ぼやき日記


12月21日(金)

 ニューヨーク・メッツの新庄外野手がサンフランシスコ・ジャイアンツにトレードされたら「アメリカはビジネスライクな国」の一言ですまされ、FAで阪神タイガース移籍を決めた日本ハムファイターズの片岡内野手が移籍発表の記者会見で涙をこぼしたら「片岡、男泣き」とほめたたえる。まあ、スポーツ新聞の紋切り型の記事には慣れてるけど、これほどトレードというものの日米差をはっきりと示したケースはないんと違うかな。
 片岡は自分が希望してタイガースに行くんやから、泣くことはないと思う。そんなにファイターズに恩義を感じていて身を切られる思いなんやったら、なにもFAを行使せんでもよかったんになあと思う。京都生まれでPL学園、同志社大とプロにはいるまでずっと関西にいてて、タイガースのユニフォームにあこがれてたんやったら、にっこり笑って入団してくれたらええのにね。
 一方、メッツは戦力バランスを考えてあっさりと新庄をトレードに出した。新庄はさすがに「ショックでした」とコメントしてるけど、それでもアメリカやからしかたないという感じで会見をしていた。これがもし阪神タイガースから他のチームへトレードされてるとしたら、もっと悔しがったりチームを恨むようなことをいうたりするんやろうなあ。
 これはもう完全に文化の違いというか、スポーツクラブと体育会の違いという感じがするな。日本の体育会の場合、封建的な体質が強く、先輩後輩の絆なんかがものすごく強い。職場で体育科の先生がタテ社会そのものという人間関係を見せつけてくれるたびにそう思う。それに対してアメリカのスポーツクラブは人間関係にしばられないでスポーツそのものを職業としてとらえているというところかな。
 どちらがいいか悪いかは私には判断しにくい。どちらもいい面と悪い面をもっているやろうからね。ただ、封建的な人間関係にしばられてそれをよしとしている体育会系の人の考え方は私には理解でけへん。職能集団である以上、実力というもので結果は出る。それが当然やろうと思うから。
 それだけに、片岡選手にはすっきりとした表情で会見してほしかった。ファイターズに未練を残したままでタイガースに来るようなことはないやろうな。それやったらファイターズのファンにもタイガースのファンにも失礼やと思うぞ。正式な入団発表のときにはいい笑顔を見せてほしいもんです。

 明日から一泊旅行をいたします。次回更新は一応日曜深夜の予定。疲れてたら月曜深夜になるかも。ご了承下さい。

12月23日(日)

