ぼやき日記


1月1日(土)

 あけましておめでとうございます。
 0:00を過ぎても阿鼻叫喚の騒ぎにならんかったので拍子抜け。もっとも、勝負は正月休みが明けて企業が本格的に稼働してからやそうですから、備蓄用の餅を雑煮で食べ尽くしてしまわんように気をつけましょう。なんのこっちゃ。
 例によって年末年始に拾った小ネタを少々。
 カウントダウンの瞬間のテレビ。私は全然関心がなくて見ようともしてへんかったんやけれど、妻はなにか面白いものはないかとチャンネルホップをしていた。そのおかげでなかなか凄いものを見ることができた。テレビ東京系でやっていた「ジルベスターコンサート」で熊川哲也が踊っている。音楽はラヴェルの「ボレロ」。沼尻竜典指揮の東京フィルハーモニックオーケストラが演奏している。なんと、この「ボレロ」、2000年の0:00時ちょうどに曲と踊りを終わらせるという演出なんですな。カラオケやないよ。生演奏やで。いくらリハーサルで時間ちょうどに収まっていたとしても、本番ではどんなハプニングがあるかもわからん。しかもバレエにあわせて、やからね。これがなんと実に0:00ぴったりに曲が終わる。いや凄い。これこそ「藝」ですな。お見事でした。さすがに演奏の方は最後時間ちょうどに合わせようという気が先にいっていたかアンサンブルの乱れがなくはなかったけれど、それはまあ仕方なかろう。お見事でありました。バレリーナ、指揮者、楽団の息が合わんとこううまくはいかん。実に感心した。
 明けて
元日(元旦ではない)、京都の実家に帰る。阪急電車の初詣ポスターに書かれている謳い文句がふるっている。確か「初詣は2000年問題を解決ずみの阪急でどうぞ」とかいう文句やった。きっちり憶えてないんで、語句は正確やないかもしれへんけれど、こういう意味のことが書かれていた。いやあ、阪急がこういうことを書くと説得力がある。この自信に満ちあふれた姿勢、たいしたもんやと妙なところで感心した。大震災の直後に客を乗せて試運転をした某電鉄やとここまでの説得力はなかろう。年越しの瞬間も一時停止などせずに走らせてたんやろうか。そこらへんは不明ながら、ここまで書いてるんやから意地でも走らせたんと違うかな。
 なにもぼやいてないやないかと言われそうですが、元日くらい「感心日記」というのもまあ趣向ということで、本年もこんな調子で進めてまいります。ご愛読をよろしくお願いいたします。

1月2日(日)

 録画したいテレビ番組があったので、ビデオテープを買いに近所の「ローソン」へ行った。レジでスクラッチカードを渡された。その場でこすれという。何がもらえるんか知らんけど、根がいやしいもんやから、なんかええもんをもらえるんやろうとこすったら「HAPPY」という文字が現れた。「これをどうぞ」ともろうたのは「KONISHIKI」の透明シールで、タキシードに蝶ネクタイ姿のKONISHIKIが突っ立ている写真が縦に3枚並んでいて、それぞれに「Healthy!」「Fun!」「Delicious!」とキャプションらしき言葉が書かれてる。
 私もその場で「こんなんいらんよ」とつき返せるような性格やとええんやけれど、いただけるものはついついいただいてしまうたちなもんで、「はあどうも」てなことを言いながら受け取ってしもうた。
 家に帰ってシールをにらみ、はてさてこのシールはどう使うたらええのんかいなとまたくそまじめに考えてしまう。別にローソンの宣伝をタダでしてやる義理はないんで、目につくところに貼るつもりはない。力士としての小錦八十吉は好きやったけれど、タレントKONISHIKIは好きでも嫌いでもない。携帯電話など日常目につきやすいところに貼りたいとも思わん。これが紙のシールやと手に巻きつけて服についた埃でも取れるんやけれど、プラスチック製のかっちりしたものやからそういう用途にも使いにくい。
 ローソンにしたら宣伝の意味で配ってるんやろうけれど、これからしばらくローソンで買い物をするたびにKONISHIKIのシールをもらうというようなことであれば、他のコンビニに行った方がいらんものをもらわんだけましやな。
 というわけで、わけのわからんサービスは帰って客足を遠のけることになるのやないかと愚考する次第。ほんまにこんなシールを何枚も持ってたってどうしようもないもんね。もう少し気の利いたもの……例えばのど飴1つでええから役に立つものをサービスしてほしいもんです。

