ぼやき日記


10月2日(月)

 この前テレビで放映されたドラマの本木雅弘主演「ブラックジャックII」を見る。前作はあまりにもあまりな脚本でがっかりしたけど、今回は手塚治虫の原作をかなりうまくあちこちから持ってきて違和感なくくっつけたりしててなかなか楽しめた。マンガチックな演出と、ラスト近くで泣きの場面を入れたのだけはなんとかならんかと思うけど。松雪泰子の手術着姿は実によかった。マスクで顔を隠して目だけ出てる、その目がきりりと涼しくてええねえ。総体に前作よりは面白かった。

 昨日は運動会。夜半の雨も朝にはあがり、なんとか挙行された。本番は一発で終わるのがよろし。延期になったらまた練習日が増える。生徒に負担がかかる。延期にならへんかったのが一番。
 終了後、甲子園球場へ。タイガースの今シーズンの甲子園での公式戦はこれが最後。まるで儀式みたいに毎年行ってるけれど、ああこれで今年のシーズンもおしまいかというのを確認する儀式と考えたら、それはそうですね。
 いやしかし甲子園球場はやっぱりええねえ。あそこに行くたびに気持ちが大きくなる。風格がある。チームに球場に見合った風格があれば言うことないんやけど。いや、昔はあったんですよ。私が初めて甲子園へ野球を見に行った頃は。田淵がいて、藤田平がいて、ラインバックがいて、掛布が若手のホープで。残念ながら江夏はもうホークスに移籍してたけれど。
 今年の最終戦を見に行って起きた最大のトピックがある。
 「てなもんや伝言板」にも球場から書き込んだけど(携帯電話から書き込めるなんて、なんたる時代なんでしょう)、テレビの取材を受けてしもうた。CSテレビの「スカイA」というチャンネルがあって、そこでやる番組に「中西清起さんに質問」というコーナーがあるらしい。らしい、というのは私はCSに加入してへんのでよう知らへんのです。そこのクルーがビデオカメラを担いで試合前にスタンドのあちこちで観客にインタビューをしてる。私の横に座った親子連れのところにもやってきて「何か聞きたいことはありませんか」と聞く。父親はそれほどくわしくないのか何も思いつかへん。スタッフが質問をこしらえて、その人に言わせている。やらせみたいなもんです。子どもはお菓子を食べるのに一生懸命で一言も口をきかん。ああいう場合、その隣にいる私にはお鉢は回ってこないのが相場。面白そうに横で見ていたら、今度は私にマイクを向けてきた。
 「なんで福本さんと中西さんは酔っぱらったみたいなしゃべり方で解説しはるんですか、という質問はあきませんか」とアホなことを言うと「それはちょっと……」と苦笑していた。そのあとで「なんで橋本や星山を一軍で一度も試さないで首にしたのか」と割と真剣に質問したけどね。
 というわけで、ああいう街頭インタビューみたいなもんは私には無縁やと思うてたんやけど、生まれて初めてテレビカメラを向けられた。予備校に通ってた頃、近くのスーパーに桂小つぶがラジオ番組の街頭録音にやってきて、「おいくつですか」「好みの女性のタイプは」と質問されてKBS京都で流されたことはあったけど。
 妻にその話をすると「恥ずかしいいい」と語尾をやたら引っぱって言われてしもうた。知らんがな。インタビューされて拒否する人間やないぞ、私は。
 ただ、その映像がちゃんとテレビで流されたかどうか自分では確認でけへんのが難点。カットされてるかもしれへんしね。どなたかCSに加入されていて「スカイA」を見られる環境にある方、いらっしゃいませんか。眼鏡をかけて口ヒゲを生やしたあやしいおっさんが上のような質問をしてたら、それは私です。録画してはる方はまずいてはらへんと思いますが、せめて番組で流されたかどうかだけでもわかったら教えていただけませんか。
 というわけで、もしかしたらテレビ初出演かもわからんようなことが起こった今年の甲子園最終戦でありました。

