ぼやき日記


6月22日(木)

 オンライン書店<bk1(ビーケーワン)>のオープンが7月11日にのびたそうな。宿泊学習の引率なんかで原稿を書いてなかったので、なんか申し訳ないように思うていたけど、のびたんやったら一安心。てなことを書いたら叱られるな。何事も立ち上げるのは大変ですね。

 で、宿泊学習に行ってきたわけです。「アクトパル宇治」という野外活動施設があって、これは最近オープンしたばっかりのとてもきれいなところ。山あいの落ち着いた場所にある。持っていった携帯電話のディスプレイに「圏外」と出るような場所であります。野外活動施設であって旅館やないから、部屋にテレビはない。生徒といっしょの部屋に寝泊まりするわけで、ポケットラジオをじっくり聞くということもでけへん。朝、入口のホールに行っても昨日の新聞しか置いてない。つまり昨日から今日にかけて、情報から隔絶された世界にいたわけです。まあSFコンベンションの合宿でも情報から切り離されたりはするけれど、その気になればテレビも新聞も携帯も利用できるわけで、今回のようにはっきりと情報から切り離されるわけやない。
 私たちは好むと好まざるとに関わらず様々な情報の中に身を置いているわけやから、たまにこういう状況に置かれるというのは、かえって新鮮ではある。もしかしたら情報依存となってるような人には不安で息苦しい時間を過ごすというようなことになるかもわからへんけどね。
 私の場合、一番不安やったんはプロ野球の試合の結果がわからんということ。こう書くとなんかお気楽な感じがするなあ。もっと大事なことがあるやろう。そやけど、なにが一番大事かなんて主観的なもんやからね。私の場合は「阪神タイガースは勝ったか負けたか」がかなりのウエイトを占めているということや。
 こういう状態に置かれたとき、たいていは家に帰ったらすぐに新聞をチェックするんやけれど、今日はそれもしなかった。そのかわりメールをチェックしたけどね。私の携帯は旧式で電子メール対応機能なんか全然ついてないから、メールのチェックは家にあるパソコンしかない。もっとも「圏外」の土地でメールのチェックもなにもないけど。おがわさとしさんが「ヤフーのオークションでとんでもないものが出ているぞ」というようなメールを送ってきていて、見ればタイムマシンをオークションにかけてる(これは
冬樹蛉さんがちゃんと日記に書いてはるのでくわしくはそちらを見てください)。世の中ではいろんなことが起こっているんやなあ。新聞を見れば、「小説新潮」の広告で岩井志麻子さんのすごくかっこいい写真が載ってる。手に持っているライフルで胸を撃ち抜かれても後悔しないというほどかっこいい。世の中ではほんまにいろんなことが起こってるぞ。
 情報から隔絶されると、情報世界に帰ってきたときにまた新鮮な気持ちを味わえる。そういう意味では気持ちをリフレッシュさせるために「禁煙」ならぬ「禁情報」の日をつくるのもたまにはええかもしれへんね。

6月23日(金)

