ぼやき日記


2月11日(日)

 今日は伯父と叔母の法事で京都へ。
 うちは浄土真宗なんやけれど、伯父の家は禅宗。お経をあげたあと、ついつい「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えそうになる。違う違う宗旨が違う。念仏は唱えたらあかん。
 仕上げの御膳の席で、亡くなった伯母がいかに上手に鯖鮨を作ったかという話がでた。鯖を酢でしめているのに、酸味のつんとした臭いがとんで甘味が残るという絶品でありました。娘さん(というても私より年上ですが)は、残念ながら、その作り方を受け継いでいてはらへん。私の隣に座ってはった方の亡くなったお母さんが、キムチづくりの名人やったそうです。こちらもその絶妙の味つけが伝わってないらしい。亡くならはる前に作り方を聞いてメモをとらはったらしいんやけれど、肝心の塩の量については「いつものとおり」としか書かれてへんとか。その「いつものとおり」は、言葉にでけへん勘みたいなものやったんやろうな。
 職人の技というのは、けっきょくそういうもんで、言葉にでけへんからこそ職人芸なんやなあと感じ入った次第。
 しかし、亡くなった伯母の、あの鯖鮨はもういっぺん食べたい。どんな寿司屋でも、あれほどおいしい鯖鮨は出さん。それくらいおいしかった。あれこそ幻の美味ということになるんやろうなあ。一代限りの家庭の味。そういう幻の美味は、他にもいろんなところであるんやろうね。

2月12日(月)

 つまりその真珠湾ですからな。原子力潜水艦の不注意の事故を忘れてはなりませんぞ。米軍が事故で日本人に被害を与えたら、「リメンバー、パールハーバー!」と言わななりませんぞ。むちゃくちゃですぞ、あれは。民間企業に潜水艦の優秀さをアピールしたかったですと。それだけの理由であんな運転をして一般の船に当たるようなことをすると。何のための軍隊ですか。戦争がないと軍縮されるから、軍隊を維持するためにアピールをするてなのは本末転倒やおまへんか。つまり米軍も縮小せんならん時期に来ているわけですな。そやったら世界平和で結構なことやないですか。米軍もこの潜水艦の優秀さを実地でアピールでけましたな。これはひとを殺す道具です、てなもんや。
 ええもうそらあんた、日本の学校の学生さんがハワイでしんどい目におうてても、自分のゴルフの方が大切な総理大臣のいてる国ですさかいな。森さん、早いこと引退して好きなだけゴルフをしたらよろし。誰も止めまへん。有事立法があっても、首相がこの調子では法律は適用されまへんでえ。
 もうなにがなにやらあほらしいやら情けないやら。今後、米軍はどないなるんやろうね。首相はどないするんやろうね。どないもせんのやろうね、きっと。そういうもんやろうね。ああもうどうしようもあらへんね。ぼやいてなしゃあないね。

2月13日(火)

 なんでもビール酵母が体にええとかテレビ番組でみのもんたが言うたら、あっという間にベストセラー商品になっているらしい。この前スーパーに行ったら「粉末ビール酵母は売り切れです。錠剤を砕いて服用して下さい」云々というポップを見つけた。けっ、うちなんかずっとエビオスを切らしたことがないぞ。あれは確かに腹の調子をよくするみたいやから、ずっと飲んでますねん。そやからいうて劇的なダイエットができてるわけやない。なんで今さらダイエット食品とかいうてもてはやされてるんかようわからん。
 妻によると「これ、体にええよ」と流行の健康食品を勧める人に「どの成分がどんな風にええの?」と尋ねると、十中八九は答えられへんそうな。学校の家庭科で五大栄養素とか習うてるでしょ。そういう知識はどこにいったのかな。
 どうもテレビ番組で人気キャスターがなんか言うたら、それを鵜呑みにして疑いもせずに信じてしまう人というのはけっこういてるみたいやね。自分の頭で考えんかい、と思うけどね。
 私の場合は、学校で給食を食べている。プロの栄養士さんが栄養バランスを考えて献立を作っているという安心感がある。1日に1食だけでもそういうバランスのよい食事をとることができるんやから、ありがたいことです。以前講師として中学校に勤務してた時は、弁当屋に注文して配達してもろてて、あれはあれで肉も野菜もちゃんと入っていたからそれなりに栄養をうまくとれてたんやろうとは思うけれど、献立に変化がないのが難点やったね。
 流行の健康食品になんも考えんと飛びつく前にやることがあるでしょう。ワインとカカオに含まれているポリフェノールをせっせと摂取していた人が今はビール酵母を必死で食しておるんやろうね。その前はヨーグルトキノコかな。ほんまにええものは、少しずつ長期に渡って摂取せんと効果がないんと違うかな。

