ぼやき日記


8月1日(火)

 朝、ラジオを聞いていたら「今日はPLの花火大会ですねえ」てなことを言うてはる。
 ご存知ない方には想像もつかへんと思いますが、PL教団の花火大会というのはそらものすごい。私は1回だけ親戚のお兄ちゃんに連れられて富田林まで行ったことがある。その時は残念ながら雨模様。そやけど天下のPLの花火、雨くらいでは中止にならん。厚い厚い雨雲の上でばんばかばんばか打ち上げている。稲光が尻尾を巻いて退散するくらいの燭光が雲を空の上から照らす。どどどんという音とともに雲が発光するんだ。雲が透けて見えるほどの花火やからね。晴れてたらどんなんか。
 妻によると「永遠の光」という花火は、打ち上げられたかと思うとあたりが夕焼けになるそうな。夜、すっかり暗くなってるのに、その瞬間、空全体が光るというような花火が現実に存在するんですな。
 そのかわり、人出は恐ろしい。多いというようななまやさしいものやない。そやから、今年も行きません。SF大会を前に圧死したない。テレビのニュースでちょろりと見るだけにしておこう。
 花火大会というともう10年近く前に講師として勤務していた中学校のことを思い出す。丹波地方の南に位置する中規模の都市にある学校で、夏祭りにその市内で花火大会がある。生徒が他の中学校の生徒とケンカしたりせんように、教師もかり出されて見回りにいった。花火が上がるまでは真面目に見回りしてたけど、いよいよ花火という時間になると、校長先生がそわそわしはじめる。「先生方、こっちへ来てくださあい」と我々を引率して「ここ、ここ、よう見えるんですよ、花火」。校長先生、花火の間に生徒が何かしたらどないするんですか、てな野暮なことは誰も言わへん。教師がいてようがいてまいが、ケンカする者はケンカするんです。でかい花火を見てたら、仕事も何もなくなるね。
 花火大会というと、修学旅行の引率で行った北海道は洞爺湖の花火。夏の間、毎晩打ち上げていたんやけれど、今年はどうなんかなあ。それどころやないんやろうなあ。
 あ、花火を急に見たくなってきた。来年は天神祭りの花火を見に行こう。

8月2日(水)

 今日は「世界民俗芸能祭記念フェスティバル」を見に、大阪国際会議場へ。なんか遊びにばっかり行ってるみたいやけれど、このチケットは妻が懸賞で当てたもの。ひたすら懸賞を出し続けている妻も最近ぼちぼちと当たるようになってきた。懸賞は出さな当たらん。宝くじも馬券も車券も舟券も買わんと当たらん。パチンコも打たんと入らん。株も買わんと上がらん。土地も買わんと転がされへん。おかげさんで思わんものをいろいろと見せてもろうてます。
 いやしかし凄かった。圧倒された。林英哲の和太鼓の迫力は期待していた通りやったけれど、韓国の太鼓、チャンゴのキム・ドクスという演奏家とのセッション、津軽三味線の木下伸市という人とのセッション、それぞれが異種格闘技戦を見てるみたいやったね。太鼓や三味線がどんどん早く精密に叩かれると、客席から自然に拍手が沸いてくる。宮川左近ショウの暁照雄師匠やないけど「あーなんでこんなにうまいんやろ」状態ですな。この例えではわかりませんか。
 他にもオーストラリアのアボリジニの楽器を鳴らす人、アフリカの太鼓にスペインの太鼓、鉦に銅鑼。最後は出演者13人によるセッションで、とどめを刺された。18時30分開始で終わったんが21時30分。3時間、休憩なし。終わったときは見てた我々がへろへろへろ。20時30分には終わるやろうとたかをくくって夕食を食べんと行ったもんやから、お腹がすいてすいて。
 重低音というのは体にこたえるね。
 ところで司会の羽野晶紀はなんでやしらん関東弁で、しかも早口やった。あんなん羽野晶紀と違うわ。

8月3日(木)