 明日は所用で遅くなります。次回更新は火曜日の深夜の予定です。

1月4日(火)

 昨日は元日に続き京都の実家へ。例年親戚を呼んで新年会みたいなことをしている。
 途中、どうせならということで妻といっしょに初詣をしようということにした。実家に帰る途中で寄れるようなところにしようと、新京極通りの「錦天満宮」へ参る。路上観察ファンならご存知の、石の鳥居が建物の中に食い込んでることで知られるお宮です。
 いや、驚いた。人出が凄い。例年1月3日は四条京阪から阪急河原町駅まで少しの距離ながら歩いてるわけやけど、こんな人出の多さは初めてやったね。京都の歩道は狭い上に人の歩くテンポが大阪よりかなり遅いから、たいてい混んでるなあという感じがするもんやけど、昨日は混んでるというような生やさしいもんやなかったよ。去年に行った「神戸ルミナリエ」を思い出したくらい。
 朝読んだ新聞では、元日の人出は例年より少なく2日が例年よりも初詣客でにぎわったとあった。なんでも大晦日から元日にかけては2000年問題の不安で外出を控える人が多かった、と新聞記者が書いてたはず。つまり、例年3日に出る人たちに元日に出てくるはずの人たちが加わったということやろうかね。
 妻の考えでは「元日やったら大晦日の夜からずっと長い時間にわたって人が出るから、いろんな時間帯に人がばらけてるやん。そやけど今日は出やすい時間に人が集中したんと違う?」。なかなか説得力がある。
 ちょうど昼時やったんでなにかかんたんにお腹に入れておこうとファーストフードの店をあちこちのぞいてみたけど、そらもうどこもいっぱいで入られへん。仕方ないから初詣をすましたあと空きっ腹をかかえて実家の最寄り駅に行くと、そこの駅前は軒並みがらがら。この差はなんやねん。
 ということで、実家に帰るまでにへろへろにくたびれてしまいました。そやけどとんだところにY2Kの余波があったもんやね。そんなことまでは予測した人はおらんかった。コンピューターが誤作動したときのシミュレーションはしてても、そうでなかったときのシミュレーションなんか、そら誰もやらんわなあ。

1月5日(水)

