ぼやき日記


12月21日(木)

 いやもう昨日は飲みました。へべのれけれけ状態。カラオケではアニソンファンのA氏がいきなり「最強ロボダイオージャ」を入れたのに対抗して「無敵ロボトライダーG7」を歌うなど、職場の忘年会とは思えんような選曲で「二人で別な空間を作ってる」と同僚たちに言われてしまいました。帰宅してからおがわさとしさんから電話があって、その話をしたら「いい年をして、そういうことはやめなさい」とたしなめられた。酔うと見境いがなくなる。いけませんなあ。しかしA氏はまだ20代前半。なんで「ダイオージャ」なんか知ってるねん。私も彼が歌うまで忘れておったぞ、そんなアニメ。

 昨日の新聞で如月小春さんの訃報に接する。享年44。急死やったという。
 如月小春その人には特に思い入れもないけれど、彼女の名前を聞くと思い出すことがある。今から10数年前のこと、『SFの本』編集長の志賀隆生さんから電話があって「若者のオピニオンリーダーについて特集を組むんだけど、関西ではどういう人が若者の代弁者なのか教えてほしい」と尋ねられた。
 私はしばらく考えてから、「兵藤ゆきとか、笑福亭鶴瓶とか、島田紳助とか……」と当時大阪ローカルの番組でかなりマジに若者の悩みに答えていた人々の名前をあげた。すると、志賀さんは「兵藤ゆきって……『元気がでるテレビ』に出てる、あの兵藤ゆき?」と聞き返す。そうだと告げると、「ちょっと違うなあ。お笑いタレントじゃなくて、他にいない?」と言う。とんでもない話で、全国ネットではともかく関西ローカルではこの人たちは単なる「お笑いタレント」なんちゅうもんとは違うポジションにいるわけです。それを説明するんやけれど、志賀さんには理解してもらわれへんだみたい。
 「たとえばさあ、東京でいうと、如月小春みたいな……」と志賀さんに言われて、今度はこっちが面喰らった。いわゆる文化人というんですか。如月小春についての知識が皆無やったから、困った。まだ竹内義和は「大映テレビの研究」を出したばっかりでオピニオンリーダーというほど知名度は高くなったし、中島らも、新野新……ちょっと違うか。あかん、わからん。
 というわけで、志賀さんには「他には思いつきませんねえ。すみません」と答えるしかなかった。私はそこで、東京では若者の代弁者という位置付けに漫才師や落語家がこないんやということを知ったわけです。というか、志賀さんが考えていたような「オピニオンリーダー」なるものが関西には存在せえへんのと違うかな。
 そんなこんなで、如月小春という名を聞くと私は「東京の若者のオピニオンリーダー」というイメージがまず浮かんで、それ以上には発展しない。あれから10数年、彼女がどのような劇を書き、いつまで「オピニオンリーダー」であり続けたか、それは私にはわからへんけれど、今回の訃報で、それほど大きく新聞記事にはとりあげられてへんかったところを見ると、あの頃のような位置付けではなかったんやろうね。
 ところで、彼女の「オピニオン」って、どんなものやったんか。私はそれすら知らんかったことに気がついた。私に東京と関西の違いについて大きく意識させてくれるもととなった名前やというのに。
 謹んで哀悼の意を表します。

12月22日(金)

 本日は終業式。長い2学期が終わった。ほっとしたのか、少々疲れが出ております。
 午後からは休みをとって帰る。とはいえ、薬を受け取りに京都の医者まで行かねばならんのだ。この薬がないと、私は日常生活を送るのに少々難儀をする。正月休みもはさまるから、今週受け取らんと底をついてしまうからね。
 ついでに銀行に寄って、通帳を新しいのと交換してもらう。満杯になったのをほったらかしにしていたのです。新しい通帳ができて、窓口で渡してもらう。と、窓口係の人がそっとささやくように話しかけてくるやおまへんか。いけません、私には妻がいます。というような返事は必要ではなかった。「宝くじ、窓口でも買えますが、いかがですか?」。はい、私の取引銀行がどこか、賢明なみなさんはもうおわかりですね。年末ジャンボ宝くじは今日が発売最終日やったんやね。今日中に売り切ってしまわんといかんのやろうな。ギャンブルからは身を遠ざけている私は、すぐに断わりましたが。
 だいたいこういうくじには、私は当たらん。くじ運があまりよくない。読書週間の書店くじは、かなりの枚数をもろたけど、当たってたんは100円が2本だけ。その本屋さんが入っている商店街の年末福引きは、今日5回福引き機をごろごろ回したけれど、200円の商品券が1本当たっただけで、あとはスカ。飴玉ばっかり4個ももろた。あんだけあの本屋で本を買うてその結果還元されたのは都合400円。ま、文庫1冊のたしにはなるか。
 まあ、こんなところで運を使うのももったいないかな。その分、運をためておいて来年一気に開運すると、それでいかなしゃあないわい。しかしなあ、つかみかけた運をあっさり手放すケースも私には多いからなあ。ま、運にばっかり頼ってたらろくなことはないから、これでええとしよう。

