ぼやき日記


4月21日(金)

 最近聴いて面白かったCDのことを書く。
 
田中啓文さんに勧められて買うたのが「野坂昭如のザ・平成唱歌集 巻之一」。風刺コミックソングと一言でかたづけてしもうたらあかんね。歌詞カードを読んだだけやったら、風刺の部分がストレートに出ているなあという感じやったけど、メロディがつくとがぜん印象が違ってくる。歌というものは、歌詞とメロディがそろうて初めて歌やねんなあと、当たり前のことやねんけれど、そう感じた。その上に野坂昭如の味のある訥々とした歌唱がある。これは歌がうますぎてはいけません。ヘタではお話にならん。夫婦そろうて大笑いいたしました。傑作であります。
 「
テクノ歌謡」というアンソロジーCDのシリーズをまとめて聴く。1980年代の「テクノ・ポップ」を支えた人たちが、メジャーレーベルでアイドルやらコミックソングやらキワモノ企画やらで自分の作りたい音を好き勝手に盛り込んだ「歌謡曲」をレーベル別に集めたもの。冨田勲とはまた違った方向でシンセ音楽の可能性を徹底的に追及していた時代やったんやねえ。それが結局1990年代であまり面白くない打ち込み伴奏と化していくとは、この時点で誰が予想したでありましょうや。「東芝EMI編」の「パイク/ザ・ベンチャーズ」(あのヒカシューの名曲をあのベンチャーズがテケテケテケと演奏している!)、「ポリドール編」の「スター・ウォーズのテーマ〜カンテナバンド/子門真人」(話には聞いていたが、これは凄い。なにか勘違いしているとしか言いようがない)、「ビクター編」の「21世紀まで愛して/水谷麻里」(何度聴き返しても胸キュンもの)、「ポニーキャニオン編」の「好っきゃねん/ミス花子とじゃんぷあんどじゃんぷ」(自虐的な大阪賛歌。河内音頭をピコピコプニューンとテクノアレンジした音がたまらん)、「SOSペンペンコンピュータ/PEGMO」(ポンキッキはやはり恐い)、「アルファ編」の「月世界旅行/アポジー&ペリジー」(ヴォーカルは戸川純)、「徳間ジャパン編」の「蝶をちぎった少女/安田成美」、「恋はルンルン/伊藤つかさ」(どちらも胸がちぎれそうに切なくなる)「キング編」の「宇宙よりのパンツマン/辻佳紀」(元阪神タイガースの「ヒゲ辻」が歌うキワモノの極致)などなどまあようここまで揃えはったなあ。原盤提供はメジャーやけれど、企画はインディーズ・レーベル。
 と、見ると、「ザ・平成唱歌集」も「テクノ歌謡」も同じレーベルが出してるんやんか。いやいやびっくり。「ブルース・インター・アクションズ」という会社の「Pヴァイン・レコード」というレーベル。他にどんなのを出しているのか、ちょっと気になる。
 クラシックでも気に入ったCDがいろいろあるんやけれど、それはまた別の機会に。

 あったら恐い。AIBOの発情期。

4月22日(土)

