ぼやき日記


6月1日(木)

 今月の中頃に林間学校がある。私はレクリエーションの担当になっていて、生徒といっしょに「イントロクイズ」のテープを編集したりしている。
 いやまあつくづく最近のヒット曲を知らんなあと思う。ある生徒がレンタルCDからダビングしたMDをかけて、他の生徒が「これやったらみんな知ってるな」「これは知らへんな」と判断していくんやけど、私にわかったのはモーニング娘。の「Love Machine」「恋のダンスサイト」、プッチモニの「ちょこっとLove」くらい。これはまた別の生徒が教室のラジカセでひっきりなしにかけてたからで、そうやなかったらそれもわからんところです。
 80年代のアイドルの曲とかクラシックの交響曲やったらわかるんやけどなあ。ここ10年はクラシックばっかり聴いてきた。そうやなかったら「おかあさんといっしょ」の曲ね。これは受け持ちの生徒の多くが「おかあさんいっしょ」を見ているから、授業でも「イカイカイルカ」「公園に行きましょう」というような曲を使うとやりやすいから、というところにある。もっとも、最近の幼児向けの歌はなかなかぶっ飛んだ歌詞のものが多いんで、私自身がけっこう気に入ってしもうたということもあるんやけど。
 で、イントロクイズに使う曲をちゃんと聴くと、なんだか嫌になってきた。「本当の自分自身を見つける」やの「偽りの自分にサヨナラを告げる」やの、妙に説教臭い。これやったら「Love Machine」のたいして意味のない歌詞の方がよほどよろしい。
 もっともらしく「現代の若者は時代に閉塞感を感じていて、なにか導いてくれるものや自分を肯定してくれるものを求めているのであるのだ」とかいうのは簡単やけど、親や教師が同じようなことを言うても聞く耳をもたへんというのに、歌やったらすんなりと入っていくというところを考慮した方がええやろうね。実際、たわいない説教とは一線を画してると感じられる椎名林檎のアルバムがオリコンのトップにきたりしてるんやから、そう簡単に若者が説教されたがってるとは断定でけへんわな。
 とかいいつつも、妙に説教臭いヤングアダルト小説を読んだりすると、やっぱり若者は説教されたがってるんかなあとも思うんやね。果たして真相はどこに。
 それはともかく、ここまで流行にうとくなったんやから、今さら追いつこうとしても追いつけるわけないんやから、無駄なあがきはいたしません。

6月2日(金)

 衆議院解散ですな。毎度解散の時には「バカヤロー解散」やら「黒い霧解散」というようにニックネームをつけることが慣例になってるみたいで、新聞を読んだらいわゆる「識者」とかいう人たちがそれぞれに好き勝手なニックネームを提案してる。
 ああいうのを読むと、自分も「識者」になったつもりでニックネームをつけたくなる。「『神の国』解散」はあまりにもストレートで面白くないな。「連立政権の是非を問う解散」てニックネームやないがな。「談合解散」というのはどうかな。
 この前の選挙の時の連立与党は自由民主党と日本社会党と新党さきがけやったのに、いつのまにか談合で自由民主党と公明党と保守党の連立になってしもうている。前首相が病に倒れたあとで決まった現首相は与党の談合で決まった首相やという印象がぬぐいきれん。野党が内閣不信任案を提出することをわかっていて案が出る前に解散を決めてしもうた。これも談合臭い。前首相の在任中に決まった大事な法案も国民の信を問う前に連立与党間の話し合いで決まってしもうた。なにからなにまで談合ずくめ。
 諸々の要素を一言で表すには「談合」という言葉がうってつけやと思うね。というわけで、私は「識者」のふりをして今回の解散を「談合解散」と名付けることにした。そやけどなんかインパクトがないなあ。やっぱり「バカヤロー解散」のインパクトにはおよばへんなあ。これに対抗するには「タンツボ解散」くらいの強烈な失言やないとあかんね。

 明日は所用で更新はお休みします。次回更新は日曜の深夜の予定です。

6月4日(日)