12月23日(土)

 今日は「ワッハ上方」に行く。大阪府立東住吉高校芸能文化学科の公開授業があったのであります。なんでそんなものを見に行ったのかというと、私の入会している「日本芸能再発見の会」で呼び掛けがあったからなんですね。
 もともと「日本芸能再発見の会」というのは、この学校の特別講師として招かれた新野新さんが芸能文化学科の生徒たちに芸能史に残る名優たちの名前をあげてたずねたところほとんどの生徒が知らなんだのにショックを受けて、芸能に関する証言が失われないようにと作らはった会なわけです。そやから、事務局長も芸能文化学科の先生。
 私は前からこの学科でどういう授業が行われているか興味があったんで、ええ機会やと思うて見に行きました。いやいや、なかなかのものです。日舞、狂言、落語に三味線。さすが第一線のプロを特別講師に招いているだけあって、週1時間の授業でしか教わってないというのに基本がしっかりしている。芸の世界に進む生徒ばっかりやないそうなんやけれど、素養としてこれだけのものを身につけておったら、なんらかの形で生きてくると思うね。ずらりと並んだ高校生たちが三味線を弾いている姿を見て、私も教わりたいと思うたね。こういう学科が私の高校時代にあったら、志望していたかもしれへん。
 そのあと、私は梅田へ、妻は心斎橋へ。妻が行った「そごう」の店じまいバーゲンはなかなかすごかったらしい。ほんまの店じまいやからね。ふだんならバーゲンで出るはずのない品物までが叩き売り価格で出ていたそうな。買い物客は行列状態やったって。
 私は梅田のCDショップと「阪神百貨店」のタイガースコーナーへ。来年のカレンダーを買う。そんなもん、駅の売店でも売ってるやないかと大阪の人やったら思うかもしれへんけれど、実はタイガースカレンダーには2種類あるのです。壁にかけておくものと、卓上用のものと。壁掛け仕様のものは確かに阪神電車はもちろん京阪電車の売店でも置いてある。近くの書店でも買える。そやけど、卓上カレンダーはあまり出回ってない。阪神百貨店のタイガースコーナーなら確実に買えるんです。
 新庄グッズのコーナーができていた。こちらは叩き売り価格やない。正札で売ってます。今を逃すともう手にはいらへんというので、がんがん売れてるんやて。私は買いませんよ。タラスコのグッズやったらわからんけど。ひねくれてますな。
 しかしまあ、さすがに人出は多い。帰りの電車に乗った頃は、くたくたのへろへろ。電車には子ども連れの家族がかなり乗っている。たいていクリスマス用の紙袋を持っているところを見ると、プレゼントを買うてもろうたな。
 私の隣に小学校高学年くらいの女の子が座った。最初は父親を座らせようとしていたけれど「座りなさい」と言われて嬉しそうに腰を下ろす。娘を見る父親の笑顔。可愛いてたまらんという表情ですわ。まだええ時期やねえ。あと何年かしたら、口もきいてもらわれんようになるかもしれへんぞ。いやほんま。お父さん、今の時を大切に過ごしやと思いながら見てた。
 向い側の席では、眠る母にやはり小学校高学年くらいの娘が肩を貸している。母親は安心し切って目を閉じている。母と娘の場合は口もきいてもらわれへんというほどにはならへんやろうな。この母娘は私と同じ駅で降りた。その母娘を迎えに改札の外側に立っているのは妹かな。そのうちこの妹と姉がなにかというと張り合って不仲になるかもしれへんなどというような意地の悪いことは考えませんよ、私は。妹は二人を迎えにきたんやなくて、プレゼントを迎えにきたんやろうなどというひねくれたことも考えませんよ、私は。
 歳末ですねえ。歩く人たち一人一人に物語がある、なかったら勝手にでっち上げる、そんな感じでありますね。

