ぼやき日記


5月21日(水)

 とにかく今日は休憩する暇もないくらい忙しく、家に帰ったらぐったり。野球をテレビで見たあと、パソコンに向かうが、なかなか文章が進まない。
 でも、今日家に届いていた本を手にすると、そんな疲れもほぐれていくような気がする。長いつきあいの友人である漫画家おがわさとし君の初の著書「京都虫の目あるき」が、それ。京都新聞に連載されていたまんがエッセイに、新たに案内の地図やなんかを書き加えてまとめたもの。実は、ヒトコマだけやけど、私も登場している。さてどこでしょう。あてたら偉い。おがわ君のゆったりした感性が十二分に発揮されてて、例えば同じところを私が歩いて文章にしたとしても、こうは絶対にならへんやろうと思う。「京都ぼやき歩き」では誰も買うてくれんわなあ。だいたいそんな依頼がくるわけないか。それを言うたらしまいやないかい。
 うん、なんかほっとするのね、ほんまに。おがわ君は町の中のちょっとしたものにも目配りをして、あたたかくそれをとらえる。ええなあ。
 それに、初めての著書というのが嬉しい。40歳まで待ったけど、こんなに美しい装本の著書を出してもらえたら、待った甲斐があるというもの。ほんまによかったなあと思う。羨ましくはあるけどね。
 ところで、私の作品を収録した本が出るという話やったけど、あの話はどこへいったんかなあ。収録許可を求めてきて以来、何の音沙汰もないぞ。企画がつぶれたのかなあ。うううう。
 なにはともあれ、おがわ君、おめでとう。これを読んではるみなさんもぜひ手にとってみてほしいですよ。ものすごくええ本やから。

5月22日(木)

 今日書店に並んでいるのを確認したので宣伝しておこう。
 徳間デュアル文庫の最新刊『手塚治虫COVER タナトス篇』(デュアル文庫編集部・編)の解説を私が書いております。どう読んでも手塚治虫という名のついた本に解説を書けるということに対してむちゃむちゃ興奮していることがわかる。解説といいながら自分が手塚さんのサイン会に行った時の思い出を書き連ねていたり、冒頭でいきなり傲岸不遜な宣言をしたりと、いささか逆上気味ですね。
 この本には単行本未収録の手塚漫画が収録されている。と、いうことは……目次の同じページに私の名前と手塚さんの名前が並んでいる! こんな幸せがあっていいものか。夢やないのですよ。うちに送られてきた本だけやなく、書店に並んでいたものも全てそうなっていたから、これはもう間違いなく現実やねんな。こんな幸せがあってええもんか。ねえ、田中啓文さん。私は目次を見ながら深くその喜びをかみしめていたんやけれど、田中さんはどうやったかな。
 とにかく目次をじっと眺めているだけでじわじわと心の奥まで喜びが広がっていく。こんな本はいままでなかったし、これからもないかも。って、そんな楽しみ方をするのは私だけですか。普通の読者にとっては何の関係もないもんね。

5月23日(金)

 今日は体育祭。昨年はスターターという役割で一日中グランドにいたんけど、今年は警備係。部外者の侵入を防ぐという役回り。グランドでは歓声が起こり、諸連絡のために閉会式だけのぞいたんやけれど、その時も生徒たちはエキサイトしてるのに、私はそれに全く共感でけん。それはそれでなんか寂しいものがあるなあ。もっとも、今日は日射しがきつかったんで、外にいててもほとんど日陰にいてられたから、体力的にな消耗はそう激しくなくてよかったかもしれんけど。学校行事に対して、こういう感じでコミットするのは初めての経験なんで、ちょっと戸惑いもあったかもしれんな。なんかその場にいてるのに他人ごとみたいな、そんな変な感じではある。

5月24日(土)