10月3日(火)

 一攫千金のダイレクトEメールが相変わらずあとを絶たない。たいていはネズミ講みたいなもんで速攻ゴミ箱行きなんやけど、一風変わったメールが来たので例によってさらしものにする。
 タイトルは「スクリーンセーバーで報酬がもらえます」。

「あなたのコンピュータに、WAVEVUのスクリーンセーバーを設定する」ことによって報酬がもらえます。スクリーンセーバーには、企業の広告が流れます。カウントデータはソフトに記録されていて、定期的に接続して、会社へ送られます。だから、基本的にオフラインでできる仕事です。現在はまだ、募集期間中(正式オープン前)です。もちろん登録は無料です。
報酬レートは?
あなた:0.6ドル/15回表示ごと
直接紹介:0.15ドル/15回表示ごと
2段目:0.05ドル/15回表示ごと
3段目:0.05ドル/15回表示ごと
4段目:0.05ドル/15回表示ごと
5段目:0.05ドル/15回表示ごと
6段目:0.05ドル/15回表示ごと
時間無制限です。あなたが毎日15回表示すれば、1ヶ月18ドルになります。45回表示すれば54ドルになります。あなた次第で増やしていけます。
また、紹介することにより、紹介した人達が同じくスクリーンセーバーを使用すれば、あなたにもその分報酬がもらえますので、グループが増えていくにつれて、報酬も増えていきます。

 うーむ、これもネズミ講やね。スクリーンセーバーに企業の広告を流したところで、自分しか見る者はいてへんのやから、なんの宣伝にもならんからね。主眼目は最後の2行。しかし、普通のネズミ講と違うところは、どこかの口座に4000円ずつ振り込んだりせえへんところかな。それならただで金がもらえるぞと思わせるところがなかなか憎い。
 そやけど、スクリーンセーバーが起動されるだけで金が入るなどというそんなおいしいことがあるわけがない。何か裏があると普通なら思うよね。こんなんでも引っ掛かる人は、やっぱりいてるんやろうなあ。この日記をごらんになっている賢明なみなさんはよもやまるまる信じたりはせんと思いますけど、引っ掛からんようにお気をつけ下さい。

10月4日(水)

 どうもCSテレビ「スカイA」に加入してはる方がいてはらへんのか、それらしい書き込みもメールもない。ああ、私の顔がテレビ放映されたかどうか知りたいよう。

 昨日の晩は所用で京都に。急ぎの用があったんで夕食はハンバーガーショップでとった。めったにハンバーガーショップには行かへんのやけれど、時間がないから仕方ない。
 とりあえず食欲を満たすためにもりもりむしゃむしゃと食べていると、近くのテーブルで二つのグループが大騒ぎしていた。いずれも高校生の友達連中といった人たち。片方は男子ばっかりで、もう片方は女子ばっかり。何がおかしいんか知らんけど、なにかというと馬鹿笑いをしている。それも二つのグループが交代で「どひゃっひゃっひゃ」とやるもんやからポテトをつまみながらちょっと本を読もうとしても気が散ってたまらん。
 その笑い声を聞いてると、別々のグループやというのにどっちも同じ調子やということに気がついた。ほんまに面白うて笑うてるという感じがせえへんのやね。なんか、笑わんならんという強迫観念でもあるような笑い方。そこで同じ調子で笑わへんと仲間やないと思われるから笑うてるというような印象を受けた。
 女子たちの集まってるテーブルはゴミ箱の隣で、私が立ち際にその近くに寄ると「似てるー」「似てる似てる」と言いながらまた馬鹿笑い。「あのシドニーの」「そうそう」てなことも言うてるから、今入ってきたばかりの年輩の白人夫妻を指してるらしい。どんな意味があるのか知らんけどバンダナを広げて振りながら笑う。おいこら、風が起こったら私の持ってる灰皿の灰が散るやないか。何すんねん。私が君らの担任やったら注意してるところやぞ。
 箸が転んでもおかしい年頃とはいうけど、どうもそういう笑い方やない。集団で爆発的に笑うその響きに、何か孤独なものを感じたのは私の思いこみだけやろうか。あんなヒステリックな笑い方しかでけへんのやとしたら、今になって彼等がなんかかわいそうにさえなってきた。もっとも、その時はめちゃめちゃ腹が立ったんやけど。
 彼等はほんまに面白いときはどう笑うんやろう。なんか気になるね。