 スーパーに買い物に行く。そこで見かけた小ネタをちょっと書きます。
 食料品売場をうろうろしていると、聞き慣れた曲がかかってる。桂雀三郎「ヨーデル食べ放題」です。なんでも最近東京でヒットし始めたらしいね。私ら発売されてすぐくらいに買うて今でもちょくちょく聞いてるんやけれど、今ごろなんでまた東京でヒットするかなあ。「お店と勝負」という感覚は関西ローカルのものやないかと思うんですが。感性が違うとヒットしないと思うてたんやけど、そうでもないみたい。
 で、牛肉のコーナーにラジカセがあってそこでエンドレスで鳴らしている。歌の途中で雀三郎さんと雀々さんが骨付きカルビの取り合いでわあわあ言うところはさすがにやかましい。しかしまあ、好きな歌がこういう形ででも世間に広まるのは嬉しいな。だいたいスーパーあたりで使用されたら一般的になっている証拠やと思うから、それだけ浸透してるんですな。「ヨーデル食べ放題」でファンになった方は、落語も面白いから生でいっぺん聞いてみて下さい。落語のCDも3枚出てますから、聞きましょう。できたら「わいの悲劇」もCD化してほしい。これはレコード会社にリクエストすべきものか。
 ミネラルウォーターが特売のコーナーにならんでる。「ミネラル水 深海の恵み」と書いてある。海水まで売る時代になったんか。「室戸海洋深層水100%。人類未知の要素を秘めた深海 神秘の湧昇流」と添え書きしてある。高知の沖合の海水らしい。「神秘の湧昇流」てなんのことかな。そんな「未知の要素」の含まれた、つまり何が入ってるのかわからんような海水を飲んで大丈夫なんやろうか。子どものころ海水浴に行って海の水がのどに入りむせたことがあったけど、生臭いなんともいわれん味やったな。あれは浅瀬やからあんな味がしたのかな。試しに飲んでみたい気もするけど、2リットルのペットボトル1本はちょっと多い。
 と思うたら、スポーツドリンクにも同じようなものがあったぞ。ううむ。
 深海の海水を飲むのが時代の最先端ということか。ああもう時代の最先端はますますわけがわからんわい。

8月4日(金)

 いや暑い。日中40゜Cくらいあるのと違うか。手を洗い、蛇口をひねったら湯が出てきた。瞬間湯沸器やないんよ。洗面所の蛇口やで。団地の給水塔がいかに熱せられているかということやろうね。暑いわー。原チャリで走ったら熱風は吹きつけてくる。布団を干したのをとりいれようとしたら自然発火して全身火傷をしてしまうのやないかと思うくらい熱い。近畿では大阪、京都、神戸の順に暑かったそうな。

 千葉すずさんは結局オリンピックに出られへんかったね。選考過程が不透明、というよりは「千葉は生意気やから出したらへんわーい」と元フジヤマのトビウオ会長が決めたら、体育会系上意下達式に物事が決定したという印象がある。これが今後の代表選考について改善の方向に向くんやったら千葉さんも以て冥すべしということになるんやろうけれど、果たしてどうかな。トビウオ会長の会見を見てたら、千葉さんの期待しているような効果があったどうか疑わしいけれどね。
 てな好き勝手なことを書いたらまたけったいなメールが来るのかもしれへん。前にも他の件で「関係者でもないのに口を出すな」とかいうメールが何回か来たのです。しかも自分の身分はあかさんのですな、そういう人は。ずっこいぞー。

 うーむ、暑さで頭がエンストを起こしてる。明日は朝6時43分の新幹線に乗らんならんのに、大丈夫やろか。というわけで、明日と明後日はSF大会参加のため横浜に行ってきます。こっちよりは涼しかったらええのにな。次回更新予定はたぶん月曜日。日曜日はちょっと無理やろうなあ。