 新聞も正月はニュースよりも企画ものが多く、あんまり面白くなかったけれど、今日あたりからレギュラーページに戻って読みやすくなってきた。
 「朝日新聞」の家庭面に、「王様の耳」という女性の職業に関する悩み相談のコーナーがある。1月5日付は「主婦の再就職」に関する相談が掲載されていて、これはちょっと考えさせられるところがあった。投稿しているのは40才の主婦の方なんやけれど、子どもが中学生になったのを機会に働きたいが年齢的によい仕事がないというもの。これは実際そうやろう。折り込みチラシの求人広告でも、年齢が高くなるほど職種が限られてくる。そこで彼女がしたい仕事は何か。引用すると「文章を書いたり、カウンセラーとして人の相談に乗ったりするようなことならできると思うのですが」……。
 文章なら書ける、というところがミソ。いったいどういう文章を書きたいのかこの投稿からはわからないけど、仕事として文章を書くということがどういうことなのか、ということに対する世間一般の見方はこうなんかなあ。
 あのねウェブ日記をあちこち読んでて思うことでもあるんやけれどね。人に読ませる文章というのをどう考えてるのか。まず書きたい内容はなんなのか。伝えたいことはなんなのか。それを誰でも理解できるように表現するにはどうしたらええのか。これはもう最低備えてなならん条件であって、これらがあった上で文体やのなんやのというその書き手ならではの「芸」を身につけな仕事にはならんですよ。いやほんま。
 私は「お仕事はなんですか」ときかれたら「教師です」と答える。あたりまえです。それで毎日のご飯を食べてるわけだ。それに付け加えて「書評を書いたりもしてます」となる。間違うても「私は書評家です」とは答えへん。その収入で生活でけへんのやもん。それでも一応自分の書いたものに対してお金をいただけるのやから、プロ意識は持ってないといかんと思うてはいるけどね。
 となると、こういうアホなことばっかり書いてる日記であっても「読者」という存在は当然意識してるし、それは不特定多数の人たちであると考えてる。アホなことならアホなことで、読んで楽しんでいただかなというサービス精神を持ってないと書かれへん。「朝から発熱。全く動けず」という内容があったとして、それをいかに面白く書くか。ホネだけ投げ出してそれで文章を書けると思いこんでまへんか。そこらあたりが「文章を書ける」「文章を書けない」の差になって来ると思うね。
 自分ではわかってるつもりでも、つい独りよがりな文章になってしまうこともある。私の場合、書評を送稿したらすぐに編集長から電話があって「ここはこういう表現の方がわかりやすいと思うんですけどね」と直しが入る。毎度毎度直されますよ、いやほんま。文章を書いてお金をいただくということは、ほんまに難しいことなんですよ。
 新聞の相談員の方は、やんわりとたしなめてはりました。あまり甘い考えを持たないように、というようなことをね。ほんまに、文章を甘うみたらあかんぞ!
 あらあらなんか降ってきたぞ。わあ、どぼどぼになってしもうた。これは天に吐いた自分のつばやないか。今書いたことが我が身にもろに降りかかってきたんやね。私ごときがあまり偉そうなことをいうても説得力がないと、まあそういうことやね。

1月6日(木)

 今日は高校時代の同級生が集まって会食。クラブでいつもいっしょに行動していた3人で、メンツは私と漫画家のおがわさとし君とYY君(仮名)。3人とも趣味に偏りがあって「やっぱり新作のゴジラは怪獣が好きで好きでたまらん人に脚本を書かせるべきだ」「そうやそうや」「ウルトラマンダイナにもけっこう面白い話があったぞ」「そうかそうか」「『火の鳥乱世編』は手塚治虫全集のあとででたハードカバー版にかなりの改稿があったんで買い直したぞ」「そこまでするな」と喫茶店で大声で話す。気がついたら、私たちのまわりの席には誰一人いなくなっていた。危ないおっさんの集会と思われたんであろうか。