芦原温泉のベンチ
 昨日今日と実家の両親のルビー婚式の祝いをかねて福井県は芦原温泉に一泊旅行。実家の家族と、従姉弟の家族2組、そしてわれわれ夫婦の大所帯。あ、「あしはらおんせん」と読んだらあかんよ。「あわらおんせん」と読むのです。左の写真は京福芦原湯町駅の外においてあったベンチ。方言なんやろうね。隣のベンチには「あわらへまた来てくんねの」と書いてあった。
 福井というたら越前蟹。宿の夕食には身のしまった実にうまい蟹が出る。とれとれの蟹ですな。冷凍で運ばれて解凍された蟹ではこうはいかん。宿の接客係のおばちゃんに、上手な蟹の殻のむき方を伝授してもらう。ふんどしの部分をメリメリとはがしたあと、足をつかんで半分に折る。殻の部分をゆするようにしてはがしていくと、殻に蟹味噌だけが残るようにはがれる。ううむ、さすがおばちゃんはプロ。きれいにはがれた。この蟹味噌がたまらんうまい。苦みにこくがある。これを食べるとしばらく他に蟹は食べられへんな。
 温泉もよろしい。特に露天風呂は外気のひんやりしたのと湯のぬくもりのコントラストがよく、のぼせたりしません。大きい風呂にはのぼせる寸前にまでつかって、急いで露天風呂へ移動。これが気持ちよろしい。
蟹の直売
 今朝は妹がガイドブック片手に三国へ案内してくれる。
 朝市を冷やかしに行ったんやけど、場所がわからず、蟹の直売店をのぞく。
 左の写真みたいな蟹がどっさりと売ってある。これは右の写真にあるような大鍋でゆがいて水につけてさましている。さましたてのをこうやって売ってるわけです。写真ではわからへんけれど、並べてある蟹からは湯気がもうもとでている。ほんまにおいしそう。冷気の中、蟹をゆがく鍋がぐらぐらと煮立っていて、それが熱そうでまたよろしい。
 買うて帰りたかったけど、電車で行ったりしたこともあり、持ち帰りは断念。凍らせて送ってもらうという選択肢もあったんやけど、これはそのままいただいた方がおいしいに決まってるから、凍らせるのはもったいない。というわけで、購入は断念した。
蟹をゆがく鍋
 かわりにおみやげとして水ようかんを買う。福井では冬の水ようかんが名物なんです。私の母方の親族は福井にあるので、私は子どものころからこの冬の水ようかんに慣れ親しんできた。「一枚流し」という作り方のもので、箱に水ようかんが板状に一枚はいっていて切れこみがいれてある。黒砂糖が混ざっていて、ほんまにおいしい。これは冬に福井に行った方はぜひ食べてほしい。
 この他にも「けんけら」などのお菓子や小鯛の笹漬けなんかをみやげ物として買う。
 米どころ北陸やから、お酒もおいしかった。気心の知れた親族旅行だけに、実にリラックスした旅になった。この2日間、私はついに一度も本を手にすることがなかった。これは実に珍しいことでありますね。というか、意識して本を開かへんかったんです。心身ともにリラックスするためには、本を断つくらいやないと。つまり、私にとっては読書は日常。日常から離れるからには読書からも離れんとね。
 本を開かんでも平気でいられるくらい旅を楽しんだ。天気予報では雪ということやったけど、雨が少し降っただけですんだのもよかったな。
 さあ、明日は遅れている原稿書きをせんと。しかしなあ、気持ちがすっと切り替えられるやろか。水ようかんを食べて馬力を出すぞう。

12月24日(月)

 お正月に妻の実家で会う甥っ子にあげるお年玉用のおもちゃを買いに「トイざラス」へ行く。いやあ、目移りしますねえ。というても、あげるおもちゃのことやない。「ウルトラマンコスモス」やら「仮面ライダーアギト」のおもちゃわ、私がほしくなってしまうということ。
 最近のおもちゃは私の子どものころと違うて実に精巧にできていて、あれは子どもでなくてもほしいと思うようなものになってるわ。作る側もオタクな感性をもった人が多いんやろうなあ。番組で使うている小道具よりも本物らしいのと違うか。もちろん、わたしがそういうおもちゃを買うても、風体からいうて自分の子どもへのプレゼントを買うてるような感じになるから、変に気にせず堂々と買える、てなもんやけど。
 実際、自分に子どもがいてたら、自分の趣味でそういうおもちゃを買い与えるんやろうなあ、私は。きっとそうに違いない。子どもとそのおもちゃで遊んでいるふりをして自分が遊んだりするんやろうなあ。
 甥っ子の喜びそうなおもちゃを買うて、家に帰る。マンションのエレベーターに乗ったら、甥っ子と同じくらいの2〜3才の女の子と乗り合わせた。その女の子は私の持っているおもちゃをじっと見つめている。「トイざラス」はプレゼント包装はしてくれへんので、おもちゃの箱がふくろから透けて見えるんやね。その子の視点は箱をなめるように上から下へと移動していく。きっとその子もこのおもちゃをほしいんやろうなあ。
 おもちゃというのはほんまにうまいこと所有欲をそそるようにできてるねえ。

 明日は外出するので更新はお休み。次回は水曜の深夜に更新の予定です。

12月26日(水)