8月7日(月) SF大会「Zero-CON」私的レポートその1

 土曜日は無事、朝の4時30分に起きて、新幹線にも間に合い、第39回日本SF大会「Zero-CON」に行ってまいりました。2日間、SFてんこもり状態で、満腹いたしました。今、日常生活に戻ってこうやっていつものようにキーボードに向かうておっても、まだ余韻が残ってる。14年ぶりに参加したSF大会は、それくらい強烈な印象を残してくれた。
 とても詳細なレポートは書けません。この1ヶ月まるまる書いていそうな気がする。そやから、今回の大会については、自分にとってどんな大会やったかを書き残すだけにしておきたいと思う。
 一言で言うと「14年前に戻った」。第25回大会「Daicon5」でスタッフの一人として使い走りをしていた、あの23歳の自分に戻った。そんな感じやね。あの時いっしょに大会スタッフとして参加していた人たちに次々と出会う。その人たちの多くが異口同音に「10年ぶりかなあ」「SFから切れてたけど、最近SFが面白そうになったから来てみたんや」と言うてはる。なにか、企画自体も「Daicon5」を思い起こさせるようなものやったし。
 そんな昔なじみの人たちとは10年以上会うてへんかったはずやのに、なんか、昨日「Daicon5」の打ち上げパーティーをしたみたいにすっと自然に話ができた。14年前、学生で同人誌の編集をし、「SFが好き」という思いだけで動いていた、あの頃の自分に戻った。「『S−Fマガジン』読ませてもらってますよ」と声をかけていただくのが、嬉しくも面映ゆい、そんな気分になった。初心に返るというんですか。今は書評家でございとでかい顔をしているけれど、私の根本はSFファン活動にあったんやし、いまやっていることもその延長上にあるもんなんやと痛感した。そういう意味では一般参加者として、一SFファンとして参加できたのはとてもよかったことやったなあと思う。
 てなことをいいつつ、名刺配りまくって営業活動もしてたんですけどね。これを言行不一致と言います。
 初日に見に行った企画は以下の通り。
宮部みゆきトークライブ……宮部さんは自然体の人で、すごく楽しかった。
SFといううジャンルの確立……柴野拓美さん、野田昌宏さん、伊藤典夫さんの座談会。昔話ってなんでこんなに楽しいんやろう。SFというジャンルを作り上げてきた人たちのその頃の熱気を味わうことができた。
いまさら人にきけないYA講座……三村美衣さん司会で、笹本祐一さんや水野良さんのデビュー秘話、秋月こおさんの創作意欲の秘密、彩院忍さんととみなが貴和さんのYAへのスタンスなどが語られた。水野さんは大学時代1年だけやけど同じ同人誌にいたこともあって、懐かしかった。基本的には大学時代とあんまり変わってなかったなあ。秋月さんは気品のある奥様という感じ。彩院さんは独特のムードを持った人で、とみながさんはとてもお美しく、作品以上に惚れこんでしまう。企画終了後、山岸真さんと二人してとみながさんに「あなたの作品はノベルズ向きですよ」などと偉そうに言う。どこが初心に返っとるねん。
星雲賞授賞式……日本短編部門受賞の野尻抱介さんの嬉しそうな表情が印象的。賞というものは、ほんとうにその賞が欲しい人の手に渡ってこそ値打ちがあるんやなあと感じた。
書評雑誌対抗 SF編集者座談会……「ダ・ヴィンチ横里隆さん、「本の雑誌松村眞喜子さん、「活字倶楽部武井千秋さんを招いて福井健太さんが一般の書評誌でSFの名作をとりあげるときにどういうスタンスで取り組むのか、といったことをきく。あまりSFにこだわる必要もなかったと思うけど、雑誌ごとの性格の違いがはっきりしていて面白かった。「本の雑誌」の松村さんは私の担当さんで、企画のあと妻が関西限定「抹茶コロン」をお渡ししたら喜んでくれはった。
※このうち「SFというジャンルの確立」は「SFオンライン」で詳細なレポートを書く予定になっています。ひとつよろしく。
 夜は牧眞司さんと奥様の牧紀子さん(彼女も「Daicon5」のスタッフやった)のお誘いで、横浜の中華街で夕食会。横田順彌さん、長山靖生さん、北原尚彦さんをはじめとする古典SF研究会の方々やダイジマンさん、安田ママさん、u-kiさんといったダサコンでおなじみの方々とご一緒する。フカヒレも北京ダックもおいしかった。私はビールをしこたま飲んで北原さんに「スーパーヒーロースナックカード」のだぶり分から持ってはらへんのを取ってもろうたりしてたけど、これは初心に返るというのやない、子どもに返っておるなあ。
 いい気分で予約してたビジネスホテルに入り、しっかり寝る。あの、SFのイベントで「しっかり寝る」のがいかに大変か。それだけでも画期的かもしれへん。妻と楽しかった1日を反芻するようにおしゃべり。二人で合宿しているみたいですな。
 少し長くなったんで、2日目の分は明日書きます。

