ぼやき日記


3月21日(火)

 昨日からちょっと困ったことが起きてそのことでいろいろな人に迷惑をかけたりして申し訳ないんやけれど、それは必ずしも私のせいやなかったりするが特に誰が悪いというわけでもなく怒りのやり場をどこにもぶつけることがでけへんというほんまに困ったことでありまして、むやみに興奮してしまい昨日はなかなか寝られへんかって今日はもうめろめろで仕事中も朦朧としてしまいましてほんまにワヤだ。差し障りがあるのでここには書かれへんだけにほんまに困ったことやね。
 そんなこんなで、ふと思うたのは、私は何を求めて本を読んでるんかなあということ。今のところ読書はお仕事でもある。書評のための読書というのをやってるわけやね。そやけど、もともと本を読むことが好きになった、しかもそのほとんどがSFであるということには何か理由があると思うのね。
 で、なんやかんやと考えてみてふと思い当たったのは、私は頭をちゃんと使いたいがために本を読んでるんやないかということ。この世には頭を使わんでも読める本というものもちゃんと存在しているけれど、まともなSFというものは、頭を使わんと読まれへんものやと思う。常に脳に、いや、思考回路に刺激を与えていたいという欲求があるんやないやろうか。
 それやったらミステリでもかまわんところかもしれへんけれど、私の場合、思考は何か一つのことに収斂していくよりも大きく拡散していくことを好むんやないかな。それと「ようこんなアホなことを考える人がいるもんや」と感心したいという欲求もある。この場合の「アホなこと」というのはもちろん関西的発想であって、つまりはほめ言葉でありますね。
 落語や漫才が好きやというのは、実は笑いというのは非常に高度な思考の営みであるところからくると思うし、そこには「ようこんなアホなことを考える人がいるもんや」という共通項がやはりあると思うね。
 私はそういう「アホなこと」を考え出す人を無条件に尊敬する。
 読書をするからこそ私は物を考えようという意志を保ち続けることができるし、その刺激によって生かされていると、そういうことやないやろうか。
 そして、それを他の誰かと共有したいがために毎日毎日感想を書き付けてはこのサイトにアップしているということやないかと思う。書評という割に合わん仕事を続けられるのも同じことやね。
 そこで結論。わしゃ読まんと死ぬのじゃ。

3月22日(水)

 怒ったり落ち込んでいたりしていたんやけれど、落語やクレイジーキャッツのCDを聴いていたら、それがかなり緩和され、元気が出てきた。
 「笑い」というものはほんまにすごい力をもつなあと感心してしまう。「アダージョ・カラヤン」みたいなゆっくりした静かなオーケストラ曲を集めたCDに「ヒーリング・ミュージック」やとか「癒し」やとかいうレッテルをつけて売ってて、確かに心が落ち着くかもしれへん。そやけど、落ち着いただけでなかなか元気はでない。カラ元気でもええから、無理にでも心がうきうきするようにしていけば、嘘から出た真というか形から入るというか、そのうちほんまに元気が出てくるもんなんやなあと思う。
 昔「じゃりン子チエ」を読んでたら、おバァはんがチエちゃんに「死にたなったらお腹いっぱい食べなはれ。腹一杯になったら死ぬ気なんか消えてしまいます」という場面があって、感心したことがある。実際はほんまに落ち込んでたら飯ものどに通らへんのやないかとも思うけれど、逆にいうと飯がのどに通るくらいの落ち込みやったらそれほど深刻な悩みやないということではあるわな。
 というわけで、落語やら植木等の歌声を聴いただけで回復するくらいのものなんやからそれほどのもんでもなかったんかもしれへん。とにかく無理にでも笑うということで元気が出たのは確かやからね。「笑い」の力を再認識したと同時に、笑わせる「芸」の凄さを改めて感じたね。
 谷啓の歌の一節に「泣きたいときも笑うんだ」というのがある。クレイジーキャッツは映画で「笑って幸せに」と歌ってる。
 そこで結論。何があっても、笑うてなしゃあない。

3月23日(木)

