ぼやき日記


10月21日(日)

 昨日まで書評についてだらだらと思いつくままに書いてきたけど、その間に書評とは全く関係のない仕事が入ってきた。
 光文社「週刊DIAS」で「阪神タイガース岡田監督待望論」という特集を組むのでコメントが欲しいというメールがきたんですわ。原稿用紙2枚分書いて送りました。来週月曜発売やというんで、どういう形で掲載されているかは現時点ではわからへんのやけど、タイガースに関するコメントという依頼はこれが初めてなんで張り切って書いた。立ち読みでかまいませんので、お読みいただけたら幸い。
 書評以外の仕事が入るというのは私としては仕事の幅を広げていくにはいい機会やと思う。特にタイガースやからね。こういった情報誌なんかからちょくちょく仕事が入るようになると嬉しいんやけどなあ。タイガースがらみの仕事がもっとくるとありがたいなあ。
 そういう話を「たちよみの会」でちょろっとしたら、せんちゃんが「相撲の仕事もきたらええのにな。『週刊ポスト』とか」てなことを言う。ほたらなにかい。私は「貴乃花は八百長をしていた! 書評家喜多哲士氏が激白!!」てなことを書かなならんのですかいな。そんなあほな。
 いやしかし、週刊誌でのお仕事は初めて。これがきっかけになるのかどうか、まずは来週月曜発売の「週刊DIAS」での扱いがどないなってるんかを楽しみに待ちたいところですな。

10月22日(月)

 昨日出勤したので今日は代休。原稿書きの仕事が詰まっているのでひたすらパソコンに向かう。原稿の資料として20年以上前に買うたアニメのムックを引っ張り出して読んだりもしてたんやけれど、これが使えへんのやね。
 まあいうたらオタク文化が形成されつつある時期の産物でありまして、まだ編集者がオタクの需要をつかみ切ってへんという感じがする。古いアニメのムックやのに当時のスタッフと関係のない人が描いたと思われるカラーグラビアばっかり。ビデオが普及してへん時代やからフィルムストーリーがわんさと入ってる割にデータベースの部分は各回のサブタイトルと脚本家と演出家と放送日くらいしか書いてへん。各回のストーリーやインタビューは付け足し程度。当時のアニメファンはよくこれで満足してたなあ。
 たぶん今はその当時のアニメファンが編集者になったりしていて、オタクのツボを心得ているんやろうね。必要なものをきめ細かく網羅している。だいたい本の厚さが違うし活字のポイントが違う。昔のムックはやたら字がでかい。
 そんなムックでもなんとか必要な情報を拾い集めて原稿を書く参考にしている。もっとごっつくわしい手塚アニメ研究本があったらなあ。特に虫プロ以外の製作会社が作った手塚アニメに関する資料が欲しい。もっとも、今から企画していただいても現在書いてる原稿には間に合わへんのやけど。
 それにしても20年というのはやはりかなりの歳月ではあるね。今やったら雑誌の特集記事の方が昔のムックよりもよほどくわしかったりするもんなあ。それだけオタク需要が増えているということか。

10月23日(火)

 勤務先では劇の台本を書き、帰宅したら原稿を書いたり資料を読んだり。新刊書まで手がまわらん。もっとも、その原稿というのは某SFJ誌掲載用の手塚治虫特集の原稿で、資料というのは手塚漫画であります。仕事のために手塚漫画を読み直しているわけで、こんなに楽しいことはあらへん。仕事が苦にならへん。何が幸せというて手塚漫画を読んでいる時と妻といっしょにいてる時ほど幸せなことはない。どさくさにまぎれて何を書いておるのか、私は。
 しかし、「ブラックジャック」22冊一気読みやとか「三つ目がとおる」13冊一気読みやとか「鉄腕アトム」23冊一気読みというのはさすがに気力体力を消耗いたします。密度が濃い。夢中で時を忘れてしまう。無理矢理読むんやなくぐいぐいと読まされてしまうんやから、もうたまらんのです。
 原稿には締切りというものがございますからね。とにかくひたすら読み、書く。本業を休んで書きたいところなんやけれど、そちらはそちらで劇の台本を書いているわけで、これもまあ締切りはある。おいそれとは休まれへん。先週は休んだけど。あの休みで台本書きのスケジュールもかなりタイトになった。
 で、書きものが一段落したらこうやって何の役にもたたん文章を垂れ流している。つまり私は何かしら書いてばっかりいるんやね。それは好きなことやから苦にならへん。これ、一日中走ったりということやったらすぐに挫折してるぞ。どんなにきついことでも好きなことやったらなんとかできる。我ながらわがままな仕事の仕方をしているな。

