ぼやき日記


5月21日(火)

 ふだんUHF(つまりサンテレビかテレビ大阪、つまりタイガースの試合かアニメ)ばっかり見てるから、久しぶりにVHFで野球中継を見ると、CMがいつもと違う。いつもは「尼信ぼくらの貯金箱」やとか「NANKAI部品」やとか「日光ってどこにあるか知ってる?」「町の社長さんに日本ふるはあっぷ」やとかまあそういう関西圏以外の人にはわからんCMばっかり見ているわけでありますね。
 それにしてもサッカーのCMが多いなあ。やっぱりワールドカップを楽しみにしてる人は多いんかなあ。なんかそこら中でサッカーばっかりやってるぞ。サッカーに全く興味も関心も何もなく「サッカーよりもタイガースと相撲の方がおもろいやんけ」とうそぶている私には、今一つピンとこん。
 ただ、一つだけおもろいのがあった。トルシエ監督らしき人物(たぶん本人やと思うけど……トルシエの顔はスポーツニュースとスポーツ新聞でちょろっと見るくらいやからそっくりさんやったとしても判別でけん)がフィールドで何か怒っている。フランス語でまくしたててるのを録音してるスタッフが嫌そうな顔で聞いている。その横を芝生を整備しているトラクターのおっさんが嬉しそうに笑うて横切る。なんとおっさんは芝刈りトラクターでなぜか「ナスカの地上絵」を書いている!
 トルシエ監督の怒りようがわざとらしくないから笑えるね。そらトルシエさん怒るわな。それらしてもなんで「ナスカの地上絵」?
 これ、ほんまに本人やったら(おそらく本人やと思うけど、自信はない)ようこんなCMにでたなあと感心する。自分を茶化されてるわけやのにね。そこらへんがフランス人のエスプリというもんかといわれるとたぶん違うと思うけど、なかなかの大人物やないかなあ。なにかその中村とかいう選手を日本代表に選ばなんだというんで叩かれているけど、本間に狭量な人物やったらこんなCMには出んと思う。
 ところで、このCMには難点がひとつある。それは、何の宣伝なんか全くわからんことやね。もしかして、トルシエ監督の個人キャンペーン? ンなアホな。

5月23日(木)

 22日早朝、母方の祖母が永眠。享年87。意識不明におちいってから、約1週間、とうとう心臓が力つきるような形で停止したという。連絡を受け、とりあえず出勤をして自習課題などを用意、担当者に渡して急ぎ帰宅。喪服などを用意してから告別式場に妻とともに直行した。葬儀は近親者のみで文字通りしめやかに行われた。私は通夜の夜、式場に泊まり線香が絶えることがないよう父や従姉妹と交代で祭壇の番をする。断続的に寝たり起きたりをしていると、さすがに疲れた。
 眠るような死に顔で、声をかけると今にも起きそうやった。というか、病院ではたくさんのチューブがつながったり酸素吸入の装置が口にはめられたりしてたから、棺で安らかに眠っている方が祖母は心地よさそうに見えてしまう。
 告別式のあと、斎場で荼毘にふす。白い、ほんまに白い骨を骨壺におさめる。人というものは、こうして墓に入るんやなあと実感。つい先程まで眠るような死に顔を見せていた祖母が、小さな骨壺の中に吸いこまれてしもうたわけで、これはやはり切ない。そして、自分もいずれこうなるんやと思うと、今後どのように生きていくか、どんな死に方をするかを考えさせられる。祖父の葬儀の時も斎場で骨を拾うたことを思い出した。これも縁なんやろうなあと思う。そういうめぐりあわせやったんやなあ。
 というわけで、本を読む気力もなく、タイガースの大勝をテレビで見ながら、大のドラゴンズファンやった祖母と野球について話したりしたことなんかを思い出す。忌引きの休暇は明日まで。今晩は疲れた心身を癒すために、しっかりと眠ることにしよう。
 かわいい曾孫たちに囲まれて晩年をすごした祖母。幸せな毎日やなかったかと思う。
 すまん、今日はこれ以上は書かれん。明日は気を取り直して、またささいな日常をぼやくことにしよう。

5月24日(金)