10月5日(木)

 本日「本の雑誌」編集部のMさんより電話があった。WEB本の雑誌と相互リンクをはりたいという用件。普通は「相互リンクのお願い」というのはEメールでくるもんなんやけれど、電話というのが「本の雑誌」らしいなあと思う。たとえネット環境にあっても、ひたすらアナログ的やねんね。逆に「アスキーネットJ」誌からはEメールで10月27日発売の11月10日号で『ウェブ書評サイト50選』という書評・読書日記に関する記事を予定してて、この「ぼやいたるねん」を紹介して下さると連絡があった。紙媒体でリンク(というのかな、これは)する通知がEメールというわけで、アナログ展開をする場合もアスキーはデジタル的でありますね。なんとはなく面白い。
 つまりもうしばらくしたらそれぞれ二つのルートで初めてこのサイトを知ってくれはる方がここを読みにくるということで、そういう方たちにリピーターになってもらうためにはより一層の充実を図らねばと思うんやけれど、まあもう今さらどないもしようがないんでこのままこのペースで毎日アホなことばかり書いていくことになるでしょう。人間そない急激には変わられへんものです。

 もうじき大阪に「ユニバーサルスタジオジャパン」という長い名前のテーマパークが開園することになってて、それはご存知の方は多いでしょう。新聞によりますと、JRなんかは最寄り駅に「USJ前」と略称で表記することにしてたらしい。ところが、ユニバーサルスタジオジャパン(長いなあ)は略称は困ると言うてきたらしい。そやけどユニバーサルスタジオジャパン(いちいち書くのが面倒やからコピーペーストした)では長すぎるとJR側は困惑してるとか。
 それならそれでユニバーサルスタジオジャパン(いっぺん違うところをカットペーストしたんでまたコピーペーストし直したけどそれやったら一から書いた方が早いか)も「ジャパン」を取ってもよろしいよとか譲歩してもええんと違うかとも思う。そこで提案やけれど、いっそのことカタカナ名前はやめてテーマパークの名称を日本語に翻訳してしもうたらええんと違うかな。例えば「大阪映画村」いうのはどないだ。つまりはユニバーサルスタジオジャパン(括弧の中に書いてることの方が長くなってるのに気がついた)というのはアメリカ版の映画村なんでしょ。そしたらそれでええやん。「アメリカ映画村」というのも考えたけど、大阪にはすでに「アメリカ村」というなんでそんな名前がついたかわけわからん場所があるんでややこしいやないですか。
 横文字をそのまま持ってくるという野暮なことはもうやめにしようや。「大阪映画村」。この響きの安物臭さがええと思うんやけど、あかんかな。あかんわな。

10月6日(金)

 地震は恐い、ほんまに恐い。
 今日の午後1時30分、ちょうど授業中。
 ゆっさゆっさという感じやない。ゆうらりゆらりと揺れた。
「机の下にもぐれ!」
 生徒たちといっしょに頭を机の下に入れる。
 両手両足を床につけてるから、振動がもろ体に伝わる。
 船にでも乗ってるみたいや。
 一度揺れは止まったが、すぐに第2波がくる。
 放送で「地震は治まりました。教室に破損などないか調べて下さい」と担当の先生が言うてる。
 嘘や。まだ揺れてる。わかる。感じる。
 机の下から頭を出し、立ち上がってもふらふらしてる。
 生徒の一人が「今のは震度4」と言う。あとで職員室の震度計を見たら、震度は4。なんて正確な生徒や。
 震源地に近い島根では震度6強の揺れが計測されたらしい。阪神淡路大震災クラスの地震やないか。倒壊した家もあるとニュースで報じている。
 あの地震以来、何が起こってもおかしくないと思うようになった。
 不幸中の幸いというのやろうか。あの時のような大災害にはならへんかった。
 夕刻、家に帰ると、積み上げてた本の一部が崩れてた。
 やっぱり地震は恐い。その程度ですんでよかったけど。
 夜に実家に電話したら、私の母も妻の母も全然気がついてへんかったんやて。ありゃりゃりゃ。

