ぼやき日記


5月21日(日)

 今日の「たちよみの会」にはいつものように私と妻、会員Y氏、かつきよしひろさん京大SF研の面々が集合。今年のSFセミナーでの角川春樹さんの言動などを教えてもらい多いに楽しませてもろうた。今年の「京都SFフェスティバル」の企画についても毎度の如く横から口出しをしたりして、我ながら困ったおっさんやなあ。

 帰り道にかつきさんから「最近ヤングアダルトがだんだん読めなくなった」というようなことを言われて、少し意を強くした。去年の「京都SFフェスティバル」で三村美衣さんから「ヤングアダルトの読者は年齢が高くなってもそこから卒業することはないだろう」みたいなことを言われて、それが気になってたんやね。私はある程度の年齢になったら離れる読者がおって、また新しい読者が加わって、結局読者の年齢層はそれほど大きく変化せえへんのと違うかと考えてる。
 大人向けの小説中心に変わっていく読者もいるやろうし、小説自体を読まへんようになる者もいてるやろう。どちらにしても、一生「ヤングアダルト」につきあい続けるということがあるかどうか私は疑問に思うてる。
 もちろん、かつきさん一人を例に挙げて全体を語るような愚は犯したくはないし、そうでないと言う人もいてるやろう。ただ、意識してヤングアダルトを読み続けようとする意志がない限り、いずれは「卒業」していくものやないかという私の考えに多少の裏付けを与えてくれたかなという程度のことではあるやろうと思うた次第。
 これに関するご意見などもいただければありがたいですね。

5月22日(月)

 私の勤務している学校は、チームティーチングということで、クラス担任も複数で入ってる。お互いになれてきていい人間関係が作れたらよろしいんやけど、年度途中で喧嘩したりしたらたまらんものがある。
 なんというても共通の話題がないと苦しいけれど、今年いっしょに担任をしている若い男のA先生がアニメファンらしいので、だんだん楽しくなってきた。
 例えばこんな具合。
 宿泊学習のレクリエーションで「イントロクイズ」を担当することになった生徒に私がアドバイスをしていた。「ええか、同じ歌手の歌ばっかりやとあかんで。童謡やとかアニメソングなんかも混ぜたりすると面白なるからな」。生徒はうんうんとうなずいてる。隣でA先生もうなずいている。「アニメソングでもな、みんなが知ってるのでないとあかんで。『ブギーポップは笑わない』みたいな遅い時間のアニメとかはやめときや」。生徒はきょとんとしていたけど、A先生は爆笑。
 ここで笑うということは、相当お好きとみえますね。他にも声優ネタを振ったらちゃんと受けてくれましたからね。私はあんまり最近のアニメにはくわしくないんやけど、妻からレクチャーを受けたりしてるんで、多少はそういう話題ができるぞ。もしかしたら密かにSFファンかもしれへん。そこらあたりは今後おいおい探っていくことにしましょう。
 なんですか、仕事をほったらかしてるわけやないよ。円滑な人間関係こそ職場に求められることやないですか。そう、私は円滑な人間関係を築こうとしてるだけやないですか。そうは見えませんか。いやもっと素直に受け止めてほしいなあ。

5月23日(火)