 22日、つまり祖母が亡くなった日の話。朝、妹からの電話で起き、とりあえず出勤しようと支度をしてたら、左の耳がごそごそと鳴る。1年ほど前に中耳炎になった時も、鼓膜がびびびと鳴るような感覚があったことを思い出した。疲れから体調はあまり思わしくなく、鼻もつまり気味やったから、これは寝てる間に耳に異常が起こったかと心配したけど、とにかく出かける支度を優先させ、通夜の準備に間に合うようやったら耳鼻科に行こうということにした。
 職場でも、帰宅してからでもその耳のがさごそいう音は聞こえへん。ということは、耳の異常は一時的なもんやったか。まあ、葬儀が終わってから耳鼻科にいったらええわいと思い、家を出た。そのあとも全く異常はあらへんかった。
 坊ンさんの読経も終り、妻や妹たちがいったん帰宅するのを見送ってから、ふと耳のことを思い出した。耳に手をやると、いきなりがさごそ音がする。おお、やっぱりどっか悪かったんかいなと心配になる。そやけど、痛みはない。母が耳の穴を見てくれたけど、目の悪い母に細かいところは見えへん。
 それにしも変なんは、耳の穴のそばに手をやっただけで、鼓膜に触ったような音がすることや。遠隔操作で鼓膜をいじってるみたい。もしかしたら、耳に何かごみでも入ってるんか?
 指先に何かが触った。細いものや。そっとつまんでみる。なかなかつままれへん。やっと指先に何かをつまんだ感触が。鼓膜がはでに音をたてる。これやこれや。静かに耳の外に出してみたら、それは髪の毛やった。2〜3cmくらいの長さ。毛の硬さからいうて、私のものやね。
 妻によると前日の私の寝相は相当ひどいもんやったらしい。大暴れしていたみたい。ということは、その過程で耳にすぽんと毛が入ったということか。こんなにきれいに入るというのも珍しい。
 いやしかし、毛の一本とはいえ、鼓膜を傷つけたり破ったりする可能性もあるわけやから、なんとかうまいこと抜くことがでけてよかったわい。あれそのままにしといたら、今日あたり医者にいって、金を出して毛を取ってもらうということになってたわけで、まあ金がかからんでよかったよかった。
 それにしても鼓膜に触って出る音というのはでかいもんやなあ。しかも、あの音は実に不安感を増大させるね。まあ、たいそうな病気やなかったし、やれやれですわ。

5月25日(土)

 先般89歳で亡くなられた清川虹子さんの経歴を見ると、少女時代にあの川上貞奴が創設した劇団に入団し、エノケン・ロッパ時代のカジノ・フォーリーの舞台を踏み、500本の映画に出演という、いわば日本喜劇の盛衰を全て体験してきた人やったということに今さらながら驚かされる。
 実際、喜劇史の本を読むと、必ず清川さんの名前が出てくる。コメディエンヌとしては他に武智豊子、丹下キヨ子といった人たちの名前がそこに並ぶ。こういった人たちは生涯コメディエンヌとして、かつ貴重なバイプレイヤーとして活躍してきはった。その生き証人が亡くならはったのに、自伝も評伝も見たことがないのはちょっと寂しい。
 最近やと小劇団出身の人たちがコメディエンヌとしてドラマに出演したりしてるけど、そういう人たちは自分の舞台の他やと芸よりもキャラクターで勝負させるバラエティ番組に起用されることも多い。そうなると、コメディエンヌというよりは、テレビタレントという感じになってしまう。それはあまりにももったいない。ちゃんとした喜劇が作られへんところにまっとうなコメディアンもコメディエンヌも育つわけがない。まだ関西では喜劇の土壌が残ってるからええけど、全国レベルで見るとやっぱり厳しいのと違うやろか。
 そういう意味では、清川さんのような存在は実に貴重やったかと思う。そして、テレビタレントなるものを大量に消費していく現代、まっとうなコメディエンヌが生きていく場というものが今後あるのかどうか、それもかなり厳しい状況にあるのやないか。
 どなたかぜひ清川虹子さんの評伝を書いていただきたい。きっと日本喜劇史を俯瞰するようなものになるはずや。
 謹んで、哀悼の意を表します。

5月26日(日)