 今日も外出。ここのところ休日を使って外出せんとあかん用事が続いててしんどい。原稿ははかどらへんわ、疲れはたまるわでわやくちゃです。
 こういう時は心あたたまる風景をむりやり捻出して心をあたためへんと心があたたまらん。どうも変な文やけれど、頭がわやくちゃなんで許して下さい。
 原チャリに乗ってて、交差点で曲がろうと信号待ちをしてたら、数台の自転車が信号は赤やのにそのまま止まらんと走り抜けていく。少しも心があたたまらんと思うでしょう。もう少し待っててね。自転車に乗っているのは高校生らしい男の子ばっかり。白カッターに黒ズボンというところを見るとおそらく学校の制服やろう。「おおい、ちょっと待て」と彼らの後方で声をあげている私と同じくらいの年の男性ともう少し若い感じの女性がいる。二人ともやはり自転車に乗っていて、ちゃんと信号を守ってる。
 おそらく、クラブ活動やろうな。前の高校生が部員で後ろの男女が顧問の教師と見た。教師というのは面倒くさいもので、普段やったら信号なんかぶっちぎっていたとしても生徒の前ではちゃんとルールは遵守せんとあかんのです。「待てや」というてる男性教師の口振りはそれほど真剣な感じやなかったし、女性教師は嬉しそうに笑ってる。前をいく生徒たちもそんなにスピードを出しているわけやないし、走るペースは教師にちゃんとあわせてる。文化系のクラブやろうな、あの雰囲気は。顧問と生徒の関係もいい感じなんやろうな。楽しそうで実によろしいね、ああいうのは。どうです、心があたたまったでしょう。それがどうしたとおっしゃるか。あなたこれ実に心あたたまる光景なのですぞ。えっ、心はあたたまらない。ほんまに? ほんま? 嘘だと言ってよジョー。

6月7日(水)

 月曜深夜に更新を予定していたのに、2日間もお休みしてしもうた。私の体調が悪かったわけやないです。コンピュータがトラブルを起こしたのです。
 月曜、なんとか雑誌の書評原稿を書き終えてメール送稿しようと思うたら、インターネット接続用のアプリケーションを開いたとたんにフリーズしてしもうた。強制的に再起動したら、起動中にまたまたフリーズ。結局OSのCD−ROMを使うて起動し、ノートン先生に診断してもろうたりなんやかんやしたけれどトラブルは解決せえへん。ノートン先生は「トラブルはありません」と言うたはる。ノートン先生にわからへんもんが私にわかるわけがない。ユーティリティソフトというても万能やないんですな。
 結局どうしたか。OSを再インストールしたのであります。幸いMacintoshは再インストールしてもシステムフォルダ全部が消失してしまうわけやないから、元の機能はすぐに取り戻せる。そんなこんなでこつこつとやってなんとかちゃんと起動するようになった。やれやれと思うた時は窓の外の空はしらみはじめ、小鳥がご機嫌よさそうに鳴いている。徹夜してしもうたんだ。
 翌日の火曜日は所用で夜は出かけていたんで、寝る前にインターネット接続の再設定を行う。これも設定の仕方が悪かったんかしらんなかなかつながってくれへん。やっとどこに問題があったか気がついてなんとかネットに接続できたんが夜中の3時。
 私は勤め人で朝はいつも6時半くらいに起きてる。徹夜して昼に熟睡するわけにはいかんのが辛い。
 というわけで、何度も日記の更新を期待して接続して下さったみなさん、すんませんでした。あ、自分で勝手に書いてアップロードしているだけやのに謝ることもないか。そやけどなんか悪いことをしたみたいな気になるのはなんでや。
 今のところコンピュータもなんとか動いてるんでやれやれ。本日から日記も再開でございます。

6月8日(木)

