ぼやき日記


5月11日(木)

 妻が人から頼まれたとかで「ベートーヴェンの『英雄』をダビングさせて」と言うてきた。なんでも寸劇みたいなもののバックグラウンドに使うんやそうです。歴史上の偉大な人物たちが続々と登場する場面に使うそうで、頼んできた方は「英雄」がどんな曲かあまりご存知ないとのこと。
 ベートーヴェンの交響曲第3番変ホ長調作品55がなんで「英雄」と副題をつけられたかというと、ベートーヴェンはこの曲を当時彼が英雄とみなしていたナポレオンに献呈しようとしたかららしい。確かに雄大な主題がいくつも出てくる曲やね。しかしこれ4楽章あって平均的な演奏時間は45分くらいかかる大曲ですよ。いったいどの部分を使いたいのかな。
「全部ダビングしてくれたらそこから選ばはると思うわ」というので、全曲カセットテープに入れることにしたけれど、私は「英雄」だけでもおそらく20枚以上CDを持ってる。その中からどの指揮者がどの楽団を振った演奏を選ぶか、これが問題です。
 美しい演奏がええのか、軽やかな演奏がええのか、重厚な演奏がええのか、ご希望次第でどんなものでも用意いたしますけれど。
「普通の演奏でええの」。
 ふつうのえんそう……。これは実に困る。面白い演奏、素晴らしい演奏、心打たれる演奏、笑わせてくれる演奏、とんでもない演奏、つまらない演奏、くだらない演奏、どうでもよい演奏、もうやめてほしい演奏といろんな演奏はあるけれど、「普通の演奏」というのは、まあないというてええんと違うかな。
 同じ楽譜を見ながら演奏しているはずやのに、指揮者や楽団によって、かなり曲の印象が変わるのがクラシック音楽というもの。まあ一応有名どころを2枚出してきて、妻に聴き比べて決めてもらった。
 しかし、「普通の演奏」と言われてこんな困るとは思うてへんかった。ううむそうか、普通は「『英雄』を持ってたら貸して」と頼まれた場合、「持ってへんねん」とか「1枚だけあるからそれをダビングするわ」ということになるんやろうなあ。自分がオタクであることを改めて思い知らされましたわ。

 あったら恐い。竹を割ったようなかぐや姫。

5月12日(金)

 母の日を明後日に、父の誕生日を数日後に控え、他の用事で実家に帰れへんから贈り物だけでもと思い、梅田の阪神百貨店へ。両親ともタイガースのファンやから、今年はタイガースのグッズをペアで贈ることにした。
 家庭訪問週間の関係で、午後から休みが取れた。午後3時くらいに阪神百貨店のタイガース・コーナーに行ったんやけど、平日の昼下がりというのにかなりお客さんがいてる。この前甲子園に行った帰りに寄ったときは休みの日やったからめちゃめちゃごった返してたけど、平日でもかなり混んでるのには驚いた。なんでもテレビの経済ニュースでわざわざ「タイガースショップ売り上げ良好」という報道をしてたらしい。うんうん、とりあげるだけのことはあるね。
 私はタイガースが勝っても負けても負けても負けても負けてもタイガースコーナーへ買い物に行くんやけれど、勝ったらタイガースグッズが欲しいという人がけっこう多いということやろうね。
 いろんなもんが売ってあったけれど、びっくりしたのはKittyちゃんのぬいぐるみ。タイガースのユニフォームを着てる。何を考えているかサンリオ。世の中にはKittyちゃんを全て買い集めているというコレクターが存在するという話やけれど、その人たちはこういうものもちゃんと買うんやろうなあ。ところで、ジャイアンツ・ヴァージョンも作ってるんやろうか。東京ドーム限定販売、というようなことくらいしてるかもね。
 自分の買い物としては実はトラッキー(タイガースのマスコット・キャラクター)のTシャツが欲しいんやけれど、残念ながらそういうのは子ども向きのんしかない。そのかわり、あの亀山つとむ(ヘッドスライディングで売った元タイガース外野手)が歌うてる「トラッキー・サンバ」(甲子園でも流れてる軽快な曲)のCDを買いました。そんなもんばっかり買うてどないするんやろうね。

 あったら恐い。「チャート式世界史」を常備しているタイムパトロール。

5月13日(土)

 今朝のスポーツ新聞を読んだら、昨日の日記で書いたKittyちゃんのプロ野球ヴァージョンはセ・パ8球団あるそうです。やっぱりジャイアンツ・ヴァージョンもありました。そらそうやろうな。タイガースだけということはまずあり得へんわな。