10月7日(土)

 今日は午後から「ワッハ上方」で旭堂小南陵独演会を見に行く。今回も目玉は「安倍晴明伝」で、「大内問答」を口演。話自体は興味深かったんやけど、ネタおろしなのか語り口など山場でぐっと盛り上がる感じのものになってなかったんで、ちょっと食い足りない。講釈場そのものがないから何回も同じネタをかけて練り上げて……というわけにいかんのかもしれへんね。

 書店で「新潮OH!文庫」創刊50冊一気に平台占領を目撃。気合いが入ってるなあ。この前の「学研M文庫」の創刊の時よりも気合いを感じる。ラインナップが今売れ筋のものを中心にしてある。ただし、「講談社+α文庫」や「宝島文庫」みたいな実用書中心というカラーではなく、ノンフィクションや評論なんかが中心になってる感じのところが文芸出版の老舗らしい。新潮社からしたらかなりの冒険なんやろうけれど、「幻冬社文庫」みたいなゲリラ的な印象もなくやっぱりかなり手堅い感じがするなあ。1冊だけ買う。何冊か買うて帯についてるクーポン券を集めるとオリジナル文庫カバーが抽選でもらえるというのにはあまり食指を動かされへんかった。もっと大胆な景品をつけられへんかったのかな。
 ただ、ラインナップを見る限り、他社の新レーベルよりも定着率が高そうに思う。ゲリラ的でないぶん、ロングセラーになりそうなものが多いんやね。そこらは「文庫」という形態にこだわる新潮社らしい。
 あと新潮社としては画期的なのはスピンをつけてないことかな。スピンというのはしおり紐のことです。かたくなにスピンを残している「新潮文庫」の伝統とは切り離されたものなんやという決意の現れかな。
 それでも帰りの電車でページを繰っていると、やっぱりこれは「新潮文庫」やでと思うたね。カバーの質感も背表紙のデザインもまるでちがうのに。それはなんでかというと、写植の書体が「新潮文庫」のものと同じやからやね。どんなに思い切って本の作りを変えようとしても、やっぱりその出版社のカラーは残るもんなんやねえ。
 さて、「新潮OH!文庫」は今後どのようなものになっていくのかな。ちょっと楽しみ。

10月8日(日)