2月14日(水)

 今日はSt.ヴァレンタイン・デイ。おお過去の日記を見たら、私はこの日について何も言及しておらない。きっと毎年「来年ネタに困ったらいかんのでとっておこう」と配慮して書かずにきたんやな、きっと。今年は別にネタに困ってるわけやないけれど、来年にとっておく理由もないのでチョコレートの話をば。
 とはいえ「小学生のころから毎年食べ切れないほどのチョコレートをもらって往生していた」とか「中学生の時に私の目の前で女の子が二人同時に私にチョコレートを差し出しえらい目にあった」とか「高校時代に『私がチョコレートのかわり』と体にリボンを巻きつけた女の子に追いかけられて困った」とか「予備校で隣の席に座っていた女の子とたまたま受験会場で隣同士になり、答案用紙の下からそっとチョコレートを渡された」とか「大学時代にサークルの女の子からもらったチョコレートを食べたら睡眠薬が入っていて、彼女の下宿に拉致監禁されて恥ずかしいビデオを撮られた」とかあとはもう思いつかんから省略するけれど、そういう心躍るような浮いた話は一切ないんで、やはりネタに困るのであります。
 正直な話、私は生まれて初めてできた彼女で後に妻となった女性以外からいわゆる「本命チョコ」なるものをもろたことがなく、しかも妻がチョコレートをくれたのはつきあいはじめてからやったから、つまりその「愛の告白」などというもう恥じらいと喜びと感動がどどどどと一気に押し寄せてくるようなものをこれまでもろたことは一度もないんです。
 家族以外の女性から初めてもろた”ヴァレンタイン”チョコレートは高2の時に、生徒会室でぼーっとしてたら「喜多くーん」と女の子に声をかけられ振り向いたらいきなりグリコアーモンドチョコレートを投げつけてきたのであわてて受け止め、相手を見たら仲はよいが色気もなんもないつきあいの女友だちで、チョコレートが好物の私がすぐに嬉しそうに食べたら、「男の子ってそんなんでもチョコレートをもろたら嬉しいんや」と言われたというものである。違う! 私はチョコレートを食べたいので嬉しそうにしただけで、誰が放り投げられたチョコレートを愛の告白と思いますか。後に盛んになる「義理チョコ」でも一応つつまれてそれらしい格好はしていたぞ。ぽーいぽいぽいとあたりにいた男子に投げつけられるチョコレートのどこにありがたみがあるんや。
 今年はその「義理チョコ」もなし。妻からはチョコレートではなく「ベビースターラーメン」の詰め合わせセットをいただいた。いろんな種類のベビースターラーメンが入ってて楽しかったからええけどね。妻からは昔ハート形のせんべいをもろたこともあったなあ。人と同じことするのが嫌いな人やから、ねえ。

2月15日(木)

