ぼやき日記


4月11日(水)

 NHK人間講座『きれい社会の落とし穴』を妻が見ていて、最後にCGアニメで出てくる寄生虫が可愛いと見せてくれた。妻が勝手に名付けた〈寄生虫ちゃん〉はパラパラなんぞを踊っていて確かに可愛い。そやけど、腹の中で寄生虫にパラパラを踊られたらたまらんなあ。もっとも妻は「寄生虫はうにょうにょと動いてパラパラ踊ってるようなもんやん。本物は手足がないだけましやん」と主張しております。そういうもんか?

 コンビニでは他の店との差別化を図るためにオリジナル商品を開発しているらしいけれど、テレビやラジオの番組とのタイアップというのはなかなかいいアイデアやね。大阪の朝日放送ラジオで朝にやってる「東西南北龍介がいく」と昼前にやってる「歌はおまかせ小山乃里子です」という番組がコンビニ「サンクス」とタイアップして作った「さくら弁当」と「さくらプリン」を買うて食べた。関西限定でかつ期間限定というから、関西以外のエリアの方にはあまり参考にならん情報かもしれませんが、これがなかないける。少なくとも「ロー×ン」の春の新作弁当みたいに細かな具が違うだけでたいして代わりばえのしないものよりもずっとよいぞ。リスナーとキャスターのアイデアをふんだんにとりいれてあまりコンビニ弁当にはなかった種類のおかずが細々と入っているからやろうね。今は給食が始まってへんので、外食ですますか弁当を買うかしかないから、毎日目先を変えて昼食を取らんと飽きてくるからね。
 「さくらプリン」は薄桃色のババロアの上にラズベリージャムと生クリームを乗せてあるデザートで、なんとなく桜餅の味がする。これもヒットです。そやけど、どう見ても食べてもババロアやのに、なんでプリン?
 しか、ラジオで小山乃里子さんが「ええのんでけたよー」と宣伝してるから「サンクス」に寄って買う気になったんやけど、だいたい私の通勤経路には「ロー×ン」は山ほどあるけど、「サンクス」はほとんどない。そやからこの弁当とデザートを買おうと思わなんだら「サンクス」には行ってないと思う。ラジオのリスナーというのは特にキャスターに親近感を持ってるから、なんか友だちがお店で自作の弁当なんかを作ってるのを買うような感覚になるのと違うかな。そういう意味では、今後もこうやって人気のあるラジオ番組とのタイアップというのをやっていくと一定の購入数が見込めるのと違うやろか。コンビニが店じまいするのをちょくちょく見かける昨今、生き残り策としてまだまだいろんな手を出してくるんやろうなあ。

 新掲示板のてなもんや、ぼちぼちと掲示板名を考えてくれてはる書き込みが増えてきました。ありがたいことであります。再開記念にぜひ足跡をつけていって下さいね。

4月12日(木)

 急に6月の気候になったりまた4月のに戻ったりして、体がびっくりしている。体調がよろしくない。変温動物の私にとっては、こういうのがいつも困る。なんかしょっちゅうこんなことでぼやいてますな。

 携帯電話用の「ぼやいたるねん」を閉鎖することにした。理由は簡単で、つまり更新でけへんかったからです。ここのサイトを画像抜きでそのまま表示できるんやったらともかく、両方のサイトを更新せんならんということになるんで、もともと無理があったわけです。もっとも、携帯用サイトを作った時はうまくいったらPC版のサイトを見られへん方にも楽しんでもらいたいという気持ちはあったんやけれどね。
 ただ、iモードを利用してみて感じたんは、携帯のサイトはやはり実用的なものでないと現状ではあんまり作っても意味がないんと違うかということやね。携帯電話はPC端末としてももちろん使えるけれど、基本的にはコミュニケーション・ツールとしての機能の方が高いのと違うかと思う。特にこのページみたいな読書サイトは、まだ携帯には適してへんのと違うかなあ。
 あと、やっと最近ではiモードとJ−PHONEの両方で共通して見られるサイトが増えてきたけれど、基本的には会社によって絵文字などの規格が違うから、インターネットみたいな広がり方が難しいという難点がある。ここらあたりはNTTドコモが突出して始めた上に電々公社時代の悪癖が抜けず、どうしても独占状態が当たり前で共通規格を作って他社と共存共栄を図るという発想がないのが原因やろうね。
 というわけで、いったん閉鎖はしました。そやけど、読書情報の提供という意味で「読書感想文」のみなんとかアップしてみたいなという気持ちも残ってはいるんやけどね。ただ、その手間をかける時間が今のところ作られへんし、精神的に余裕がない。まあ、少しでも余裕ができたらまた挑戦してみたい。そやから、トップページだけは残しておくことにした。「閉鎖しました」という文言が表示されるだけやけど。