 今日は地域の小学校区で「市民体育祭」が開かれてたはずやけれど、例年のように場内放送の音がにぎやかに聞こえてくるということもなく、ほんまにあったんかどうか不明。行って確かめるということはしません。私の住んでいる団地は住人の数が少ないんで、競技には参加せず自治会の役員だけがスタッフとして出るくらい。私も数年前に役員をしたので本部席に座ったことがある。地域の自治会連合会の人たちが実に熱心に準備をしてはったんが印象に残ってる。
 子どもの頃はけっこう校区の運動会は楽しみにしていた。私は足が遅かった、いや今でも遅いんで、学校の運動会みたいに勝敗をシビアに競う雰囲気のものはてんでだめ。また「おまえが遅いから白組が負けたやろ」などと理不尽なことを言う奴もいてたからね。そんなもん関係あるかい。その点、校区の運動会やったらなんぼべべたになっても文句は言われん。それどころか走っただけでものがもらえる。例えそれが食卓塩一瓶であってもなんか嬉しかった。
 しかし、おっさんになった今では、なんでこんな行事があるのか疑問を抱いてしまう。町内会の親睦のためということやろうけれど、団地やマンションの多い校区やと棟や階が違うだけでもう顔見知りがいてへんようになる場合もあるやろうしね。1年に1回、運動会の時だけ会う人もいてるのと違うかな。近所づきあいが生活に不可欠やった時代にはそれなりに意義があったかもしれへんけれど、地域の人間関係が希薄になってきたら、その意義も変化してきているに違いない。
 まあ参加しない者がうだうだ言うことやないけど、いずれ引っ越したりしてちゃんと運動会に参加せえへんとあかん状況になったりする可能性もあるわけでね。たぶん積極的に参加はせえへんと思うんやけど、そういうわけにいかへん場合もでてくるやろう。その時に、自分自身が意義を感じない行事に参加して自分の時間を奪われてしまうことに対して、きっと不満もでてくることと思う。なんのために運動会を開くのか。そこらへんがあいまいなままずるずると回を重ねていくと、まあそういう状態やないかなとふと何気なく思う今日この頃でございます。
 しかし、今日は予定通りあったんやろうか。例年やと自治会の役員の人が参加賞を配りに来たりしてたんやけれど、今日は来なかった。あ、去年も来てなかったかな。廃止されたんやったっけ。参加もしてへんのになんで運動会が気になるかな。自分でもおかしいなと思うね。

10月9日(月)

 いやいや、今日この日記でまるまる3周年でありますね。毎日毎日というわけにはいきませんが、ほぼ毎日、ネタのない日は絞り出し、つまらない日もおもろい日もいろいろあり、学校の仕事では修学旅行あり卒業式あり、書評の仕事では「S−Fマガジン」以外にもお声がかかるようになり……。これもこのページを開設していればこそ、でありますね。あ、学校の仕事は関係ないか。兼業しているというだけで「あなたのような人に教えられる子どもがかわいそう」とまるで本業そっちのけで物書きをしているようなメールをいただいたりすることもありますが、勤めは勤めでちゃんとやっております。ま、今後もぼちぼちやっていきますんで、みなさま、ご愛読のほどよろしくお願いいたします。

 昨日運動会について書いたわけやけれど、今朝の新聞によりますと、名古屋のある小学校で白組と赤組が引き分けになるよう操作して競技メンバーや種目を組んでることが明らかになったらしい。この手の記事は毎年のように見るけれど、いくらなんでもやりすぎやないのと、同業者として思う。
 私の場合、障害のある生徒たちといっしょに毎日を過ごしているわけやけれど、そういう学校でもちゃんと競走させて順位をつけてる。重度障害児も軽度障害児も同じ土俵で勝負することもある。それは、障害児教育が「自立」を目標に掲げているからで、自分がどのような点で力が弱いかを認知していくのも障害児教育には不可欠やという観点からあえて優劣をはっきりさせていると、まあ私はそのように解釈してるんやけれどね。
 私は運動会は好きやない。これはこの日記でも以前書いたように、「マスゲーム」があるのと自分が運動が苦手であるのと二つ理由がある。そやからというて学校の運動会そのものを否定はせえへんよ。私のように運動会より文化祭の方が好きな人間もいてれば、運動会が生き甲斐のような人間もおるわな。人間には得手不得手があり、自分が何が得意で何があかへんか、そういう行事を通じて知っていったらええことやないかと思う。その中で新たな発見もあるやろう。
 だいたい、小学校で人に優劣をつけへん指導をしたところで、中学校にあがったら否応なく優劣というものを意識せんならんのやから、同じことやないかな。いやいや中学校まで免疫がなくていきなり厳しい競走の現実を知らされたら、その方がトラウマになるぞ。私は小学生の低学年から「私は運動で勝負してはいかん」と自覚してたからね。
 小学校の頃、仲良く遊んでいた友だちの中には、中学にいってから荒れて当時の言葉でいう「つっぱり」なるものをやってた連中がいてた。私は地域の公立高校に。彼等は公立でも勉強のでけへん者が集まる遠方の工業高校に進学していった。一見したら、彼らは「落ちこぼれ」の烙印を押されたようなかっこうですわな。ところが、彼らはそこで入部したラグビー部で全国制覇をして、卒業した中学校では英雄扱い。本にはなる、ドラマ化はされる。私はそのころ受けた大学全部落っこちて予備校の試験を受けていた。
 さて、優劣の基準をどこにおくかは度外視しても、この場合、その時点では私よりも彼らの方が数等上のような感じになるわな。
 運動会が好きな子は運動会で成績をあげてほめてもろたらよろしい。絵を描くのが得意な子はそこでほめてもらい、本を読むのが好きな子はそれでほめてもろたらよろしい。小学校というのはそれでよいと思う。かつて私は学習塾で私立中学の受験をする小学生を教えていた時期がある。そこでははっきりと成績が順位づけられ、学校では勉強のできるよい子も敗北感を味わったりしていた。いくら学校で優劣をつけへん指導をしていても、他のところで優劣を見せつけられる。運動会くらい好きなようにのびのびとやらしたれや、と同業者として思う。教育の原点は、子どもが自立していく力をつけることにあるわけやから、そのためにも教師が書いたシナリオ通りになるような、そんなことをしては発達を疎外することになるのと違うかな。

