ぼやき日記


12月21日(土)

 結局バファローズ中村紀洋内野手はメジャーリーグにも行かず、わがタイガースにも来ず、バファローズ残留という道を選んだ。私はそれでええと思う。そらもう中村がタイガースに来てくれたら、優勝も現実味を帯びてくるし、これほど嬉しいことはないけど、中村の個性はやっぱりバファローズというチームカラーでこそ生きるように思う。それに、今回のこの迷いようを見たら、タイガースに移籍してきても、今季の片岡のように攻め方にとまどうて迷うてしまうんやないかという気がしてきた。そういえば、片岡も結論を出すまでかなり迷うていたなあ。
 夕方、ラジオでABCの「近鉄バファローズアワー」を聴いてたら、熱烈なファンの笑福亭仁智師匠がめちゃめちゃ喜んでいた。その気持ち、わかるなあ。チームの看板が人気チームに取られてしまうというようなことになったらさぞかし悔しいやろうしなあ。仁智師匠の気持ちはジャイアンツファンにはわかるまいて。タイガースファンにもわからんてか。そらまあそうか。タイガースも石嶺やら星野やら片岡やら金本やらようけ取ってるもんなあ。
 いやしかし、ほんまに中村選手はどこに行くんやろうとこの1ヶ月は毎日スポーツ新聞を読みながら一喜一憂したもんです。中村選手がなかなか結論を出さんということで一部のタイガースファンは彼に対して印象を悪くしたらしいけど、これはもう大騒動にしたスポーツ新聞のあおりようが悪かったんと違うかな。尋常やなかったもんなあ。正式に発表があるまでそっとしておいてやれよと思うたよなあ。本人の心をさも読んだような書き方をしてたからね。タイガースに入団したら毎日こうやって騒がれることになるわけで、それが嫌でバファローズに残ることにしたんと違うか。それやったら、中村選手がタイガースを選ばなんだんはスポーツ新聞のせいかもしれへんぞ。

12月22日(日)

 原稿のための読書に専念した1日と言うたら聞こえはええけど、リビングに寝っ転がって読んでいるうちにむやみに眠くなり、本を読んでるのやら夢を見ているのやら。手に持った本を何度もばさりばさりと落とす。見るに見かねた妻が「ちゃんと寝たら?」。夕方から1時間ほど寝ようと布団にもぐりこんだら3時間くらい寝てしまう。
 あれ?以前も私は日記でこういうことを書いたことがあるぞ。もしかしたら、これが既視感という奴か? いや違う、つまり同じことの繰り返しというやつですな。ああ、私はいつになったら読まねばならん本を全部読み終えて原稿にかかることができるのであろうか。締切りは1月初旬だ。書かねばならん原稿は7本だ。年末年始、私には正月はないのであろう。もっとも、喪中ですから正月を祝うということはでけへんのです。それでもけっこうタイトなスケジュールではあるわい。

12月23日(月)

 今日は天皇誕生日。ラジオで小山乃里子さんが「ハッピーマンデーやら振り替え休日やらで月曜の休みが増えたんで、本当の祝日がいつだかわからなくなりそうですね」なんてチクリと言うてはりました。まさにその通り。確かに、連休が増えると消費も増えるかもしれへんけれど、なんでこの日が休みなんか判然とせんというのは「国民の祝日」の意義からいうてもおかしな具合かもしれへんね。教育基本法を改定して「愛国心を育てる教育」を義務づけようとする議員さんたちもいてるわけやけれど、本来ならば「新嘗祭」であるところの「成人の日」を連休を増やすというためだけに毎年日が変わるようにしてしまうというのは、いわゆる「愛国心」から最もかけ離れた行為なんやないかね。
 それやったらほんまにその日かどうかわからん「建国記念の日」も毎年月曜日の休みにしてしもうたらいかがかな。「新嘗祭」を動かせるんやったら、「紀元節」かて動かしても問題ないはずですぞ。

12月24日(火)