 今日は午後から外出していた。甲子園球場のタイガースの試合が気になるのでラジオつきのウォークマンを持って出る。困ったことに、今日はラジオの中継がない。そこで、モードを切り替えてテレビの音声を聞く。
 テレビ中継やからね、細かいボールカウントとか何回の攻撃やとか、そういう情報をアナウンサーは言うてくれへん。そういうのは映像では表示されてるわけで、ところがこちらは映像なしで音声だけ聞いてるから、実にわかりにくい。掛布と川藤がまたようしゃべるんだ。「ハンセルは打者から見たらすぐに胸の"Tigers"というマークが見えてしまうような投げ方をしているんですよ。だからボールとストライクを早く見極めることができるんですね」てなことをぺらぺらとしゃべってるバックで、集音マイクがカキーンという打球の音やら「すとらいーく」というアンパイアのコールを拾ってる。いったいどないなってるのか知りたいけれど、アナウンサーは掛布と川藤の解説を拝聴してるだけ。
 そうかと思うと、いきなり「野村監督です」「和田です」と言う。なんのことか最初はわからんかったんやけれど、よう考えてみたら、これはちょうど映像では野村監督や和田選手が写ってるんですな。映像も見てたら違和感はないんやろうけれど、音声だけやと唐突で変な感じがする。
 9回表、同点のランナーが出てるところでいきなり「放送時間が終わりになってしまいました」と中継が切れてしもうた。ラジオの中継やったら試合終了までやるんやけれどなあ。
 結局、最終回のところは夜にまるでリアルタイムみたいに録画中継してるUHFサンテレビで確認した。それやったら最初から録画中継だけ見といたらええようなもんやけど、それはそれですわな。
 テレビはやっぱり映像がないとどうしようもないなあ。「リプレイを見てみましょう」「ここです、このポイントなんですよ」「ああここですね」。どこやどこやどこやねん。

 あったら恐い。仁王像のどつき漫才。狛犬のしゃべくり漫才。内裏雛の夫婦漫才。しつこいですね。

4月23日(日)

 今朝9時頃、友人より電話があって、それはまあ別に何の問題もなかった。そのあとしばらくしてまた電話。えらい日曜の朝からしょっちゅう電話があるわいと受話器を取る。もしもしと返事しても応答がない。自分の声が直接耳に飛び込んでくる感じがする。普通、電話で会話している時というのは、自分の声が受話器を筒抜けになるように聞こえてくるということはあらへん。おかしいなと思いながらもしもしもしもしと繰り返してみた。結果は同じ。指でフックを何度押しても、電話が切れへん。これは相手側が電話を切ってへん時と同じ感じやな。2回3回とフックを押したけど、ブーともピーともドンガラガッチャとも言わへん。なんか気色悪いんで、受話器を置いてそのままにしておいた。
 夕方、パソコンを立ち上げていたら、モニターのスピーカーからチリチリリンと音がする。いきなり女性の声でなんか言うてくる。パソコンには電話がつながってるから、どうやらその関係の警告らしい。朝のことがあったからすぐに電話のところに行って受話器をあげてみた。朝と同じ。もしもしと言うと、受話口から自分の声が筒抜けで聞こえてくる。もう一度もしもしと言う。そしたら、突如電話が切れてツーという音に変わった。なんか気色悪かったけれど、まあこれで正常になったわいと安心した。
 夜になって実家から電話があった。いきなり母が「あんたら、一日どこかに行ってたん?」と言う。「そんなことあらへん。ずっと家にいてたよ」と答えると、「そやけど、10回くらい電話したけど、全然誰も出えへんし。留守番電話にもならへんし。二人とも倒れてしもうたんかって心配してたんよ」。いやびっくり。ということは、一日中うちの電話は不通になってたんかいな。いったいなにがあったんやろう。幸い実家と連絡が取れたわけで大事にならへんですんだけど、あのまま電話が不通のままになってたら、大騒ぎになるところやった。
 妻は「電話局のトラブルと違う?」と言う。それやったら、明日の新聞になんか記事が出るかもしれへんな。まさか、一日中うちに無言電話をかけてた奴がいたとか。あ、それ恐い。
 それにしても、自分の声が受話口から筒抜けになってきたときの感触というのは、なんか耳に息でも吹きかけられてるみたいで気持ち悪かった。色っぽい異性の声やったらともかく、自分の声やからね。ナルシストやったら喜ぶかな。

 あったら恐い。羽交い締めしてくるリュックサック。

4月24日(月)