 コンピュータのトラブルで更新でけへんかったので、街で見かけたおもろいネタも日付がずれてしまう。まあ別に急を要する話題をとりあげた有用な日記やないからええか。
 火曜日の夜に所用で京都に行ったんやけど、河原町三条のところでなんかぼさっとした感じのお兄さんが道の真ん中に突っ立ってるのを見かけた。なんや、迷惑な奴やなあと思うて見てたら、そのお兄さんはじっと変なかっこうをして動いてない。
 近づいていって初めて、これが路上パフォーマンスやということに気がついた。じっと動かず、人がその人の手足を動かしたらその動かされたままの形で静止してるという、あのパフォーマンスやったんやね。白人がやってるのはちょいちょい見かけるけど、日本人のは初めて見た。
 なんでパフォーマンスやということにすぐに気がつかへんかったか。それはそのお兄さんの服装がそこらへんでよく見かける普段着やったからやろうね。白人のパフォーマンスやとなんか派手な衣装でいかにも大道芸人でございというスタイルやからすぐにわかるんやけど、そこらへんを歩いてる風体のお兄さんではわからんわな。
 そう思うて見てると、芸人はちゃんとそれなりのスタイルやないとあかんなあと感じるね。落語家やったら羽織、力士やったら着物に髷、演歌歌手の派手なスーツ、野球選手やサッカー選手はユニフォームを着てないとやっぱりさまにならへん。その人の周辺をとりまく空気を作り上げる必要があるんですな。そうやないと見る側も「よし芸を見るぞ」という気にならへんのやね。
 あのパフォーマンスのお兄さんは特にお金を集めていたわけでもなかったみたいやから自分の勉強のためにやってはったんやと思うけど、やっぱり芸を磨くにはその場に「芸をしてる」という雰囲気を醸し出す必要があるのと違うかな。そんな風に思うた宵の京都でありました。

 明日は観劇で夜に出かけます。よって更新はお休み。次回更新は土曜の深夜の予定です。

6月10日(土)

 昨夜は茶屋町の「シアター・ドラマシティ」へ観劇にいった。
 『プロパガンダ・デイドリーム』というタイトルのお芝居。作・演出とも鴻上尚史で、「KOKAMI@network」という「第三劇場」とは別のユニットの公演。てなことをしたり顔で書くと私が小劇団にもくわしいように見えるかもしれへんけれど、これはパンフレットの受け売りであります。実際、名前は知識として知っていても、いわゆる小劇団の芝居を見るのはこれが初めて。
 実は、妻が出した懸賞が当たって、チケットをいただいたので行くことにしたと、まあそういうことです。よくありますね「ペアで20組の方をご招待」とかいう懸賞が。あれです。
 事前に予備知識を仕入れずに見ることにした。よけいな先入観は禁物であります。古典芸能の場合、ある程度予習しておかへんとわけがわからんことになる場合はあるけれど、現代劇やったらこっちに理解力さえあればなんとかなるはずと思うたわけだ。
 結論から書くと、面白かった。新鮮やった。ただ、小劇団のお約束みたいなギャグもあったりして、それはそれでこなれてて笑えたんやけれど、喜劇の笑いとはちょっと異質な感じがした。
 内容は、テレビ批判をテーマにしたもので、ニュース番組の関係者と殺人事件の加害者の家族をからませたもの。スクリーンが中央につってあって、ニュースの場面なんか舞台の端でやってる演技と同じ場面の映像をテロップ入りで流したりするなど効果的に使われていた。ううむなるほど、こういうふうに実演と録画をうまくかみ合わせることができるんやなあ、考えてあるなあと感心した。麿赤兒はやっぱり存在感があるなあ。ひっくり返り方などは舞台の人やなあ。などなど、初心者ですからあれも新鮮これも新鮮。メディア批判がストレートすぎないかというようにも思うたけれど、舞台の場合、かえってこれだけ解りやすいくらいでちょうどええのかもしれへんね。演技が大仰なのもそう。
 まああのなんです。芝居というたら吉本新喜劇くらいしか見たことのない人間ですから、偉そうなことは申せません。小劇団の芝居もなかなか面白いもんなんやなあ。
 などと考えていたら、帰り道に妻から「初めて見たのがこれだけ当たりやなんて、ラッキーやね」と言われた。まあ、当たりはずれは何にでもあるものですからな。
 ここんところいろいろ忙しくてしんどかったけれど、面白い演劇を見て少し元気になったような気がする宵の大阪でありました。


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