ぼやき日記


6月2日(土)

 昨日は修学旅行の打ち上げで、お酒をのむから電車出勤。久しぶりやねえ、満員電車は。で、電車の中で文庫本を広げて読む。ぎゅうぎゅう人が押してくるから、本は目の間近に。私はかなり強い近視やから近くにある方が読みやすいはず。
 ところが!
 なんちゅうことやろう。字がぼけて読まれへんねん。混んでるにも関わらず無理をして手をのばして目と本との間を広げる。読まれへんねん。これって……老眼?
 ごっつショックやね。そらまあ38歳、数えで40。近視のきついのは老眼も早く出やすいと聞いたことはある。いつかはくるとは思うてた。そやけどなあ、こうはっきりと「老眼」と事実を突きつけられるとやっぱりきついよお。
 かくなるうえはと眼鏡を外してみる。目の前の字はくっきりと見える。ちょっと乱視が入ってるから若干ぶれて読みにくいけど、ぼけて読まれへんのよりはずっとまし。遠近両用眼鏡がいるんかなあ。なんか「老眼」と感じただけでめちゃくちゃ年をとったような気がするね。老け込むつもりは毛頭ないんやけれど。
 まあ、近くで読みにくい時は眼鏡を外して読んだらええだけのこっちゃ。そやけど、いちいち外して読むのは面倒やなあ。
 今のところ自覚したのは昨日の1回だけやから、まだ不自由はしてへんのやけど、意識し始めたらよけいきつく感じるんやろうな。うう、老眼かあ。同年代のみなさん、どないですか? そろそろ出始めてるんと違いますか? 私だけやないはずや、そうやろ? そうやろ?

 明日はオフ会の都合で更新できません。次回更新は月曜深夜の予定です。

6月4日(月)

 昨日は神戸でオフ会。高野史緒さんが神戸にくるということがケダちゃんの掲示板で発表(?)され、りえさんがセッティングしたもの。参加者はほかにiTさん、空耳博士さん、ryokuさん、そして妻と私。
 私は京フェスで高野さんとryokuさんはお会いしてるけど、他の方とは初対面。しかし、フランス料理のコースということもあって、みなさん大人の方ばかり。いい雰囲気のオフ会でありました。
 神戸は一昨年の「ルミナリエ」以来。三ノ宮で降りて南京町をぶらぶら。これから会食やというのに無性に食べ歩きがしたくなる。海老団子を買う。こんなことを全世界に発信したって仕方ないか。昨年の夏に行った横浜の中華街とはまた違った雰囲気。南京町の方ががやがやしてて個人的には好きかな。いきなり若いカップルに「シャッターを押して下さあい」と頼まれたりする。人形の横に立って同じポーズをするところなんか微笑ましいなあ。私らああいう写真ないのよな。めちゃめちゃ気恥ずかしくてようやらんかったからな。
 お店には早めに着いた。一番乗りで、真ん中の席に行くのもなんやから端っこに二人してちょこんと座る。そやのに、料理が来たらまず一番最初に差し出されるのは私たち二人。つまり、私たちはなーんも知らんと上座に座ってたんだ。非常識な夫婦でありますね。ものを知らんということはそれ自体が罪やと日頃ふかしている私でありますが、まさにその通り。みなさんはお気をつけ下さいね。
 だぶって買うたCDを何枚か持っていく。むろんクラシック。ご参加のみなさん、クラシックが好きな人が多く、ありがたいことに持っていったCDはみんな引き取ってもろうた。りえさんは東京でギドン・クレーメルとジェシー・ノーマンのコンサートに行ってきはったばっかりやそうで、その話をしてくれはった。高野さんのフランス話やら空耳博士さんの「男性のカツラを女性が笑うのはセクハラやと思う!」という断固たる怒りやら、話は弾んであっという間に時間か過ぎていった。
 これからUFOキャッチャーの腕前を見せてやろうという空耳博士さんの妙技にも興味はあったけど、時間が遅くなり過ぎると電車がなくなるんでお先に失礼したけれど、あんまりオフ会なるものに参加せえへん私たちとしてはとても楽しい一時でありました。
 煽動役の高野さん、実行役のりえさん、そして参加者のみなさん、ほんまにありがとうございました。

 明日は都合で更新できません。次回更新は水曜深夜の予定です。しかし、ここんとこ、更新は一日おき。遊び歩いてるというわけやないんやけれど、遊び歩いてるようなもんやな。ここらあたり、微妙なラインでありますが、なんか毎日あれやこれやと用事がある。なんでかな。

6月6日(水)

