ぼやき日記


5月11日(金)

パーティー風景
 昨日は「新野新さんの出版を祝う会」に。「日本芸能再発見の会」の会員ということで案内状が送られてきたので、身のほど知らずにも出席してしまいました。
 これまで「日本SF大賞・SF新人賞」のパーティーなんかには出席したりしてきたけど、これはまあその業界で一応それなりに仕事を続けてるわけで知り合いもまあまあいてるわけでいわば自分の世界の一環として参加できたし、気楽ではあった。そやけど、芸能関係のパーティーというのはやっぱり別世界です。「私、こんなとこにいててええんかいな」と思う。まあ、ちゃんと案内状が来てるわけやから、卑屈になる必要はないんやけどね。
 それでも目の前で(もう敬称略でいくよ)いとし・こいし、桂米朝、キダタロー、中村鋭一、大村崑、海原小浜をはじめとするそうそうたるメンバーが談笑したり食事をしたりお酒を飲んだりしているわけですよ。壇上であいさつしてる方たちの写真を撮っているすぐそばで金井克子、小山乃里子といった人たちが笑ってる声が聞こえてくるわけですよ。自分のいる空間と同じ場所にそういう人たちがいてるというだけで緊張しますわ。
 驚いたのは祝辞を述べる中に眉村卓さんがいてたこと。新野さんの交友範囲の広さを感じましたね。で、結局芸人さんにはとても話しかけられへんかった私も眉村さんにはご挨拶したりする。SF者はどこまでいってもSF者ですな。というか、自分の世界と重なる人がそこにいてるという嬉しさ、みたいなものもあったかな。もっとも、私みたいな三文零細書評家にとっては眉村さんも雲上人ではあるんやけれど。
 とにかく、どの方のスピーチも楽しかった。笑福亭鶴瓶さんと土谷多恵子さんの軽妙な司会でとても和やかな雰囲気のパーティーになったというところやね。新野さんはこういう華やかなパーティーを開くのは好きやないということらしいけれど、今回はミヤコ蝶々さんのことを書いた本ということで、その開催を了承したとのこと。いずれは芸能史をまとめた本を書き、再度こういうパーティーを開いてもらえれば、と語った。私は以前から新野さんに芸能史本を書いてほしかったから、その言葉が嬉しかった。その時は、またパーティーに参加できるよう、演芸研究の方も続けていきたいものです。
 ともかく、芸人さんたちの華やかさに圧倒されてしもうた一夜でありました。

 本日発売の『本の雑誌』6月号に「これぞ笑いのバイブルだ!」という記事を書いております。よろしければ御一読をお願いします。

5月12日(土)

ゴミ箱?
 さて、これはなんでしょう。貼紙にもあるように「ゴミ箱ではありません」。そやけどゴミ箱に見えるよねえ。
 実はこれは大阪市営地下鉄の駅で見かけたものであります。左側のディスプレイには地下鉄の案内が出て、自分の行きたい場所の最寄り駅やらなんやらがわかる仕組みになっている。で、右側のゴミ箱もどきは「プリンター」が正解です。写真ではわかりにくいと思うけど、でかい貼紙の上にもうひとつ小さい貼紙があって、そこには「これはプリンターです。物を捨てないで下さい」というようなことが書いてある。かなり前に書いたみたいで紙を貼っているテープはぼろぼろとなってしまってる。それでもプリントアウト口に物を突っ込む人はあとを断たんかったんやろうね。大きな紙に赤字で書いた上に文字一つ一つに二重丸を打っている。
 これを見て思い出したんは、明治初期の郵便ポスト。公衆便所と間違えて小便した人もいたという。まあ、そのケースは「郵便」というものが普及してへんかったから理解でけへんかったという事情があったから仕方ない。
 そしたら現在の大阪ではプリンターというものが人々に理解されてへんのかというと、そうやないやろう。これは、絶対に形が悪い。ディスプレイと別々になっている上に金属性の箱の上に口が開いてある。これはどう見てもゴミ箱でっせ。例えばディスプレイと一体型にするとか、プリントアウト口を下につけるとかしたらこんな貼紙をせんならんことにはならんかったと思うね。
 誰やねん、こんなデザインにしたん。たぶん駅員の人はそう思うて恨めしそうに貼紙を作ってるんやなかろうか。どんな便利な機能の物も、その機能を最大限に生かす合理的なデザインというものがないとあかんもんなんやねえ。
 実物をご覧になりたい方は、淀屋橋駅7番出口あたりに設置してあります。ほんまに貼紙なかったらゴミ箱やと思うぞ。

