ぼやき日記


3月21日(水)

 今日「レコード芸術」誌の今月号を買うてきて読んでたら、いよいよDVDフォーマットのオーディオディスクが発売されると書いてある。なんでも「サラウンドシステム」と「2チャンネルシステム」のどちらを選ぶこともできて、音質はCD以上、アナログレコードに収録されている周波数の音も入っているので音楽に深みが出るんやそうです。
 そんなすごいものが出るんかいなと思うたら、別の記事では「SACD」  スーパーオーディオコンパクトディスクなるものの音の素晴らしさを賛美している。
 わかってますよ。広告主の必要な雑誌やと、新しいフォーマットの録音媒体をほめなならんということは。それにしても節操がないんと違う? 読者はどれを買うてええやらわからんぞ。だいたいオーディオにこり出したらきりがない。たぷんDVDオーディオは生き残るやろうけれど、SACDは脱落するような気がする。これはもう容量の大きさの問題やからね。容量が大きいほど情報がたくさん入る。
 それにしても、やっとMDプレイヤー付きのラジカセを買うたばっかりの私には、好きにしてえなという感じやね。MDがかなり普及してきたとはいえ、カセットテープはそう簡単には消えてへんし、アナログレコードも見直されてる。そんだけあれば十分です。新しいフォーマットのディスクを出したならば、プレイヤーは例えばDVDオーディオだけしか聞かれへんものやなしに従来のCDも聞くことができるようなものを廉価で販売せんと普及は難しいと思う。この10数年で定着したCDを消費者があっさり捨て去るとは思われへん。
 というのは、アナログレコードがCDにとって変わられたのはCDが小さくて便利やったからやと思うから。DVDオーディオやSACDは便利さではCDとはそないに変わらへん。便利さでいうたらMDの方が便利かもしれへん。音質のよさで売るにしても、そこまで音質を追求するのは一部の購買層に限られてると思う。大多数の購買層はCDを捨ててDVDオーディオやSACDに切り替えるメリットを感じへんのと違うやろか。
 さて、DVDオーディオやSACDはどないなるのやら。共倒れに終わるかもわからん。少なくとも新たな購買意欲を掘り起こすだけの革新性は感じられへんもんなあ。

3月22日(木)

 目が痒いのは団地の外壁の塗装工事のせいみたいやね。臭いがきつい。外出してる時はそれほど痒くないのに、家に帰ってきたら突然目がむずむずしてくる。この3ヶ月というもの毒物を毎日吸い込んでるみたいなもんやからね。花粉とは関係ないみたい。早う工事が終わらんかなあ。

 今日は京都コンサートホールへ行き、京都市交響楽団の定期演奏会を聴く。常任指揮者のウーヴェ・ムント指揮でマーラーの交響曲第9番。私はけっこう好きな曲でCDも何種類か持っている。そやけど、生で聴くのはこれが初めて。
 演奏はカラヤンのスタイルに近い非常に美しいもの。とはいえ、曲が曲だけに、第4楽章の最後、静謐のうちに曲が終わるところなど息を呑んで聴く。集中して聴くとこんなに疲れる曲はないね。いやしかし、この大曲をこれほど美しく演奏できるんやから、京響の実力はたいしたもの。前任の井上道義が鍛え上げ、現任のムントがその力を最大限に発揮させているという感じがする。特に管楽器の音は関西のオーケストラではトップやないかな。
 残念ながら、ムントはこの定演を限りに退任。せっかくムント指揮京響で外国のレーベルに録音するところまできたのになあ。後任は大友直人。
 大友の指揮はちょっと深みに欠けるところがあって、以前買うた「富田勲の世界」というCDではトミタ・サウンドの雄大さを表現し切れてないという印象がある。井上が築きムントが発展させた京響を大友がどのように変えていくのか、少し不安。
 ともかく、今日の演奏会はムントと京響の集大成ということになるのかもしれへんね。今後も客演はするらしいから、その時はまた聴きに行きたいな。