 昨夜は京都のスナック「ショパン倶楽部」の忘年会。クラシック愛好家たちが集まり、名盤珍盤を肴に楽しく飲む。
 そのためにリアルタイムで見られへんかった「M−1グランプリ」の録画を今日見る。これは島田紳助さんが実行委員長となって、結成10年未満の漫才師を対象にしてグランプリを決めるというもの。全国から160組以上の漫才師が挑戦し、昨日の決勝にはそこから残ってきた10組が出演した。さすがに厳しい予選を勝ち抜いてきただけに、どのコンビも面白い。今後の漫才を背負うホープたちが一堂に会したという感じかな。
 グランプリは中川家。いうたらグランプリをとって当然という感じのコンビですな。兄弟漫才でしゃべくりの間とネタで笑わせるタイプ。実にスタンダードな芸で、上方漫才の王道を引き継いだコンビというところやね。逆にそれがプレッシャーになって、かなり緊張していた。本来のできからいくとちょっと間が悪かったかも。中川家とますだおかだは別格でハンディキャップ戦にしてもよかったかも。中川家と決勝を争ったのはハリガネロック。こちらはダウンタウンあたりの系譜をひくタイプのコンビで、勢いで勝ち抜いた感じ。完成度ではますだおかだの方が上やと思うたけど。惜しかったのはアメリカザリガニで、僅差でハリガネロックに敗れて最終決勝にはでられへんかった。ハリガネロックとアメリカザリガニで最終決勝を争うという形になったらおもしろかったかもしれへんな。タイプでいうと、中川家とますだおかだがオーソドックスなタイプでハリガネロックとアメリカザリガニが現在形の笑いというところかな。私は知らへんかったんやけれど、麒麟というコンビがよかった。同じ漫才を二度繰り返しながら笑いをとるという意表をついたネタで、これでつかみがうまくいったらなかなかの芸人になるのと違うやろうか。
 というわけで、時代をになう若手漫才師の競演は、実に楽しかった。以前「ワッハ上方」での座談会で西川きよし師匠が「このままでは漫才は滅びる」と危機感をあらわにしていたけど、「M−1グランプリ」はその危機感を吹き飛ばすほど、熱く面白かった。これは今後も続けていってほしい試みやね。

12月27日(木)

 今朝の新聞に小さく「教員採用数10年ぶり増」という見出しを見つけたので、興味深く読む。なんでも国公立大学の教員養成課程を卒業した学生のうち教員に採用されたのが、全国で昨年度より446人だけ増えたということらしい。早い話が教育大の学生で来年4月から教壇に立つ者がほんのわずかだけ増えたんですな。教育課程以外の学生やら私立大学の学生も調べてへんからこれでほんまに教員採用数が増えたかどうかはわからんと思うんやけどなあ。この見出しは絶対誤解を招くぞ。
 その上、よく読むと正式に採用されてるのはそのうちの35%だけ。あとの65%は臨時的任用、つまり講師ですわ。講師というのは常勤でも非常勤でも半年ごとの契約をして、実際にその学校での身分が保証されてるのは1年だけ。正式採用されるためには試験に合格せんとあかん。教育委員会からしたら、生徒の数がへったらかんたんに首をきれる便利な存在です。
 私は4年間講師をして、やっと試験に合格したんやけれど、その4年間ときたら、3月には自分が4月から仕事があるんかどうかいつもヒヤヒヤして仕事が手につかなんだ苦い思い出がある。実際、現場では「来年も君に講師としてきてもらいたい」といわれてても正規の教師が異動してきたために結局他の学校から声がかかるのを待たんならんかったということもある。ある中学校では講師やのに担任を受け持ち、翌年は同じ学校にいけたものの産休の先生の代理という形で着任した。4月に離任式に出るのがどれだけ心苦しかったか。
 そういう者まで「採用」というか。これは詭弁やないか。実際には教師の採用数が増えたかどうかはわからんよ。学校の教師採用のシステムは、一般にはあまり知られてへんみたいで、ヤングアダルト小説なんかで特別な人物を学校に潜り込ませるのにいともかんたんに「臨時講師」を使うたりしているのをよう読んだもんやけど、もっと調べて書けよといつも思うてた。生徒から見たら「教諭」も「講師」も区別はつかへんもんね。その経験を思い出して書いてる作家のいかに多いことか。
 作家のかたで学校のシステムがわからん方は私にきいてくださいね。公立については私の知っている範囲で、私立については知人に確かめてお答えしますから。
 話がそれた。つまり今朝の新聞記事ではほんまに教員採用数が増えたかどうかわからんということ。それを文部科学省の発表をそのまま無批判に掲載するから誤解を招く記事になる。もしかしたら新聞記者もシステムをわかってへんのと違うかな。調べる方法はあるでしょうに。ちゃんと調べて書いてほしいもんです。