 夕方からゴロゴロと雷の音がしていたかと思うと、しばらくしたら落雷したのかやたら派手な音が何度も何度も響き渡った。窓の外では子どもの声がして「ああこわいああこわい」と聞こえてくる。同時に激しい雨が降ってきて横殴りに窓ガラスを叩いていく。かなり大粒の雨やったらしい。まるで雹が当たっているみたいな音がする。私も妻も雷の音に恐がったりはしないんやけれど、びやっと光ったかと思うとぴきしゃんずーんと音が轟き渡るのにはびっくりした。驚かしなはんな。
 しかしなんやね、私の子どものころはこういう雷が鳴ったら、絶対というてええほど停電したもんやけどなあ。すぎゃぴしゃーん、というような音がしたと同時にふっと蛍光灯やらテレビやらが消えたりしたね。今はどういう仕組みになってるんかしらんけど、これだけ何度も落雷してるのに停電なんか気配もない。
 あ、そういえばテレビ番組が途中で切れて「しばらくお待ち下さい」と書かれた静止映像が10分近くブラウン管に写ったきりというようなこともなくなりましたな。東京の放送局から送られてた電波がなんらかの理由で大阪の局に届かんようになったんやろうかね。いつごろからああいうことがなくなったんか。小学生のころ、つまり四半世紀前はまだそういうのがあったと思う。
 今日も雷が落ちた瞬間に、あ、停電になるテレビの映像が止まるという心配が脳裏をかすめてしもうた。若い人にはこの感覚、わかっていただけんやろうなあ。

 あったら恐い。ままかりかついだ金太郎。

5月14日(日)

 小渕恵三前首相、本日午後4時、死去。享年62。何もしてないように見えて、実はこれまでの自民党首相ができなかったことを次々と成し遂げていった。何もしていないように見えるところがこの首相の恐ろしいところやった、とは言い過ぎか。いやいや、盗聴法、国民総背番号法、国旗国歌法、沖縄サミットなど功罪含めてこれだけのことをした首相はそれほど多くはないはず。それも在任1年8ヶ月しかないんやで。同時代での印象は薄くとも政治史には名を残すという摩訶不思議な首相やと思う。

 今日は団地の共同清掃。草むしりやらなんやらで汗をかく。
 まだ幼稚園前というような年の子どもがお手伝いをしに出てきているのが楽しい。仮にみこちゃんとしておくけど、この子が面白い。この子は先日私が帰ってきたときに前の庭で遊んでいて、フルフェイスのヘルメットをかぶったままの私のところにちょこちょこと駆け寄ってきた。「あなたのお名前は?」とトニー谷のような質問をしてくるので「喜多ですよ」と答えると、私のヘルメットをはずそうとする。私が自分でヘルメットを脱ぐと、「顔は知ってるけど、名前は知らないわ」と言うてから、確認できたら用はないとばかりに遊びの輪に戻っていった。
 今日はいつも遊んでいる男の子から「お仕事してへんわーい」と憎まれ口を叩かれ、「大っ嫌い」と言い返してから、私に「私、嫌がられてるんかなあ。いっつもあんなん言われるねん。あこちゃんも私に言うねん。『あーなたのードーレスーはどんなー服』て」と話しかけてくる。あのねえ「あなたのドレスはどんな服」てな歌が嫌われているという意味になるんですか。子どもの言葉は日本語のようで日本語でないね。こちらに意味が通じてこない。
 そのみこちゃん、清掃の後、同じ団地の子供たちと土をいじっていて「あーっ、
おなら虫や!」と大きな声。あこちゃんが「ほんまや、おなら虫や」。おなら虫てなんやねん。覗いてみるとゴミムシかオサムシのたぐいとおぼしき昆虫。横にいた男の子が「違うで、これはペンペン虫!」。ペンペン虫ですか。たぶん以前触って臭かったから勝手にそんな名前をつけたんやと思うけど、おなら虫にペンペン虫ねえ。
 子どもの言葉はほんまに面白い。こういう感覚、そのうちに失われてしまうんやろうな。そう思うとちょっと寂しいね。

 あったら恐い。助けた亀を追いかけても永遠に追いつけない浦島太郎。

5月15日(月)

