ぼやき日記


12月11日(火)

 田代まさしという人はきっと異常性癖のある障害者なんやないかという気がする。以前ビデオで女性のスカートの下を盗み撮りして捕まり、今度は風呂場の覗きで捕まる。おそらく自分ではやってはいけないと思うていても理性でそれをおさえられへんのやろう。
 精神分析は本職である風野春樹さんあたりにまかせるとして、私はこういう人への周囲の対応が気にかかる。田代まさしさんはタレントやから、その行動が大きく報道される。このニュースを見聞きした人はたいてい「こいつ、アホと違うか」と思うことやろう。「こりんやっちゃ、学習能力がないんと違うか」とも思うやろう。「あいつ、危ないから近づいたらあかんぞ」と思う人もいてるに違いない。
 田代さんのしたことを正当化はしない。犯罪は犯罪や。そやけど、この人物をある種の障害者として考えると、見方も違うてくる。障害者とは、社会的な行動を営む場合に特別な支援を必要とする人のことを指すと、私は考えている。それはヘルパーなどによる介護である場合もあるし、設備などに工夫を加えるという場合もある。田代さんの場合は常時カウンセリングを受けさせるという援助が必要なんやろう。
 さらに、彼を社会から排除するということは避けんとあかん。行為の反社会性からいうてタレントとして社会復帰するのは難しいやろうけれど、それ以外の職種で社会復帰できる道を探る必要があるやろう。カウンセラーや家族を中心として、そういう環境を整備するという援助がここでは必要になる。
 これは田代まさしさん一人の問題やない。現代社会に生きていく上で、人は誰でもなんらかひずみをかかえながら生きていかなならん。それを理性で抑えきれる場合はええけど、それがでけへん人もいてる。そういった人も「障害者」として社会的に援助し受け入れられるかどうか。「障害者」というと視覚聴覚肢体不自由ばかりやない。外からはそうは見えへんでも、「障害者」やというケースはけっこう多い。
 田代まさしさんの事件は実は他人ごとやないのやないかと、なんとなく思う。

12月12日(水)

 昨日の日記に田代まさしさんのことを書いたら、今朝の新聞に「覚醒剤所持で逮捕」とある。どこまでが障害かわからんようになってきたぞ。いや、これもまた彼の障害の一つかもしれへん。しかしこういう人には支援のしがいがないなあ。それにしても私はあまりネット環境を生かしてへんから情報が遅く昨日みたいなずれた日記を書いてしまう。「そういうキャラとして認知されてるから」と妻に言われてしもうた。
 私のキャラというのはどういうキャラなんや。
 キャラというのは自分では認知でけへんもんかもな。性格やったら自分である程度把握できる部分はある。ずぼら、ええかげん、やすうけあい、おひとよし、単純……ええとこあらへんがな。
 キャラというと、他人から見られている個性、くらいの意味かな。むろん、自分で「人にこう見られたい」と思う自分を想定し、演技することも可能や。「あの人はこういうキャラやから」という定評がでけたら、それにそっていったらええんやから、楽といえば楽やし、自分を偽りつづけると苦しいということもあるやろう。
 見苦しいのは自分のキャラをつかみ損ねている場合で、ほんまは単純でお人よしのくせに思慮深く狡猾なキャラやと思い込んでいたりする人は悲惨ですな。自分では用心深く行動したつもりやのに人にまんまと利用されてしまう。
 私は自分のキャラをつかみかねている。知りたいような気もするけど、それを知るとその固定観念に縛られそうでこわいなあ。だから教えないで下さい。無自覚に行動してると気が楽やからね。

12月13日(木)

 携帯に続々と迷惑メールが送られてくる。最近はほったらかしにして削除だけしてるけど、今日届いたのにあまりにアホらしくて笑うてしまうのがいくつかあったんで、転載してしまおう。なに、こんなものに私信公開も著作権もあるもんか。
「(電話番号)
聞いてる人?
はいっ!
濡れてる人?
ううぅぅん!
いじってる人?
あっっ!
(電話番号)
指入っている人?
ピチャッ!ピチャッ
バイブ挿入された人?
きゃ〜っ!ピクッ!
イキそうな人?
イッ い〜 ク〜 あ〜〜 うっっ プルプル はっハッ
(電話番号)」

