させることなく亡くなってしまった。しかし、その過程で生み出されたこれらの論考のなかに、結論はもうすでに書き残されている。あとはそれをわれわれが読み解くだけである。未完ではあるが、それでも本書が「手塚マンガ論」の決定版であると断言してもいいように、私には感じられたのである。
(2007年8月22日読了)