 留守電に何かはいってたので再生すると聞いたことのないおばはんの声で「もしもし、なんやこれ」がちゃり。こっちが言いたいわい。
 年輩の方になるほど留守電になにか吹き込むというのが苦手になるようで、実家の母のお友だちは留守電になっているとメッセージと発信音を全て聞いたところでいきなりなにも言わずに切る人が多いらしい。それやったらただの無言電話やんか。あとからかけ直してきて「留守電やったから切ったわ」とか言うんやて。母はよく「名前を言うて『またかけるね』て一言だけでも入れといてくれたらこっちからかけられるのに」とこぼしていた。うちの母はその点留守電を苦にしないので助かる。ただしゆっくり長々と話すんで、うちみたいにテープに録音するタイプのものやったらええけれど内蔵のメモリに短時間だけしか録音でけへんタイプやったら困るかもしれへんな。
 実は私も留守電にメッセージを入れるときは、考え考えゆっくりしゃべるんで「えーもしもし喜多でございます。えー、実はですね、なんのご用でかけたかと申しますとですね、えー」がちゃり。用件を言うためにもう一度かける。「えーもしもし喜多ですけど、途中で切れたんで続きを言いますとですね、今度ですね、えー、そちらにお伺いするですね、えー」がちゃり。再度かける。「えー、たびたびすいません喜多ですけれど、そちらにお伺いするですね、予定はですね、えー来週の」がちゃり。かけ直すときにはメモくらいつくっといて時間内におさまるように一気に読み上げるかなんかしたらええのに、その時はそこまで頭がまわらんのです。実に困る。
 それから、携帯電話の留守電やとメッセージを入れたあとやれ確認しろの*ボタンを押せのなんのとやたら時間がかかるのがかなわんよ。あれは一秒でも通話時間を長引かせようとするNTTDoCoMoの陰謀と違うやろか。
 こうやって考えてみると、私はもしかしたら留守電が嫌いみたいに思えるけれど、直接話すのがおっくうな相手やと留守電やったらほっとすることがある。そういう時はかける前から「留守電になってますように」と祈るようにしてダイヤルする。そんな時に限って相手が待ちかまえていたように電話に出るんですな。世の中そうしたものです。

3月24日(金)