10月10日(火)

 本日よりこのサイトも開設4年目に突入いたしました。始めたときはどれだけ続くか見当もつかへんかったけれど、まだまだ続けられそうなんで、カウンターの数字が回っている限り続けていきましょう。

 本日発売の「本の雑誌」11月号は大阪特集。私は大阪を舞台にとった小説やマンガを25本紹介する文章を書いております。
 そう、この日記で「某誌の特集記事」と書いておったのが、やっと人目に触れるようになったわけです。もっとも、そのために再読したり新たに読んだりした本は既にこのサイトの「読書感想文」のコーナーで紹介済みではありますね。
 せっかく発売されたんやから、書き上げるまでの裏話をちょっと書いておこう。
 「本の雑誌」のMさんから原稿依頼があったのが7月のこと。8月の頭に開催されたSF大会ではMさんも出演してはったんで、そこで簡単な打ち合わせをする。実はそれまでは5冊ほどとりあげてじっくり紹介文を書き込めばええのやと思うてたんやけど、直接話を聞くと「50冊でも100冊でも」というやないか。これは困った。「夫婦善哉」と「日本三文オペラ」と「大浪花諸人往来」と「じゃりン子チエ」と「梅田地下オデッセイ」当たりを読み直したらそれでええと鷹揚に構えていたんが、えらいことになってきた。
 横浜から帰ってきて、さっそく記憶に残っている大阪小説をリストアップ。既に読んでいたもの、買うたけれど読んでないもの、読んだことのないもの、がんがん書き出す。持ってるものは本の山から掘り出し、持ってないものは書店で探し、書店にないものはネットで注文し、絶版のものはネット古書店のサイトで検索して注文し、持ってるはずやのに見つからんものは妻に図書館で探してもらい……。揃えた時点で「さてこれだけ読めるんかいな」と心配になってきた。
 読んだ読んだ。鬼のように読んだ。寸暇を惜しんで読んだ。昔読んだ本も、細部を忘れてたりして、実に新鮮な感じがする。
 さて、その中からセレクトして26冊、リストをつくって編集部に送る。「自社本は取り上げないのが原則になってまして……」というわけで1冊減らして25冊。かくして原稿にとりかかり……。
 京都を舞台にした小説は多いけれど、大阪というとかなり少なくなる。その上、お決まりのパターンをなぞったものようなものもあるし、なかなかセレクションには苦労した。そんなこんなでようよう書いた原稿ですんで、興味のある方は書店で手にとって読んでみて下さい。私らしい、ひと味違う大阪本のセレクションになったと思う。
 はい、今日は「宣伝日記」でありました。みんな読んでね。


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