10月24日(水)

 今日も今日とて台本書きと原稿書きにいそしむ。小説を読んでへんので「読書感想文」も書けません。どないしたものやら。

 今年の夏は暑くて汗かきの私は往生した、というのはこの日記にも書いた。で、秋がくると涼しくなってあんまり汗をかかへんようになった。ところがやね、夏にあれだけ汗をかいていたということは、私の代謝機能は特段に上がったということで、汗をかかへん季節になったからというてその機能が低下したわけやない。
 汗はどこに消えたかというと、小便と化してしもうたのであります。とにかくトイレが近い。ちょっと油断してるとたちまち膀胱がぱんぱんにふくらんで体中むずむずしてくる。小さい子どもは代謝が激しい上に膀胱が小さいのでしばらくトイレに行かれへんという状況が予想されると、とにかくトイレのある場所では行きたくなくてもトイレにつれて行かんならん。今の私はそれに近い状態やね。
 寝る前にトイレに行くのをさぼると夜中に目が覚めてトイレに行かんならんし、仕事から帰る前にはさっき行ったばっかりでもトイレにいっておかへんと家につく直前にはもう股ぐらを押さえんと歩かれへんというようなことになってしまう。
 どっか病気なんかなあ。ええかげんほったらかしにしといたらどうなるやわからんかな。ほんまになんかもうむちゃくちゃです。トイレに行くたびに水分を補給したくなってお茶をがぶがぶ飲んでしまう。よけいにトイレが近くなる。なんとかならんか。
 今日は尾籠な話ですんません。ビールを飲みながら読んではる人がいたらはり倒されるかわからんな。

10月25日(木)

 本日、ヤクルトスワローズ日本一決定。大阪近鉄バファローズはたった1勝しでけへんかった。大阪ではけっこう盛り上がってたけど、東京中心のメディアでは「盛り上がりに欠ける地味な顔合わせ」という認識があったらしい。
 実は、バファローズが1勝しかでけへんかったんと盛り上がりに欠けたのには共通の理由があると思う。それは、日程やと思う。
 バファローズが優勝を決めたんは9月26日。スワローズが優勝を決めたんは10月6日。日本シリーズの第1戦は10月20日。バファローズは優勝してから19日も、スワローズは14日もたってから日本シリーズが始まったことになる。
 スワローズの場合、日本シリーズ経験者がかなりいて調整方法などを知っているのとまた決定後も消化試合をしているので比較的待たずにすんだけど、バファローズは初出場の選手が大半な上に消化試合も少なく調整は難しかったやろうと思う。
 そのうえこれだけ日程があくと、ファンであってもリーグ優勝の興奮はさめてしもうているやろう。ファンでないものならなおさらですわ。
 提言というほどだいそれたものやないけど、日本シリーズは優勝決定後1週間くらいで行ってほしい。まだ世間の関心があるうちに、そして選手の緊張感がとけないうちに。いくらなんでも3週間近くも試合があいたら選手もファンも間延びしてしまう。
 消化試合はダブルヘッダーをがんがんやって早く終わらせたらよろし。それに今はドーム球場が増えて雨中止でずれた試合の予備日をそんなに作る必要もないやろう。
 米メジャーリーグの優勝決定戦の日程はけっこうタイトやけれど、優勝が決まったら次の試合をすぐに行う。そやから日本の報道陣も連日イチローの活躍を報じて盛り上げることがでけた。あんだけ広いアメリカでそれができるんやから、狭い日本ででけへんわけがないやろう。
 もしバファローズの選手たちがこれほど実戦から離れてへんかったら、もっとお得意の打撃戦を見せてくれたと思う。日本プロ野球機構はドラフト制度の改悪なんかしてへんで、日程の改革をぜひしてほしいもんやね。

10月26日(金)

 やっとのことで学校劇の台本ができた。ストーリーはたわいのないものやけど、生徒の個性を生かした演出で、見て楽しい劇にしたい。養護学校の場合、おおまかなストーリーだけ作っておいてそれに基づいてキャスティングをし、それから台本を書くという手順でやるとそれなりに楽しめるものができるというコツみたいなものがだいたいつかめてきた。そのためには一人一人の生徒の個性をしっかりとつかんでおかんとあかん。毎年台本は書いているけど、なかなか満足のいくものはできませんな。
 もっとも台本は叩き台で、練習をしていくうちに個々の生徒にできることでけへんことがわかってくるから、できあがった舞台は最初に考えてたものとはかなり違ってくる。舞台発表まで1ヶ月ちょっとある。さて、どんな劇になるのか今から楽しみやね。
 で、帰ったらまた原稿の続き。この土日でなんとか仕上がりそうやけど、それが終わったらまた他の原稿を書かんならん。いつになったら本が読めるのやら。明日は所用で外出するんで、とりあえず電車の中では読めるなあ。