 よく漫画家が野球解説者を茶化すときに元タイガースの川藤幸三さんを引っぱり出してくるけど、じっくり聞いてたら川藤さんの解説はそれほど笑わせてくれへん。言うてる内容も言い方もかなりまともやったりする。
 実は、プロ野球解説で一番笑わせてくれるのは元ブレーブスの
福本豊さんやということは全国的にはあんまり知られてへんみたいやね。そらまあ福本さんはかつて盗塁の世界記録を作ったプロ野球史上に残る大選手やったから、そのイメージからするとそんなに面白いキャラクターとは思いにくいということはあるかもね。
 ところが、その喋りは解説者のものやない。ずばり言うと「近所の大阪のおっさんが好き勝手に喋ってる」ということになるかな。
 今日、タイガースが延長14回の裏にサヨナラ勝ちをおさめた後、「10連勝中の中日を
いわしたんやから、これで弾みをつけてほしいね」と言う。これは関西以外の方たちにはちょっとニュアンスが伝わりにくいかもしれへんね。「いわす」というのは「こら、おまえ、ボコボコにいわしたンど」というように喧嘩なんかで相手を叩きのめすようなときに使う表現であります。いくらなんでも野球解説者が「いわした」はないでしょう。
 「この外国人選手を解雇して新外国人選手をとると言われてますが」とアナウンサーがきくと、「この選手は慣れてきてるから残しといてもええんちゃうかな。
さらを連れてきて打たれへんかったらいっしょやからね」。「さら」というのは「新品」のことであります。「ほら、このパソコンは中古と違うで。さらやで」というような使い方をする。ふつう人間には使わん。
 先発投手の調子を訊ねられて「こら
あかんわ」。そうはっきり言わんでもええやん。身も蓋もない。完全にそこらの野球好きのおっさんがぼやいてるという調子なんです。これだけおもろい解説者はそうはいないよ。
 残念なのはこの面白さがおそらく関西の人間以外には伝わりにくいんやないかと思われるところやね。微妙なニュアンスは理解してもらえへんように思う。その証拠にバファローズの打線のニックネームを東京の若い女性アナウンサーが平気な顔して言うたりしてるからね。「今日も近鉄の『いてまえ打線』が爆発しました」。「
いてまえ」という言葉のニュアンスを理解してたら、若い上品なお嬢さんはちょっと使いにくいと思う。
 福本さんの解説は絶対に面白い。ただし、全国ネットでは伝わらん類の面白さやね。この「ぼやき日記」で苦労するのは、もう少しちゃんと大阪弁で書きたいけどそれでは意味が不明になるから共通語風に直してる部分。細かいニュアンスを伝えるには方言は難しい。福本さんの面白さをこうやって紹介しようとしても、なんかうまいこと書かれへん。隔靴掻痒とはこのことか。

5月24日(水)

 昨日が延長14回、今日は延長15回。12時過ぎまで野球をやりますか。
「ほんまにタイガースもドラゴンズも野球が好きなんやから」。
 思わずそう言うたら、妻に「それ、ギャグ?」と突っ込まれてしもうた。「最後まで見てるあなたはどうやの」。
 ごもっとも。
 しかし朝日放送も凄いぞ。「リレーナイター」と称してUHFのサンテレビで最後まで中継をしていたんやけれど、延長戦に入ってからはほとんどコマーシャルを入れてない。1時間以上、ぶっ続けで中継してた。アナウンサーも解説者もおしっこしたいとか思わへんかったんやろか。夜になったらそれなりに涼しくなってきてたと思うんやけど。放送が終わったらトイレに直行してたかもしれへんね。
 そんな心配せんでもよろしいか。
 今日はそんなわけで疲れてるんでここまで。かんにんな。

5月25日(木)

 自分では自分の口癖に気がつかへんということはよくあること。落語には「二人ぐせ」「四人ぐせ」というそこらあたりの人情をうまいこととらえた面白い噺がある。
 妻に指摘されて気がついたんやけれど、私の口癖は「はっきり言うて」「正直言うて」なんやそうです。こういう言葉は言い辛いことを言う時につかうもんなんやけど、私の場合は別にそう断らんでもええようなことでも「はっきり」「正直」に言うらしい。そう言われると、そうやね。
「はっきり言うて昨日の試合は長かったからな」。はっきり言わんでも長かった。「正直言うて教師には夏休みがあるからな」。嘘やないがな。
 世間では「……じゃないですか」やら「……とか」やら「ワタシ的には……」というような婉曲さを装った言葉遣いが話題になってるというのに、私はどうでもええことでも「はっきり」「正直」と強調してるということになる。思い切り時代に逆行してますな。
 むろんこれは喋り言葉についてのことで、書き言葉ではどちらかというと「……と思う」やら「……と違うやろうか」てな調子で書いている。これは書き言葉が意識して発信されてるのに対して喋り言葉は無意識に発せられてるからやろうね。
 書き言葉には書き言葉での私の口癖というものがあるんやろうけど、これも自分では気がつかへんかったりする。書き言葉の場合は「口癖」はおかしいな。「文体」という便利な言葉がある。
 ともかく、口癖を指摘されると喋るときなんか変に意識してしもうてあかんね。自分の言葉で喋ってへんみたいになる。ま、一晩寝たら元に戻ってるんやろうな、きっと。

5月26日(金)