 明日は都合で更新はお休みです。次回更新は土曜の深夜の予定です。

3月24日(土)

 昨日の夜はクラシックファンの飲み会。クラシックのCDを聴きながらわあわあと盛り上がる。今日は所用で京都へ。その間に新珠美千代さんはお亡くなりになる、ミールは南太平洋に落下する、瀬戸内で大きな地震が起こるという具合にこの日記で一言書きたくなるような事件が相次いでいる。
 しかしまあ、ここは外出した時に見かけたこまごまとしたことを書くことにしましょう。
 今日、某駅で京都方面行きのプラットホームに上がろうとエスカレーターに乗ったら、頭の上の方から電車が入ってくる音がする。ダイヤからいくと、これは京都まで行かず、次の駅が終点になる電車やということがわかってたんで、あせらず立っていたら、いきなり年輩の女性が後方から上ってきて私に話しかけてくるやないか。
「あれ、向こう?」。
 全く面識のない人。なんか近所の知り合いみたいな馴れ馴れしさ。だいたい、何をききたいのかこれだけでは判然としない。思わず「向こう、とは?」ときき返す。
「電車、電車。向こうのホームに来たの?」。
「ああ、これはこっちのホームに入ってきたやつですけど、次の駅止りですよ」。
 私の答えにかの女性、「私、それでええねん」とエスカレーターを駆け上がり、さっと電車に乗り込んだ。一陣の風のようなおばちゃんやね。いわゆる大阪の庶民的なおばちゃんのあるべき姿を体現してみせてくれましたよ。誰にでも気さくに声をかける。知り合いでなかってもそんなんお構いなし。知りたいことがわかったらさっと行動に移す。
 これか東京やとこうはいかんやろうなあ。相手との距離を計りながら話しかけて来るんやと思う。急いでいてもそのことを人には簡単にさらさへん。人にきくよりも自分で上まで上がって確認するのと違うかな。大阪のおばちゃんはそんな無駄な労力は使わへん。手近にいる人にきいてもし自分の乗りたい電車と違うたらゆっくり歩いて上がったらええんやし、そうやなかったらそのままエスカレーターに立っといたらそれでええ。現実的なんですわ。
 しかしいきなり「あれ。向こう?」と後ろから話しかけられたらやっぱり驚きますわ。その上、あれよという間もなく電車に乗ってしもうた。私はもう、今のはなんやったんやとぼんやりしながらホームから出て行く電車を見送った。
 ところで、今日の日記はちょっと私の偏見が入ってますなあ。ま、これはあくまで印象ということやから、あんまり怒らんといてね。

3月25日(日)

 今日は「丸善」京都店で森岡浩之さんのサイン会。見せたいものがあったんで、雨の中出かける。ミーハーな私は「星界の戦旗III」を買い整理券をもろうて列に並ぶ。若いファンがたくさん並んでて、女性が1割くらい。もっと多いのかなと思うていたけど、こんなもんなんかな。森岡さんは1時間、次々と本にサインをしていく。中にはサインの場所を指定する人もいてて、裏表紙の帯で隠れるところにサインしてほしいという人も。
 サイン会終了後、あつかましくも控え室まで押しかける。あ、ちゃんと森岡さんや早川書房の営業の方に了解はもらいましたよ。森岡さんは控え室でもサインを続ける。店頭で「サイン本」として販売されるものですね。人が一所懸命ペンを走らせている横で私は営業担当の方や店長さんたちとサイン会全般の話なんかをする。京都に店を構えてるというのはかなり有利みたいで、さる女性作家の方はサイン会の依頼に対して「京都観光がしたかったの」と快諾されたそうです。女性の固定ファンのついている作家の方やと、京都観光をかねて地方からもサイン会に来たりするらしい。すごいなあ。サイン会というと私が中学生の時に手塚治虫先生のサイン会に行った時のことを思い出す。手塚先生は色紙や本にサインしたあと、一人一人と握手をしてくれはった。あれはなかなかでけへんことですわ。その時、将来サイン会をする時は私も全員と握手しようと心に決めたけれど、いったい私はあの時何になってサイン会をするつもりやったのかな。漫才師になりたいと思うてた時期ではなかったから、スポーツアナになってサイン会をするつもりやったんやろか。まあ中学生の考えることやから、ろくなことやありません。
 いやしかし、サイン会の裏舞台を覗くことができただけでもなかなか面白かった。森岡さんに見せたかったものはちゃんと受けたし、足を運んだ甲斐もあったというもの。森岡さんをはじめとする関係者のみなさん、どうもありがとうございました。