 どうも疲れているときは言語中枢がしびれてしまうのか、思考力が低下しているのか、考えていることをうまく言葉にすることがでけへんで困る。妻と話をしていても、なんかもうしどろもどろになってしまう。あんまり考えんと言葉を出すもんやから、妻は「それどういう意味?」とつっこんでくる。たぶん、自分なりに直感的に何かを考えて言うてるんやと思うけれど、その言葉がどういう思考回路で出てきたかを説明することがでけへん。それでもなんとか説明しようとしてかえって矛盾したことを言うてしまい、ますますつっこまれる。
 だいたい私は子どもの頃から一言多いたちで、なにか言わんといられへん。沈黙ということがでけへんのです。言わんでええことを不用意に口にしてしまう。ちゃんと考えてから言うたらええのに、なにも考えんとしゃべってしまう。
 というわけで、今日は日記のネタも考えられへんほど疲れておりますので、何も書けません。え? けっこう書いてるやないかって? さあ、誰が書いたんやろうね。指が勝手に動いたのと違うやろうか。便利な指ですなあ。

 あったら恐い。へん、恐いものなぞこの世にあるものか。

4月25日(火)

 今日は遠足。生徒たちと鶴見緑地花博記念公園へ。「なにわっこランド」というコーナーに、ばかでかいすべり台があった。高いところから一気にすべりおりるタイプのものやとか、螺旋状になってるものやとか、いくつか種類があって、生徒たちとわあわあ言いながらすべる。すべり台の表面は金属のコロが並べてついていて、めちゃめちゃすべりやすく、加速度がついたら危ないくらい。
 これがおもろいんだ。安物のジェットコースターよりもよほどスリルがある。ジェットコースターやったら手すりにしがみついてたらええだけやけど、このすべり台は自分でスピードをコントロールせんとあかん。ただただ重力に任せてるだけやったら、ほんまに恐い。いやすべり台がこんなにおもろいもんやったとは。
 しかしこれ、生徒と一緒にやってるから「ああ、先生がつきそってはるんやな」と思うてもらえるけれど、37歳のひげのおっさんが一人で行ってうはははと笑いながらすべり台をすべってたら、絶対に怪しまれるやろうな。
 つまり、ジェットコースターというのはそういうおっさんでも怪しまれへんですべり台の快感を味わうことのできる装置ということになるわけか。ううむなるほど。

 あったら恐い。大車輪月面宙返り二回半ひねり降りのできるブランコ。

4月26日(水)

 「S−Fマガジン」の今月号が送られてくる。巻頭カラーの特集で、水樹和佳子さんの漫画「イティハーサ」が紹介されている。ハヤカワ文庫版が出るらしい。あの細かい絵柄に大量のセリフという特徴があるだけに、文庫化で見にくくならへんかとちょっと心配やけれど、集英社版のハードカバーが入手しにくい状況やから、「灰色の御花」以来のファンとしては嬉しい限り。どうせやったら「イティハーサ」だけやなくて「樹魔」「伝説」「月虹」といった初期のSF作品も文庫化してほしいね。
 あれは私が高校生くらいの頃やったと思う。母の買うてきた少女漫画雑誌「ぶーけ」に掲載された「樹魔」を読んでびっくりした記憶がある。その前から水樹和佳(当時)ファンやった私やけれど、まさかこんな本格的なSF漫画を描く人やとは思うてなかった。その後連発されるSF作品をわくわくしながら読んだものです。
 あの当時、少女漫画家でSFを描く人というと、萩尾望都さん、竹宮恵子さんが人気があったけれど、あとは奥友志津子という人くらいでそんなに本格SFを描く人はいてへんかったと思う。奥友志津子さんは、確か1冊単行本が東京三世社から出てて私は持ってるけど、あのあとどないしはったんかなあ。他に、青木庸という人もいた。ファンタスティックなものとコミカルなものを描き分ける人で、この人も今はどうしているのか。で、水樹和佳さんがSFを描きだして、そのあとに清原なつのさんが続いて……というところで私は少女漫画を読まへんようになったから、あとは知らへん。
 いやしかし、よう考えたら、私は妹がいたおかげで少女漫画が家にあり、そこで面白いSF漫画に出会うことができたんやから幸いやった。「イティハーサ」以前の水樹さんの単行本はたぶん全部持っているはず。もしかしたら、あれみんな絶版ですか。なんともったいない。
 もう一度書く。ハヤカワ文庫は「イティハーサ」以前の水樹SFをどんどん文庫化してほしい。SF小説の名作がどんどん復刊されてるんやから、SF漫画の名作も続けて復刊していただきたい!