 本日で3学期は終了。とにかく1年いろいろあったけどなんとか無事終了してやれやれ。まあ1週間ほどで新年度が始まるんやから、ほっとできるのもつかの間ではありますが。

 CD屋で「六甲おろし」のCDを買う。カセットテープやらレコードやら私は何枚「六甲おろしの」を持っておるのやら。あ、「六甲おろし」というのはプロ野球阪神タイガースの球団歌です。正式名称は「阪神タイガースの歌」。佐藤惣之助作詞、古関裕而作曲の名曲で、我々タイガースファンにとっての「国歌」です。なんで中村鋭一議員は国会で「国旗・国歌法」が制定されたときに「『六甲おろし』を国歌にすべきだ」と主張せんかったんや。まあどう主張しても国会議員かてジャイアンツファンの方が数が多かろうから、廃案になったか。こうなったら関西だけ独立国家になって「六甲おろし」を国歌にしたらよろしい。
 立川清登、若山彰、中村鋭一、植草貞夫、唐渡吉則、道上洋三、トム・オマリー……。いろいろと出てるけれど、今回買うたのは道上洋三アナウンサーの久々の録音。道上さんのどら声のバックがすごい。ジャパン・ヴィルトォーゾ・シンフォニー・オーケストラという日本各地のオーケストラのコンサートマスターや首席奏者を中心に編成されたオーケストラなんやね。クラシックのオーケストラがフル編成で「六甲おろし」を演奏してる。なんでも毎年大阪で新年コンサートをやるときに、必ず演奏するそうです。CDには2000年の演奏の他に、1995年と1996年の演奏も収録されている。
 編曲がそれぞれ違う。2000年版は最初はスーザのマーチのように始まり、3番にはいるところの間奏からぐっとテンポが落ちてまるでワーグナーのオペラ前奏曲みたいになる。1995年版はジョン・ウィリアムスの映画音楽みたいな感じ。1996年版はムード音楽風の編曲と年ごとにかなり雰囲気が違う。
 どの編曲で聴いてもこれがええんです。もともとの曲がええから、どう料理しても聴かせてくれるんやろうね。古関裕而というと「長崎の鐘」、「モスラの歌」(インファント島の小美人が歌う「モスラー、ヤッ、モスラー」というアレです)、「栄冠は君に輝く」(夏の高校野球の歌です)など名曲をたくさん残してるけれど、「六甲おろし」もそれらに負けず劣らず素晴らしい。ちなみにジャイアンツの「闘魂こめて」という歌も古関裕而作曲。くやしいけれどこちらもいい曲。ところがなぜかジャイアンツはこの名曲を捨てて「ジャイアンツ、ファイヤー!」とかいう歌に変えてしもうた。アホと違うか。その点タイガースファンはものの良し悪しがわかる人ばかりやから、みんな「六甲おろし」を愛唱している。
 これまでならば「六甲おろし」のCDやと絶対に立川清登さんのものを推薦してきた。さすがに声楽家だけあって、実に素晴らしい歌唱であります。ただ、伴奏が少々安っぽいのが難点やった。根っからのタイガースファンやった立川さんはほんまに心をこめて歌うてる。
 それに続くお薦めCDとして、今回発売されたジャパン・ヴィルトォーゾ・シンフォニー・オーケストラの演奏を挙げたいね。もし立川さんが生きてはったらぜひ歌うてほしいところ。そうなると最強の「六甲おろし」を聴くことができたのに。
 一番薦めへんのはオマリーの歌。なんであんな音痴なんやというくらい音程をはずしまくってる。もっとももう入手でけへんし、レコード会社も再発売することはないやろうから、大丈夫やな。
 タイガースファンのみなさん、そしてクラシックファンのみなさん。今すぐCDショップに行って、シングルのコーナーで探しましょう。ジャケットは紅白の水引の上に「
優勝祈願」と書かれていますぞ。持ってて損はないと、私は断言する。できれば甲子園球場でも鳴らしてほしいな。いま球場で流されてるのは全て打ち込みの伴奏やからね。

3月25日(土)

 今日は、昨年度の卒業生とお母さんたちが集まり、クラス会を行う。
 普通の高校やったら居酒屋か広い喫茶店を借りたりするところなんやけれど、養護学校の場合はそういう形をとりにくいので、学校の広めの教室を借りて宅配ピザを注文したりハンバーガーやらお菓子やらジュースやらを買い込んで、茶話会みたいな形のものにする。
 企画は他の先生がしてくれはったんで、私は買い出し係。幸い近くに「東急ハンズ」があるんで、パーティー盛り上げのためにクラッカーやらくす玉やらを調達する。卒業後、職業訓練施設で1年間作業学習をした生徒が就職したんで、そのお祝いも兼ねてるからね、派手にやらんとね。
 しかし、クラッカーも日々進歩してるねえ。だいたいクラッカーなんてものは音だけやったら寂しいから千切りにした紙テープが飛び出すようにしてある。派手にパンパンやった後で掃除をするのが大変なんやけど、最近のは紙テープがクラッカーにくっつけてあって散らからへんようになってるんや。くす玉かてそうで、紙吹雪は入ってないかわりに大量の千切り紙テープがくっついてる。「
祝・お・め・で・と・う」と書いた紙がたたんであって、先っちょに鈴がついてある。紐を引っぱるとその紙テープなんかが鈴のチャラリンチャラリンという音といっしょにボワーッと広がるという仕掛けになってる。これも掃除をしなくていい。
 やはりこういうものも製造業者の開発担当の人たちがああでもないこうでもないと知恵を出しながら作ってるのかもしれへんね。派手な上に掃除の手間がかからんというのは実にありがたかった。
 乾杯の音頭とともにクラッカーを鳴らし、お開きの時間にくす玉を割る。クラッカーの音で日常の空間から宴へと世界が変わり、くす玉と記念写真撮影でその世界がきれいに日常に戻る。演出としては月並みかもしれへんけれど、そういう区切りをつけられる小道具をうまく使うとかなり効果があがるもんやねんな。
 昨年私の涙腺をいたく刺激した生徒たちは、1年たっても変わることなく元気な姿を見せてくれた。ほんまに楽しかった。嬉しかった。これは教師やないと味わえん嬉しさやと思う。