 今日の経済ニュースを見ていた妻が私に「ラトルってカラヤンの後継者なん?」ときいてきた。音楽的には必ずしもカラヤンの後継者とはいわれんとは思うが、まあベルリン・フィルの音楽監督ですからね。後継者とはいえなくはない。私なんかカラヤンの音楽的な面の後継者は小澤征爾であると思ったりしているんやけれど。なんでもニュースでの説明でサー・サイモン・ラトルを「カラヤンの後継者」としていたらしい。
 なんでも、この年末は小澤征爾、サイモン・ラトル、佐渡裕がそれぞれ録音したベートーヴェンの「第九」が相乗効果でどれも売れているそうな。今年のはじめ、小澤の「ニューイヤー・コンサート」がオリコン入りして話題になったけど、「第九」も「小澤」ブランドとして売れてるんやろうね。それに引っぱられてラトルと佐渡も売れている、ということらしい。
 クラシック・ファンとしては「第九」であろうが「ニューイヤー・コンサート」であろうが、売れてくれれば嬉しいもんであります。クラシックのCD売り場がどんどん縮小されている現在、これがきっかけになればいいと思う。とはいえ、これらの「第九」を聴いた人が、次はフルトヴェングラー、その次はバーンスタイン、それからヴァントという風にいろいろと聴き比べ、次は「運命」を、その次は「英雄」「田園」を、ピアノソナタ「月光」「熱情」「悲愴」を、という具合にどんどんと聴くものを広げていくとは思われへんところが辛いなあ。
 書籍ではモーツァルトを使うて作業の集中力を高めるという本が売れているらしい。なんでもかんでもモーツァルトという発想自体が気に入らんのではあるが、同じモーツァルトの曲でも、演奏家によっては橋にも棒にもひっかからんような録音もある。カラヤンのモーツァルトとショルティのモーツァルトではまるで違う音楽になってしまう。ブリュッヘンやアーノンクールとなると、同じ曲とは思えんくらい解釈が変わる。BGMに適さない演奏もあるからね。十把一からげにしてしまう無神経さが気になる。
 ニュースのキャプションでは「クラシックが売れている?」とあったけど、売れているのは「第九」だけでは、ねえ。

12月26日(木)

 昨日の晩はクラシックファンの集まる京都のスナック「ショパン倶楽部」へ。何ヶ月ぶりかなあ。楽しく飲みました。今年の飲み会はこれが最終。年が空けてからは3つほど飲み会の予定が入っている。そんなんしんと原稿書かねばと思えど、その前に読まねばならぬ本多数あり。なんか年越しという感覚がないなあ。

 民主党から何人か抜けて保守党に合流し、その保守党からまた何人か抜けて自民党に合流し、「保守新党」なる政党ができてしもうたわけですな。こういうのは政界再編とはいわんなあ。「保守新党」略して「保新党」。うむむ「保身党」というわけですか。偶然とはいえうまい語呂合わせになりましたな。私は「現代社会」の授業で政党のことを説明する時に「政策や利害が一致する政治家が集まって作る政治団体」というたんやけど、政策はともかく利害だけは一致しているね。あの時「政策を同じくする政治家が集まる」てな説明をせんでよかった。民主党を飛び出して「保新党」に参加した人たちは確かに菅直人代表と政策が必ずしも一致するわけやないけれど、それでもこれまでは党内で論議を戦わせながら共存しきたんやからね。結局は「利害の不一致」これに尽きる。社会の教師の辛いとろは、教科書には政治の実態よりも建前や理想が記述されてるからそれを授業で解説せんならんことかな。現実はこうですからね。しかし、それにしても「新党渡り鳥」みたいな議員さんが多いねえ。小池百合子さんなんか、政界に登場した時は「日本新党」、ついで「新進党」、ここで細川さんから小沢さんに鞍替えして「自由党」。野党になるのが嫌だったために「保守党」で、行き着いた先は「自民党」。わかりやすいといえばわかりやすいけど、最初に小池さんを支持した人たちが彼女に求めていたものとはかなり違うように思うけどねえ。
 なんにせよ、景気対策も政治改革もそっちのけでこういうことばかりしてるというイメージが定着するのはまずいんやない? いよいよ幕末という雰囲気になってきたぞ。

12月27日(金)