12月24日(日)

 通勤途上で建売住宅地を造成していて、分譲中の幟が立ち並んでいる。わずかな区画に「晴光台」と麗々しく書かれてる。
 私の住んでいる大阪府パナソニック市はもともと湿地帯で大阪万博以前はそのほとんどが蓮根畑やったというところ。私の住んでいる団地かてもとは蓮根畑やったらしい。それやのに「晴光台」はないでしょう。その分譲地のあるところの町名は「大池町」。池でっせ、池。「ナントカ台」と新興住宅地についてるのは、山を切り開いて作ってるからそういう名前にしてるんやろ。低湿地に「台」はあまりにもひどい。
 そう思って地図を妻と見ていると、だいたいこの町がどんな土地やったかわかる地名がついているから面白い。前述の「大池町」のほか、「沖町」というのもある。池の端やったやろうところには「江端町」。池に浮かんだ島があったんでしょうな「島頭」。川もあったんやろうね「古川」に「古川橋」。なんかもう水でべちゃべちゃというイメージがわいてくる。
 実際、大雨が降ると浸水するところがうちの近所にもあるらしい。湿地で水はけが悪いんやろう。児童公園の入り口にコンクリートで蓮根の輪切りをした形の仕切りが作ってある。蓮根と電機工場の町ですわ。最近はテコンドーでオリンピックの銅メダルを獲得した岡本依子選手が町の顔になってるみたいやけれど。
 そんな町の真ん中に「晴光台」とはなんぼなんでも看板に偽りありやおまへんか。少しでもイメージをようしたいんか、新規の分譲地には「台」をつけんといかんと思い込んでるんか。どっちにしても狭い区画に何軒か家を建てただけのところに仰々しくそんな名前をつけること自体恥ずかしいようにも思うけれどね。
 しかし、地名というものはほんまに面白いねえ。昔からの地名が残っているところやと、その土地の特徴がくっきりと表れる。地図を見てるだけでけっこう長い時間楽しめるからねえ。

12月25日(月)

 親戚の子どもにあげるお年玉を買いに、江坂にある「クレヨンハウス」に行く。小学校に入学したら現金でもよろしかろうと思うんやけれど、それまでは玩具や絵本などをあげている。その方が子どもにはわかりやすいし楽しいやろうと、まあそない思うてるわけです。
 「クレヨンハウス」というのは落合恵子さんがやっているお店で「子どもに本当によいものを」というコンセプトで経営されている、という知識はあったけど、店に入るのは初めて。自然食のコーナー、手作りお菓子のコーナー、レストラン、そして児童書のコーナーなんかがある。
 私はここで絵本を買うたんやけれど、なかなか品揃えもよく、どれを選ぼうか目移りしてしもうた。確かに、コンセプト通りの店やなあと感心。子どもに安心して与えられるものを選ぶことができる。
 ただ、なんとなく違和感を覚えたのも事実。「私たちは正しいことをしている」という意気込みが伝わってくるんはええんやけど、それがなんとなく強すぎるように感じた。私はどちらかというと「私たちは好きだからやっている」というスタンスの方に共感を覚えるんで、こういう「正しさ」には圧迫感があるんやね。「正しさ」を押しつけているとまでは言わへんよ。信じるところに基づいてやってはるのに、それを非難する気は毛頭ない。ないけれど、私には合わへんなあと思う、ただそれだけのことです。
 好感を持ったのは、ディズニー絵本が一切なかったこと。ここらあたり、好き嫌いか信念かわからへんけれど「ディズニーさえ与えといたらそれでよし」という安直さに対する意志表明みたいで、そこらあたりのポリシーはなかなかよろしいなあ。ディズニー自体の善し悪しではなく、それを買い与える大人の側の意識の問題を鋭くついているような気がするんですが、いかがなもんでしょう。