4月13日(金)

 ここ1ヶ月半くらいでとうとう目薬を1本使い切ってしもうた。そらもうむず痒うてむず痒うてしょうがなかったからね。それにしても、この目薬の消費量は私としては驚異的。というか、これまでこんなに目薬をさしたことがない。普通、疲れ目程度やとそんなにしょっちゅうはささへんからね。一回封を切ったら1年以上もつのにね。
 目薬が切れても痒いのは治まらへん。そこで、新しいのを買う。そうたいして効き目が変わらへんのやったら、なるべく安いものを買おうと思い、店頭に並んでるいろんな目薬の中から「Vロート」を選んだ。買うてから箱を見ると、「Vロート」やなく「新Vロートプラス」という名前やった。そうか、「Vロート」も成分やパッケージを新しくするたびに名前を変えてきたんやなと感心した。
 まず「Vロート」に「新」をつける。さらに「プラス」を加える。となると、今度リニューアルする時はどうなるかな。おせっかいながら考えてあげよう。「ネオ新Vロートプラス」は語呂が悪いか。「新Vロートプラスエクストラ」は長いか。「スーパー新Vロートプラス」というのはどうかな。「新Vロートプラス&プラス」とか「新Vロートプラス
」とか「新Vロートプラスワン」とか「プラス」を加工するのも一つの手かもしれんな。「ベストオブ新Vロートプラス」やとアンソロジーみたいやな。「新Vロートプラスネクスト」「新Vロートプラスカスタム」……。
 つまり発想としてはタバコの新製品の名前の付け方をそのまま持ってきたらよろしいね。人気ブランドの名前を残しつつ、新しくなったことを強調するという方法ですな。ロート製薬はこの手のネーミングが好きと見える。いまや人気ブランド名となって定着した「パンシロン」にしてももともとは「シロン」という胃薬に「パン」という言葉をくっつけただけやからね。今ではもともとの「シロン」の方が忘れ去られしもうてるけど、新発売当時は「シロン」のリニューアル版という感じやったんやないかと推測している。その証拠に、ずいぶん昔に新しい胃薬を発売した時は「キャシロン」という名前をつけている。「シロン」という名前に対するこだわりがあったんやろうなあ。
 ともかく、新しく買うた「新Vロートプラス」は前の目薬ほど勢いよく減ってしまわへんように願いたいね。減りが速いということは、それだけ目の痒みに苦しめられる時期が続くということやからね。

4月14日(土)

 新しい掲示板の名前は宮本春日さんの考えてくれはったてなもんや囲炉裏端にしました。いろいろと考えて下さったみなさん、どうもありがとうございました。「囲炉裏端」のようにのんびりとした雰囲気で四方山話のできる掲示板にしていきたいですね。

 三波春夫さんの訃報に接する。享年77。最近歴史の本を出版したりしてまだまだお元気やと思うてたんで、驚いた。
 私たちの世代にとっては、「せんきゅうひゃくななじゅううねんの、こおんにいちいはあ」という歌声がまず思い出される。大阪万博のテーマ曲「世界の国からこんにちは」にしても、東京五輪のテーマ曲「東京五輪音頭」にしても、高度経済成長の時代にあの晴れやかな歌声がマッチしていたというてええんやろうね。
 それにも増して印象的なんは「お客様は神様です」という名言。浪花節出身で、ひたすらファンにサービスするエンタテイナーぶりは、人によっては鼻についたかもしれへんけれど、私は好きやった。歌がうまいということは、音程、発生の上にさらに必要なものがあると知ったのは「紅白歌合戦」で子どもの頃に聴いた「俵星玄番」で、これは実に印象的やった。
 私はベストアルバムのCDも持っておりますが、それよりも大事な宝物は「ルパン音頭」のシングルレコード。これはたぶんまだCD化されてへんはず。MDに録音して何度も聴き直している。B面の「銭形マーチ」も絶品。じつは、これは今年の京都SFフェスティバルの合宿企画として若い人たちに聴いていただこうと考えていた。時期外れにはなるけれど、追悼企画みたいになりそうやね。
 どんな変なCMでも実に楽しそうに出演していた三波さん。視聴者を楽しませるためには悪乗りに近いところまで平然とやってのけた大衆歌手。「国民的歌手」と呼べる人がまた一人、いなくなった。こういうタイプのエンタテイナーは、今後はなかなか出てこないように思う。
 今晩はあの晴れやかな笑顔を思い出しながら、植木等さんとのデュエット曲「新21世紀音頭」でも聴くとしようか。
 謹んで哀悼の意を表します。