 この電話番号に電話をかけたらこういう声が聞こえるということやろうけれど、字づらだけ見て冷静に音読すると面白さは倍増する。
「(電話番号)
━━━聞けます━━━
パンッ パン パンッ ぴちゃっ ぴちゃっ ちゅぱっ パン パンッ パン ヌプッ≫あああ〜っそこぉ〜もっと奥まで〜≪パンッ パタッ スパッ ジュルッ ズリッ ヌパッ パッパッ パッ パッ チュパッ ≫ダッ ダメよ〜 ダメって イク〜ャ〜〜〜 アァァァァ〜〜〜 ≪
━━こんな風に━━
(電話番号)」

 これも先程と同工異曲。「こんな風に」といわれてもねえ。
 しかし、ここんとこ、携帯用のHサイトのURLやなく、直電の番号が書かれたメールがけっこう多い。ダイヤルQ2の課金をねろうてるのかな。
「大当たり〜〜〜
貴方は100万人に 当たるか 当たらないか の確立で当選致しました 
こちらの URLから登録されてください
良い事が起きますよ」

 誰にとってよいことなんかようわからんが、「登録されてください」はおかしいな。敬語の乱れを感じるね。「100万人に 当たるか 当たらないか の確立」という表現には思わず赤ペンでチェックをいれたくなる。
 たいていは定型文があっておもろない迷惑メールやけど、ま、いろいろと楽しまんと。腹をたててもしゃあないしね。

 明日は忘年会で更新できません。次回更新は土曜深夜の予定です。

12月15日(土)

 今日は仕事から帰って一服したらのみにでもいこうかと考えていたけれど、風邪がなおらんのでやめ。鼻と喉にきてます。咳はいったんでだすと空えづきするくらいきつくて苦しい。薬をのんで少し楽になったけど、ここは大事をとることにした。昨日も忘年会にいってるし、自重しといた方がよろしかろう。

 オサマ・ビン・ラディンのビデオというのをアメリカが公開してあれはほんまもんか偽造かということが話題になっている。私ごときにその真贋が判定できるわけもないし、それがほんまもんやろうとにせもんやろうとどっちにしてもブッシュJr.はとっつかまえてぶち殺す気なんやから、わざわざビン・ラディンが極悪人であるというPRをする必要なんかあらへんやんと思うだけ。
 それにしても、ああいう映像がでたら、ちょっと前まではそれがほんまもんかどうかなんて話題にもならなんだやろうになあと思う。それくらい今のデジタル合成技術は進んでいるということやね。映画「フォレスト・ガンプ」やらカップヌードルのCMやらのはめこみ合成か話題になったのは、それが画期的に自然な映像になっていたからで、ビン・ラディンの写真が一枚あれば、それを使うて同じことができると、そういうことらしい。またその映像が適度に汚くて、わざと不鮮明な映像にすることもできると、こういうこともあるらしい。
 つまり、映像というものも既に証拠としては意味をもたなくなる時代がきつつあると、そういうことかもしれへんね。鑑定者がいて、子細に見なければ真贋が判断でけへんという、そういう時代。SFではシミュラクラをテーマにした小説はかなり書かれているわけやけど、映像においてはシミュラクラは常識になっているんやね。
 今に「証拠写真」なんて言葉が死語になる時代がくるかもしれへんな。それがええことか悪いことかはまだちょっと判断でけへんけど、すべてのものが信じられへん時代なんて、なんかいややな。

 明日は「たちよみの会」例会です。歳末でお忙しいとは思いますが、よかったらのぞいてみてください。

12月16日(日)

 今日は「たちよみの会」。久々に漫画家のおがわさとしさんが参加。BSで某人気小説がアニメ化されるという情報を持ちながら、口外しないところが奥床しい。プロデューサーは私とおがわさんの高校時代の先輩。自分の趣味をメディアで展開できる年齢になってきたということやねんな。そうです、若いころは「新人類」なんぞといわれてなにか得体のしれんもんのような扱いを受けてたわれわれの世代が主役となる時代がきたのですぞ。私もなんとかせねば。いろいろと次の方向性を模索中なんで、来年あたりにはそれをはっきりさせたいなあと思う。