12月26日(火)

 午後から某宝くじ銀行へ行く。お年玉用のお金をおろすのと、普通預金の一部を定期預金に移すのと、2件用事があったもので。歳末やから銀行は混んでるやろうなあと思うて行ったら、ATMのところは行列ができてたけれど、窓口はすいている。これはもう窓口で定期預金を、と思うて店に入ってったら、年輩の銀行員が近寄ってきてにこやかに話しかけてくる。定期預金をしたいと用件を伝えると「キャッシュカードはお持ちですか」ときく。もちろん持ってる。年輩の方にはカードは苦手で作らん使えへんという方もいてはるらしいけど、私はそんな年やあらへん。
 カードを持っていると知るや、くだんの銀行員はさっさとATMの列に私を並ばせ、えんえん待たせた挙げ句に、画面を見たらわかるのに横から手を出して機械を操作する。私はまた手続きを銀行員がするのが面倒やからATMを使わせてるんやと思うてた。そんな手間をかけるんやったら窓口でもかまへんやん。
 少なからぬ額を定期にしたのを見て、銀行員のおっさんの態度が変わっていく。平日の午後にぼさっとした格好をしてやってくる客の扱う額やなかったみたい。「スーパー定期でなく、こちらの方の定期になさったら、満期になったあと継続した時に有利になりますが」。後ろに列ができて待ってるのに、そんな説明をしててええんかな。「いえ、大きい買い物をしたから、満期になったら即使わないかん金なもんで」「あ、はあ、そうですか」てなやりとりをしてから、ぶじ預金手続きは終了。
 通帳が機械から吐き出されたら、おっさん銀行員はふんだくるようにその通帳を手にとり、私を窓口に誘う。何かまだ用事があるのかと思うたら窓口の女性銀行員はしきりに投資信託ファンドの説明やらなんやらを始めた。その方がぼろいんやったら、定期預金にする前に窓口で説明せえよ。いきなりATMの列に並ばせよってからに。金額見ただけで態度を変えるなよ。窓口は暇なんやんか。列で待ってる時間、聞きたくもない金融商品の説明を受ける時間……普通の者が歳末にそんな暇があると思うてるんか。
 なんかおまけをくれた。帰ってから見たら、ティッシュと石鹸とタオルとキティちゃんのマグカップ2つが入ってた。キティちゃんのマグカップなんかいらんがな。某バンクー銀行では以前歳末に家賃を振り込みに行った時にはそれだけやのに立派な手帳をくれたぞ。
 銀行も儲かってへんのはわかってるけど、小口預金者を軽んじてるとしか思われへんね。こういう姿勢を改めていただきたいと思うんやけれど、まあ難しいやろうなあ。

12月27日(水)

 申し遅れましたが、ただいま発売中の「S−Fマガジン」2月号の特集「21世紀SFのキイパースン」で、私は15名分の作家論を書いております。作家論になってないという気もするけどね。今月のはじめに「あと14本書かんならん」と騒いでいた、あれであります。勝ち負けやないけれど、冬樹蛉さんの文学的な表現を読むと「ああこらかなわん」と尻尾をまいて退散したくなる。このページを読んではる作家の方たちもいてはると思いますが、「的外れじゃ!」とお怒りかもしれませんけれど、私からのファンレターやと思うてご勘弁下さいね。

 先日から試験的にiモードを中心にした携帯電話用の「ぼやいたるねん」を作ってみた。日記なんか、字数の制約もあってあまりたいしたことは書かれへんし、読書感想文もこのページに書いているもののダイジェストにしかならん。失敗かなあとも思う。
 ここは、他のサイトの掲示板で宣伝をしようとSFで他のサイトを検索してみた。あらららら。なんやら「出会いのサイト」にめったやたらとヒットする。携帯の世界ではSFファンが出会いを求めておるのかなとそちらに飛んでみたら、SFとは「SEX FRIEND」の略称として使われてるんですなあ。つまり、携帯のショートメールで性交の相手を探そうと、まあそういうわけらしい。
 「SF」というと、私の場合は「サイエンスフィクション」の略として使用してるわけやけれど、他には「サンフランシスコ」「ステープルファイバー」「サービスファクトリー」「新製品普及会」の略称としても使われてることは知っていた。しかしなあ「SEX FRIEND」ですか。
 ということは、「S−Fマガジン」ときいてH系の出会いマガジンと勘違いする者が出てくるかもわからんぞ。で、「エトセトラ」欄を見てコンベンションに参加して出会うのですね。誰とや。
 それはともかく、読書サイトの数はかなり少なく、さらにSFとなると片手で数えられるばかり。携帯サイトにはSF読みの居場所はないみたい。インターネットのSFサイトの多さと比べると、その媒体の違いみたいなものを感じさせるね。携帯電話で暇つぶしをする人は本は読まへんということか。