12月28日(金)

 今日は半日使うて年賀状書き。宛先と添え書きは直筆で、というのが私のポリシーなので、思うたよりも時間がかかってしもうた。そやけど、これで元日には年賀状が届く。やれやれであります。
 今年も図案集は買わへんかった。面白いデザインのものがあらへんかったからね。去年は自分で蛇の絵を描いたけど、馬はちょっと難しい。というわけで、手塚治虫全集のカバーをスキャンして使わせてもらいました。無断使用ではありますが、商業目的やないからかんにんしてくださいね。
 年賀状を書くと、いよいよ歳末という気分やね。転居やとかあっていろいろと忙しい1年ではあったけど、なんか年ごとに1年のたつのを早く感じるようになったなあ。これも年をとってきたということかしらん。

12月29日(土)

 本日、親戚の通夜にいきました。父どうしが従兄弟という関係なので、遠縁にあたる人やけれど、私の幼いころから可愛がってくれた人で、兄のような存在やったかもしれへん。もっとも、最近は法事などでしか顔をあわすことはなかったけれど。
 Tさん、と呼ぶことにします。彼は生まれた時から不治の病をかかえていて、医者から成人するまで命があるかどうかとさえいわれたそうです。つまり、幼いころから常に「死」を意識して生きてきた人なのです。私は、子どものころにそのことを親から教えられ、愕然とした記憶があります。それは、私には想像もできない生き方やったのです。
 数日前、ホスピスに入院しているTさんをお見舞いにいきました。彼は懐かし気に私を迎えてくれました。「クリスマスか。またひとつ行事がきたな」と穏やかな表情で彼はいいました。本当に穏やかな表情でした。自分の「死」を目前にして、このような表情ができるということに、彼の人生そのものを見たような気がしました。
 私は昨日、年賀状を書きましたが、今年のはじめに彼からいただいた年賀状を手にした時に、ふと何気なく彼あての年賀状を書くのをやめました。虫の知らせ、というものやったのかもしれません。私が年賀状を投函して数時間後に、彼の訃報が届きました。
 眠るような最期やったと聞きました。
 煩悩の塊のような私には、彼のような最期を迎えられることはでけへんのやないかと思います。まだ生きたい、死にたないと、生への未練をかかえながら死んでいくような気がします。
 私は、彼から「死」というものに向き合いながら生きていくということを教えられたのやないかと思います。
 成人できないだろうといわれたTさんは、55年生き続けました。そして、同じ病をかかえた人たちへの支援を続けていたそうです。そういう人が身近にいたことを私は忘れないでいたいと思うのです。
 明日は告別式です。気持ちよく見送ってあげたいと思います。
 さようなら、Tさん。

12月30日(日)