3月26日(日)

 実家の両親や妹たちと待ち合わせ、妻とともに京都の植物園へ行った。あいにくの雨模様やったけれど、梅がまだきれいに咲いていて、雨中の梅林というのも風情があってええもんですな。
 植物園に行って、雨は降る風は吹く気温は低いとなると、これはもう温室に行かなしかたない。ここの温室はまたなかなか広い。舌を咬みそうな名前の植物が生い茂っている。温室なんてものは植物の陳列台やから、いろんな地域の植物が1ヶ所に集められてるわけです。けったいな形の植物が、なんでそんな形に進化していったのか、温室で見てるだけではわかりにくいのが難点。この木の葉っぱには穴ぼこがぼこぼこ開いてるけどそれはなんでやとか、この草の葉っぱは異様に馬鹿でかいけどなんでそうなったかとか、疑問は浮かぶけれど、残念ながら温室で見てるだけではわからんね。野生の状態やら植生の状況をじかに見たら「おおそうか」と納得できるのかもしれへんけれど。
 中に「奇想天外」という名の草があった。乾燥地帯に生えるものらしいけれど、確かに葉がねじれるように長く伸び地を這うている様子はなんか面白いけれど、「奇想天外」というほど珍しい感じはせえへんけどなあ。まあ、SF者としては庭に一株植えてみたい名前の植物ではあります。
 ほかにも「アアソウカイ」という名前の植物があったりして思わず「そうですわ」と返事をしてしもうたり、なかなか面白かった。
 また、特設会場では「つばき展」というのをしていて、いろんな種類の椿が展示してあった。こんなんは熱烈な愛好家がいるみたいで、いろんな花を掛け合わせて新しい色や形の椿をこしらえているんやね。これもなかなかマニアックな世界みたい。どんな世界にもマニアは存在するもんですなあ。
 解説のパネルを読んでたら、妻が「『葯』て、これどう読むの」ときいてきた。「やく」と読むのと違うかというと、「それはどういう意味」とさらに質問してくる。なんやったか思い出されへんかったんで、訊くは一時の恥で会場の「つばき相談室」にいたいかにもくわしそうな男性にきいてみた。
「『葯』というのはおしべの先の花粉のついている堅くなったところです」。
 思い出した。中学の理科の教科書に「やく」と確か書いてあったぞ。すっかり忘れてた。初歩中の初歩やないですか。こういう頭の悪い夫婦につきあわされる係員の人こそええ迷惑ですな。悪いことをした。「こういう色の花を作ろうとしたんですけど、交配がうまくいかないんです」とか「こういう虫がついているんですけど、薬で殺しても椿には影響ありませんか」というような質問やったらともかく「『葯』てなんですか」やからなあ。
 こういうことを書くと
あの人から「けっ、『葯』も知らへんのやて。ようそんなんで生きとうなあ」とか言われたり、あの人から「昔からよう言いまんがな。『葯立たず』」とか言われたりするかもなあ。
 それはともかく、久しぶりに実家の家族といっしょに行楽気分を味わって、楽しい一日ではありました。

3月27日(月)

 今日は一日眠りこけてしまい、何もできず。実はお勉強しなければならないことができたり、原稿の締切がきてたりして寝てる場合やないのに、なんかぶっ倒れてしもうた。
 やはり一つの年度が終わると、緊張の糸が切れるんやろうね。ほんまやったら次の日に疲れがどっと出るところやけれど、昨日も一昨日も用事で外出してたから、それもあって今日にその疲れが出たんかな。