JAS格納庫
 今日は、学校の社会見学で大阪国際空港へ。同僚の知人のつてなどもあり、なんとJASの格納庫まで見学させてもろた。たいてい空港の見学というと展望台に行って飛行機の発着を見るのが関の山ですけどね、格納庫まで見せてもらえるんやからほんまに見学の意味がある。メカ好き戦記マニアの同僚なんか、生徒そっちのけで整備中のマグラネルダグラスMD90の機体をあっちこっちから見てたね。それだけやなしに同行のスチュワーデスさんにもやたら話しかけてたけど。私はデジカメで写真を撮りまくり。ジャンボジェットやないけど、かえって少し小さ目のサイズやったから機体がようわかってよかったかも。
 整備中のMD90は、写真で見てもろたらわかるようにエンジンのつけかえの真っ最中。整備士の方の解説によると灯油で動いてるそうですな。私はナフサで動かしてると思うてたからびっくり。
エンジン
 外されたエンジンは、カバーも外され丸裸。パイプがくにゃくにゃと走ってる様子はさながらオブジェのよう。ギーガーのイラストかなんかみたい。もちろんこれは誰かに見せるためにそんなふうにパイプをくにゃくゃさせてるわけやない。機能的に必要やからそないなってるわけですな。実用性を高めたものほどその機能美は高いと思うけど、これなんかまさにそうと違うかな。私は別にメカのマニアやないけれど、そんな私でも美しさを感じるんやから。
 一般のものはそうめったに入ることのでけへん場所を見せてもらい、私ら一行は大満足。しかし生徒たちはこのありがたみをわかってくれてるんかなあ。まあ、わからんなりに何かを感じとって帰ってくれたものと思うけど。ほんまもんを自分の目で見るというのは「百聞は一見にしかず」の言葉通り、ほんまに大事なことやと思うね。質感や、その場の空気をかがんとわからんことはあるからね。
 というわけで、寒い1日やったけど、気持ちいい時間を過ごさせてもろた。理知的な美人のスチュワーデスさんをはじめとするJASのみなさまがたに感謝している次第であります。

2月16日(金)

 なんか今日は一段と寒かった。寒波が一気に襲ってきて、早く帰りたいのに歯医者に寄って待ち合い室で30分も待たされたりしてほんまに落ち着かん。

 「週刊ベースボール」の「プロ野球選手名鑑号」が発売されたのでひたすら眺めて楽しむ。選手の紹介項目の中に「好きなタイプの女性」というのがあり、既婚者は家族の名前が書いてあるんやけど独身の選手は芸能人の名前が書いてあったりする。これがなかなか面白い。例えばジャイアンツの松井は「色白でポッチャリ型」となんか具体的。柔道の田村亮子の恋人、ブルーウェーブの谷は「しっかりしている明るい子」。田村はしっかりし過ぎてるような気がするが、なんで実名を出さんのや。ブルーウェーブの塩崎は「すぐに怒らない人」。なにか深い意味がありそうやなあ。
 人気のあるのは松嶋菜々子、矢田亜希子、鈴木あみあたりか。タイガースの関本は「鈴木京香、高島礼子」と二人あげているけど、23才の若者の好みとは思われへんなあ。年増好みというのもけっこういるみたいやけど。
 最高に笑うたのはタイガースの高山で「気の合う人」。それはタイプというのと違うやろう。おもろいやっちゃなあと出身地を見たら「大阪」。さすがきっちりぼけてくれてます。
 一人一人見ていったらかなり時間がかかるんで、シーズン開幕までゆっくりと楽しませてもらいまっさ。そんな暇があったら本を読まんかという気もするけど。

2月17日(土)

 書店には「SFが読みたい 2001年版」が並んでおりました。私は「伝奇アクション&ファンタジー」の年間総括を書いております。これで昨年のSFの状況が手にとるようにわかる! という一冊であります。ぜひ御一読のほどを。てなことを書いたけれど、大阪府パナソニック市の郵便事情のせいか我が家にはまだ本が届いておりません。早く手元に置いてじっくり読みたいのになあ。買うのはもったいないしなあと、ここらあたり辛いものがある。いつも本を送って下さる作家の方の新刊が書店に並んでいるのにそれが送られてないという状況の方がもっと辛いけど。今回は送られてこないんかなあ、それやったら買うし……と思うて我慢し切れずに買うと次の日くらいに送られてきて悔しがったり、というようなこともある。明日は日曜で配達はないから、月曜日まで待たなしゃあない。なんか落ち着かへんなあ。そうかと思うと某社の文庫のように書店に並ぶ1週間くらい前に宅配便で送って下さるところもあって、その場合は早めに読んでbk1の書評を書いたりできるんでありがたい。たいていの出版社は寄贈本を編集部から直接送って下さるけれど、出版社によっては作家さんが自分で送らんならんところもあるみたいで、これはなかなか大変みたい。まあ私は基本的には本は自分で書店で買うて読むものと思うてる。それだけに、送っていただくと本代が助かってありがたいとか、そういうのはありますね。雑誌の場合やと自分が連載してる期間は毎号送って頂けるんで助かるんやけれど、これで連載が終わると自分で買わんならんのは原稿料をいただいてたのがなくなるのも含めて上下大きいけどね。「SFアドベンチャー」の連載が終わって雑誌が送られてこなくなった時は「ああ今月から自腹かあ」と書店で思うたもんです。あの時はまだまだ書評を続けたかったから、よけいになんか寂しく感じたな。
 ま、書評家も長いこと続けてるといろいろあるということで。