 E-MAILでもやっぱりダイレクトメールはある。自分のサイトを持っていたらメールアドレスは公開してるわけやから、まあそれくらいは覚悟している。来たらすぐに削除するだけや。それでええんと違うの。
 昨日の夜に「新年は無料でホームページを作ろう!」「今年はメーリングリストで友達を沢山作ろう!」「日本最大級!200箇所のサーチエンジン・リンク集に無料で一括登録!」「ブラウザで自分のメールアドレスのメールを送受信!」「自分のページにHTMLソースを貼り付けるだけで、文字化けを解消し、自分の所にメールを送信してくれるサービス」「定型メール自動返信サービス」というようなことが書かれたダイレクトメールがきた。ああまたこの手のメールかとほったらかしにしてたら、今朝メールをチェックするとメールサーバにえらいようけメールがたまってる。
 なんやろうと開くと、まず「こんなメールいらん」と書いて昨日きたダイレクトメールの本文をわざわざ拡大した上に着色して送り手に返信した人物がおる。この送り手のアドレスがおそらくDM用の名簿になったもんやったとみえて、ダイレクトメールを受け取った者全員のところに配信されてるわけだ。その次のメールはさらにその人物に対して返信したもので、これも全員に配信されている。同じような返信がもう一件あった。そのまた次のメールは苦情が自分のところに来たのは不愉快だからメールアドレスをリストから削除してくれというもので、これも全員に配信されている。なんで私が苦情を受けなあかんねん。
 私もわけのわからんスパムメールに対して返信し、メールを送りつけられた人全員に配信されてしもうて逆に怒りのメールが届いたということがあるんやけどね。その反省の上に立って言うとやね。あのなあ、ダイレクトメールへの苦情を返すときは即返信するもんやないの。ちゃんとサイトのURLが書いてあるんやから、そこを開いてからそこのウェブマスターに送りなはれ。いちいちDMに相手になりなさんな。そのDMを見るのは初めてやったから、そんなにしつこく送りつけてきてるわけやないんやからね。
 で、今日家に帰ってきてメールボックスを開くと、そのダイレクトメールを配信した先から謝罪のメールが届いてるやないですか。「二度と、このようなDMを皆様へ送らないように致します」とある。その上、すぐに返信しないでこちらに返信してくれとメールアドレスまで書かれてる。これ、すごい良心的な送り手やないかという気がしてきた。
 しかしなんですな。一番最初に文字を拡大着色して返信した人物が一番迷惑をかけてるんと違うかね。他の者はそのメールに返信したりそんなんが何通も来たんで苦情を出したりしてるわけやからね。ダイレクトメールは、関心がなかったら無視して即ゴミ箱へ。それでええやん。郵便でダイレクトメールがきたらいちいち相手の住所を書いた紙を貼ってポストへ投函するのかね、その人物は。
 最初にダイレクトメールを出した人はインターネットビジネスの一環としてやってるんやろうけれど、まさかこんな謝罪メールを送らんならんことになるとは思わんかったやろうね。たぶんリストはどこかで購入したんやろうけれど(「リストを格安で販売します」というダイレクトメールもうちにはしょっちゅう来る)、インターネットビジネスというのはこれでなかなか難しいものみたいやなあ。私にはでけへんなあ。

1月7日(金)

 ここのところ毎日だらだら長いので、きょうはあっさり。

 年末にSF大会の参加申し込みをしたら、先日登録番号や案内が送られてきた。驚いたのは、合宿がないということ。よう考えたら、参加申込書にもチラシにも合宿のことについては一切触れられてなかった。そやけどね、2日間の参加費が1999年末までの申し込みで16000円、2000年からやと18000円、直前には20000円。この金額やと合宿ありかと思うたわけです。ということは、宿泊費は別ですか。交通費も含めて、けっこうかかるなあ。
 こちらが合宿について問い合わせもなにもしてないで勝手に勘違いしてたということもあるし、強いことはいわれへんけれど、チラシや申込書に「合宿はありません」と明記しておいてほしかったなあ。非営利事業とはいえ、これだけの金額のお金を取るわけやから、それに見合ったサービスを提供するか、なぜこれだけの金額が必要なのか、そこらへんははっきりしておいてくれへんと、と思うね。
 妻が「ゲストにして呼んでくれたら返金してくれへんの? 私も同伴者ということで只にならへんの?」とあつかましいことを言うてますが、いっぺん振り込んだものは返金してくれへんでしょう。私も妻も大会スタッフの経験があるんで、内情は少しはわかる。わかるからこそこういう冗談も出るわけやけれどね。
 しかし、合宿を大会側が提供しないSF大会というのもなんか不思議やなあ。合宿こそが大会の最大の楽しみやと思うてたんやけれど。宿泊は大会実行委員会の斡旋する業者に任せるつもりやけれど、知り合いがゲストでようけ参加するやろうから、そこらへんにどうするのか聞いてみようかな。

 プレゼント企画を考えたのはええけど、カウンターが100000に到達せなんだらどないしようといらんことを心配する今日此頃。あ、何もあげんでもええことになるのか。それはよかった。いいえ嘘です、プレゼントをあげたくてあげたくてうずうずしてますんで、ひとつよろしくお願いします。