 あいも変わりませぬ夫婦漫才でございます。
 最近増えてきたロボット犬やけれども、後発のものはどうも格好が悪い。
「やっぱりAIBOのデザインは凄いなあ。ちゃんと犬になってるもんなあ」と私。それに答えて妻は「そう、ほら、あの犬と動きも形もそっくりそのままになってるもん」。
「あの犬?」
「ほら、あれ。スヌーピーって犬種はなんやったっけ」。
「ビーグル犬かいな」。
「そうそう。ああもう記憶力が落ちてるわあ。きっとプレアデス星系から電波が送られてきてるからやわ。そうに違いないわ」。
「プレアデス星団の和名を言うてみ」。
「えーと、えーとね……アンドロメダ」。
「あんたそれ日本語やないがな」。
「私かて『すばる』くらい知ってるわ。そやけど他の和名の星団を思いつかへんかったんやもん。『馬の首暗黒星雲』やとおさまりが悪いし」。
「どうせボケるんやったら『いすゞ』とか『トヨタ』とかにしたらええやん」。
「ちょっとそれはひねり過ぎと違う? それに『いすゞ』ってなんでその名前が出てくるの。つぶれたんと違うたっけ」。
「まだトラックは走ってるで」。
 記憶力が減退したという話題やのに、ついついお互いにボケとツッコミの研鑽をしてしまう。なんでやねん。こうなったら次のSFのコンベンションでは夫婦でゲストに呼んでもろうてオタク漫才でもやりますか。誰が聞きにくるねん。これこそあったら恐い。

 あったら恐い。あごが邪魔でできないティラノサウルスの握手。

5月16日(火)

 今朝午前4時10分頃、震度3の地震にみまわれた。さすがに今回は起きて、どれくらいの規模のものか警戒をした。常日頃地震に鈍感になりつつある私でさえちゃんと起きたんやから、もちろん妻は目をさましてる。
 あの大震災以降、妻はかなり地震に敏感になってる。私がぼけらっとテレビで野球を見ていたりしてたら、突如「今、揺れへんかった?」と訊ねてくる。「いやあ、感じひんかったで。上の階の物音が響いたんと違うの」ととりあわへんかったら、テレビ画面に「地震速報」のテロップが出る。やっぱり地震やったんかと私はびっくり。それもそのはず、速報によると大阪地方は震度1くらい。じっと座っていて辛うじて揺れたか揺れへんかったか感じる程度のものやね。妻はそんな揺れでもキャッチしてしまうんだ。
 「なんでこんなに敏感になったんやろう」と気にする妻やけれど、あの震災で少しでも恐い思いをしたんやから、それはしかたないやろう。私はよほど鈍感にできているらしい。あの時も最初の揺れの時は夢の中で目もさまさへんかったんやから。もっとも今の妻の様子を見ていると、あんまり敏感すぎてもしんどいみたいや。
 そんな私が目をさましたくらいやから朝の地震はよほどひどいもんやったんやろうと思うてたら、新聞によると震度3。ほんまかいなと一瞬思うたんやけど、積んであった本の山の崩れ具合を見るとそれほどでもなかったんやから、地震もそれほどではなかったんやろうね。
 しかし、本の崩れ具合で震度を測るというのもなんやなあ。とんだバロメーターですわ。

 あったら恐い。方向音痴の方位磁石。

5月17日(水)

 森首相は「日本の国、まさに天皇を中心とする神の国であるぞということを、国民のみなさんにしっかりと承知していただくという思い」で三十年間活動してきたそうです。昔読んだ「はだしのゲン」という漫画で戦時中に先生が少国民たちに同じようなことを言うてる場面を思い出す。さすが国民の意思を直接問わずに首相になった方らしい発言やね。神様が森さんを首相にしてくれはったんやろう。
 民主党の鳩山代表は「主権在民に反する」と攻撃してる。これはまあ、野党としたら恰好の攻撃材料やね。で、笑わせてくれたのが民主党の議員、川端さん。首相の失言を「これは
神風だ」と言うたそうな。神風ですか。そんなことを言うたら「日本は神の国」と認めたことにならへんか。ギャグとしてツッコミを入れてるとしたらこれは秀逸やと思うけどね。
 しかし森首相というお方はおもろい人ですなあ。まだ生きている坂田道太元衆議院議長を故人扱いしたとか、何か発言するたびに爆笑してしまう。次はどんなことを言うてくれるのか、私は楽しみで楽しみで。きっと後世の政治史には「失言首相」として名を残すことでありましょう。「ボキャ貧」とかいいながらえげつない実績を残した前首相よりもよほど愛すべきお人柄ですわ。いやほんま。