10月27日(土)

 イチロー選手の「国民栄誉賞」辞退は近来にない快事ですな。小泉パフォーマンス政権が「テロ防止法」やら「構造改革」で下手を打っているのに対してここでなんとか人気挽回の一手として出してきたもんやと思うけれど、そこらあたりのうさんくささを見透かしてるんと違うかね。
 私の勝手な推測やと、もしこれが昨年までやったらイチロー選手は賞を受けていたかもわからへん。特に阪神淡路大震災の直後やったら、気持ちよく受け取っていたやろうと思う。あの当時はオウムオウムで大震災のことなんて吹っ飛んでしもうていたから、「被災者に勇気を与えた」という名目やったら「これでまた被災者に目を向けてもらうきっかけになる」という気持ちになってたんと違うかな。ところが、日本にいてる時はどんなにええ成績を残しても知らん顔やったんに、日本を離れてから急に騒ぎだし賞までやろうというあたりに「そんな賞はいらない」という気持ちになったんと違うかな。
 イチローが辞退したということで、今後はおそらく辞退者がさらに出るように思う。こうなったらノーベル賞みたいに毎年選考会を開いて受賞者を決めるというようなことをしたらどないや。それも生存者受賞に限るとかいうことにしておいて。該当者なしという選考結果もありやろう。そないしたら、この賞につきまとう政治的なうさんくささもいくぶん薄まるに違いない。
 いやしかし、イチローは偉いなあ。こういう自己主張ができるところがほんまに凄い人物やと思うなあ。

10月28日(日)

 やっと某SFJ誌の原稿を脱稿。かなりきつい仕事やっただけに、今はもうほっとしております。これで長い間ほっていたあれやこれやができる。ありがたいことです。
 そのうちのひとつ、散髪にもいく。実は引っ越して約2ヶ月、頭はほったらかし。忙しかったというのもあるけれど、理容室を探すのに時間がかかったというのもある。前に住んでいたところには腕のいい理容師さんがいる床屋があって、そこにいけば安心して頭を任せられた。引っ越すと困るのはこういうところの開拓ですな。特に髪は切ってしもうたらやり直しがきかへん。失敗を覚悟であちこちまわってなじみの床屋を決めていくしかない。
 今日行ったところは家に一番近いところ。内装は美容院みたいでおしゃれ。あんまりおしゃれやない私はちょっと気後れして店にはいる。理容師は2人いていずれもかなり若い。嫌な予感がする。一人がベテランで一人が若いという場合は、ベテランが指導して若くても腕がよかったりするけど、2人とも若いということはその機会がないということやからね。
 で、整髪してもろうて家に帰り、私の頭を見た妻が一言「そこ、やめとき」。そうやねん。私かて髪を切ってもろうてる感触でわかった。髪の上っ面はきれいに切るけれど、中の方はあまり丁寧にしてくれへん。これ、しばらくして髪がのびたらすぐにぼさぼさになるよ。前のところは多少のびてもうまく髪がまとまるようなカットをしてくれた。
 まあ、もうしばらくして髪がのびたら他の理容室にも行ってみよう。別にすぐに引っ越す予定があるわけやない。それどころかかなり長く住むことになると思う。時間はある。これだけはそうかんたんにいいところは見つからんということを経験上よく知ってるからね。

10月29日(月)

 ここのところずっと手塚治虫の漫画ばっかり読んでたんで、録画してあったアニメを見ても新刊の小説を読んでも「ここが手塚と違う」「あそこが手塚と違う」みたいな読み方しかでけへんので困っている。しばらくヤングアダルトは読まれへんなあと思う。「戦う」ということひとつとってもスケールが違う。「悩む」となるとその悩みの深さが違う。これでは何も読まれへんがな。うわあブッシュ大統領の顔写真を新聞で見るとスカンク草井の顔が重なって浮かんできたぞ。ただし「ブラックジャック」に登場したスカンク草井の顔やけれど。ううむ、ちゃんと頭のスイッチを切り替えへんと次の原稿にとりかかられへんぞ。