 前々からよくかかってくる電話に「ワンルームマンションを購入して家主になり、家賃収入を得ませんか」というのがある。わざわざ「喜多哲士先生のお宅ですか」と断りを入れるからには、どこかから教職員名簿が流出している可能性がある。これが「喜多哲士先生はオタクですか」という電話やったら恐いなあ。「いいえ、オタクではありません、マニアです。ねえ、そんなこと、誰に聞いたんですか聞いたんですか聞いたんですかあっ」てな返答をしてしまいそうや。
 そういう名簿の流出がどこからなされてるのかは知らんけど、実は教職員名簿はかなりいい値段で売買されているということがわかった。なんでわかったか。ダイレクトEメールでわかったんだ。
 「手軽で高収入」をうたったメールはよく来るけど、今回来たのは「メールアドレス××名分で××円」と私の知っているアドレスを教えるだけでけっこうな金額が手に入るというもの。こうやって自分のサイトを持っているおかげでいろんな方からメールをいただく。当然そのアドレスは私の手持ちの情報としてあるわけやけれど、これを売ったとあらば、私の信用問題にも関わってくる。わざわざメールを下さる方は私を信頼してメールを送ってくれはるわけで、それを裏切るわけにはいかん。
 で、買い取るのはメールアドレスだけやない。各種名簿も買い取るとして、その相場を書いている。それを見ると、教職員の名簿はなかなか高価であるらしい。以前「ナニワ金融道」という漫画で学校の教師がだまされるエピソードがあったけれど、どうも教員というのはカモらしい。偉そうにしている割に世間知らずで特に高収入というわけやない。ちょっとプライドをくすぐるような言葉でころっといってしまう。という感じかな。
 たぶん「喜多先生」あてのセールス電話もそういう意図でかけてくるんやろうし、その手の業者に教職員名簿がけっこうなお値段で渡っていることは想像に難くない。
 いつもダイレクトEメールには困らされてるんやけれど、今回は実に参考にさせてもらいました。しかしどこのどいつや、名簿を売るのは。そこまでして金がほしいか。ほしいな。その一線を踏み越えるとあとはもうなんでもありになりそうで恐いから、私は自戒してるけど。

6月24日(土)

 NHKのドラマシリーズ「六番目の小夜子」の最終回を見る。
 いやいや、なかなか面白いドラマやった。「本の雑誌」の6月号で「まるで『中学生日記』」とくさした人がいてたけれど、「中学生日記」けっこうやないですか。ドラマとして「中学生日記」を見た場合、実はなかなかよくできてたりするから、くさしたことにはならんと思うんですが。これは「中学生日記」よりも出演者の演技力が上やと思うぞ。主人公を原作にない人物に設定したときから原作はモチーフでありドラマは別物と割り切って見た方がええとは思うんですけどね。
 そういう批判はともかく、カメラワークや場面転換なんか往年の「少年ドラマシリーズ」をかなり意識してると、この日記でも第1回を見たときに書いたけどね。そのレベルが最終回まで落ちなかったというところがよかった。
 なんというても栗山千明がいい。まだ高校生になったばっかりですか。信じられへん。私も妻もすっかりファンになってしもうた。やっぱり映画「死国」は見んとあかんな。神秘的な美少女だけやなしに三枚目の演技もできるぞ、彼女は。ほかには松本まりかという「もう一人のサヨコ」を演じた女優さんもよい。特に美人というわけやないけれど、将来は演技派として活躍してくれるのと違うかな。
 3ヶ月、1回も途切れることなくドラマを見たというだけでも私としては久々のことであります。それくらい毎週楽しませてもらいました。ぜひ再放送をお願いしたい。
 さあ、来週からはなにが始まるのかと期待して画面に注目してたら、「たけしくん、ハイ!」やそうです。これはもしかして昔やってたのの再放送かな。それやったらまだ美少女やった頃の後藤久美子が見られるかもしれへんぞ。あれ、彼女は出てへんかったっけ。ううむ、やっぱり記憶力が減退しているなあ。

6月25日(日)

 さあさあ選挙や選挙や開票速報や。徹夜や徹夜や。というような気力体力ございません。今この日記を書いている時点(22時30分頃)ではまだ開票率がそれほど高くないんで当選確実は前職ばかり。おもろないぞ。激戦区の結果は日付がかわらんと結果が出えへんのやね。明日の朝の新聞で見るしかないな。