 明日は「たちよみの会」。飛び込み参加大歓迎です。

4月15日(日)

 今日は「たちよみの会」。今月は海外SF同好会の湯川光之さんが参加して下さった。先月の中川さんもそうやけど、こうやっていろんな人が立ち寄ってくれはるのは嬉しいですね。残念なのは、いつものメンバーが風邪などでお休みやったこと。大澤@京大SF研前会長と3人でおしゃべり。SFセミナーの合宿企画の話などが中心。遅れて妻や原人@京大SF研さんに友人Yも加わる。「丸善」京都店はYA文庫の棚がだんだん拡充されていってるような気がするぞ。

 テレビ大阪やサンテレビといった関西ローカルのUHF局を見ていると、たまらんローカルCMが流れてくるんやけれど、昨日びっくりしたのは、ヨットの絵ばかり描いている画家の展覧会のCMやった。いや、内容はさほど驚くようなもんやありません。その画家の絵をスライドショーみたいにしてるだけ。驚いたのはナレーション。
「日高のり子です」といきなり名乗り、展覧会の説明をしたあと「私も楽しみにしています」と締める。なんでここに日高のり子さんが出てくるねん。彼女がヨットの絵が好きやという話は寡聞にして知らん。声優さんでは確かに日高のり子さんは知名度が高いし、ここで例えば「横山智佐です」とか言われてもたいていの人はわからんやろうからね。それはともかく、ここで日高のり子さんを起用する主催者か広告代理店の意図が私には全くわからへん。「楽しみにしています」という以上、彼女もこの展覧会に来るんやろうか。声優ファンをヨットの絵の展覧会に呼び込むつもりか?
 考えれば考えるだけ謎なCMであります。もしかしたらCMの担当者が単に日高のり子さんのファンやった、というような理由かもしれへんけれど。
 ローカルCMの世界はやっぱり奥が深いのでありますね。

4月16日(月)

 鞄の中に本を持ち歩く時、みなさんはどないしてはりますか。
 私は長いこと書店でもろうたカバーをつけて鞄にほりこんでいた。そやけど、カバーによっては色が落ちて鞄の中の他のものにつくこともあるし、カバー自体が弱くて破れ、ブックカバーまでいたんでしまうこともあった。
 最近のブックカバーはきれいな装丁がしてあるんで、あんまりいためたくない。妻は逆にブックカバーを外して本を丸裸にして持ち歩いている。なるほど、これはいいかと思い、最近は私もそうしている。本の本体、特に文庫本の場合、表紙の紙はあんまり丈夫やないから、へたをすると折れ曲がったりすることもある。ところが、本を読み終えてもともとのブックカバーをつけると、実にきれいに見える。
 本来ブックカバーというものは、本そのものを守るためにあるものやと思うけれど、こうやって読んだら、逆の意味で本の美しさが守られたりするように感じたりするね。
 さて、みなさんは本を鞄の中に入れて持ち歩かはる時、どないしたはります? たまに電車に乗ると、書店カバー派が多いみたいやけれど。なかにはブックカバーを裏返して本にかけてる人もいたりするね。
 そこで掲示板新装開店ということもあるんで、再開第2企画(第1企画は掲示板の名前募集でした)みなさんはどないしてはるか、
てなもんや囲炉裏端に書いてくれませんか。こういうささいなことが気になる性分ですんで、どういう人が多いか知りたいんです。ひとつよろしくお願いいたします。

4月17日(火)

 鞄の中の本について、てなもんや囲炉裏端には本日21時現在で「専用ブックカバー」派が1名、「裸本」派が1名と書き込んでいただいております。「専用ブックカバー」は私も使うてた時期があったんですけど、ビニール製のを使うていて本のブックカバーが専用カバーにべっちゃりと貼り付いてから使うのをやめたというようなことがあったのを思い出しました。bk1でもろた専用カバーは素材はよろしいんやけれど、本を鞄かなんかにつなぎ止めておく紐を通す金具がうっとしいので使うのをやめたなあ。重複してもかまいませんので、今後も書き込みをよろしくお願いします。