 あったら恐い。恐がってボールをよける、バスケットボールのゴール。

4月27日(木)

 阪神タイガース、本日勝ちまして、単独首位になりました。
 首位。
 ええ響きやなあ。
 
首位
 ああ嬉しいなあ。
 
首位。
 気持ちええなあ。
 あほれ首位首位首位ダララッタ、スラスラ首位首位首位ーっと。
 浮かれてる場合やないですよ。シーズンはまだ始まったばっかりやからね。
 ところで、私がタイガースファンであるということは職場でもまあちょっとは知られていて、親しい同僚からは「タイガース調子ええなあ」なんて声をかけられたりする。「一つ負けたらがたがたっといかへんか」などと気の悪いことを言う人もいたりするけどね。
 そういう人には、こう言うことにしている。
「負けたら悔しいけど、相手に10点取られたりしてもこちらが5点取ってたら、それが嬉しいんですわ。あの連打はよかった、あのホームランは素晴らしかった、てなもんです」。
 相手も負けてへんね。「完封負けで大量点を取られたりしたら、ほめるところがないやんか」とくる。
「いやいや、そういう場合は、あの場面でファインプレーがあった、あれがよかったという具合にええところを見つけて喜ぶんです。指導要録の記入と同じですわ。よいところを評価するという観点で物事を見る。これ、教育の原点ですわな」。
 こういうことを言うからタイガースファンは屈折してると思われるのかもしれへんなあ。実はこれ、私の独創やない。タイガースが優勝した1985年に雑誌の座談会で上岡龍太郎さんが言うてはったのの受け売り。というか、そういう楽しみ方をしてこそ成熟したタイガースファンやねんなあと感心して私も見習おうと思うたということです。
 もっとも、負けたらやっぱり残念やし、実際、不機嫌になると妻にも言われたりしているけどね。その分、勝ったときには思い切り浮かれたいやないですか。

 あったら嬉しい。阪神タイガースの優勝。(浮かれてる浮かれてる)

 明日は落語会に行くので、更新はお休みします。次回更新は土曜の深夜の予定です。

4月29日(土)

 いよいよゴールデンウィークに突入。所用で妻といっしょに外出したんやけど、ひたすら歩きまわり、少々バテ気味。明日休みやったらええんやけれど、日曜参観が予定されてて、お仕事に行かなならん。もう1週間ずらすとかでけませなんだかな。ああしんど。