 「京阪百貨店」まで本を買いにいく。新刊を確実に手に入れるにはちょっと足をのばさんとあかんのです。不便であるなあ。ついでにCD売場に寄る。ビデオのラックに「どろろ」全3巻、「どろろと百鬼丸」全3巻が置いてあるやないですか。発売はなんと東映ビデオ。東映動画の名作だけやなしに虫プロ作品にまで手をのばしてるのか。「どろろ」というところがなかなかマニアックでよろしいな。少し迷ったけど、6本のビデオをかかえてレジに持っていく。
 ベテランとおぼしき女性の店員さんが、私がどかっとビデオをレジに置いたのに対して、いきなりパンフレットを出してきた。にこにこっと笑い「手塚治虫さんの作品でしたら、来月に『バンパイヤ』も出るんですよ。予約しませんか」という。いやまあ、いきなり「どろろ」を6本全部買うような客ですからね。「バンパイヤ」かて買うかもしれへんよ。そやけどいきなりパンフレットを出しますか。もしかしたら、この店員さんの趣味で仕入れているのと違うか。そういえば、この売場で私は「わんわん忠臣蔵」やら「空飛ぶゆうれい船」やら「白蛇伝」やら「西遊記」やら東映動画の名作をかなり買うている。「仮面の忍者赤影メモリアル」もここで買うた。実はこの手の古い映画のビデオ化したのはアニメショップでもあまり仕入れてなかったりする。ここやったら仕入れてあると思うて探したりもする。絶対好きな人がいてるんやと確信してたんやけど、この対応の仕方からいくとこの店員さんやぞ、きっと。
 書店の棚なんかで特色のあるところは、必ず自分の趣味をとりいれてたりするけれど、CDショップでもそうなんやろうね。クラシックの好きな人がいると、数は少なくても鋭い品揃えをしていたりするし、落語のCDがやけに充実してるところもある。ここのCD売場ではディズニーやスタジオジブリの売れ線に混じってけっこう見逃せないビデオを並べてる。
 まさか顔を覚えられてはおらないやろうけれど、買う客がいることを期待するように、来月には絶対「バンパイヤ」が並んでるに違いない。パンフレットを見ると「わんぱく王子の大蛇退治」も出るぞ。これもきっと置いてある。間違いなく仕入れると確信する。そして、ついついそれらをレジに持っていってしまう私の姿も見える見える。
 その時にこの店員さんがいたら「来月はこんなのが出ますよ」とかいいながらまたパンフレットを渡すのであろうか。そしてまた私は吸い込まれるように買いにいくのであろうか。ああああ。

6月26日(月)

 いやあ、失言宰相は続投ですか。沖縄サミットでなにかとんでもないことを言うてくれるんやないかと、今から期待で胸がわくわくしてきたぞ。しかしこれだけ議席を減らした党の党首が、何の責任も問われへんというのも変な感じやね。最初から期待されてないということか。
 それはそれとして、今回の選挙で腑に落ちないことがあった。
 選挙管理委員会の手落ちで、ちゃんと投票されたものが無効票になっとるんだ。不在者投票が一箱分も開票後に出てきたとか、比例区と選挙区の投票用紙を渡し間違えたとか。間違えたのは選管の人でしょう。それやのに、なんでそれが無効になるんや。おかしいやないかい。投票した人はちゃんと権利を行使してるんやで。投票用紙を間違えたのが投票した人やったら、それが無効票になっても仕方ないよ。そやけど、投票した人はちゃんとした手続きを踏んでるのに、なんで無効票になるんや。まして、不在者投票は当日に選挙に行かれへんのでわざわざ投票しにいってるんやで。それが本人のあずかり知らんところで無効になってるとはどういうことやねんな。
 これは、投票した人の参政権を踏みにじったことになるんやないのか。用紙を間違えた分もちゃんと一票として計算せんとあかんのと違うの。後から出てきた不在者投票は、ちゃんとやり直して計算せんとあかんのと違うの。
 投票率が低いと嘆いている新聞各紙がこの選管のミスをもっとやり玉にあげへんのはなんでや。この票が私の票やったらと思うと、怒りがわいてくるね。
 たとえ結果が変わらへんかっても、選管はちゃんと謝罪して計算をやり直してほしいね。よくマスコミは「一票の重み」とかいうてるけど、その一票をこんなに軽んじてることはないのと違うか。
 人間にミスはつきもの。選管かてミスはするやろう。そのミスをカバーするような柔軟さがほしいね。