8月8日(火) SF大会「Zero-CON」私的レポートその2

 8月6日、午前8時過ぎにはホテルをチェックアウトし、妻とともに中華街へ。朝食に中華粥をと立ち寄ったんやけど、残念ながら横浜中華街の朝は閑散としていた。ところどころにSFファンらしき人たちがかたまって歩いている。不思議なもんですな、独特の雰囲気があるんです、SFファンには。わかりますな。まあ我々二人も「あ、SFファンがあそこにもいる」と思われていたかもしれへん。結局朝食は喫茶店で。
 2日目に見に行った企画は以下の通り。
・「SF雑誌の創刊ラッシュ」……森下一仁さんを司会に、川又千秋さん、山田正紀さん、谷甲州さん、神林長平さん、新井素子さんというメンバーによる座談会。山田さんが非常によく当時の状況を語ってくれてはった。1980年代中頃のいわゆる「SFブーム」が作家の方たちにとっては必ずしも熱気をはらんでいたわけやなかったというところが印象的。ちょうどその頃学生やった私のような受け手とは認識が違うんやなあと感じた。
ディーラーズ・ルーム……「DAICON IV」では私はずっと同人誌「illusion」を売っていた。あの頃の気分が蘇ってくる。横田順彌さん、都築由浩さん、堺三保さん、牧眞司さん、北原尚彦さん、日下三蔵さん、藤田雅矢さんとご家族(奥様は「Daicon5」などでスタッフとしていっしょにあの時間を共有した懐かしい一人なのです)、小林めぐみさんなどいろいろな方たちとお話しする。早川書房の売場では、「S−Fマガジン」塩澤編集長のご紹介で売場にいた方たちにごあいさつ。日本SF担当の方に名刺を渡して「どんな解説でも書きます!」。海外SF担当の方に「なんでも書きます!」。営業担当の方に「リヤカーを引いてでも売ります!」。きっとあきれられていたに違いない。
展示企画……武部本一郎高荷義之スタジオぬえ吾妻ひでおさんたちの原画展。プロの仕事とはこういうものだと感嘆するばかり。
・「ジャンル対抗『最強』決定戦」……ディベート企画やったらしい。大森望さんが仕切ってはった。最後の方にちょろっと覗いただけなんで実はよくわかってない。山田正紀さんが勝ってはったけど、舞台の上でこけはった。かなり痛そうで、大丈夫かと今でも心配。
・「LIVE版 日本人補完計画」……菅浩江さんが日本舞踊と着物についてビデオや実演を交えながら語り、五代ゆうさんがつっこむ第1部、田中啓文さんと田中哲弥さんが落語の(な)話をする第2部、牧野修さんがボンデージと和服の関係を菅さんに問いかける第3部からなる。菅さんの着物姿が形よく、踊りの話をしだしたら止まらない。それだけお好きなんやなあ、好きなことについて語る時は誰でもいい表情になるなあと思う。あ、「日本芸能再発見の会」がこんな感じかな。
・「エンディング」……2003年のSF大会開催地に2ヶ所が立候補し、「SFファングループ連合会議」でも決着がつかへんかったということで、参加者が投票で決めるという史上初めてのびっくりエンディング。場内は満員で立錐の余地がない。なんかめまいがしてきた。妻もめまいがしたらしく、中座。実は全員めまいをしていたのです。地震で揺れていたんです、ほんまに。あれ、本格的な揺れで場内がパニックになってたとしたら、大変なことになってたやろう。今思うとぞっとする。
※このうち「SF雑誌の創刊ラッシュ」は「SFオンライン」で詳細なレポートを書く予定になっています。ひとつよろしく。

 さて、帰りはすぐに帰ろうかどうしようか迷ってたら、たこいきよしさんと大野万紀さんが「古沢嘉通さんから新幹線が地震の影響で止まってると電話があったよ」と教えて下さったので、隣のホテルの喫茶店に行ってしばらく様子見をすることに。水鏡子さん、東京創元社の小浜徹也さん、SFオンラインの深泰勉さんと同席。深泰さんは親切な方で、ノートパソコンで新幹線の状況を調べてくれはったりしたけど、結局わからず。
 とりあえず桜木町の駅できいたらわかるやろとみどりの窓口に行ったけど、「新横浜で聞いて下さい」の一点張りでらちがあかない。ともかく新横浜へ。新幹線はなんとか走行を再開してたけれど、ダイヤは乱れまくり、指定席は満杯。妻と二人で「座られへんでもあきらめよう」と自由席のところに並んだら、目の前に牧野修さんが立ってはってびっくり。我孫子武丸さん、田中啓文さん、田中哲弥さんといっしょの新幹線に乗って帰ることになった。幸いなんとか全員座れてよかったけど、一時はどうなることかとほんまに心配した。
 自宅に帰ってから、妻と大会の反芻をして昨晩と同じく二人合宿状態。結論は、「いい大会やったねえ」。
 昨日も書いたけれど、私にとってはファン活動を始めた頃を思い出させてくれる大会やったし、この日記には書き切れへんほどまだまだたくさんの方とごあいさつもし、話もした。おなじみの方、懐かしい方、そして初めてお会いした方……。私はかなりハイになっていたのでご無礼もあったかと思います。この場を借りてお詫びいたします。