 入梅ですな。原チャリ通勤の私には毎年憂鬱なシーズン。ベランダに合羽の干してない日はない、というようなもんでね。今朝なんか犬と猫が同時に暴れまわっているというような大雨で、合羽の袖口から雨水がしみ込んだりなんかしてじとじと。原チャリを屋根のある自転車置場に停めて脱いだ合羽をかけておくと、濡れたところはそれなりに乾いてはいるんやけど裏地にじんわりと湿気がたまり、帰りに着る時には合羽全体がじとっとしていて着心地の悪いこと悪いこと。しばらくは辛抱せねばなるまい。

 通勤で思い出したけれど、毎日私が通う道筋に建売の分譲住宅地が新たにできている。もとは何が建っていた土地か知らんけれど、狭い地所に数件の家を詰め込んだ建蔽率いっぱいいっぱいてな住宅が並んでいる。いずれも間口の狭い3階建ての住宅で、栄養失調のもやしみたいにひょろりんとした家ばかり。
 この住宅の売り文句が「カナダ直輸入! 格安物件」というもの。格安はよろしい。材木を直輸入してるから安いんでしょう。そやけどなあ、このもやし住宅を見たら、カナダの人は怒ると思うぞ。私はカナダに行ったことがないから知らんけれど、テレビや雑誌などの写真で知るカナダは広々とした土地にゆったりとしたつくりの住宅、というイメージですわ。間違っても日本式の庭も何もあったもんやないテトリスみたいな宅地は見たことがない。この看板やったらカナダにある住宅を移築したみたいな印象を与えるやないか。
 業者に文句を言うたらきっと「材料がカナダ直輸入で間違いは書いてない」と反論するやろうね。そんな気がする。あくまで推測やけど。
 デザインはこれがカナダ風やと言われたらそんなもんかいなと思うような感じ。それにしても、この住宅を見て「おおこれがカナダ直輸入の家か!」と思う人はいてるんやろか。いてるんやろな、きっと。疑うことを知らんような人って、実は割とようけいてるということを最近とみに感じるもんで。そやけどなあ、あのもやし住宅がカナダ直輸入ですか。デジカメで写真を撮ってロバート・ソウヤーさんに確認してもらおかしらん。まあそんなアホなことにつき合うほど暇やなかろうな。

6月7日(木)

 いやもう驚いた。今朝の新聞を読んだら小さい見出しやったけど「ワッハ上方 閉鎖の危機」とあるやないか。正式名称は「大阪府立上方演芸資料館」。横山ノック知事の功績の一つ。展示してある資料はもちろん、保存されてるビデオなどのライブラリー、上方演芸の殿堂としてかつての名人たちを顕彰するコーナーなど、上方文化を伝えていく貴重な施設なんである。しかも、ホール、練習室などが備わっており、これまでお寺などを借りて勉強会を開いていた若手芸人たちにとっても大切な場所や。
 確かに赤字やということは聞いていた。ホールなどを借りる料金が値上げされた。自主公演が開かれたりして、危機を打開していこうとしているという動きもある。
 年間5億円の赤字が府の財政を圧迫しているということやけれど、文化事業を切り捨てることの重みを府の行政改革室はわかってるんか。例えば政府がいくら赤字やからというて国立文楽劇場を閉鎖しますか。そんなんしたら非難の的になるやろう。「文楽は芸術だが、演芸は娯楽だから切り捨てていい」とは決して役人の一存で決めてはならんことやと思う。私は「ワッハ上方」は大阪府が全国に誇っていい施設やと思うている。「娯楽」でしかない「演芸」の資料を集め後世に伝えていく、若手の芸人に発表できる場所を用意する。これができるのは大阪だけやないか。
 確かに「ワッハ上方」は資料館としてはまだまだ不備もあるし、誰もが楽しめる施設とは言いにくいところもある。そやけど、そこは演芸に理解のある職員を揃えるなどしてなんとかできる範囲のことやと思う。まずこういう入れ物がなくては何も残らへん。維持していればこそ、なにか必要になった時に困らんですむ。
 私は微力ながらなんとかしたい。そこで、全国の演芸ファンのみなさんにお願いがあります。大阪府のホームページに知事室への直通メールを送るコーナーがある。太田知事に直接誓願をして、なんとか閉鎖しないようにしてもらうしかない。大阪が世界に誇る文化施設を閉鎖しないでほしいと抗議するのに協力してほしいのです。もちろん私はメールを書く。もしよかったら、一人でも多くメールを送って下さい。閉鎖を食い止めるために、少しでも何かやりたいのです。ほんまに、大阪府は文化というものをないがしろにしてほしくない。少しでも閉鎖反対の声が知事のもとに届けばええんやけど。

6月8日(金)