5月13日(日)

 転居に関係して「三井住友銀行」のA支店に口座を開かんならんことになった。私の自宅の割と近くにB支店、職場のすぐ近くにもC支店と「三井住友銀行」はある。ところがB、C両支店ではA支店の口座を作ることはでけへんというんですな。なんでやというたらA支店は旧「さくら銀行」の支店で、B、C両支店は旧「住友銀行」の支店。で、「三井住友銀行」の行員の方に聞くと、合併は前倒しで行われたんで業務はまだ統一されてへんというんですな。
 ちょっと待ってよ。それやったら合併してへんのといっしょやんか。看板はいっしょでも中身は別々て、そんなん意味ないと思うぞ。それやったら、たとえば旧「さくら銀行」は「三井住友銀行」とし旧「住友銀行」は「住友三井銀行」とするとか、看板にさくらのマークとバンクーをそれぞれの元の銀行に合わせて描いておくとか、ちゃんとわかるようにしてほしいよ。
 「三井住友銀行」のサイトを見て調べてみたけど、どの支店がどっちの銀行の支店やったかは書いてなかった。業務が別というんやったら、ちゃんとその旨書いておくべきやないのか。サイトで各支店の場所を確かめ、手持ちの区分地図(もちろん合併前)でどちらの銀行やったかを確認して、やっとD支店という職場から2駅ほど離れている支店を発見。なんでこんなに手間取らなあかんねん。
 ついでにいうと、「さくら銀行」は合併前は「三井銀行」と「太陽神戸銀行」の二つに分かれていた。今回「三井住友銀行」となったということは、「太陽神戸銀行」はどこにいったん?
 ううむ、「三井住友銀行」、何のために合併したんや。利用客のことなんかなんも考えてへん合併なんか意味ないぞと、ほんまに今日はぼやかなしゃあない。

5月14日(月)

 この前職場の健康診断があったけれど、その結果が帰ってきた。白血球の数値が高く、再検査の必要があるという。2年前も数値が高く、1年様子を見てから対応することになっていたけれど、昨年の検査で数値が下がってなんとか正常の範囲におさまっていたので安心していたら、また今年も増えていたというわけ。
 このところ体の調子の悪いのは私が変温動物で気候の変化に合わへんかったからやと思うてたけど、それだけやなかったみたい。
 しかし、白血球が多くなるというのは結局どういうことになるのかな。体に必要な菌まで殺してしまいかえって抵抗力がなくなるということなんかな。よく白血病は血液の癌やというでしょう。私の場合はまだそこまでいってないけど、気になるのは確か。仕事を休んで検査してもらうべし、なんやけど、修学旅行直前なんでやっとかんとあかん仕事がけっこうあるし、いろいろと転居に向けて手続きのための書類を揃えたりなんかもせんならん。精神的に落ち着かへんのですな。
 私は細かいことが気になる性格なんで、白血球の数値が高いのも気にかかる。まああれこれといろんなことを考えんならんもんです。それだけでしんどいわい。

5月15日(火)

 この前ラジオを聞いてたらインターネットの出会い系サイトの話題から、そのようなもののなかった時代の「出会い」はどうやったか、ということに話が移っていった。で、古くは文通、そして合コン、合ハイとリスナーの電話も交えて盛り上がっていった。合コンなんかは今でも盛んみたいやね。
 それを聞いていてううむと思うたんやけれど、私、いずれも経験がないんです。員数合わせという形でも合コンに誘われたことはなし。文通しようという気になったことなし。合ハイはもう私が学生の頃はすたれつつあった。
 だいたい私は昔から女性が苦手でもし合コンに出ていても場を盛り上げるようにはしゃぐことはあってもそこで知り合った女性といいムードに、というようなことは難しかったやろうなあと思う。それにしても、私をなんで合コンに誘う奴がいてへんかったんやろ。やっぱり私を誘うと女の子たちの人気が私に集まっておもろないと予想したからやろか。まあその気持ちはわかるけどな。
 アホなことをほざくのはこれくらいにして、やっぱり友だちづきあいが悪かったからかもしれへんな。人見知りするたちで、自分から話題を持ちかけていく方やないし。いっしょに飲みにいってもおもろないと思われてたんやろな。嫌われてたんかな。まあ、オタクな人としか話がでけへん人間やし。けっ。
 となると、合コンに行っても素敵な出会いなんかでけへんかったやろうなあ。それだけに合コンなるものにちょっと憧れる気持ちもあるのね。若い頃に一度でええからそういうものに参加できたらよかったな。私が学生時代に積極的に参加したのは同人誌活動とSFのコンベンション。あかんわ、これは。

