読書感想文


松田聖子と中森明菜
中川右介著
幻冬舎新書
2007年11月30日第1刷
定価820円

 1980年代という時代を、松田聖子と中森明菜という二大アイドルの歌とヒットの仕方を通じて読み解く試みである。
 著者は1970年代の終りを象徴する歌手として山口百恵をとりあげ、デビューの状況から伝説の歌手となっていく過程をたどっていく。そして、山口百恵のいたトップアイドルという場所に非百恵的存在である松田聖子が座っていく様子を丹念にたどる。それが中森明菜に移っていきそしてアイドルというものが形骸化したために2人が一時的に主役の座を降りていくところで筆を置く。
 ここで使われる資料はそれぞれのヒットした歌の歌詞と、テレビ番組「ザ・ベストテン」のランキングであり、山口百恵や松田聖子、中森明菜らが書いた(とされている)著書や当時のインタビュー、そして同時代に書かれた評論などである。著者はそれらを引用しつつ分析していく。
 時代の空気を3人のアイドルに代表させるというのはいささか乱暴な気がしなくもないが、彼女たちがそれぞれ一時代を築いたことは確かであるし、彼女たちをとりまく形でキャンディーズ、ピンクレディー、たのきんトリオ、チェッカーズなどの存在も簡単ではあるがとりあげられているので、疎漏はないかに見える。非常にユニークな手法であり、時代の一面を切り取るのにはふさわしい取り合わせだろう。
 ただ、本書を読んで感じたのは、著者が時代の空気を分析しようとしているのか3人のアイドルの物語を紡ぎだそうとしているのかが判然としないということである。3人はトップアイドルであったが、それ以上の存在でもあった。それに対してアイドルという形態をデフォルメするようにしてその虚飾性をはいでいったのが小泉今日子だったのだが、著者の分析はそこにまでいたらない。千家和也、三浦徳子、松本隆、売野雅勇ら3人をとりまく作詞家の書いた歌詞に対しては分析ができても、それらの世界を壊してしまった康珍化、秋元康らの発想や戦略にまではいたらないのだ。
 アイドルが時代の象徴になり得た1980年代と、その虚飾性がセルフ・パロディのように再生産された1990年代の違いにまで分析がなされていればより面白く読めたと思うのだが、なぜ著者がそこまでしなかったのか。できれば続編を望みたいところである。なぜならば、松田聖子と中森明菜が今でも現役で活躍していることに冒頭で言及しているのだから、なぜ彼女らが1990年代を乗り越えて21世紀になっても支持され続けているかを書かなければ、せっかくの1980年代の分析が現代に続く問題として生きてこないと思うからである。
 そのあたりが「時代を分析」するのが目的なのか「(山口百恵を含む)3人の生き方の比較」が目的なのかがあいまいになったような印象を与える理由なのではないかと思うのである。

(2008年1月7日読了)


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