3月26日(月)

 今日の「週刊現代」の新聞広告で「あの岡八郎がアルコール依存症と闘っている」という見出しを見つける。気になったんで仕事の帰りに最寄り駅前の書店に寄ってその記事だけ立ち読み。吉本新喜劇の若返りで座長から降りたあと、息子さんは自殺、酒で気を粉らせているうちに病に倒れ、闘病生活をしてはるという。奥さんとは別居し、独りマンション住まいをしているとある。
 なんともやりきれない。関西では一世を風靡し、今でもあの独特の芸風を好きなファンは多いはず。私もその一人。幸いなことに雑誌の記事はそれをスキャンダラスに描くのやなしに岡八郎さんの身を気遣う書き方になっていた。書き手の山本圭というライターの方もきっと岡八郎のギャグを愛する人なんやろう。
 破滅型の芸人といえば横山やすしさんを思い出す。そやけど、やすしさんは自ら「破滅型」を演じていたような節がある。神経質で線の細い人間が「横山やすし」という虚像を維持していこうとした結果があの寂しい晩年となったように思う。
 岡八郎さんはどうなんやろう。確かに全盛期のギャグは狂気をはらんだようなところがなくはなかったけれど、かといっていわゆる天才型の喜劇役者やっとたは思われへん。全盛時の栄光とプライドが邪魔をしたのか。しかし、あれだけの芸人を時流にあわないからというて隅っこにおしやるべきやないと思う。やはり、岡さんも虚像を維持していくには酒の力を借りなくてはやっていけなかった弱さがあったということなんやろうか。
 なんにせよ、ファンとしては岡さんが再び舞台に立って活躍をすることを祈るしかない。ぜひ立ち直ってほしいと、記事を読みながら感じずにはいられへんかった。花紀京さんのような渋い脇役に徹することもできず、船場太郎さんのように政治家にもならず、焦り苦しんでいる岡八郎さん。ぜひ舞台に復帰して「これが岡八郎だ」という存在感を若手に示してほしいものである。

3月27日(火)

