著者は木村朝之助で三役各行司に上がり、行司としては最高位の木村庄之助になって定年退職した。派手さはないが堅実な裁きには定評のあった行司さんである。
13歳で高砂部屋に入門し、65歳の定年まで50年以上も相撲界にいただけに、この世界の裏表を知り尽くしている。相撲の入門書は数多いが、多くは相撲記者の手になるものであった。本書は行司として最高位に昇り詰めた人物の書いたもので、それ自体珍しいことである。
力士の稽古の基本など初心者に必ず知っておいてほしい事柄はもちろん、よほどの相撲通でもくわしくは知らないような土俵祭の祝詞や、行司から見た理想的な力士のあり方まで、これまでにない視点で書かれていて、相撲にくわしいファンも興味深く読めるようになっている。
特に、行司がどのようなことに気をつけて土俵に上がっているかというあたりはつい最近まで土俵で勝負を裁いていただけに本物だけが持つ説得力がある。どのような内容の相撲であったかを覚えているようではいけない、ただただ足下だけを見つめ、先入観なしに勝敗を確かめる。横綱が投げたから有利、平幕力士が投げたから決まらない、などという思い込みがあると差し違えてしまうのだという。
また、立ち合いの待ったに対しても、「見合って」と行司が声をかけているのに相手を見ないから待ったなどがあるのだという。勝負を裁く行司ならではの視点である。
相撲部屋のあり方や師弟の関係などについても言及しており、特に途中で師匠が交代した場合(定年退職や死亡など)、力士も行司も最初についた師匠こそ自分の師匠と思うのだというような心情は、これまでの相撲入門書にはあまり書かれてこなかったことだ。
最近相撲に関心を持った方にも、長年相撲を見続けてきた方にもお薦めしたい。相撲の見方が新鮮になること間違いなしの一冊である。
(2008年1月16日読了)