12月28日(木)

 こうやって日付けを入れるとほんまにおしつまってきたのであるなあと思うけれど、なんか実感がない。そういうたら年賀状をまで書いてない。あわてて書店に行って図案の入ってるCD−ROMを探すけれど、あんなに平台に置いてあったものが既に一掃されている。世間の人々はもうとっくに画像集など不要になってるのね、しくしく。ところで、来年いただく年賀状の図案に「2001年宇宙の旅」のディスカバリー号を入れてる人はけっこういそうな気がするけれど、予想すると楽しいかも。そんなん予想してんと早よ書きなはれ。

 ふだんからほとんどテレビは見ない方ではありますが、年末は特に見る気が失せるね。楽しみにしているレギュラー番組をつぶしてやってるのが「世紀末スペシャル」とかなんとか題してタレントをスタジオに集めてなんかしょうもないことをやらせ、とりたててたいしたことは言うてないのに色付きの字幕で強調し、スタジオに来ている素人の笑い声を響かせてここで笑わへんおまえはおかしいと言わんばかりの演出をする番組。実際に見なくてもわかります。ようあんなもんにスポンサーは金を出すね。恥ずかしないのかしらん。企業イメージが悪うなるよ。
 それらのタレントやら芸人さんに本業で勝負させたらどないやねんと思う。コントグループやったらコントをさせる、漫才師やったら漫才させる、俳優やったら舞台で寸劇をさせる。本来ならそれでギャラをもらうべき人たちなんやから、その方が絶対おもろいに違いない。
 しかし、そうなると、ヒロミ某や中山某のような本業のないタレントはどないしようもなくなるね。あの人たちに見せる芸はあるのか?
 かと思うたら、新聞のテレビ欄を見ながら妻が悩んでる。深夜映画で彼女が見てみたいのが3本、同じ時間帯にいっぺんにあるんやて。「世紀末スペシャル」なんかのかわりにそういう映画を1本いれたらどないだと思うけど、それでは視聴率がとられへんのやろうなあ。ただつけておくだけという人たちにとっては、テレビ番組には内容なんかない方がええんやろうなあ。それやったらスイッチを切っとけよ、と思うけど、それはおせっかいですね。

12月29日(金)

 年末ぎりぎりになると、あれを今のうちにしとかんならん、これはやってなかったといろいろ出てきますな。年始に実家に帰るのに手土産を買うのを忘れていたので、あわてて百貨店へ走る。地下の食料品売り場で菓子類を買うけれど、一軒一軒どんな商品があるか吟味してなんとか手ごろなものを選んだものの、もって帰るのがまた一苦労。原チャリの足を置くところにようよう乗せて帰る。こういう時に自動車がないのは不便やな。

 イチローというのはクールやねえ。人妻とつき合うてたのが発覚しても、しっかりと記者会見して堂々と受け答えしている。
 スポーツ新聞の記事をよく読むと、イチローがまだ結婚する前につき合うてた女性の一人で、イチローによるとその人が既婚であることは知らんかったらしい。結婚する段になってそれがわかり、相手の夫から口止め料を含む手切れ金を要求されて、支払って解決したと、そういうことらしい。それやのに相手がマスコミにリークしたということで、逆に弁護士を雇って相手の約束違反を告発すると、こういうことみたいやね。
 「弓子はわかってくれています」と自身をもって言うところなんぞ、たいしたもんですなあ。雑誌の広告やらスポーツ紙の見出しやらを見たら「やっぱりイチローも女にはだらしなかった」となんとかして偶像から引きずりおろそうとしているみたいやけれど、結婚前のことでしかもちゃんと片をつけて別れているのを蒸し返しているということもあって、これはイチローの勝ちやね。
 しかしなあ、別にむりやりイチローを自分たちと同じ次元に引きずりおろすことはないんと違うの。イチローは醜聞を圧力をかけてもみ消すことのてきる大手芸能プロダクションに所属しているわけやない。自分のことは自分で守らんならん。そういう立場にあるから叩きやすい。それを個人ではねのけるんやから、精神力の強さは相当なもんやね。
 ほんまにイチローはクール・ガイ。何をやっても決まっている。こういう人間が世の中には存在するんやなあ。