 明日は「たちよみの会」例会です。多数のご参加をお待ちしております。

2月18日(日)

 本日は「たちよみの会」例会。「SFが読みたい! 2001年版」を前にしてその話題で盛り上がる。とはいえ、この本で細井威男さんが商業出版デビューを果たしたわけで、まずはめでたい。若い書き手がどんどん出てくることがジャンル活性化につながることはいうまでもないからね。

 ここしばらく自分が行ける範囲の書店をまわって「けったいな人々」(棚橋昭夫)という芸人さんについて書かれた本と「雲の別れ」(新野新)というミヤコ蝶々さんの評伝をさんざん探した。小さい書店にないのはわかってたから、江坂、そして京都の河原町周辺のある程度規模の大きい書店をまわったんやけれど、全く見つからん。芸能関係の書棚にはタレント本か暴露本しか並んでへんし、演芸関係の書棚には落語か歌舞伎、狂言の本しか置いてない。
 堂島のジュンク堂に行ったらあるかもわからへんけれど、何かのついででもないとちょっと足をのばしにくい。あきらめて、昨日の深夜、日記を更新したついでに
bk1で注文をする。「けったいな人々」は〈2〜3日後に配達〉とあり、「雲の別れ」は〈出版社取り寄せ〉とあった。まあ、急いで読まんならんというわけでもないし、かまへんわ。
 で、今日「たちよみの会」から帰ってきたら、「けったいな人々」がもう届いてる。注文したんは昨日の深夜ですよ。それがもう今日の午後には届いてる。〈出版社取り寄せ〉の「雲の別れ」はもう少しかかるやろうけれど、それにしても早い。たまたま帰りの電車で「誰が本を殺したか」(佐野眞一)という本を読んでいて「オンライン書店」の可能性についていろいろと書いてあったのを読んだところやった。ほんまにほしいけど近くの書店で手に入らへん本は迷わずオンライン書店で注文すべし、やね。書店では実物を手に取って見ることができるし、新刊はその目で確かめて買うことができる。そやから私はなるべく書店で買うようにしてるし、そのスタンスはなるべく変えへんようにしたい。そやけど、ほしい本を探す時間、労力、交通費とオンライン書店で送ってくる送料とをてんびんにかけたら、うまいこと使い分けしていく必要があると感じたね。
 さて、「雲の別れ」は何日後に送られてくるやろう。予想以上に早かったら、書店中を探しに探し疲れて帰ってきたあれはなんやったんやという気になるやろうね。いや実際、「けったいな人々」を手にした時は、もっと早よ注文しといたらよかったと思うたもんなあ。
 しかしなあ、大阪の出版社の本が関西の書店で手に入らへんでどないするねん。

2月19日(月)