 昨日は「米朝小米朝親子会」を聴きに行く。演目は、米朝師匠が「たちぎれ線香」と「阿弥陀池」。小米朝師匠が「八五郎坊主」と「七段目」。前座で米吉さんが「宿場町」と題された演目。はて「宿場町」てな落語は知らんなあと思うていたら「こぶ弁慶」の始めの部分だけをやったものでした。
 実は今回この会に行こうと思うたのは、 妻にぜひ生で米朝師匠の「たちぎれ線香」を聴いてほしかったから。私は学生時代、いまから17年ほど前に京都会館での「市民寄席」で生の「たちぎれ線香」を聴いてまぶたが熱うなった経験がある。そのあと11年前に京都芸術文化会館の独演会で再度聴き、その芸の深さに堪能した。今回チラシを見て「たちぎれ線香」をするということがわかったんで、これはもう妻に聴かせなならんと思うたね。私も、もう一度生で聴きたかったし。
 こういう話は、大仰にやるとかえって座がもたへんのやないかと思うけれど、米朝師匠のは違うんです。聴いたことのない人はCDで出てるから、ぜひお聴き。芸者の小糸が若旦那のことを思うてふせっていくあたりなんか、胸がつまるよ。「たちぎれ」は好きでないという人もいるらしいけれど、これはもう米朝師匠の至芸やと思う。好きも嫌いもありません。これこそが「藝」というもんやと私は主張したい。
 昨日の「たちぎれ」は出だしは言葉が出にくそうでちょっと心配したんやけれど、若旦那が蔵から出るあたりから師匠もぐっと乗ってきた感じで、仏壇の前で三味線が鳴り始めるとこらあたりは、昔見た高座とはまた違う哀しみが迫ってきた。トリの「阿弥陀池」はとんとんとんといく熱演で、米朝はまだまだこんな元気でっせと師匠自身がアピールしている感じやった。
 小米朝師匠は得意ネタの「七段目」がやっぱり絶品。「八五郎坊主」は枝雀師匠の影響がかなり強い感じで小米朝の「八五郎坊主」になりきってない感じもあったけれど、それはしかたないかなあ。
 昨年のこの会はかなり鬼気迫るものがあったけれど、今年は得意ネタで十二分に楽しませてもらいました。妻は「たちぎれ」に感動してて、やっぱり行ってよかったなあと思う。

 一昨日の日記で「タイガース首位首位」と浮かれてたら、2連敗であっという間に転落してしまいました。あんまりはしゃぎすぎるのはようないんかなあ。

 あったら恐い。ストーカー行為で逮捕される刑事コロンボ。

4月30日(日)

 京阪電車の駅でけったいなポスターを見つけた。
 中央に大きく男の子がいて、その背景に多数の大人たちが雑然とちりばめられている。これが全員同じポーズをとってるんやね。どんなポーズかというと、両腕をねじって手を握り、目の前に持ってきてその隙間を覗くというポーズ。
 広告主は「ひらかたパーク」という遊園地で、なんでも「じゃんけんトーナメント」かなんかのイベントをすると書いてある。それでわかった。ポスターの人物はジャンケンに勝つためのポーズをとってるんやね。
 私が子どもの頃、じゃんけんしようとすると、「ちょっと待って」と言うてこういうポーズをとり、しきりに手の中を覗いてる奴がおったなあ、そういえば。「何してるんや」ときくと、「よーしわかった」とか言うておもむろにジャンケンを始めるんや。なんのまじないかというと、あれ、覗いたら何を出したら勝つか見えるらしい。真似してやってみたけど、どこをどう見たらパーやらグーやらチョキやらが見えるのか、さっぱりわからなんだのでやめにした。何人かでじゃんけんをしたら、必ず一人はこれで占う奴がいて、またわざわざこういうかっこうをしたのに、負けるんやな。
 他の地方ではどういうかっこうをとるのか知らんけれど、こうやって遊園地のポスターに使われるくらいやから、京阪神では少なくともこのポーズが普遍的やったんでしょう。
 それにしても、「じゃんけん大会」のポスターでじゃんけんをしているところを図案にするんやなくてその前の占いポーズを使うところなんか、なかなかセンスがあるやないですか。しかも老若男女みんな同じポーズをとってるところに「なんとしても勝ったる」という気合いが入ってることがちゃんと表現されてるんやからね。うまいなあ。
 ところで、いまだに私はどこをどう覗いたら勝てる手がわかるのかがわからへん。指のしわかなんかの形を見るんやろか。どなたかごぞんじの方がいらっしゃったら、ぜひ教えてほしい。

 あったら恐い。奥歯に虫歯ができて、加速するたびにのたうちまわるサイボーグ009。(わかる人だけ笑って下さい)


てなもんや伝言板 お気軽にご利用下さい。

メールはこちらまで。どうぞよろしく。


過去の日記へ。

ホームページに戻る