 今日はまる1日休養。祖母の葬儀の時の疲れだけやなく、4月からの疲れが一気に出た感じで1日中だるい。それでも午後から野球中継を見る。今日はMBS毎日放送で中継。これがあなた、あんまりです。試合開始の14時から中継を始めたはええけど、15時からイングランドとカメルーンのサッカーの試合を始める。それはええ。サッカーのファンもいてるんやから。ところがやね、野球の中継を画面の隅っこで続け、実況は副音声。離れて見てたら細かいところがまるでわからん。妻に「目に悪いよ」と言われつつも間近で見る。タイガースの攻撃の時は小さい画面が出るけど、ドラゴンズの攻撃の時はサッカーのみで野球の映像はなし。おいおい、それやったら二元中継の値打ちがないがな。しかたなく音声だけでもとラジオ中継を聞きながらサッカーの画面を見たりする。ところがラジオではちょうどダービーの中継が挿入されてしまうわけですな。ああもう! 試合が終わったらヒーローインタビューはテレビではやらへん。いったいなんやねん、あの中継は。
 思うに、イングランドとカメルーンの試合の放送権を取ったけれども、関西圏ではタイガースの試合の方が視聴率がええんで急遽二元中継ということにしたに違いない。サッカーの視聴者と野球の視聴者を両方取ろうという策やろう。それにしては中継の仕方がお粗末と違うかな。それやったら、深夜枠で野球をダイジェスト放送するなりなんなりした方がよかったんと違うか。放送権をとった関係でサッカーは外されんというなら、ライバルのABC朝日放送がやるようにUHF局に野球をリレー中継させるとか。
 なんとも中途半端な二元中継で、こんなにいらつくことはない。私が毎回ネタにする日本テレビよりもスポーツ中継に対する愛情が感じられへん。こういうのを虻蜂取らずという。おそらく毎日放送には抗議の電話が多くかかったに違いない。こういう視聴者をなめた中継は今後は願い下げにしてほしいもんです。

5月27日(月)

 坊屋三郎さんの訃報に接する。死因は心不全。享年92。
 坊屋さんといえば我々の世代にはナショナル・カラーテレビのCMでしょう。外国人とテレビを囲んで「クィントゥリック!」「くいんとりっくす!」「クィントゥリック!」「発音だめだね」という軽妙なやりとりが実に面白かった。これ実は、坊屋さんが久々に脚光をあびたという点でも貴重なCMやったわけです。
 「ぼういず伝説」というCDがある。これは昭和初期に活躍した4人組のボードビル・ショー「あきれたぼういず」のSP音源の復刻でありまして、私はこれで初めて伝説の音楽ギャグを聞くことができたのであります。その軽快なテンポ、しゃれたセンス、小気味よいギャグ。まさに昭和モダニズムそのもの。川田晴久が浪花節をうなれば益田喜頓の歌声はいつの間にか全てヨーデルに、美声は芝利英。そして坊屋三郎の狂気をはらんだ声色! ポパイとブルートとベティ・ブープが入り乱れてダイナを歌う。ガチョウも猿も猫もみんなダイナを歌う。一人で全部やってしまうのである。
 吉本興業から新興キネマに引き抜かれてリーダー格の川田晴久が抜け、山茶花究に交代したあたりから、坊屋さんのギャグは大爆発したようで、CDに復刻された音源からもそれがよくわかる。東京では男性ばかりの音楽漫才は全て「ボーイズ」と呼ぶ。これは「あきれたぼういず」を始祖とするからでありますね。ちなみに上方では「音曲漫才」というのが一般的でほかには「浪漫リズム」を名乗った暁伸・ミスハワイのコンビもある。
 最近での坊屋さんは東京の「ボーイズ」の後見役となり、モダンカンカンの灘康次さんを中心に昔のネタを復活させたり、洗濯板にラッパやシンバルをつけた珍楽器を演奏したりと90才にしてなお現役を続けていた。まさに笑芸の世界の生き証人やった。
 これで「あきれたぼういず」のメンバーは新旧ともに全て亡くなってしもうたことになる。しかし、幸いなことに昔の音源も、そして晩年の芸の映像もちゃんと残っている。昭和初期という時代の不思議な明るさを、私たちはそれで知ることができる。そして、大衆演芸にモダンさを運んできた「あきれたぼういず」の功績を実感することができる。現在の「ボーイズ」はそのモダンさにおいて「あきれたぼういず」に遠く及ばへんのです。それもまた不思議ではあるのね。
 謹んで哀悼の意を表します。

5月28日(火)