 日本を代表するオーケストラ指揮者、朝比奈隆さんの訃報に接する。享年93。カラヤンと同じ年の生まれというから、まさに天寿を全うしたといえるやろう。終戦直後の1947年に結成された大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督として55年の長きにわたり同楽団を率いてきた。こんなに長く1つの楽団を率いた指揮者もそうはいない。
 その演奏はまさに悠揚迫らず、といった感じで、特にブルックナーは朝比奈と大フィルの代名詞というくらい人気がある組み合わせやった。ベートーヴェンの交響曲も威風堂々という感じの演奏やったけど、私が実演に触れた感触では、堂々としすぎていていくぶん退屈という観はぬぐえへんかったのも事実。それでも熱狂的なファンが涙を流さんばかりに拍手をしていたのが印象的やった。
 大フィルという特に金管の弱いオーケストラだけに、本拠地フェスティバルホールみたいな響きの拡散する場所では本来の弦の響きを聴かせにくいという弱点もあったかもしれへん。これだけの大指揮者がなんでもっとうまい奏者にすげかえをでけへんのかと奇異に感じたりもした。おそらく、長く同じオケを率いすぎて、非情になられへんかったというのがあるかもしれへん。
 それでも、たとえば当初は新聞社の講堂として計画されていたサンケイホールを立派なホールにするよう当時の水野社長に直言したというようなエピソードが残されているくらい、関西の文化向上に心を砕いた人やったということは忘れてはならんと思う。
 晩年はカリスマ的な人気が実際の演奏に対する批評の目をくらませてしまうような存在になってしもうたけれど、それだけに今後、大フィルがどのようになるのかちょっと心配。関西のオケでは京響や大阪センチュリー交響楽団の方が鍛え上げられているだけに、朝比奈さんをなくして一気にその光が消えてしまうような気がしてならん。
 ともあれ、それだけ存在感のあった朝比奈さんの死は、巨匠指揮者の時代が終わっていくという事実をまたひとつ感じさせれるものではあるね。
 謹んで、哀悼の意を表します。

12月31日(月)

 今日は大晦日。妻といっしょに映画を見にいく。
 世間では大掃除のなんのと忙しいのにこの夫婦はなにをしておるのか。
 実は今年いっぱいで使用期限のきれる映画の優待券があったんで、これは見にいかんともったいないとでかけたのであります。ほんまはもう少し前にいくつもりやったんやけれど、いろいろあって今日にずれこんだというわけ。なんとセコい二人でありましょう。
 見にいった映画はもちろん「劇場版とっとこハム太郎」と「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」の二本立て。いや、「とっとこハム太郎」は別に見たいわけやなく、実際その映画が終わるのを見計らって劇場にいったんやけど、完全入れ替え制で「ゴジラ」だけ見ることができず、結局年末の買物をしてから「ハム太郎」も見ることになった次第。
 絶対この二本立ては無理がある。「ハム太郎」を見たい子どもと「ゴジラ」を見たい大人の両方を呼び込む作戦なんかしらんけど、「ハム太郎」と「ゴジラ」の間にギャップがありすぎるぞ。実際、「ハム太郎」が終わった時点で席を立つ家族づれもけっこういた。うん、小さい子には刺激がありすぎるぞ、この「ゴジラ」は。
 いやもう1時間45分、画面に目は釘づけ。金子修介監督のポリシーが貫かれた怪獣映画でありました。
 ゴジラがこわい。とにかくこわい。そしてでかい。ひたすらでかい。そのうえ強い。おそろしく強い。私は平成ゴジラシリーズは「ゴジラVSビオランテ」しか見てへんので他のものと比較はでけへんけれど、こんなにこわいゴジラはそうはいてへんと思う。それだけでもう見る価値はある。これ以上はいいません。私は映画批評家やないから、細かいことはよういわん。私も妻も興奮したまま電車に乗り、興奮したまま家に帰ったと、これだけいうとく。
 今日は一番安くて小さいけど一通りの機能のついたDVDプレイヤーを買うたんやけど、この「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」はDVDが出たらきっと買うやろう。そし細部を見直しその細かいところまで確認するやろう。
 というわけで、年の締めくくりはゴジラにしびれた。終りよければ全てよし。
 今年もご愛読ありがとうございました。よいお年をお迎え下さい。


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