5月16日(水)

 というわけで「三井住友銀行」D支店に口座を開きにいってまいりました。なんたることか。内装は深い紫と薄い桃色、つまり「さくら銀行」そのまま。それどころか新規口座開設の用紙には麗々しく「さくら銀行」と書いてある。必要事項を記入して窓口に持っていって「A支店の普通預金口座でお願いします」というと銀行員の人は「ええと、ちょっと待って下さいね。A支店は『さくら』やったかいな」と慌てて調べに行く。調べんでもええがな。私はこのD支店が旧「さくら銀行」やからわざわざここまで来たんやで。そやなかったら職場の近くにあるB支店に行ってるがな。
 もうこの現場のドタバタぶりでわかるね。名前だけ合併して実際はまだ別の銀行やということが。まあ、ATM機で預金を下ろす時に手数料がかからんようになったということくらいと違うかな。それやったら「第一勧業銀行」と「富士銀行」みたいに提携という形で別銀行のままキャッシュカードは手数料を取らずに使えるというようにしたらよかったんに。
 とにかく現場や顧客が混乱しているということを銀行幹部はわかってるんかいな。まずは提携、そして合併という手順を踏むことはでけへんかったんやろか。
 家に帰ってから手続き上のミスを発見して、明日からあちこちに電話をかけたりなんやかんやせんならん。転居のかたがつくまでこういう気ぜわしい日々が続くんやろうな。ああしんど。どこかで息抜きせんとやってられへんわい。

 というわけで、明日は息抜きしたりしますんで更新はお休み。次回更新は金曜深夜の予定です。

5月18日(金)

 昨夜はSF作家の林譲治さんと会食。新作の小説についていろいろと楽しいアイデアを聞かせてもらう。書きたいことがたくさんあって、止まらないという感じ。私もすごく刺激を受けた。久々に童話や小説に取り組んでいこうという活力を与えてもらった。よーし、やるぞお。転居の準備などで忙しい毎日だけど、なんとか時間を作って書くぞお。林さんに感謝!

 團伊玖磨さんの訃報に接する。享年77。死因は心不全。新聞報道では作曲家として「祝典行進曲」「ぞうさん」オペラ「夕鶴」が挙げられていたけれど、いやあ、「ぞうさん」は戦後上野動物園に寄贈されたインド象インディラを歓迎する歌やったんですね。知らんかった。團さんのような現代音楽の旗手でも食べるためには童謡を作らんといかんかったんかな、くらいにしか考えてへんかった。音楽の授業でそういうことを教えてもろてたら、またあの歌に対する認識も違うたのにね。いや「ぞうさん」は名曲ですよ。あの歌1曲だけでも團さんの名前は後世に残ると思うくらいやぞ。シンプルで親しみやすく、気持ちがほっとするような旋律。誰もが幼い頃に親しんだはず。
 エッセイ集「パイプのけむり」は読んだことがないけどタイトルの付け方がユニークなのが印象的。新聞にはぜひ全タイトルを一覧表にして掲載してほしかったぞ。「パイプのけむり」「またまたパイプのけむり」「まだまだパイプのけむり」てな調子でそのスタイルを変えずに最後までタイトルをつけ続けてたんですから。私は書店で背表紙をながめてるだけで楽しくなって、中身を読まずに満足した記憶がある。これは褒め言葉ですよ。タイトルだけで満足させるなんて普通の本ではできません。
 申し訳ないけど、「祝典行進曲」は行進曲としては古関裕而さんのどの行進曲と比べてもそれほどたいした曲やとは思わへんし、交響曲は現代音楽をあまり理解していない私にはどう評価してええかわからへんし、オペラは聴いてないからなんともよういわん。それでも、それ以上に「ぞうさん」の作曲家としてその作品が歌い継がれる、そのことが私には一番大切に思えるんやけど、どうやろうか。
 謹んで哀悼の意を表します。