 あったら恐い。クラインの壺の砂時計。

5月18日(木)

 毎日毎日「あったら恐い」と書き続けてきたけれど、最近は「あったらおもろい」に完全にシフトしてしもうてるし、レベルの低下が甚だしいので、しばらくお休みいたします。まあ、思いつきで始めたことやし、また思いついたら不定期に書くかもしれへんけど。けっこうええ思考トレーニングにはなったなあ。

 風邪をひいたらしい。私は急激な気温の変化に身体がついていかれへん変温動物系の体質やから、ここ数日みたいに一気に夏に突入してしもうたり雨が降ったら肌寒くなるというようなところでホメオスタシスなるものがおかしな具合になったみたい。
 それでいて食べ物だけは夏らしく、わらび餅をむさぼるように食しておるのやから、腹がおかしくなってもしらんぞ。私はわらび餅が大好きでチョコレートもアイスクリームも好きやけれど夏はやっぱりわらび餅。あ、アイスクリームも夏のものですな。まあよろしい。
 子どもの頃は母親が粉を溶いて煮て冷やして固めた手作りのものばかり食べてたけど、最近は妻がスーパーマーケットで買うてきてくれる出来合いのものばかり。「タピオカわらび餅」という葛を使うてないのが特売でよう出るらしい。たいていはそれを食べる。原料は違うても成分は特に変わらんのやから味もたいして変わるまいと思うていたけど、このまえ私が別のスーパーで買うてきたタピオカでないわらび餅を食べたら、ずっとおいしいことが判明した。
 まあ「タピオカわらび餅」はつまるところ代用食に過ぎないと、そういうことか。かに風味の蒲鉾とか、米の味噌とか、そこらあたりと同じやね。むろんわらび餅粉を使うて家で作った方がうまいに決まってる。ただ、時間と手間をかけるのがめんどうやというだけやからね。私の子どもの頃は出来合いのわらび餅なんちゅうもんはそもそも売ってへんかったんや。
 和菓子の店で売ってるのを以前みやげにもろうて食べたことがあるけど、あれはおいしかったなあ。もっとも、みやげに買うにはええけど自分とこで食べるために買うような値段やないから、いくらおいしいというてもそうしょっちゅうは食べられません。
 なんにせよ、和菓子屋の上等やろうと、自家製やろうと、タピオカわらび餅であろうと、好きなものはなんでもうまい。この世にわらび餅があってくれてほんまによかった。生きている甲斐があったと思う。幸福とはこういうことかと思う。何物にも代え難い至高の瞬間である。
 そこまで言うか。

5月19日(金)

 この前新聞を読んでたら、「ママレンジ」について書いてあった。懐かしいなあ。実際にホットケーキなんかを焼くことのできる玩具ですわ。「マーマーレンジ、ママレンジ。アサヒ玩具のママレンジ」というコマーシャルソングが聞こえてくるぞ。実に値段の高い玩具で妻などは欲しかったけど買うてもらえなんだという。残念ながら「アサヒ玩具」が倒産したんで今はもう幻の玩具になってますけどね。
 高嶺の花というのか、買うてもらいたかったけどとてもやないが手の届かない玩具というものがけっこうありましたな。妻は他には「リカちゃんハウス」の名を挙げてた。私の場合は、「サンダーバード秘密基地」でしたな。
 また腹の立つことにたいてい近所にそういう高嶺の花をいともたやすく入手しておる、欲しいものはなんでも買うてもらえる子どもというのが必ずいてるんだ。あれは不思議やね。で、そういう子どもの家に遊びにいくんやけれど、その子と遊びたいんやあらへん。玩具が目的になる。おそらく親の方も一人でも遊びに来てくれる友だちが多い方がええから、新しい玩具を買い与えてたんやろうな。中にはほんまに玩具さえなかったらそんな奴の家には遊びに行かへんというようなごっつ性格の悪い奴がおったからな。
 そやそや。怪獣のソフトビニール人形を大量に持ってる奴がいたぞ。なんかわがままなタイプの奴やったけど、彼のところに行ったらいっぱい怪獣で遊べるから少々のことは我慢してたなあ。
 その反動でこの年になってもついつい子どもの遊ぶようなものを買うてしまうんやろう。このトラウマはかなり深いかもしれへんね。

 日曜日は「たちよみの会」です。興味がおありの方はのぞいてみて下さい。

 明日は所用で更新をお休みします。次回更新は日曜深夜の予定です。


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