 しかし、この日記のどこがあっさりやねん。今日もだらだら書いとるやないか。

1月8日(土)

 寝られへんというのがこんなに辛いとは知らなんだ。
 床に就いたときには妻が本を読んでいて蛍光灯は灯ってはいた。そやけど、いつもやったら灯りがついてようが何してようがことんと眠りに落ちる。一気に熟睡するわけです。ところが、これが寝られへん。ごそごそがさがさ寝返りを打ち、頭の中で数を数えしているうちに妻が本を読み終えてああ面白かったそうやろそうやろ面白かったやろと会話をしてから電気を消して、さあこんどこそ寝るぞうと呼吸を整えたけど、いらんことばっかし考えてしまいやっぱり寝られへん。そのうち頭の中でマイティジャックの主題歌が響きだしたら止まらん。よけい興奮する。隣からは妻の寝息が聞こえてくる。ああ気持ちよさそうやなと羨ましくなってくる。
 昼寝をしたのがいかんかったかなあ。そやけど3時間くらいしか寝てへんからなあ。あの時は妻もいっしょに寝ていたぞ。そやのになんでこう寝られるんやこの人は。てなことを考えていたら、どうにか夢うつつという状態になってきた。さてこれから深い眠りに入れるというところでがさがさがさっと馬鹿でかい音がして目がさめる。新聞配達が来たんや。ああもう今ここで寝られるというところやというのにすっかり目が冴えてしもうたやないか。
 しかたないのでごそごそと布団から出て新聞を読み始める。まだ外は真っ暗。新聞でも読んだら眠たくなるかと思うたんやけど、そうはいかん。そうやパソコンで遊ぼ。ゲームをしたり(というてもマインスイーパやとか花札やとかオセロやとかそういうゲームです。私はおっさんやからそれでええの)、ネットサーフィンをしたりしてたらぼちぼち眠くなってきた。ようしこれで寝られるぞと窓の外を見ると明るい明るい。
 なんやもう7時過ぎやないか。今日は用事があって出かけなならんのやで。今から寝たら出られへんようになるがな。うおおおお。
 やむなく朝食をとり、今度はドリンク剤を飲んで目をさまして、出かける時間までに居眠りをしないように努力するという、ほんまに何かちぐはぐなことをしてるな。
 そやけど、何も理由がないのにこうも寝られへんというのはどういうことやろう。別に心配事があったわけでなし、興奮するようなことがあったわけやなし。理由がわからんからよけいにしんどい。不眠症というわけやない。出かけた帰り、電車の中で爆睡したからね。今もまだ眠い。頭がぼうとしている。こういうときは日記は簡単にすましておこうと思うてたのに、まただらだらと書いてるやないか。文章には含蓄が大切やと谷崎潤一郎先生も書いたはったというのに。
 ほんまに寝られへんというのは辛かった。こんなに眠たいのに今夜も寝られへんかったらどうしよう。明日昼寝しよう。そうしよう。

1月9日(日)