5月19日(土)

 今日は仕事の後、梅田で職場の歓送迎会。開始時間よりもかなり早めに梅田に着いたんで当然ながら書店に寄る。例の『チーズはどこへ消えた?』という本はまだ売れてるらしく平積み。その横に『バターはどこへ溶けた?』という本が並んで積んであった。完全に『チーズ』の本のパロディで、前書きから全体の構成まで、そっくりそのまま真似た上で『チーズ』と全く正反対の結論を導き出してる。出るべくして出た本という感じ。私、こういうの好きやね。単なる便乗本とは違う匂いを感じる。
 昔『かもめのジョナサン』がベストセラーになった時に、『ニワトリのジョナサン』というのが出てたのを思い出す。『かもめ』が五木寛之訳なら、『ニワトリ』は青島幸夫訳というのもワサビが効いててよかったと思うんやけれど、惜しむらくは装丁がまるで似ても似つかぬものになってた。間違えて買う奴が出てくるくらいにせえへんとパロディにはならんよね。
 その点、『バター』は『チーズ』と版型も色調もそっくり。これ、『チーズ』の続編が出たと思い込んで買う人も出てくるやろなあと思う。読んだら正反対のことが書いてあって目を白黒させる、というような効果を狙うてるんやろうね。私はなんかもうただそれだけでつい2冊揃って手にとってレジに運びたくなって、それを抑えるのに苦労したぞ。『チーズ』は単独では絶対に買わへんし、買うなら古書店で安くで出てるのにするやろう。そやのに、ついレジに持っていきそうになる。『バター』の著者はどんな人かは知らんけれど、なかなかの知恵者と見た。あ、明日は
「たちよみの会」か。書店に行くぞ。せっかく今日欲求を抑えたのに、また刺激が与えられそうやなあ。買わんぞ買わんぞ。

 というわけで、明日は「たちよみの会」、興味のあるお方は一度のぞいてみて下さいね。

5月20日(日)

 今日の「たちよみの会」では「海外SF同好会 アンサンブル」の会誌「Void Which Binds」創刊号を購入。ぱらぱらとめくると翻訳あり、エッセイあり、海外SF紹介ありとバランスのとれた誌面だ。最初から飛ばし過ぎてるという印象がないのが好ましい。こういった活動はとにかくどんな形でも続けていくことが大切やからね。なんか生き生きとしてるメンバーを見てるとまぶしいなあ。私らの若い頃もこんな感じやったんかなあ。

 京大SF研究会にもめでたく新入会員が入ってきたとのことで、よかったよかったと言っていると、3回生組にはまだまだ彼らは満足できないみたいで「最近のSFファンはあんなんなんですかねえ」なんて言う。
 私はついつい自分たちの学生時代を思い出してしもうた。私がSFサークルに入会した時に、代表をしていた3回生の人が「最近SF研に入ってくるのはアニメファンばっかりで、ちゃんと小説を読んだり書いたりしたいというのがあまりにも少ない!」と吼えてはった。今思うと、その先輩が嘆いていた新入生たちは1962年生まれ、つまりSF関係者が最も多い年齢層のことをさしているんやねえ、これが。
 自分がアクティヴであればあるほど、それに着いてくるものが頼り無く感じられるのは今も昔も同じこと。いつだって大人たちは「今時の若い者は……」と嘆くものと相場が決まっている。私は最近の若いSFファンはひと頃のことを思うとなかなか健闘していると感じているんやけれどね。まあ、学校のクラブやサークルの場合、年ごとに多少の波はあるもの。なんだかんだいいながら、世代は交代していくし、前の世代がしっかりしていれば、新しい世代はまた違った形で新しいものを作っていくはず。
 いやしかし、結局時代は変わってもなんか同じことが繰り返されてるみたいで微笑ましく感じたりしたのでありました。


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