 団地の塗装工事も終わりに近づいてきた。最後の仕上げに部屋に入ってきてサッシの塗装をするんやそうな。
 こらいかん。なにしろサッシのある部屋には本が山と積んである。しかも2部屋も!
 まずペンキを持ってずかすかと踏み込まれてもサッシにたどり着くことがでけへん。本が道をふさいでるから。よしんば道を作っても、本の山の間をすり抜ける途中でその山が崩れ、本がペンキまみれになったりしたらたいへんや。
 ちょうど今年の夏には転居を予定してるんで、その時に少しでも楽になるようにと、妻の発案でこの際段ボール箱に本を詰めこんでおこうということになった。そこで、今日から3日かけて本の大整理の開始ですわ。
 今日は、未読の本が積んである部屋にとりかかる。なにしろ3日間で2部屋片付けてしまわんならんのやから、本を手にとってしげしげとながめている暇はない。妻が集めてきてくれた段ボール箱にひたすら詰めこむ。これがもう面白そうな本ばっかり。読むつもりで買うたんやから当然なんやけど。何年も積んだままになってるんでとっくに文庫になってるハードカバーの本も多いし、シリーズの1巻だけ読んで続きはそれきりになってるものもある。ああ読みたい! 今ここで箱詰めしてしもうたら、転居前に読みたいなと思うても読まれへんようになるんや。いやいや、私は新刊レビュー担当の書評家やから、絶対読まれへん。それやったらとっくの昔に読んでるはずや。
 てなことを考えながらごく機械的に手を動かし箱詰めをする。今度はその箱の置き場所ですわ。無駄に積んであった空間のあったところに置き直したらそれでええんやけれど、ペンキを持った人が通れるように道をちゃんと作らんならん。サッシの前で作業できる空間も要るわな。
 土台に引っ越してきた当時からそのままになっててやわやわの箱を置いてあったもんやから、上から本の入った箱を積んだら傾いてきた。ううむ、これはいかん。しかし、時間はもう22時をまわってる。朝から少しずつ休憩は入れたもののほぼこの作業にとりかかっていてもうへとへと。ええい、あとは明日や!
 原稿締切りが迫ってたり過ぎてたりしてるけど、ともかくペンキの通り道を確保する方が優先。本を読む時間もなし。明日は既に読んだ本の整理が中心になる。ついでにパソコンの場所も変えたりする予定。しんどいけれど、やらんと仕方ない。これまでさぼってたツケを払ってるようなもんです。
 しかし、つくづく締切りがないとでけへん人間なんやなあ、私は。

3月28日(水)

 今日は朝から突然友人が訪ねてきたりして整理がでけへんようになるのではと心配したけど、なんとかパソコンの位置を動かしてパソコンを置いていたこたつを動かせるようになったんで、明日中にはなんとかペンキ塗りの人が入れるようにはなりそう。そやけど、この2日というもの、私は本屋に行ってへん。なんと2日も本屋に行かへんというのは年末年始と熱出して寝込んでいる時くらいのもんです。ああ、本屋が切れてきた。あ、新刊が平積みになってるのが見える。バイトのお姉さんが本からスリップを抜いてるのが見える。ああ、本屋に行きたい! 雑誌はコンビニで買うてすましたけれど、それでは気がすまん。明日はさっさと整理をして本屋に行くぞおおおおっ!

 しかし、安部英被告の薬害エイズ裁判の無罪はちょっと耳を疑うたね。新聞で判決の理由を読んでも、今一つ要領は得られん。だいたい「ミドリ十字」関係の被告に有罪が言い渡されてるのに、なんで安部被告が無罪なんやろう。事件当時の医学では非過熱血液製剤がHIVウィルスを保有しているという認識がなかったということやけれど、これまでの報道では危険性があるから国産のクリオ製剤を使うべきやという意見を却下して輸入の非過熱血液製剤を使用するよう安部被告が指示を出したということやったんやけどなあ。そしたら今までの報道はどれも嘘をついていたことになるんかなあ。なんか納得いかへんなあ。検察の攻めどころが間違うていたということかもしれんな。「ミドリ十字」との関係をとらえて攻めていったらあっちは有罪こっちは無罪というねじれ判決にはならへんだんと違うやろか。
 まあ、私のように断片的に知識と情報しかないものにとってはほんまのところはわからへんのやけれど。そやけど、安部被告の強硬な指示がなかったら、エイズに罹患せんですんだ人がたくさんいたことは事実でしょう。それに対する責任を安部被告がとらへんでええということになるのはどうも納得でけへん。
 これはおそらく控訴されると思うけれど、その間にもエイズで死んでいく血友病患者はいてるんやからね。安部被告はそういう患者の前でも平然としてられるんかしらん。
 なんで無罪なんか、もっとわかりやすく説明してほしいもんです。もし私が薬害で死にそうになってたら、安部被告のことは絶対許されへんやろうと思うからね。

3月29日(木)