 幸い昨晩はぐっすり眠れて昼寝をせんですんだ。ほたら何をしていたかというと記念プレゼント用のMDの編集です。もともとこういう編集作業というのは好きで、しかも個人的に楽しむためのものなので著作権を気にせんかてええから、自由自在。好き勝手にやってます。
 基本的にはオリジナル音源をCD化した素材を集めることにしている。となると、けっこうやっかい。というのも「手塚治虫の世界」というCDが日本コロムビア社から出てるんやけれど、これが半分くらいはオリジナルやないんですね。著作権の関係からか独自にレコーディングしているものが、特に初期のものに多い。これはなんでもテレビアニメが放送され始めた頃は、子ども向きのレコードというと童謡や唱歌のたぐいしかなかったからやと聞く。ほなアニメソングはどういう形で販売されてたかというと、ソノシートやったんやね。懐かしいなあ、ソノシート。若い方は知らんかな。薄っぺらいビニール製のレコードで、下手に扱うとじきに折れて聞かれへんようになったりしたな。虫プロと朝日ソノラマの関係が強かったことなんかもあって、アニメソング(当時は「まんが主題歌」というてたと思うけれど)はたいていソノシートやった。うちにもようけ残ってます。ただし学習雑誌の付録がほとんどやけれど。
 というわけで、初期のものはコロムビア社は音源を持ってないから自社で別に録音してる。これをオリジナルと思いこんでる人もけっこういるかもしれへんね。
 最近はオリジナル音源を探し出してCD化したマニア向けのものがかなり出てる。レコード用に録音されてないものはサウンドトラックのテープや放送されたフィルムから起こしたりしてる。そういうCDもあれこれ集めているんで、いろんなCDからなるべくオリジナル音源に近いものを選んで録音する。これがなかなか楽しい。極めてマニアックな楽しみですな。CDがないものはビデオテープから録音したりしてね。
 ただ、あれもこれも録音しようとすると、80分では収まらない。なくなく割愛した曲もある。なんでMDを開発した人は90分を上限にしてくれへんかったんやろう。CDはカラヤンの希望でベートーヴェンの交響曲第9番が収録できるサイズに決まったそうやけれどね。
 とはいえ、珍しい曲も含めてなかなか聴き応えのあるMDになった。いったいどなたがこのMDを手にすることになるのかな。今からわくわくしてます。

1月10日(月)

 昨日今日とあまり外出してへんからね。さて何を書いたものやら。昨日行ったお通夜の話、というのもなんやね。
 と思うていたら、妻が広げている新聞の見出しが気になったので、それを書く。
 家庭欄の子どもについての連載記事で、「おこづかい」がテーマ。見出しは「
渡すも使うも悩ましい」とある。なんか、いらん想像をしたね。腰をくねらせながら「うっふーん」と母親が小遣いを渡し、胸をまさぐりながら「あっはーん」と子どもがそれを使う。そんなアホな記事ではないやろうけれど、「悩ましい」というとなんかこの官能的な響きがないですか。
 こういうときは辞書を引く。まずは「岩波国語辞典第五版」。「悩む気持ちだ。〈ア〉感覚が刺激されて心が騒ぐ(ほどだ)。〈イ〉気分が重苦しい。苦痛だ」。なるほど、これなら小遣いを渡すのも使うのも苦痛やということで、意味は通るか。
 続いて「新明解国語辞典第三版」。「1.精神的・(肉体的)苦痛がひどくて、じっとしていることが出来ない状態だ。2.官能が刺激されて平静でいられない感じだ」。これは1の意味やと小遣い程度でそこまでなるかなというところやし、2の意味やと私が想像したみたいなことになってしまう。
 戦時中の辞書やとどうなるか。「明解國語辭典〈復刻版〉」を引いてみる。「1.くるしい。辛い。2.氣分が惡い」。えらいあっさりしてるな。昔は日常よく使う言葉やったんかな。もっとも、この辞書は語釈に関してはかなり簡略化されてるからこのまま鵜呑みにはでけへんけれど。
 しかしまあ「悩ましい」という言葉は、私は「新明解」の2の意味でしか使わんかったから、小遣い程度で「悩ましい」なんて使われると違和感があるね。そういう時は「頭を悩ます」というような用法の方がぴんとくる。そういえば、最近は小説を読んでいてもけっこうこの「悩ましい」という表現にぶつかることがあって、そのたびにうっふんあっはんを想像してしまい、なんか違うぞと思ったりしてることに今気がついた。世間的には「岩波」のイの用法が普通なんかなあ。でも「岩波」の語釈やと「彼女は悩ましいポーズで私を誘った」なんていう時にはアではわかりにくいような気がするな。意味は通じるけれどね。
 いやほんま、言葉の使い方というのは難しい。辞書の2・3冊調べただけでこれだけ違うんやから。


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