 事情があって実印なるものを作り印鑑登録なるものをせんといかんことになった。
 思うに、印鑑登録というのはいつごろできた制度かしらんけれど、どれだけの意味を持つものなんやろうね。つまりこれ、公文書に押す印鑑が本人のものやということを公式に証明するものなんやろうけど、例えばそこらで売ってる三文判を登録したってかまへん。この時点でもう印鑑を登録するということの意味があるのかどうか。
 そのために実印は注文してあつらえてもらう、ということになるわけやけど、印鑑証明を申請するために使う「印鑑登録証」なるものが、これまた問題。私は手帳みたいなものに登録した印鑑が押してあるのかと思うてた。なんとこれが磁気で私の情報をいれてあるプラスチックのカードなんやね。これさえあれば、窓口にわざわざ実印を持っていかんでもええらしい。私本人やなかってもそのカードを持っていけば印鑑証明を交付してくれるんやて。
 磁気カードが簡単にコピーできるご時世にこれは危ないのと違うかな。実印を大事に保管しててもカードにおさめられたデータをどこかでコピーされたら、なんぼでも印鑑証明は他人に交付されてしまう。不動産やろうと自動車やろうと私名義でばんばん取得される危険性があるんやな、これ。なんのために印鑑登録をしてるのか、意味がどんどんなくなってくと思う。
 また実印の高いこと。私は一番値段の安いのを注文したんやけど、それでもハンコ1個としたらけっこうなお値段やった。そこに「吉相印鑑定書」とかいうものがいっしょに入ってた。なんでも幸運を呼ぶ字画になっているとかいう証明書らしい。そんな証明書をもろて、もし不幸が続いても、「虚偽の証明をした」とハンコ屋を告発できるわけがあらへん。そんなんいらんからもう少し値引きしてよと言いたい。
 いったい実印やとか印鑑登録などというものにどれだけの意味があるんか疑問を感じたんやけれど、法律で印鑑証明が必要やということになってたら、疑問はあっても手続きはしておかんといかん。困ったもんですなあ。

5月27日(土)

 普段電車に乗らへんもんやから、中吊り広告につい目がいってしまう。本を読んでなかったら広告を読む、活字中毒者の性みたいなもんですな。
 今日は妻と所用で出かけ、地下鉄に乗っていた。ファッション雑誌の広告が手近にあったんで、なんか意味がわからんことがようけ書いてあるなあと思いながら読んでいた。
「なあ、あの『Oggi』てなんと読むの?」「『オッジ』よ」「それ、何語?」「さあ」。てな会話を交わす。もちろん質問してるのは私です。
「なんや、『CLASSY』は『WACOAL』という増刊を出したんか」と思うてよくよく見ると、実はこれ「ワコール」が雑誌と提携して、雑誌の吊り広告と同じデザインのものを作り、並べて吊ってたんだ。紛らわしいけど、これはなかなかのアイデアやね。雑誌の広告を読んでたら、自然にブラジャーの広告まで読んでしまう。この不景気でタイアップ商法はいろんな企業が行ってるけど、これもその一つやろうね。
 『WACOAL』という文字のフォントもサイズも色も全部『CLASSY』と統一してる。宣伝のコピーのレイアウトもそっくりそのまま。
 これはファッション雑誌だけではもったいない。他の雑誌でもやってみる価値はある。SF映画の広告と並べて全く同じデザインで「S−Fマガジン」の広告を吊るというのはいかがでしょうか。最初から「S−Fマガジン」は電車の中吊り広告を出しませんか。「週刊ポスト」の広告と相撲協会の広告を並べたらどうかな。片方には「板井氏、八百長疑惑を追及」、片方には同じレイアウトで「時津風理事長激白、八百長は存在しない」とやったら相乗効果で国技館にお客さんが戻ってくるかも。両者共倒れの危険性もあるか。「週刊読売」と「読売ジャイアンツ」の広告を並べたら……どっちも変わらんかな、これは。「週刊朝日」と「週刊文春」の広告を並べてお互いを批判する記事の見出しを書き並べたりして……もともとレイアウトにそれほど差がないからあんまり意味ないな。
 いろいろと例えを考えたけど、おっさんの読む週刊誌ばっかりやないか。ああだんだん身も心もおっさんになっていってる。よし、ここは童心に還ろう。「コロコロコミック」の隣に「ドラえもん」の宣伝を……子どもは中吊り広告は読まへんて。

 明日はプロバイダのサーバ・メンテナンスがあるので、更新をお休みします。次回更新は月曜深夜の予定です。

5月29日(月)