 京都中央信金に立てこもった男はいわゆる「貸し剥がし」の犠牲者とみなすこともできるし、本人も犠牲者代表のつもりやったんと違うかな。過激な行為をして目立とうとしたのはいわば自分が捨て石にでもなるつもりやったんと違うかと思う。いくら本物の拳銃を持っていたからというても、犯人はそれを実際にぶっぱなしたわけやない。あくまで小道具としてしか使うてへん。人質も最終的には全員無傷で解放している。もともと人質を取って立てこもったからというて負債を棒引きにしてもらえるわけがないということは承知の上やったんやろう。もう自分はどうなってもええから、金融機関のやってることへの抵抗というものを示したいと、そういう思いやったのと違うかな。犯行予告ビデオなんてものを撮っていることからもそれがわかる。
 そやけどねえ、捨て石になってでも、なんて当人の思いはたいていは相手には伝わらんもんなんですよ。相手は最初から自分のことなんか歯牙にもかけてへんのやからね。犯人はもう頭に血がのぼってるからそこらあたりがわからんかったんやろうなあ。私もまあ非常にしんどい目におうて「ようし、ここは俺が捨て石になってもええから行動に出たろ」と思うたことは何度もある。ところが、その度に誰かが止めてくれるわけです。「あんたはそういう思いでも、向こうにその気持ちはわからんのやから、損するだけやで」とね。そう言われて、私も頭に水を浴びせかけられたみたいにはっと気がつき、冷静に考えてみる。それで行動を思いとどまる。そんな具合かな。
 もっとも、今回の犯人はかなり巨額な金がからんでいる。しかも、不良債権をかかえている金融機関はつぶされる可能性が高いから、そっちも必死やろう。
 犯人のやったことは確かに犯罪ではある。そやけどねえ、なんかこの犯人に哀れさを感じるわけですよ、私は。自分が捨て石になってでも世間に負債をかかえたものの苦しみをしらしめようとするという、その気持ちが完全に裏目に出てしもうた。おそらくは一番訴えたかった相手、つまり景気対策に十分な手を打ててへん政府首脳には、その気持ちは一切伝わってへんと思うよ。そこがまた哀しいのやねえ。

12月28日(土)

 実家からもらった丹波の黒豆茶がなかなかいける。炒った大豆の香ばしい香りを楽しんだあとは、湯で柔らかくなった黒豆をつまむんである。これがまたうまいんだ。実家の母はおいしいものを探し出す嗅覚が優れているけれども、これもヒットです。どこで売ってるんかは知らんけど、お薦め。

 新刊で目についた本はなるべく買うようにしている。あとで探しても入手でけへんようになることもあるからね。すぐに読むつもりで買う本の方が多いのはもちろんやけれど。ただ、どうしても事情でその時に読まれへん本はある。そういう本は、結局後回しになってしまう。あとから出る新刊が優先されることが多いからね。かくして私の書棚には未読の本がいっぱいたまるということになるわけ。ところが、新刊で出てから何年もたち、書評とは違う原稿の依頼が来た時に、そうやって後回しになってた本を読まんならんというようなことが起こる。
 さあ、これが大変でありますね。転居してから本の整理をきっちりしてへんもんやから、あの本はどこにいったんかいなというようなことになってしまう。実は今回そういう本が1冊あって、そらもう探した探した。1回は見つからへんで困り、妻に貸したかなとたずねてみたり、最悪本屋で買い直さなあかんかと覚悟した。実は、確かカバーの背表紙は黒かったなあと思いこんでたから、見逃してしもうてたんですな。先入観を排除してタイトルを1冊ずつ確認するように探したら……見つかりました。背表紙の色は……白。なんで黒やと思いこんでたんやろ。
 というわけで、あるとわかってる本を改めて買い直さんですんでよかったわい。もっとも、ちょっと前に出た本やからかなり大きな書店にまで足をのばさんと見つからなんだとは思うんやけどね。
 それにしても、本を探している間に「あ、これ読みたい」「あ、これも読みたい」と思うた本が何冊もあって困った。いつ読めるんやろうかなあ。

12月29日(日)

 第2回「M−1グランプリ決勝大会」をテレビで見る。ますだおかだフットボールアワー、そしてノーシードであがってきた笑い飯の3組が最終決戦に残る。昨年惜しくもグランプリを逃したアメリカザリガニが決勝リーグ最下位というハプニングがあったりした。なにしろ今年は会場審査員という愚かしいものがなくなり、島田紳助、松本人志、立川談志、ラサール石井、中田カウス、大竹まこと、島田洋七といった芸に厳しいベテランのメンバーばかりが審査員として睨みをきかしている。そらまあ緊張するわなあ。
 いや実際、ますだおかだとフットボールアワーは互角のでき。昨年グランプリの中川家は必ずしもベストフォームというわけでなかったけれど、今年はかなり高いレベルでの争いになった。ラストチャンスということもあったのだろう、ますだおかだに軍配はあがったけれど、甲乙つけがたいとはこのことやね。笑い飯は大舞台を踏んだ経験がないというのがはっきりと出てしもうたけれど、間の取り方に余裕が出てきたら面白い存在になりそう。
 最終に残られへんかったコンビは、やっぱり「間」が悪い。観客の空気を読みながらうまく「間」をとらんと、爆笑は生まれへん。漫才は、ただおもろいネタを次々と連発すればええというもんやないと実感させてくれた。さて、来年はどんなコンビが出てくるか、楽しみやなあ。