 まさか38才にもなってこけて膝小僧をすりむくことになろうとは思いもよらなんだわい。仕事帰りに例によって最寄り駅前の本屋に寄り、原チャリを置いたところに行こうとしたんやけどね、狭い道に自転車がようけ不法駐輪してあって、そのうちの1台のスタンドに右足を引っ掛けてしもうた。バランスを崩しても、すぐにはこけへん。前のめりになりながらもどこかつかむところはないかいなと手をのばしたけれど、虚しく空を切る。素直に手をついて倒れといたらどおっちゅうことはなかったんやろうけれど、そんなわけで倒れる時には手は空中に。このままいったら顔面からアスファルトに突っこむという体勢になってしもうた。そこで左膝をとっさに出して着地し、ブレーキみたいに擦りながら倒れた。膝小僧が痛い痛い。立ち上がって見るとズボンが破れてる。そのまま家に帰れたらよかったんやけれど、間の悪いことに今日は歯医者の予約が入ってたから、破れたズボンをはいたまま行かんならんかった。
 歯医者の待ち合い室でズボンの破れ目を眺めてたら、無性にそこに指を入れてみたくなった。私ゃ子どもか。指を入れると、パッチにも穴があいている。他に患者が待ってへんかったから、ズボンの穴を広げて中を見てみる。あら、血がにじんでるやないかいな。痛いはずや。
 しかしなんやね、こんな日に限って歯医者の椅子は足をのばしたまま座らんならんところに当たるね。先週は足をまげて座る椅子やったんに。ズボンの穴が丸見えですわ。ちょっと恥ずかしい。
 家に帰って消毒型の傷薬をふきつける。私が子どもの時分やったら赤チンを塗るところですな。あれはけっこうええんよ。治りが早いらしい。子どもの頃、膝小僧をすりむいて赤チンを塗ったあと、乾いたらそこに光があたって赤い色が反射するみたいにきれいに見えたなあ。今の傷薬は透明やから傷口がそのままずず黒く見えて汚い。
 そやけど歩いててこけて膝小僧をすりむくなんてここ四半世紀なかったことやぞ。単車に乗っててこけて腕の皮がべろりんとめくれたりしたことはあるけど。もしかしたらこの年になってこういうことをするというのは実に貴重な体験なんやなかろうか。
 あ、傷口がズボンに擦れて痛いぞ。やっぱり絆創膏を貼ろうかなあ。そやけど、はがす時に毛もいっしょに抜けたりしたらよけい痛そうやなあ。ええ年して私は何をやっておるのだ。
 ところで、こけた瞬間頭に浮かんだことは「お、今日の『ぼやき日記』のネタができたぞ」ということ。木口小平は死んでもラッパを放しませんでした。喜多哲士はこけても「ぼやき日記」を忘れませんでした。いずれ道徳の教科書に載るかもしれへんぞ。

2月20日(火)

 なんでも「仮面の忍者赤影」のリメイク映画「レッドシャドウ・赤影」に新体操のアリーナ・カバエワが出演するというのがわかったらしい。まあキワモノ映画でございと自分から宣言してるわけで、それはそれでよろし。しかしなあ、「赤影」のリメイクをするなら、主役の赤影には安藤政信(私、この人知らへん)などという人よりももっと適任がいると思うんやけれど。それはずばり、京本政樹であります。時代劇を愛し、特撮を愛する京本政樹ならば、きっと思い入れたっぷりにくさーい演技をしてこのB級プログラムピクチャーを飾ってくれるやろう。白影に竹中直人というのもいかん。白影のおじさんはダンディな雰囲気がないと。宮内洋というセンはいかがかな。だいたい「戦国大名・東郷秀信の命により赤影たちが宿敵である大名の命を狙う」という設定に異議を申し立てたい。「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎と名乗っていた頃、琵琶湖のほとりに金目教という妖しい宗教が流行っていた」という原典の設定の秀逸なこと。せっかくリメイクするんやから、敵は大名やない、妖しい存在やなかったらあかんぞ。東映の制作者たちは「赤影」に胸をときめかせた子どもたち(つまり、私らのことですな)の心がわかっとらんのやないかと声を大にして言いたい。ここらあたり、「ウルトラマンティガ」「ダイナ」「ガイア」を作った円谷プロのスタッフとは志が違うような気がする。
 ちなみにオリジナルビデオでリメイクされる「悪名」は朝吉親分が的場浩司、モートルの貞が東幹久やそうやけれど、こちらはかなり本気で作ってるみたいやし原作の雰囲気にやや近いものがあるんで認めてもええんと違うかと思う。
 リメイクというのは、勇気がいると思う。人気シリーズのリメイクをする以上、原典の心を残しつつもそれを超えるものを作るくらいの志がなかったらしょうもないものしかでけへんのと違うかね。さて、「レッドシャドウ・赤影」にその志があるんかないんか。カバエワで話題作りしているようでは、志は低そうやなあ。私の予想が裏切られることを期待したいところやけどね。


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