 先日買うてきたCDをまとめて聴く。むろんクラシック。諏訪内晶子(ヴァイオリン)、村治香織(ギター)、工藤すみれ(チェロ)の新譜であります。ご存知ありませんか。みんな新進気鋭でなかなかべっぴんのアーティストばかりですぞ。その他にも竹松舞(ハープ)、幸田聡子(ヴァイオリン)、シャルロット・チャーチ(ソプラノ)なんて若くてべっぴんの奏者が次々とアルバムを出している。CD屋のクラシック売場には「J−CLASSIC」なるコーナーができている。クラシックの世界ではここ数年完全にアイドル的に奏者を売り出しているんだ。男性でも木村大(ギター)とか、セルゲイ・ナカリャコフ(トランペット)なんかがそういう売られ方やね。
 これはきっとカラヤン、バーンスタインが死んでから、いわゆる「巨匠」的なクラシックに関心があまりない人でも名前くらいは聞いたことがあるというような存在が次々と亡くなって、スターが不在になったからやないかなと私は踏んでいる。
 クラシックのマニアはフルトヴェングラーやらクナッパーツブッシュの古い古い放送録音のCD化を追っかけ、カラヤンたちのあとの「巨匠」候補と目された指揮者たちはあまり人気がなくて思うようにCDが売れないというような事情もあるみたい。
 となると、もうこれを挽回するにはミーハー路線しかない、ということなんやろか。いや私かてもともとアイドル愛好家を名乗っておりましたから、こういう路線は嬉しくて嬉しくて新人の女性アーティストがデビューしたらついつい買うてしまいますよ。だいたいクラシックの奏者というのはいくらべっぴんであっても実力がなかったらあきません。そらそうです。そやけど、特にソロの奏者には存在感とか「華」がほしい。わかくて見た目のいい奏者にはそれがあるんですな。
 というわけで、最近の私は同じ曲を対して代わり映えのしない演奏で再録音する「巨匠」たちよりも若くてべっぴんで上手な演奏家のCDをミーハー的に買うてばっかり。アイドル者の血が燃えるぜ。

 明日は所用で遅くなります。次回の更新は水曜深夜の予定です。

3月29日(水)

 トップページのカウンターの調子がおかしかったけれど、なんとか直しました。画面にはでてなかったけれど、カウントはちゃんとしてたんで、数字はほぼ正確なはず。これまでは有料のカウンターを借りてたけれど、今日からはプロバイダ提供の無料カウンターになった。もう大丈夫やと思います。

 昨日は作家の林譲治さんと会食。架空戦記の世界設定の話などをしていたら「SF関係者とこういう話をすると、世界設定がどんどん広範囲に渡って広がっていくんですよ」と言わはった。
 それはそうかもしれへんね。なにしろSFを読んだり書いたりする人は、たいてい宇宙規模の視点で物事を考えたり、人類とは何かとか、時間とは何かとか、空間とは何かとか、神様とは何かとか、そんなことを意識してないと本を読むことも小説を書くこともでけへんというようなところがあるからね。

 「ビーストウォーズメタルス」が終わってしもうたね。私は毎回見るほど熱心な視聴者やなかったけど、見る度に笑わせてもらいましたよ。だいたい我々の世代にしか通用せんようなギャグをばんばんセリフに入れてたけど、テレビの前の良い子たちはわかったんやろうか。もともとのアメリカ版のセリフはどんなんやったのか。ストーリーはあれでよかったんか。最終回なんか物まね合戦で勝負をつけるんやで。ほんまか、ほんまにそうなんか。
 しかしこれ、ビデオが発売されたとして、字幕スーパー版と日本語吹き替え版とどちらを買うかときかれたら、きっと「日本語吹き替え版!」とそっちに手をのばすやろうな。以前「モンティパイソン」の映画がビデオ化されて売られてたとき、私は「日本語吹き替え版」であることを確かめてから買うたもんな。あれは広川太一郎やら青野武の声やないとあかんのです。それと同じやね。
 たぶん「チキチキマシン猛レース」やら「スカイキッドブラック魔王」かて字幕スーパーやったらほしいとも思わへんと思う。大塚周夫と神山卓三の名コンビあってこそ、ですわな。あ、「刑事コロンボ」も小池朝雄の声やないとあかん。以前ピーターフォーク主演の映画を映画館で見たときに、顔と声が一致せんかったもんな。
 ともかく「ビーストウォーズメタルス」はおもろかった。そやけど、スポンサーの「タカラ」はあの吹き替えでよかったんか。おもちゃは売れたんか。私が心配することやないけどね。