 今週末は久々に外出の予定なし。正直なところ疲れもたまっているので休養にあてることにする。

 というだけで終わったら愛想がないので、もう少し書く。
 私は人に自分の名前を紹介する時は、必ず「喜びに多いと書く喜多です」。ということにしている。そないせんと、相手は必ず「北」という苗字やと思うらしい。ところが、私はこれまで40年生きてきて、実際に「北」という苗字の人と会うたことがない。「喜多」ならある。こと関西に限っては、「北」姓よりも「喜多」姓の方が多いのやないか。
 実は「喜多」には大きく分けて二つの系統があるらしく、一つは石川県、一つは奈良県やそうな。うちの先祖は石川県の小松の出身やそうなので、北陸派になる。実は北陸派では「北」姓と「喜多」姓は混在しているとも聞く。奈良派は「喜多」姓がほとんどを占めるらしい。
 というわけで、関西ならば「キタ」と発音する姓は「喜多」が多いはず(「喜田」と書いて「キタ」と読ませるケースもあるがこれは少数)。そやのに「キタ」というと相手は「北」を連想するんですなあ。なんでやろ。
 大学時代、「矢満田」という人が同じ学部の先輩にいた。「ヤマダ」と呼ぶ。ここらへんになると「『ヤマダ』です」というと必ず相手は「山田」と書くやろう。きっといちいち説明してたに違いないね。ほんまに、苗字は難しい。
 学校の教師をしていると「こんな苗字もあるんか!」とびっくりするような苗字の生徒を教えることはしょっちゅうある。読み方がわからんから、最初の授業で確認をしておく。一番最初やったら生徒もある程度許してくれるからね。そこで確かめんとええかげんにしておくと、半年くらいたって間違った読み方をし、むくれられたりする。いやほんま、苗字は難しい。

5月25日(日)

 鉄腕アトム第8話を見る。七色いんこが悪役で登場。「破壊こそ美だ」という主張をする。七色いんこでもええんやけど、ここらへんはロックにやらせたかったなあ、なんてのは個人の趣味の問題ですか。ストーリーに大きな破綻はなく、今回はまあ安心して見られた。第1話で住民を無視してアトム復活のためにエネルギーを一ケ所に集めるという暴挙をしたお茶の水博士も、今回はその反省からかロボット超特急の乗客を不安がらせないようにするなど、細かいところに目配りできるようになっていた。どうも七色いんこは今後もレギュラーで登場しそうやから、やっぱりこの役はロックにやらせたい……しつこい?

 夕食時にたまたまテレビをつけたら「懐かしのアニメの名セリフ」という企画ものをしている。相変わらず芸のないことやねえ。人気投票で選ばれた名セリフということやから、多くの人が知ってるはずのもののはずやのに、画面の向こうでギャラリーが「おおお」と驚いたり笑ったりしている。みんなそんなにアニメを見たことないの? なんかどういう基準で選ばれたんかわからんタレントがコメントするのもうっとおしい。それやったら新旧の声優を集めてコメントさせろや。10年1日のごとくこういう企画を続けるということは視聴率がとれるということなんやろうけれど、アニメに対する愛が感じられん企画ではある。
 そんなに懐かしがるんやったら、その時間枠で名作アニメの再放送をしたらどないだ。「パンダコパンダ」を「宮崎駿の幻のアニメ」てな紹介をするのも今さらおかしいし、爆笑問題の田中が「これは東映まんがまつりで仮面ライダーといっしょにやってた」という間違いを訂正せずに流すんやもんなあ(これは東宝チャンピオン祭でゴジラと併映のはず。この時の東映まんがまつりのパンダものは「パンダの大冒険」であります)。

5月26日(月)

 浅暮三文さんが「日本推理作家協会賞」を受賞したとの朗報。東京創元社の小浜徹也さんの電話を受けた妻から教えてもらう。タイガース絶好調に加えてこの受賞。いやいやさぞかし喜びもひとしおでありましょう。デビュー直前の頃に「SFセミナー」でお会いして以来のおつきあいということになるけれど、あの時は「作家として食べていけるものなのか」と不安そうにしてはった。この前お会いした時はSF大賞の受賞式やったけれど、(年上の人をつかまえていうのもなんやけど)ものすごくええ顔をしてはるなあと感じたものやった。人間、自信がついてくると、表情も変わる。この受賞をきっかけに、さらにええ顔にならはるやろう。ほんまに、おめでとうございます。