 ああ今日も本屋に行かれへんかった。本屋本やホンヤほんや〜!
 この3日間本も読まれへんかった。目の前には大量の本があって、それも昔読んで面白かった本ばっかり目の前にあって、何遍でも読み返してみたい本があって、それを手にとるや否や目をつぶって箱に詰め込まんならんというのはもう拷問ですわ。
 しか、その甲斐があってなんとかサッシのところにペンキ塗りの人が行くことができるくらいには道がついた。さすがの無精者の私でも、やればできるもんですなあ。なんで今までやらへんかったんやろ。それは締切りがなかったからです。なにはともあれ、ああよかった。これでなんとか原稿が書ける。
 それはいいが、外壁を塗装しただけで目がちかちかと痒くなったというのに、部屋の中、しかもどの部屋もペンキ塗り立て状態。窓のサッシだけやあらへんで。ドアの内側もべたあっと一面ペンキを塗るんやで。そんな家で過ごすとなると……。いや、起きている間はまだええ。マスクをしたりして防御できるからね。しかし、夜寝る時はマスクして寝るわけにはいかへん。朝起きたら顔がパンパンに腫れあがり、目から膿をしたたらせ鼻から鼻汁をまき散らし息がでけへんから口は開けっ放しでよだれはだらだら……。
 嫌や!
 妻もこの数カ月ですっかり体調を崩してしもうた。ここにペンキの毒臭が直撃したら一気にダウンするやろう。というわけで、妻は2日ほど実家に帰ることになり、私は原稿があるから昼は家にいてるけれど、夜はどこかに宿をとってペンキの毒霧を防がねばならん。私も実家に帰るという手もあるが、ノートパソコンがないんでそれでは原稿書きの仕事がでけへん。いやもう困ったもんです。
 なんともならんので仕方ない。というわけで、次回更新は土曜日のお昼頃になる予定。ペンキ塗りのおかげで部屋が片付いたのはありがたいけど、毒毒モンスターだけは困るなあ。

3月30日(金)

 というわけで、本日はペンキ塗り。午後から若い人が2人来て雫で部屋が汚れへんようにビニールを貼り、2時間ほどかけてサッシにペンキを塗っていく。妻はその間、所用で外出。いや、外出していてよかった。見知らぬ人がずかずかと部屋に入り込んで作業をしている間というものは、なんとも落ち着かず、集中して何かをしようという気にもならない。
 締切りのきている原稿をその間に書こうかとも思うてたんやけど、そんな気にもならへん。かというて読み残している小説にも手がつかん。こんなに気が散るもんやとは思うてへんかった。
 それでもただぼおっとしているのこともでけへん。ついつい読みやすいエッセイ集に手がのびる。同じ著者のエッセイ集を2冊半、一気に読んでしまう。もう10年以上前に出た本やけれど、読んでいるとなんとなく落ち着くから不思議やね。
 ペンキ塗りが終わり妻がいったん帰ってくる。窓は全開で風を通していて寒い。そやけど閉めてたら臭いがこもってたまらん。妻に早く実家に避難するよう追い立てるみたいに家から出す。私も後を追うように出かける。
 結局梅田にあるビジネスホテルに入る。ネットで調べて一番安いところを探したんです。そこでテレビをつけ、ナイターを見る。タイガースはぼろ負け。気分が悪い。小説を少し読んだり、原稿の下書きをしてみたりしたけれど、気が乗らん。さっさとシャワーを浴びて通常より早めに就寝。その前にペットボトルのお茶を買いに外出したら、夜をひさぐ外国人女性やらそれを紹介するおっさんやらに袖をひかれ、逃げるように宿に戻る。さすがに安いビジネスホテル。近辺の治安はめちゃめちゃ悪そう。
 携帯電話から「てなもんや伝言板」に接続したけど、なんでかしらんつながらへん。どないなってるんや。明日帰ったら問い合わせてみよう。もうなんか踏んだり蹴ったりやなあ。こんなんでちゃんと原稿が書けるんかな。

 というわけで、明日の晩もたぶん避難。次回更新は日曜の深夜になります。


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