 それにしても清原選手にはがっかりさせられた。大山鳴動するかするかと見せかけておいてぴくりと動きもせず、か。FAせえへんのやったら日本シリーズ前に「FAしません」と宣言しなさい。「日本シリーズをやってるのに迷惑をかけたらあかんから、結論はシリーズが終わってからにします」というからには当然FAしてスポーツ新聞を騒がせる気なんやと思うていた。別にタイガースに来てほしかったわけやないけど、清原がジャイアンツを見捨てることよって球界が変わると思うてたからね。ほんまにつまらん選択をしたもんです。
 こうなったら、FA宣言した選手全員にジャイアンツを無視してもらうしかないね。今のままではFAはジャイアンツのために作られたということになってしまう。できたら有力選手はとことんパ・リーグにFA移籍してほしいところ。とにかくこんな調子ではジャイアンツ依存という球界の体質はいつまでたっても変わらへんぞ。清原は一番株を上げるべきところで勝負を避けたな。なんかおもろないぞ。

10月30日(火)

 今日発売の「週刊朝日」に携帯電話へメールを送ると自動的に大阪弁に変換してくれるプログラムというのが紹介してあったんで、ものは試しと友人にそのシステムを使うてメールを送ってみた。ことは簡単。×××@docomo.ne.jpのneの部分をne3にして送ったらええだけ。
 「岡田監督待望論は来週号に延びたそうです。もしかしたらサッチー脱税で野村辞任の情報をつかんでタイムリーな記事にしようとしてるのかもしれないね」と書いて送る。これがどう変換されたかを友人は送ってきてくれた。「岡田監督待望論は来週号に延びたそうや。もせやけど、あんさんたらサッチー脱税で野村辞任の情報をつかんでタイムリーな記事にしようとしてるのかもしれへんね」となっている。なんですか「もせやけど」て。なんで「あんさんら」が出てくるんや。
 よくよく字面を眺めると「しかし」を「せやけど、あんさん」に自動的に変換してるんやね。「もしかしたら」という文節の中の一部分だけが自動的に変換されてるからこういうけったいなことになる。「です」は「や」に、「ない」は「へん」に変換されてるわけやね。英文の翻訳ソフトもそうやけれども、こういう機械的な変換にはやっぱり限界があるなあ。
 辞書ソフトのATOKには大阪弁辞書機能がつくんやてね。私はこの日記では大阪弁モドキを使うてはいるけれど、大阪弁自体、船場と和泉と河内と摂津ではかなり違うから、何をもって大阪弁というか、いわゆる標準大阪弁なんかないし、辞書にしても全てを網羅するわけにはいかんやろ。私の場合、語尾なんかは無変換で書くし、たとえみょうちくりんな変換をされても再変換するのをわずらわしいとは思わへんから大阪弁辞書機能はそれほど食指はそそられへんなあ。だいたいMacintosh搭載の「ことえり」は標準語でもけったいな変換をしよるからね。手間はいっしょです。

10月31日(水)

 書店で本棚を何気なく見てると、背表紙に書かれたタイトルなど流して見てしもうて別に手にとろうという気にもならへんしどんな本があったかも記憶に残らへんことが多いのに、時折向こうから私の目に入ってきて気がついたらその本を棚から抜き出していることがある。
 これはもう「本が私を呼んだ」としかいいようがない。そうやって手に持った本を、私は書棚のもとの場所に返すことなんかでけへん。
 昨日、うちの近くの本屋で買うたのは「別冊太陽115 お神楽」という本。相撲の雑誌を探して雑誌のコーナーを見て歩いていたら、ふとそのタイトルが目に飛びこんできた。こうなるともう手にとらんわけにはいかん。手にとったらページをめくらんわけにはいかん。豊富な写真に詳細な解説、付録のCDには「お神楽の音楽」が収録されている。私は特にお神楽に関心があるわけでもないし、全国各地の祭を見て歩く趣味もない。そやのに、無性に惹かれる。詳細な解説を熟読玩味することはないかもしれへん。それでも、ただ手元においておきたいと思う。2700円と決して安くはない。それやのに、私はその本をレジに持っていく。
 こういうのはほんまに本が私を呼んだとしか表現でけへん。今、付録のCDを聴き、収録された写真を眺めていると、土俗的なものの魅力にとらわれていく。買うてよかったなと思う。書店でこういう出会い方をする幸せや喜びというのは、そうそう味わえるものやない。そやから私はネット環境にあってネット書店を利用できるのに、わざわざ書店に足を運ぶのかもしれへんね。


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