 転居する前は、テレビがキッチンと別の部屋にあったこともあって日曜の朝に早起きしてもテレビを見ることなんてなかったんやけど、今の家に越してからはそれができるようになった。これまで見たこともなかった「も〜っとおじゃ魔女ドレミ」なんか見たりするようになったんですからね。なにが変わったかというてこれが一番大きいかもしれへん。
 今朝も「も〜っとおじゃ魔女ドレミ」を見ながら朝食をとってたんやけど、いやあ、やっぱりよい子向けのアニメというても現代の世相を写してますなあ。今週は魔女の女の子の一人の父親が会社が倒産して無職になり、別居中の母親とともに大阪に帰るというストーリー。倒産、別居……痛みは子どもも分かち合わねばならんということか。来週の予告を見てたら、不登校とDVがテーマみたい。いくら魔法でもこれを解決するのはなみたいていやなかろう。
 それよりも、同じ問題をかかえている子どもがこういった話を見てどない感じてるか、が気になる。そう思い出すと、自分の受け持っている生徒の家族のことやなんかがオーバーラップしてきて見てて非常にきつい。アニメのようにすらっと解決したらええんやけど、現実は厳しいからなあ。
 そういう意味では重いテーマを扱うのはええけど、あんまり簡単に解決してほしくないように思う。ヒーローものでもそうやけれど、子ども向きのドラマのほうがプライムタイムで放送されている大人向きのドラマよりもよほどシビアなんと違うやろか。子どもの方がよほど現実の問題に向き合わされているというように感じるなあ。こういうものを見て育った子どもはどんな感受性をもって成長するんやろう。こわいような、楽しみなような。

12月17日(月)

 ううむ、困ったことに「S−Fマガジン」の書評が終わったことで、逆に本の読み方が難しくなった。というか、どの本を先に読むかという順番の決め方が難しくなった。これまでやと「書評でとりあげるための本を先に読む」という読み方をしていたんが、その制限がなくなったことで逆に「なにから読もうか」ということで悩まんならんようになったわけです。
 このページを読んでくれてはる方の多くは私が新刊をどのように読んでいるかを楽しみにしてるんやないかと思うてるんやけれど、その期待にあんまりこたえてへんかもしれへんね。
 もっとも、bk1の書評は続けているわけやから、そちら向けに新刊は読まんならん。そやけど、基本的にはハードカバーの書評をすることになってるわけで、これまではヤングアダルト文庫中心やった読書傾向を変えていかへんと対応でけへん。
 で、未読本を並べた書棚を見ると10年以上前に買うた本が「読んで下さい」といわんばかりに背表紙をこちらに向けている。ああ、あれも読みたいなこれも読みたいなと迷うているうちに時間だけが過ぎていく。おまけになにか取り戻そうとするようにテレビを見始めたりしたもんやから、その分読書の時間が削られる。
 ううむ、ホームページのために読書をするわけではないしなあ。転居してさらに書評の連載がひとつ終わって、完全にライフスタイルが変わってしもうたな。
 まあとにかく手当りしだいに読むしかないか。新たに読むべく買うた本もあるし、それからどんどんと読んでいこう。というわけで、「読書感想文」のコーナーはこれまでとはちょっと傾向が変わっていくように思います。もう変わっているか。それでもおつきあいいただければこれほどありがたいことはありません。
 それにしても、次はなにを読もう。ううむ、迷うなあ。

12月18日(火)

 夕食後、妻とトイレットペーパーの包装紙の話で盛り上がる。トイレットペーパーといえども、奥深いものがあって、なんとも美しい名前をつけてるんですなあ、「すずらん」やとか「富士」やとか。で、ふと妻が昔の話を思い出した。
 彼女が高校生やったころ、友だちからきいた話やそうです。
 その女の子が同級生の男の子の机を見ると、横に紙バッグがかかっている。きれいな絵柄の紙バッグ。その子は男の子にたずねた。
「君、お姉さんか妹か、いる?」。
「いてへんよ」。
「そのかばん……」。
「ああこれ? かわいいやろ?」
 その子は彼にそれ以上なにも言われへんかったそうです。
 その紙バッグにはれいれいしく〈白雪姫〉と書かれていた……。
 妻曰く、同世代の女性ならここで思わず笑うてしまうとか。男性にはわからん話です。
 タネをあかすと、〈白雪姫〉というのは生理用ナプキンの銘柄で、それも一番安物。たいていは母親が娘に勝手に押しつけるしろものやそうで、同世代の女性ならばたいていはこの安物のナプキンを母親に買われてしもうた経験があるやろう、とのこと。
 彼に姉妹がいたら、その紙バッグをもっていく時点で「やめとき」と言うたはずやそうで、誰か教えてやれよ、そやけど自分が教えて彼に恥をかかせたくはないし……というようなところやそうです。
 トイレットペーパーもそうやけれど、生理用ナプキンも確かにきれいな名前がついてるわなあ。いかにもという名前では買うのが恥ずかしいもんなあ。それでもなあ、確かに男にはわからん。家にころがってた母親が買うてきたナプキンのいれものをそうとは知らずに絵柄と名前だけで使うてしまう。いかにもありそうな話やないですか。
 ううむ、歌の文句やないけれど、男と女の間には深くて暗い川があるなあと感じた次第。エンヤコラ今日も船をこぐ。