 宴はすみ、再び日常に帰ってきた。それでもまだなんとなく余燼がくすぶっている。この日記を書いたことでとりあえずけじめをつけて、さあ、書かんならん原稿も何本かあるし、そのために読まんならん本もたくさんある。学校の仕事もある。初心に返って再出発、であります。

8月9日(水)

 昨日の日記で古沢嘉通さんのお名前をまちがって表記しておりました。訂正いたしました。古沢さん、ごめんなさい。

 名前を間違われるのは嫌なもので、私もよく間違われる。特に多いのは「哲士」というところを「哲二」と書かれることやね。高校生時代、出席簿用の名票に「嘉多哲士」と印刷されていて各教科の一番最初の授業で「カタくん」と呼ばれては訂正した記憶があります。自分でそのことはちゃんとわかっていながら人の名前を間違えてはいけません。
 ちなみに「哲士」は「てつじ」と読む。パソコンの辞書には「てつじ」では登録されてへんのやね。「てつし」やと一発で変換する。作家に「正延哲士」という方がいてはりますが、この方は「てつし」とルビがふってある。私の場合、漢字だけご存知の方は「きたてつし」と読まはる方が多いけれど、口頭でやるとめんどうくさいんで、いちいち訂正はしてません。
 そのため、というわけやないんやけれど、同人誌では「きたてつじ」というペンネームを使うてた。これは「喜多哲士」を縦書きの写植で打つと頭が重くてすわりが悪い字面なんでひらがなにしたという理由もあった。実は「SFアドベンチャー」で書評のメンバーに加わったときには「きたてつじ」をそのまま使うつもりやったんやけれど、担当のSさんが私がどんなペンネームを使うかということについてなにもきいてこなかったから「わかってはるんかな」と思うてたら「喜多哲士」の本名が誌面に麗々しく載ってた。当時はまだ学生やったからあまり問題もなかったんでそれでいってまえとそのままにしておいて現在に至るわけです。
 というわけで、今後は人の名前を書くときは特に慎重になろうとあらためて肝に銘じる次第です。

8月10日(木)

 今日駅前のスーパーに行くと、レジの横にちょっとしたコーナーが作ってあって、「ヒーリング・グッズ」と名付けたものが売ってあった。いったいなんのこっちゃいなと見てみたら、電車のなかで握ると指のツボに入って肩こりが治る玉なんかが並んでる。たいてい肩こりに効くと銘打ったプラスチック製の小さな器具。これでほんまに肩こりが治るかどうかはやってみんとわからんけど、肩こりを治すのを「ヒーリング」というかなあ。
 私の学校では「リラクゼーション」を研究実践してはる先生がいて、私もその先生に教わって生徒にリラクゼーションをさせたりしている。体の緊張をやわらげて安定した精神状態にするわけです。これはストレスを逃がすという効果もあるんで、なかなか役に立つ。
 この「リラクゼーション」のことをどうやら「ヒーリング」と呼んでるみたいやね。数年前から「ヒーリング・ミュージック〜癒しの音楽〜」と称したCDがクラシックのコーナーにもよく並んでいてそこそこ売れてるみたいやけれど、たいてい「パッヘルベルのカノン」「アルビノーニのアダージョ」「マーラー交響曲第5番第4楽章」とラインナップが決まってたりする。まあ美しくゆっくりしたテンポの音楽をBGMにして心を落ち着かせましょうという趣旨ですな。音楽療法というのもあるわけで、ゆったりした音楽がリラクゼーションに効果があるのも事実。
 では肩こりを治すのは即「リラクゼーション」かというと、それは違うと思うし、ましてや「ヒーリング」とは関係ないような気がするんやけれどなあ。「ヒーリング・グッズ」ですか。マーケッティングでそういう名前をつけた方が売れるという結果でも出たんかな。私は「肩こりグッズ」の方が直接的でええと思うんやけど。ま、相田みつをの本がはやってるのといっしょなのかもしれませんね。


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