 河島英五さんの訃報にはびっくりしたなあ。享年48。若すぎるなあ。私は現在38歳。あと10年しか残ってへんかもしれんてなことを考えてしまう。よう考えたらあの地震の時に、人間いつどないなるやらわからんと思うたんと違うたか。テレビのCMから火がついた「明日があるさ」のヒットに元気づけられてる人は多いと思うけれど、ほんまに明日はあるかどうか、というようないらんことが頭をよぎる。体調が悪いとつまらんことを考えてしまうなあ。いかんいかん。
 それはともかく、河島英五さんであります。大阪在住の歌手ということで、地元ラジオ番組なんかにもよく出演してはって、なじみ深いキャラクターの人やった。ラジオというのは聞いているとキャスターの人たちが自分の友だちみたいに感じられるメディアやけれど、河島さんの場合、ゲストで出ていてもそれにしっくりなじむ感じやった。
 ただ、そのヒット曲に関しては、ちょうど10歳分のタイムラグがあって、ヒットした時期に聴いても私にはピンとこないところがあった。いや、今でも「野風増」にしても「時代おくれ」にしても私にはなんともピンとこない。朝、
ABCラジオの「おはようパーソナリティー道上洋三です」で続けて鳴らしていたけど、やっぱりなにも私には訴えてくるものがない。いわば、おっちゃんのメンタリティーなんですな。私には自分に子どもがいてへんとか酒で気持ちを紛らすという嗜好がないということとか、そこらへんと関係があるのかもしれへん。逆に言えば、私の精神年令が未成熟で子どものまま停止しているということなんかもしれへん。そういう意味では、全く違う文化を咀嚼するのには適した歌、やったのかもしれへんね。
 なんにせよ、まだまだ死ぬ年やなかったと思う。謹んで、哀悼の意を表します。

4月18日(水)

 久々にこの「ぼやき日記」を読んだ妻が、鞄の中の本について抗議を申し立てた。妻は鞄を開けるとその中から本を取り出して私に突き付けて見せるのであります。あら、本には書店のカバーがかかってるやおまへんか。そして、書店のカバーをむいたらそこには裸本の姿が! 「本にカバーをつけないなんて、本がいたむじゃないですか! 私にはそんなことはできないわ!」。つまり妻は「裸本」+「書店カバー」の合わせ技を用いていたのでありました。妻が読んでいる最中の本は常にブックカバーが外されてIMacのそばに置いてあるんで、私はてっきり彼女が「裸本」派であると信じこんでいたのです。ううむ、ブックカバーの使用法、なかなか奥が深い、かもしれへん。てなもんや囲炉裏端では「書店カバー」派が1名名乗りをあげておられますね。

 皇太子妃が懐妊したかもしらんというニュースで、政治家やタレントのコメントの中に「これでベビーブームが起こってほしい」というようなものがあった。私は右翼ではないけれど、これこそ不敬罪やないのかね。少子化は社会問題やというても、それは現代の社会構造がもたらしたものであって、それを解消するために皇室をだしにしたとして、それで根本的な問題が解決するわけがないやろう。皇室には皇室の事情があるし、雅子妃殿下は別に国民のために子どもを産むわけでもなかろう。そんなものに雅子妃殿下を利用するなんて失礼やないですか。
 そんなに少子化を解消したいんやったら安心して子どもが育てられる社会の仕組みを確立すべきでしょう。優生保護法の廃止という手もあるかもしれへんけれど、これはここで戯れ言のように書くような性質の問題やないので、そんな方法はとるべきやないとだけ書いておく。
 とにかく、皇太子妃の懐妊=ベビーブームの到来なんていう短絡した図式を描く能天気な言説だけは勘弁してもらいたい。タレントが適当に言うだけやったらまだしも、政治家が無責任にそういうことを言うもんやありませんぞ。

4月19日(木)

 いやもう次の総理は麻生太郎に決まりやね。昨日の日記で少子化について書いたけれど、麻生氏はこの件について「みながフグ田マスオさんになれば少子化は解決する」と断言しておる。夫が妻の実家に同居するだけで子どもがじゃかすか産まれるという理屈が私には全く理解でけへんぞ。失言総理の後釜にはこういうわけのわからん人物に座ってもらい、ますます日本を混乱の極みに追い込んで頂きたいもんです。なんかわけがわからんところでは森首相を超えてるぞ、麻生太郎!