12月19日(水)

 テレビ大阪を見ていたら、スペシャル・ドラマの予告をやっていた。「ミヤコ蝶々物語」をドラマでやるんやね。ミヤコ蝶々さんの役は石田ひかり。ううむ。それでええんか。だいたい石田ひかりにまともな大阪弁があやつれるんか。まさか標準語のミヤコ蝶々などという恐ろしいものになるんやなかろうな。相方の南都雄二さんの役は中山秀征。これはあきらかにミスキャスト。
 私かて蝶々・雄二の漫才は時代が違うて見てへん(録音はCDで持っているから聞くことはできる)。そやけど、幼い頃に見た「夫婦善哉」なんかでこのコンビはかすかに記憶がある。蝶々さんが亡くなってそれほど間がないから、モデルにしたドラマを作るんやったらイメージは大切にしてほしい。石田ひかりと中山秀征というのはあんまりやないかと思う。かんにんしてよと思う。
 ずいぶんと昔、NHKの朝ドラで「心はいつもラムネ色」という秋田實さんをモデルにしたドラマをしていたことがある。ここでのキャスティングは満足できるものばかりやなかったけど、蝶々・雄二のコンビだけはいまだにみごとやと思う。藤山直美桂小米朝が二人を演じてたんやね。まず、芝居がうまい。しゃべりの間がええ。あれはもう20年くらい前のドラマやけど、そのままのキャスティングで今回もやってほしいくらいやね。
 「ミヤコ蝶々物語」をオール上方芸人のキャストでやったって、全国的に視聴率はとられへんということで石田・中山というキャスティングになったんやろうけれど、蝶々さんは上方の芸人さんやったんやから、その蝶々さんに扮するには上方芸人やないとでえへん味と間が必要でしょう。数字さえとれたらええというもんやないと思う。そんな根性で芸人をモデルにした伝記ドラマは作ってほしいないな。

12月20日(木)

 照明機具を買いに梅田に開店したばかりの「ヨドバシカメラ」へ行った。ついでにDVDプレイヤーも見る。かねてからほしいと思うているんやけれど、どれだけ値段が下がってるんかをまず確認しようというわけ。
 いやもう2万円を切ってるんですね。これは驚いた。私はふだん電機店には行かへんから単に世事にうといというだけのことかもしれへんけど。実は、でかいプレイヤーはいらんから新発売のDVDウォークマンなるものを買おうかと見にいったんやけど、まだまだ価格が高い上に液晶画面が小さくて見づらい。よう考えたら外出してまでDVDで映画を見たいとは思うてへんのやから、液晶画面はいらへんな。あれ、液晶画面のためにけっこうな値段になってるんと違うかな。
 となると、小型で必要最低限の機能がついていて値段の安いものの方がええかもしれへんな。DVDを見るのは家のテレビだけやろうから。
 それにしても、DVDウォークマンの実物を見ていて妻と話をしていたんやけど、これだけ技術が進むと、われわれはまだかろうじてそれについていってるけれど、あと10年もしたらその進歩についていかれへんようになるんやろうなあ、ということ。駅で自動券売機ができたころにおばあさんがなかなかうまいこと買われへんでもたもたしていたり、銀行のATMのタッチパネルの使い方がわからへんで見当違いのねじなんかを押してたりするおじいさんがいたりするけど、われわれはもっと早くにそういう状態になるかもしれへん。なにしろ技術の進歩は早く、それに対してこちらの頭は急速にかたくなっていく。あっという間に時代においていかれることになるかもしれへん。今どきの高校生は、LPレコードを知らんかったりするからね。生徒に「なに、それ?」といわれた時はちょっとショックでしたぞ。
 まあ、そうならんように最低限ついていけるよう、頭を柔らかく保つしかないな。そのためにはやっぱりSFを読むことです。ちょっと結論が強引かな。


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