 いくらなんでも精神安定剤を10回分も一度にのんだらあかんぞ。幻覚が見えても抵抗できない子どもを殺したらあかんぞ。そういう正常な判断がでけへんようになってるんかもしれへんけど。
 私は軽い不安神経症で一応精神安定剤を服用している。知人にもけっこう服用している人はいてる。まあいえば現代人にとってはよほど図太くなかったら生きにくい世の中ですからな。私みたいにあれやこれやとくよくよ考えがちな人間にとっては、何かに押しつぶされずに生きていくのはほんまに難しい。プレッシャーがきついと、薬をついよけいに服用したい気持ちに駆られる。そやけど、それをしたら私は自分が完全に薬に依存してしまうのやないかと思い、踏みとどまっている。安眠できるようにと寝る前にのむよう処方された薬もある。これは酒をのんで酔うてる時にはのまんようにしている。酒の効用である程度神経なるものも落ち着いてるし、熟睡もできるし。そんな時にかえって薬なんかのんだら起きられへんようになるんと違うかと気になるくらいやね。
 まだ第1報しか知らんので、事件の詳細にはよう触れられへんけれど、精神安定剤をのんでるということは、専門医に診療してもろうているということやな。あくまで推測やけれど、犯人はその医者を信頼し切ってへんかったん違うやろうか。精神科の医師、あるいはカウンセラーに相談する時は、どんな恥部でもさらけだす勇気がいる。そうせんと、適切な診療はしてもらわれへんからね。そのためには先生を信頼せんとあかん。犯人は医師よりも薬に頼ってしもうたんやろうか。そんな気がする。
 なんにせよ、やり切れへん事件。自分も薬をのんでるだけに、自分の神経なるものとうまくつき合うていかんとあかんと肝に命じている。犯人はなんで10回分も一度に薬をのむようなまねをしたのか。私なりに知りたいところやね。それは、私にも返ってくることでもあるからね。

6月9日(土)

 今日は祇園の花見小路で実家の家族と会食。祇園も年々様変わりし、一見さんお断りという店の中に混じって我々でも利用できるような店が見られるようになった。まあ、私らには茶屋遊びなんか全く縁のないもんなんやけどね。
 そのあと、東山界隈を散策。町並みがなんかほっとさせる感じ。古い家が多いからなんやけど、人が昔から生きている、その変わらない営みを感じさせるものがあるからかな。ところどころ路地があり、入り口には何軒かの表札が並んでかけてある。路地の奥に入ったらぽっかりと空間があり、家があり、家に入るとその奥に坪庭があったりする。狭い空間を生かしてなにか余裕のある生き方をしている、そんなものを感じる。
 京都の中心がバブルの時期に町家を壊してマンションやビルを建てた。静かなたたずまいの中に妙に浮いた感じで背の高いビルがぽこぽこと建っている。今日歩いた東山界隈からは、その難から逃れたような印象を受けた。
 たまにはこういった町並みを眺めながら歩くのもいい。父や母や妹たちや妻となんということもないことを喋りながら。癒しというのは、こういうのをいうんかもしれへんなあ。それは意識して作るんやなく、こういう時になにげなくもたらされるもんなんやと思うのだ。ここのところ気持ちのしんどい日々が続いたけれど、今日の散策で少し生き返ったかもしれへん。

6月10日(日)

 林譲治さんといっしょに京都へ取材に。昨日も京都、今日も京都。今日は北野天満宮から北野白梅町、そして立命館大学と歩く。京都を舞台にした小説を書くので、土地カンのある私が案内する形になった。立命館の「国際平和ミュージアム」で『手塚治虫展』をしているのを発見、2人して見に行く。
 原画や販売グッズなどは宝塚の『手塚治虫記念館』のものを持ってきているようやけど、私が注目したのは『メトロポリス』の原画。「てなもんや囲炉裏端」でかげぼしさんが「角川文庫版の『メトロポリス』は絵が汚く見にくい」という発言をしてはって、それは赤本時代の手塚作品が「書き版」と呼ばれるトレース製版やったからで、元の原稿が残ってたら新たに写真製版で版下を作り直せるんやけど、たぶんちゃんとした原稿は残ってへんのやろうなと私は返事をしたわけです。で、そうは返事したもののそれが間違いやったらどうしようと思うて確認したかった。図らずもそのチャンス。目を凝らして展示してある原稿を見る。終戦直後のものとは思われへんきれいな紙、下書きや修正のあともない。コピーです。あきらかにコピーです。ということは残念ながら元の原稿は残ってないということやね。
 その他、手塚作品の海外てに翻訳された単行本が陳列されていて、『アドルフに告ぐ』はスペイン語、イタリア語、フランス語の翻訳はあったけれど「さすがにドイツ語版はないですねえ」と林さんが気がつく。
 取材に行って何してるんですかと思われそうやけど、取材には遊び心が必要。暑い中よう歩いたけど、いろいろと収穫のあった1日。さあ、書くぞお。


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