3月30日(木)

 昨日今日と大リーグのメッツとカブスの開幕戦を東京ドームでやっているけれど、あんなにフェンスに広告が入りまくっているところでプレーしているのを見ると、なんだか大リーグの公式戦を見てる気がしない。ダイナミックなプレイのはずが、なんか雑な野球に見えてしまう。入れ物に合わせて矮小化されたような気がするね。
 東京ドームでやったらあかんわ。やるんやったら、甲子園でやらんと。私は別に全国各地の球場を見て回ったわけやないけれど、風格では甲子園が一番。神宮球場もいかにも球場という空気がただよっててええね。悪いけど、東京ドームは(中には入ったことはないけど)外から見る限りでは球場という気がしないからね。大阪城ホールのでかいのという感じを与えるね。
 そやけど、甲子園は今は高校野球をしてるから使われへんのやなあ。となると、やはりグリーンスタジアム神戸でしょう。内野にもはられた天然芝、広々としたグラウンド、そして屋根なんかない。そう、一番大事なのはそこ。球場に屋根はいらん。人工芝もいらん。
 なんかスポンサーの都合でわざわざ外国で開幕戦をして、屋根つき人工芝のホールでプレイせんならんメジャーリーガーが気の毒になってきたぞ。どうせなら、グリーンスタジアム神戸で、そしてこんな時期にナイターなんかにせんと春の陽光の下、デイゲームでやるべし。誇り高きメジャーの選手には、それに見合った舞台を整えたらんとあかんと思う。
 あと、アナウンサーがなにかにつけて「さすがメジャーですねえ」というのはやめてほしいな。あんたらの好きなジャイアンツはオープン戦でこの2チームに勝ってるからそれだけほめたらジャイアンツが格上になるとでも思うてるのか。あ、これはちょっとうがちすぎたかな。空振りしても送球がそれてもフォアボールを連発しても「さすがメジャーです」になるのと違うかと思うくらい、連発してたぞ。メジャーかてあかん時はあかんと思うんやけどね。

3月31日(金)

 有珠山が午後1時過ぎにとうとう爆発。実は一昨年の5月に修学旅行で、そしてその前の年の8月には下見で2回行っているんですね。自分の知っているところでああいう災害が起こると、なんやしらん親近感もあって気になる。
 昭和新山の熊牧場の熊さんたちはどないしてるんやろう。あそこの土産物屋にいた親切なおばちゃんは、食堂で下見の時に対応してくれた支配人の人は、下見の時にお膳の支度や布団の支度をしてくれた若い(たぶんアルバイトの)旅館の従業員の人は、とこうやって思い出すと、けっこう顔が浮かんでくるもんやね。
 23年ぶりのことで、データも揃っているし前回の噴火を経験している人もたくさんいるから、避難態勢は割とスムーズにとれたみたいやけれど。しかし、有珠山の麓の洞爺湖温泉街にはかなりたくさんホテルがあるからね。あそこの人たちはそういう危険と背中合わせで生活してはるんやね。そんな危険なところにすまへんかったら、というのはよその地域に住むからいえる事であって、火山の近くやから温泉旅館も営めるし、それがなければ生活はでけへんのやしね。これからもまだまだ被害は広がる気配もあるみたいやから、なんとなく(知り合いは一人もいてへんのにもかかわらず)心配やし、気にかかる。
 最悪の事態だけは避けられますように。

 明日は「ダサコン3」です。私はゲストで、妻は一般参加者として、一泊してわいわい騒ぎます。よって、次回更新は日曜の深夜の予定。レポートがアップできればええのやけれど。刮目して待たれよ!


てなもんや伝言板 お気軽にご利用下さい。

メールはこちらまで。どうぞよろしく。


過去の日記へ。

ホームページに戻る