12月30日(土)

 やっとこさ年賀状を書き終える。昼ごろ投函。三村美衣さんと小浜徹也さんが帰省してきたので、「S−Fマガジン」増刊号の原稿に関する打ち合わせを兼ねて喫茶店でおしゃべり。久しぶりにゆっくりしゃべれて楽しかった。

 年賀状ですが、例年はCD−ROM付きの図案集を買うてきてその画像を使うてるんやけれど、今年は書店で見たけどたいした図案集がなかったんで、買わへんかった。去年はおもろいのがあったんになあ。どないしようと思い、結局自分で描くことにした。
 私かて絵は描けますよ。高校時代はこれでも美術系のクラブに入ってたんやからね。その時いっしょにいたんが漫画家のおがわさとしさん。後にプロになるような人がそばにいてたらたまらんぞ。自分の実力のなさを思い知らされる。卒業後はほとんど絵は描いてない。同人誌に一度挿し絵を描いたことはあるけれど。
 というわけで「キッドピクス」という子ども向けのお絵描きソフトを開いて、こちゃこちゃと落書きみたいなものを描いてみました。子ども向きのソフトというても、ツールはけっこう充実していてなかなか面白い絵になった。あとは年賀状のフォーマットに貼りつけるだけ。便利なもんですなあ。
 ワープロで年賀状を作ってた時は「折々のうた」から季節にちなんだ短歌や俳句を探し出してきて「謹賀新年」のかわりに書いていたこともある。その前はプリントゴッコで自分の似顔絵を描いて送っていた。あ、そうか、昔は自分で絵を描いてたんや。ということは、今年は原点回帰ですな。しかしそんなもんを送りつけられる人には迷惑以外の何ものでもないかもしれん。
 おがわさとしさんの年賀状は凄いぞ。あれはもらうと嬉しい。市販の絵葉書より美しい。一番おもろないのは、郵便局に備え付けのスタンプを押しただけの年賀状。今日出しに行ったら、せっせと押してる人がようけいてました。あれは味気ないよなあ。
 今年もあと1日。みなさん、よい新世紀をお迎え下さい。

12月31日(日)

 今日で20世紀も終わりやねんなあ。実感あらへんなあ。
 テレビをつけてないせいもある。あのバカ騒ぎに耐えられへんのです。カウントダウンの瞬間くらいはつけてもええけど。しかし、今これを書いている時間からいうて、見られるかどうかギリギリですな。
 京都では五山送り火や鞍馬の火祭りをやって、21世紀への炎を燃やすというイベントをしている。昨日、三村美衣さんに「見にいかないのお?」ときかれたけれど、こんな寒いのに夜に出かけますかいな。テレビで十分です。
 というわけで、KBS京都テレビの中継番組を見る。司会者がしきりに美しさを強調し、ゲストの中村玉緒さんやら井沢元彦さんやら中村橋之助さんやらいろんな人たちがほめたたえてたけど、冬の送り火は違和感があったなあ。あれはやっぱり夏のもんですわ。ああ、大文字の火が消えていく、もう夏も終わるんやなあと見るもんであって、ああ、年越しやなあという雰囲気にはとうていなられへんね。この季節にランニングと短パンで外をうろついている人を見たような、そんな感じ。
 体に染み付いた季節感というのがあるからねえ。イベントとしてはなかなか風情があってよろしいけど、私としてはやっぱり夏のもんは夏のもんとしておいてほしかったように思うね。
 なにはともあれ、こうして20世紀も終わろうとしている。こういう瞬間に居合わせた我々はやっぱりラッキーなんかもしれへんね。

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