 昨日から中間テストが始まった。いやあ、ここ9年、定期テストなどというものとは縁のない教師生活を送っていたもんやから、10年ぶりにテストを作るのもなかなか大変ではあるね。この2ヶ月、夢中で授業をしてきたけど、自分が教えた内容をどれだけ理解してくれているか確認するわけで、つまり自分が何をポイントに授業をしてきたかを自分自身で問いなおす作業でもあるわけです。
 まわりの同僚にとってはあたりまえの作業も、私にとってはなかなかに新鮮でもあり、また難しくもある。おお、テスト返却などということもせんならんのですな。平均点というものも出さんならんのですな。成績を記録しておいて、学期末には5段階の評価を出さんならんのですな。
 養護学校の場合は、ふだんの授業での様子を記録しておいて、どれだけ課題を理解したかを把握し、一人一人に文章でそのことを書いていく。それを読むのは保護者であります。どれだけ課題を達成したかという観点から書いたりするわけやから、生徒それぞれにあわせて課題を設定せんならん。
 高校の定期テストとなると、一人一人の課題なんてことはいうてられん。そんなもんは本人が考えるべきことで、教師は全体に達成すべき最低ラインを設定するだけやね。そこに達しないといわゆる単位不認定と、こういうことになる。
 まあとにかくこのテストが終われば、ひとつのサイクルを終えたことになるわけやから、来月からのリズムというものが少しは予想できるのと違うかな。見通しも何もたてる暇もなくがむしゃらにやってきて、一息ついたということかも。
 もっとも、その直前に祖母の葬儀があったりなんかしていささかグロッキー気味ではあるけどね。養護学校とはやっぱり別の世界ですわ。それでも両方経験するというのはかなり私自身にとっても大きいね。もっともっと一般の学校と養護学校の間で活発に人事異動をすれば、教師それぞれの教育観にも深みが出ると思うんやけどなあ。

5月29日(水)

 今日は海老沢泰久風に。
 読売巨人軍のビジター用のユニフォームにはいるネームが来季から変更されるらしい。これまではTOKYOとしていたものをYOMIURIにするのだという。
 ジャイアンツはいうまでもなく現在のプロ野球チームの中では最も古い歴史を持つ。そして創立以来、ビジター用のユニフォームにはTOKYOというネームが常に入っていた。このチームはプロ野球界の盟主と称していろいろと勝手なことをしてきたけれども、このネームに関しては盟主にふさわしいものだと感じていた。親会社の名前ではなくフランチャイズの地名をネームとするのが本来の姿だと思うし、そうでないチームは自分の会社の宣伝媒体としてしかプロ野球のチームを考えていないということなのだ。
 悲しいことにロッテオリオンズというチームはホーム用のユニフォームにもビジター用のユニフォームにも「LOTTE」という親会社のロゴをネームに使用していた。村田兆治や有藤道世、落合博満といった球界を代表する選手が製菓会社の広告をさせられているのはなんともやりきれなかった。しかし、そのチームは千葉に本拠地を移すと、チーム名をマリーンズと変更し、以来、胸のネームから「LOTTE」という文字を使用しなくなった。その結果、マリーンズは千葉県のファンに好意的に受け入れられ日本でも有数のマナーのよいファンを持つチームとして生まれ変わった。
 現在では大阪近鉄バファローズがビジター用のユニフォームのネームを「OSAKA」に変更しているし、横浜ベイスターズはチーム名から企業の名前を外すことにより市民球団として親しまれている。もちろん、広島東洋カープのようにもともと市民球団として出発したチームもその伝統をのこして「東洋工業」という親会社の存在があることを意識させていない。もっともオリックスブルーウェーブのように震災で立ち直ろうとしている神戸市民の支えになりながら、チーム名に「神戸」の名を冠する機会を逸してしまったチームもある。面白いのはこのチームの二軍は「サーパス神戸」と親会社の名前を外している。それならば一軍もそうすればいいのにと思うのだが。
 話をジャイアンツに戻そう。このチームの親会社は新聞の販売拡張やテレビの視聴率を稼ぐ道具としてチームを利用してきた。ホーム用のユニフォームの袖には「YOMIURI」のネームが入っている。それでも、ビジター用のユニフォームの胸には「TOKYO」の文字を外すことはなかった。
 これはひとつの見識である。
 選手たちは「GIANTS」「TOKYO」のネームが入ったユニフォームをその伝統とともに誇りを持って着ているはずだ。あの張本勲ですら「巨人のユニフォームの袖に手を通した時は身震いがした」と述懐しているくらいである。その文字は球界の盟主のあかしでもあったはずだ。
 しかし、ジャイアンツのフロントはそのようなものなど不要だと言わんばかりにネームの変更を発表した。しかも「ジャイアンツは東京だけのものではなく全国規模のものですから」などというフランチャイズ制度を無視したような発言までしている。
 それならば、ジャイアンツは東京ドームという本拠地をファイターズに完全に譲り渡して全国の球場を巡業よろしく渡り歩くべきだろう。北海道から沖縄まで、設備の整った球場で順番に試合をしていけばよいのである。そのような努力もせずに「東京だけのものではない」などと断言する傲慢さには正直いってあきれかえるばかりである。
 ジャイアンツが勝ち続けてもテレビの視聴率はあがらず、逆にタイガースが開幕から連勝したことでサッカーのワールドカップに目がいきがちだった気まぐれなファンの気持ちがプロ野球に向いた。その事実は日本テレビの社長がタイガースの星野監督にメッセージを送ったということからも明らかである。そのようなことをしてジャイアンツの監督や選手がどのような気持ちになるか、この社長は考えもしなかったのだろうか。
 そして、今回のネーム変更である。プロ野球全体の発展など何も考えず、読売グループさえよければそれでいいというメッセージがこめられているとしか思えない。プロ野球はファンがいるからこそ成り立つものだとは考えてもいないのだろう。ジャイアンツファンはこの決定に対して怒るべきだと思うのだが、どんなに怒ってもこの球団のフロントにはその声は届かないに違いない。
 ジャイアンツのフロントがプロ野球に対する愛情をひとかけらも持っていないということだけははっきりしている。そして、こういう時にこそ発言すべき人物は、なぜか沈黙を守ったままなのである。人一倍野球を愛しているはずのこの人物が、今回の変更に関して何も言わないのを誰も不思議に思わないのだろうか。
 その人物の名を長嶋茂雄という。