 コンビニでまたまた新しい商品を発見。UHA味覚糖の「チョコラザウルス」であります。「チョコエッグ」に対抗して恐竜や古代生物のフィギュアがついたチョコレート菓子でありまして、フィギュア制作はもちろん海洋堂。単に恐竜のフィギュアのコレクションというだけやないぞ。全24種類の中にはなんと骨格模型まであるぞ。そのうえ恐竜の解説は金子隆一さんだ。もう菓子業界のミニチュアコレクションのマニア化の進み方は半端やないね。
 キティちゃんのアクセサリーがついているお菓子にしても、ペコちゃんポコちゃんの人形のついてるお菓子にしても、コレクターの存在を前提にして発売されている。トレーディングカードの流行も含めて、コレクションという行為が当たり前に存在する時代になったというべきか。コレクションという文化は、いわばマニアによってのみ支えられてきたというても過言やないと思うけど、それが普遍化しているという現実をどう見たらええもんか、とか思うね。お菓子のおまけというものは、昔はほんまにおまけという言葉がぴったりくるようなもんやった。これが「仮面ライダーカード」あたりから本物を意識したものになってきたように思う。それでもそういうおまけはごく一部のものでしかなったんやないかと思うけど、今は違うね。玩具のおまけにお菓子がついてるという感じやね。ここらあたりは
バンダイの菓子業界参入以後の現象やないかと思うてる。確証はないけどね。販売元の担当者がマニアックであるということもあるかもしれへんね。
 購買層が高年齢化しているということもいえるかもしれへん。そうなると目が肥えていて生半可なものはヒットしないんやろうね。
 となると、当然本来の購買層である子どももほんまもんを手にするということになるわけで、子どもというてもばかにでけへんほど目が肥えてくるやろう。彼らが大人になった時、いったいどのような購買層が形成されてるか……。おもろいことになりそうやねえ。あと50年くらいは生きてその時代を見届けたいもんです。
 それはともかく「チョコラザウルス」、恐竜だけやなしにオウム貝みたいなもんまで入ってるという徹底ぶり。全種類集めるかどうかはわからんけれど、いくつかそそられるものはあるんでついつい集めてしまいそう。いかんいかん。

4月20日(金)

 先日買うたCDが非常に面白かった。イリーナ・メジューエワというロシア出身のピアニストが録音したピアノ名曲集で、全5枚のシリーズ。バダジェフスカ「乙女の祈り」、ヨナーソン「かっこうワルツ」、ランゲ「花の歌」というようなピアノ初心者が必ず練習する小曲から、ウェーバー「舞踏への招待」、ワルトトイフェル「スケーターズ・ワルツ」、ショパン「別れの曲」、サティ「3つのジムノペディ」のようなポピュラー名曲、そしてジョプリン「ジ・エンタテイナー」、ガーシュウィン「3つの前奏曲」、アルベニス「タンゴ」のようなクラシック境界線上の名曲など幅広いレパートリーが収録されてる。
 メジューエワというと今年没後50年を迎えるメトネルというロシアの作曲家の作品をレパートリーの中心にすえ、ラヴェル、ドビュッシーら印象派以降のピアノ曲を得意としているピアニスト。好きな曲は澄んだ音でダイナミックな表現をするのに、気が乗らない曲は教則本そのままというよな優等生的演奏になってしまう。そういうピアニストがなんでこんな統一のとれてへんレパートリーのCDを録音したんか。
 これがまたびっくりで「音楽の友社」の発売しているピアの楽譜集とのタイアップ企画なんですな。つまり、その楽譜を買うて練習する人のお手本として録音したもんなんです。そやから、「レコード芸術」誌でもそんなにでかく宣伝してへんかったし、批評家からちゃんととりあげられてもない。CDショップでは「ピアノ曲」のコーナーには置いてへんで、「ホーム・ミュージック」のコーナーで見つけた。
 私はもう人選ミス以外のなにものでもないと思うたね。楽譜集のお手本とするには個性的すぎるし、メジューエワというすぐれたピアニストを便利屋扱いしてる。
 しかし、このシリーズはいわば掘り出し物。メジューエワがこれまでレパートリーとしてへんかった曲を録音させ新たな魅力を発掘してくれたし、通俗名曲の良さを再確認させてくれた。これが話題にならへんのは実にもったいない。
 別に頼まれたわけやないけど、私は宣伝したい。日本コロムビアの「DENON」レーベルでCOCQ83503〜7であります。こういうCDがピアノのお稽古のためだけに聴かれるのは実にもったいない。
 というわけで、今日は「おすすめ日記」でありました。

 明日は都合で更新できません。次回更新は日曜日の深夜になります。


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