6月27日(火)

 ただいま発売中の「S−Fマガジン」8月号の書評欄は、私の担当であります。ひとつよろしく。

 ラジオを聞いていたら、面白い話題があった。「おはようパーソナリティー道上洋三です」という番組で、「うちの夫の実家では『唐辛子』のことを『胡椒』と呼び、『胡椒』は『洋胡椒』と呼んでいます」というリスナーからのお便りが紹介された。そこの実家は福岡やったけど、これが紹介されたら、九州ではかなりの県で同じ呼び方をしているという。
 私、こういうネタは大好き。なんかしらんけれど、マスメディアに乗りにくい地方ごとの差異というものにとても興味がある。それはずっとこの日記を読んでくれたはる方ならおわかりのことと思います。
 で、この話題を聞いててふと思うたんが、「落語家さんが九州で落語会を開いたときに、『くっしゃみ講釈』はどんな風にやるんやろうか」ということ。
 「くっしゃみ講釈」という落語は、講釈師に嫌がらせをするのに胡椒の粉を火鉢でたいて燻し、講釈中にくしゃみがとまらないようにするというネタ。八百屋で胡椒を買おうとするけれど、売り切れていてかわりに唐辛子の粉を買う。これをそのまま九州でやると変な具合になるわけだ。唐辛子のことを胡椒と呼ぶんやから「胡椒がないから唐辛子をくすべた」というセリフは成立せんね。どっちも同じものやからね。となると、九州で演じるときはまず八百屋には唐辛子を買いにいかんとあかん。それがなくて胡椒を買うとしたら、上記のセリフは「胡椒がないから洋胡椒をくすべた」と変えることができる。
 順番なんかどうでもええとおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、この落語をご存知の方なら、実はこの順番が大事であるということをおわかりかと思う。
 はたして落語家さんたちは九州ではこのように変えてはるのやろうか。てなことが瞬時に思い浮かんだんであります。
 よう考えてみたら、今どき共通語で「唐辛子」と「胡椒」をどう呼ぶか、知らへんわけないな。わざわざそこだけ九州での使い方に変えたら、かえって不自然やね。そうかそうか、なにも無理して変えることはないんやんか。なあんや。
 で、実際のところ、落語家さんたちは九州では「くっしゃみ講釈」をどないに演じてはるんやろう。もしここを読んではる落語家さんがいてはったら、ぜひ教えてください。九州の方で「くっしゃみ講釈」を聞いたことのある方でもいいです。
 なんで私はこんなことばっかり気になるんやろう。なんかごっつい暇人みたいやなあ。

6月28日(水)

 今日は私の勤める学校で、生徒会の役員選挙があった。知的障害の養護学校の場合、生徒会活動というても教師がかなり助言していかへんとなかなかうまいこと動かへんのやけど、立会演説会で壇上に上がり、人前で喋るというだけでも生徒には大きな経験になるし、当選しても落選しても、その生徒はなにかしら成長していく。劇的な成長が見えにくい生徒たちではあるけれど、こういう経験がなにかを刺激して一気に成長を促進するということはあるみたいやね。
 かくいう私も高校時代は身の程知らずにも生徒会の役員に立候補して、かろうじて信任を受けて生徒会の会計をしたことがある。私は基本的にいちびりなんで、自分が目立つことは大好きやったりする。果たしてその任にふさわしい働きができたかどうかは自分ではわからんけれど、人前に立ってなにかするという経験を十代のうちにできたことはけっこう大きかったと今では思う。
 しかし、生徒会の役員をやったことのない人から見たら、生徒会長やら役員やらいうのはどういう風に見えるんやろうかね。あんなもん、私にかてできたんやから、誰にでもできるように思うんやけれど、ああいうことをやりたがるやつというのはなんか特別な神経を持った奴やとでも思われてたかもしれへんな。もしそう見えたとしたら、それは役員の仕事をしているうちに特別な神経が身についてくるもので、資質がそうであるとは限らんと思うよ。清新溌剌とした若者が政治家になって何度も選挙を経ていくうちにだんだん悪相になっていかにも政治家でございというタイプに変貌していったりするのも、まあ同じ事であります。
 さて、今日当選した生徒たちはどんな風に変わっていくのかな。そういうのを見るのが楽しいと思うのは、自分が教師という役割について、そのように変化してきたためなんやろうね、きっと。