5月31日(金)

 電車のスルーカードがなくなったんで新しいのを買う。阪急電車のカードで「あしたのジョー」のが売ってたあったんでそれを買うたんやけど、これは「ジョー&飛雄馬」なるマンガ雑誌の創刊記念やということらしい。そういえばコンビニでそんなん売ってたなあと思い、さっそく立ち読み。
 要は「あしたのジョー」と「巨人の星」をそのまま再録し、それに連載当時の裏話やなんかをつけたものなんですな。ううむ。この雑誌の対象読者はどういった層なんやろう。連載当時の読者に、懐かしがらせるために発行したんか、それとも戦後を代表するこの2作を若い層に読んでもらおうという試みなんか。
 それやったらもうコミックスも文庫も出てるやん。何のために週刊誌という形式にしてるんやら。つまり、書店に行って本を買うという人が減ってるんで、コンビニ展開をするためにこういう形式をとってるんかな。登場人物の小さい人形まで売ってたのには驚いたけど。そこまで力をいれているという理由がようわからん。
 「あしたのジョー」は私は大好きでコミックスも何度も読み返している。「巨人の星」は全く読んだことがない。アニメも見たことがない。テレビの「懐かしのヒーロー大特集!」みたいなバラエティで断片的に見たくらい。これには理由があって、私の父は「巨人の星」などというどうみてもタイガースファン向けやないアニメを息子の私に見せることを禁じていたんでありますね。どうやら球を投げる時に目から火を吹き打たれると膨大な量の涙を排出するという異常体質の少年が体にバネを巻きつけるというマゾヒスティックな育てられ方をして体のでかい男と夕日の中で抱きしめあうというあまり野球の面白さとは関係のなさそうな話らしい。いやほんまに読んだことないんで知らんのです。
 しかしなあ、なんで今「あしたのジョー」と「巨人の星」をセットにして週刊誌を作り、連載当時と同じペースで読ませるというようなまねをせんならんのや。それほど新作のマンガは売れてへんのかな。それはそれで由々しき自体ではあるなあ。それにしても電鉄会社とタイアップしたり製菓会社とタイアップしてスナック菓子を作ったりというかなり規模の大きいプロジェクトみたいやぞ。そこまでする理由がほんまにわからん。なんやもうなんでもありの時代ではありますね。


てなもんや囲炉裏端 ゆっくりまったり掲示板ですお気軽にご利用下さい。

メールはこちらまで。どうぞよろしく。


過去の日記へ。
ホームページに戻る