12月30日(月)

 今日は「初詣切符」なるものを買うために難波まで出る。年末の買物客でかなり人出は多かった。切符を無事購入したあと、「ジュンク堂書店」と最近開店した「Tower Records」へ行く。書店ではもう特に買いたい本もなかったけど(新刊はたいてい先週末までにめぼしいところは買うているしね)、CD店では前から探していたピアノ曲のCDを購入することができて、わざわざ難波まで出たかいがあった。これは梅田の「Tower Records」や京都の「十字屋」にも置いてなかったもので、見つけた時は嬉しかったなあ。
 ほんまやったら本もCDも地元の店で買う方がええと思う。大きい店でばかり買うのは本やCDの流通を考えるといかんのやないかとも思う。ただ、ことCDに関しては結局ブロックバスター店でしか買われへんのです。というのも、地元のショッピングモールに入っているCD店やレンタルビデオ店で売っているクラシックのCDは「名盤ベスト100」みたいな企画ものばかりで、話題の新譜すら入荷してへんかったりする。クラシックは売れへんもんなあ。置いても仕方ないよな。ポップスのCDは基本的には買わんからねえ。今日見つけたCDなんか特にそうやろうな。イリーナ・メジューエワがピアノを弾いている「メトネル・アルバム」なんてよほど好きな人やないと買わんぞ。メトネルなる作曲家自体知られてへんわなあ。しかもCDの発売元は「音楽の友社」。出版社やないかい。普通の流通ルートに乗ってるんか? このCDは。
 パッケージには「このCDは権利者の許諾なく、賃貸業に使用すること、個人的な範囲を超える使用目的で複製すること、また、ネットワーク等を通じてこのCDに収録された音を送信できる状態にすることが著作権法で禁じられています」と断り書きがある。これはまあどんなCDにも記載されてることやけれど、基本的にはレンタルCDとして置かれるとはまずなかろうし、違法コピーをして売ろうにも買い手は極端に少なかろう。ネットに関しては、これはマニアックな人が集まる場所もあろうから、欲しがる人もいてるやろう。でも少数やろうな。そう思うと、なんかこの断り書きがもの悲しく感じられる。
 そんなCDを買おうと思うたら、やっぱりブロックバスター店に行かなしゃあないんよ。あと、ユニークな曲の収められた珍品CDもやっぱり地元のCD店では手に入らんかったりするもんなあ。こうやって、書店もCD店も大型店鋪が小さな店を駆逐していくかと思うと、内心忸怩たるものがなくはないんやけどね。

12月31日(火)

 さてもさても大晦日であります。毎年年末らしいことをしない夫婦ではありますが、私は原稿を書く準備の読書でここ数日家のことは一切できず。いやもう毎日3冊ずつ本を読むという荒行であります。年間1冊も本を読まんという人もいてるやろうに。そのかわりテレビは見てないけど。紅白歌合戦も見てない。夕食は妻と近くのイタリアレストランへ。帰ったらこのページを書いて、さあ、第9でも聴きながら読みかけの本を読んでしまうか。その1冊を読んだら、なんとか原稿にかかれるのです。明日は実家に帰るから原稿は書かれへんとしても、正月はもう原稿書きに専念せねばなるまい。この仕事は私一人だけの仕事ではなく、数人の書評家が手分けをして書いている。他の人はもう原稿書きに着手してるんやろうなあ。もう書き上げた人もいてるかなあ。日記なんか書いてる場合か。とにかく本を読まな。こういう泥縄をしてるのは私だけかもしれんなあ。ああああ。ちょっと焦ってきた。
 ま、締切り過ぎんようにがんばります、S澤編集長。

 てなわけで、今年もおつきあいいただきありがとうございました。みなさま、よいお年をお迎え下さい。


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