6月29日(木)

 スポーツ新聞を読んでいたら、芸能欄に二人の水着姿の女性の写真が載っていた。釈由美子22歳と由美かおる49歳であります。「第1回スイムスーツグランプリ」とかいう水着の似合うタレントを選ぶ催しやそうだ。釈由美子のスタイルがいいのはグラビアアイドルとして雑誌でよく見て知っていたけれど、由美かおるのスタイルのよさには妻と二人で感動してしもうた。釈由美子はなんというても若いからはち切れんばかりの肉体美を誇るのは当然といえば当然なんやけど、由美かおるはすごいぞ。この年齢でこのプロポーションを保つには、そうとう鍛え続け磨き続けんとあかんやろうね。30年間磨き続けてきたということであるな。さすがは彼女の入浴シーンを楽しみに「水戸黄門」を見続けるお年寄りが多いというだけのことはある。果たして釈由美子が49歳でこの体を維持しているかどうか。いやいや、その時まだ芸能界で活躍しているかどうかすら定かではない。そう考えると由美かおるという人は人間やないみたいに感じられる。もしかしたら10年後もこのプロポーションを維持しているかもしれへん。還暦に達しても水着姿の似合う女優となるとこれはもう驚異の世界やね。いやいや、その可能性は十分にあると思うぞ。おそるべし由美かおる。

6月30日(金)

 戦記物の好きな同僚から「最近お薦めの架空戦記はないか」ときかれたので、「この作家とこの作家やったらどれでもお薦めですわ」と答えておいた。しばらくして「この前教えてくれた作家の本、途中の巻しか置いてなかったわ」と言うてきたんで、「そら大きい本屋に行かへんと置いてないのと違いますか」と返すと、「いや、けっこう大きい本屋に行ったんやで」と訴えてくる。よう話を聞くと、その人の住む沿線の急行が止まる駅前にある大手スーパーに入ってる本屋やそうです。
 私の頭の中では「大きな本屋」というと堂島の「ジュンク堂」や京都駅八条口の「アバンティ京都」あたりになる。在庫点数が豊富で置いてない本はないのと違うかと思われるような店しか「大きな本屋」とは思われへんようになってるのです。しかし、普段それほど本を読まへん人にしてみたら、駅前で細々と雑誌や漫画や文庫を置いて頑張ってる店が「普通の本屋」で、そこそこ単行本を並べているような店が「大きい本屋」になるんやね。いかんなあ、つい自分の尺度で人の話を聞いてしまう。「そんなに読みたかったら『ジュンク堂』で探してよ。絶対あるから」とつい言うてしもうたけれど、わざわざ数冊の本を手に入れるためにそこまで行くという発想が一般的な人にはないのかもしれへんね。どうも何冊も一度に本を買うような知人友人とばかりつきあってると、誰もがそのように本を買うもんやとつい思うてしまうのか。
 
<bk1(ビーケーワン)>の書評となると、普段そんなに本を買わんような人でも「お、これは面白そうや」と思うてもらえるようなものでないとあかんのやろうな。これまでは専門誌での書評が中心やったから、そこらあたりに気をつけへんとあかんなあ。
 しかしなあ、駅前の大手スーパーに入ってる店が「大きな本屋」か。この感覚のずれはどないしようもないなあ。


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