 昨日は法事で京都のお寺に行く。本堂にお香の煙がただよい、低くよく響く声でお住持さんが「マーカハンニャーハーラーミーター」とお経を読み、私たちが唱和する。くぁーんと鐘の音がし、ぽっくぽっくと木魚が拍を刻む。
 宗教的であろうとそうでなかろうと、儀式というものは実に演劇的なもんやなあと思うた。舞台装置と演出効果があるから参列するものは思わず厳粛な気持ちになる。同じお経を芸妓さんが三味線をつま弾きながら「マアァーカハンニャア、ハラアミイタァ」と節をつけて艶っぽくやったらこれ全然違う雰囲気になるやろうね。
 学校の卒業式で「一同起立、礼、着席」を何回も繰り返させるのもあれは演出の一つやからね。ござを敷いて寝そべってやってみなはれ。誰も卒業式で泣いたりしませんな。
 やっぱり古いお寺というのはそれだけで立派な演出装置になってるなあと思う。そういう風に思えるのは、なにかすがりたいと思うてお寺に行ってるんやないからで、自分がせっぱ詰まってたりしたらそんなさめた目では見られへんやろうね。新宗教のいかにもこけおどしで安物臭い装置にだまされる人がいてるというのも、いろんな条件で客観的に見る目をふさがれてるからに違いない。それが投げキッスに珍妙なステップやったとしても、その演出を受け入れる心理的な条件があったら、実にありがたいものに感じられるということやろうね。
 しかしなんですな、お経を聞いてたら眠たくなるというのは催眠効果があるんかな、やっぱり。眠たくならん人もいるんですか。ああそうか、お坊さんはちゃんと起きてるな。私は寺に生まれてへんでよかった。お経を唱えながら寝てしまう和尚では檀家が離れていくな。

5月30日(火)

 頭を雨で濡らしたら禿げるという都市伝説について「てなもんや伝言板」に書いてほしいとこの日記でお願いしたら、いろいろな年代の日本各地の方に書き込んでいただいた。ありがとうございます。
 驚いたのは年齢差をものともせずこの都市伝説が生きているということやね。私たちの世代やとやっぱり放射能で禿げるということになるわけやけれど、これは当時世界中で行われてた核実験の影響となる。これが少し世代が下がると、同じ放射能でもチェルノブイリの事故が原因になる。最近では放射能やない、酸性雨が原因になる。ここらあたりの変遷が時代を感じさせて面白い。酸性雨やったら頭が禿げるだけではすまんと思うけどな。皮膚にも悪影響がありそうなもんや。それやのに「頭が禿げる」という都市伝説に結びついてしまう。
 つまり「頭が禿げる」という言い伝えに付随する物語は変化してるけど、結果だけは変わらん。というか、「頭が禿げる」言い伝えに対して、これを伝え聞いた新しい世代が納得するためにその時代に対応した理由をくっつけていったというところやないかな。
 また具合のええことに雨にはいつもなにかしら毒素が含まれてるんやね、これが。環境破壊の影響をまともに受けるのが雨やともいえるか。
 私の憶測では雨の中を傘も差さんと歩いたら風邪をひくから、その戒めのために出てきた脅し文句がこういうような都市伝説に変化していったとなるんやけど。
 酸性雨の問題はそう簡単に解決しそうにないから当分は「酸性雨のために頭が禿げる」という形でこの都市伝説は残っていくんと違うかな。そんな気がする。
 書き込んでくれはったみなさん、ありがとうございました。
 またたぶん気まぐれにわけのわからんことを質問するかもしれませんが、その時はまたよろしくお願いします。

5月31日(水)

 気がついたら月末やないですか。「S−Fマガジン」の原稿締切がきたというのに、なかなかとりかかれへん。もう一つ別の雑誌からの依頼で今年上半期のベスト本を1冊紹介してそれにコメントするという仕事も入っている。
 どうしても読書傾向が偏るから、「S−Fマガジン」の書評でとりあげる本と重なってしまう。そやけど、それはやっぱり避けたいところやね。いくら私が三文木端零細書評家とはいえ、1冊の本で原稿料を二重取りするのはよくない。それで食べていってるわけやないというても、一応プロを名乗るからにはあんまりせこいことはしたらあかんと思う。どこかで見てる人は見てるわけやから、あまり感心でけへんようなことをしたらあかん。
 となると、伝奇アクション関係の小説以外から上半期ベストワンを選ばんならんということになる。これは困った。小説は伝奇アクション関連しか読んでないからなあ。ここはやはり小説以外の本で面白かったものを選ばねば。実は小説よりも面白いと思うた本があるんでそれを紹介することにしようと思う。
 となると、今度はこのサイトの「読書感想文」のページに書いたのとはまたちょっと違う切り口でコメントをつけんとあかんわなあ。その雑誌を読んだ人で私の「読書感想文」を読んでくれてはる人がいたら、それはそれで申し訳ない。
 私事多忙の折り、思考力が大幅に低下してるのにそんな器用な真似がでけるやろか。いや、そこをなんとかするのがプロを標榜しているものの芸の見せ所ではありますね。
 こんなことをうだうだ書いてないでさっさと「S−Fマガジン」の原稿を書かねば。ああしんど。


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