5月27日(火)

 朝7時頃、ベランダで食後の一服をつけていると、マンションの別の部屋から目覚まし時計の音が聞こえてくる。毎朝どきりとする。自分の部屋の目覚ましを切り忘れたんやないか、と思う。ある時はタバコの火をわざわざ消して確認しにいったほど。で、これがいったん耳にはいると、もうあかん。頭の中でピピ、ピピ、ピピ、ピピピピピピピピピーと目覚ましの音が鳴り続けるのでありますね。それまでまだぼけていた頭がしゃきっとするんやったらええけど、頭の中で響いている目覚ましの音はただやかましいだけで、その音を霧の向こうから聞いているというような感じになる。
 この音を消してくれるのがラジオから聞こえてくる道上洋三さんの六甲颪。ここで音はピピピピからタンタカタンタカタタタタタに変わる。後はもう六甲颪に乗って出勤や。困るのは、タイガースの試合がなかった時やタイガースが負けた時ね。そういう日は六甲颪も吹かず日輪が蒼天を駆けたりもしないのです。目覚ましの音に追い立てられるように家を出る。こらいかんと思い、最近は意識して頭の中でややこしやーややこしやと唱えることにしている。問題は、これを唱えると、そも私とはなんじゃいなと朝から哲学的になってしまうことで、そうならんためにもタイガースには毎日勝ち続けてほしいものでありますね。

5月28日(水)

 廊下で生徒に呼び止められた。「先生、××に住んでるんやろ?」。「おお、なんで知ってるねん」。「昨日本屋さんにおったやろ」。「なんや、見られてたんかいな」。「やっぱりな。立ち読みしとったやろ」。「おお」。確かに、昨日は週刊誌を手にとって〈朝青龍には横綱の品格なし!〉というような記事だけ読んでいた。「立ち読みばっかりしてんと、買わなあかんやんか」。「買うてるがな、ちゃんと!」。実際、その書店では「週刊朝日」と「週刊プレイボーイ」を買うてるのであります。くだんの生徒は教室に入りぎわに「せんせーい、本は買わなあかんでー」とだめ押しをする。
 人聞きの悪い。私がどれだけ書籍を購入してるか知らんからなあ。もっとも、駅前の書店は新刊の品揃えが異常に悪いんで週刊誌程度しか買わへんけど。それにしても私に対して本を買うよう意見するとはなかなか度胸のある生徒ではあります。追っかけてってこのホームページのアドレスを教えてやってもよかったか。いやいや、それはいくらなんでも大人気ないというものであるね。
 それにしても、どこで見られてるやわからんなあ。立ち読み程度でよかったわい。「週刊プレイボーイ」なんぞを買うているところを見られたら「先生エロ本買うとった」などといわれなき噂をたてられたに違いない。コンビニでフィギィアを買うてるところを見られてたら……あ、それは別に何の問題もないか。とにかく、壁に耳あり畳に目あり。駅前での行状には十分気をつけることにいたしましょう。

5月29日(木)

 相当疲れがたまってきているらしい。なにかやろうと思っても、すぐに動くのが大儀になってきている。例年やと5月頭の連休でいったん疲れがとれるんやけれど、今年のカレンダーは祝日がほとんど土日と重なるから祝日による休みは実質2日だけというようなものになってしもうた。おまけに創立記念日も土曜日で、これもあてにしていた休みがとられへん。こういうのって、重なるんやねえ。そして来週から6月や。6月というのはみなさんご存知の通り祝日が1個もない月なんですな。政府はハッピーマンデーやとかいうて平日の間に挟まる祝日をなくして経済効果をあげるやとかいうてるけれど、それやったら6月になにか祝日を作りなさいよ。なんでもええぞ。過去100年の記録をひもといて一番雨の降る確率の高い日をひとつ選び「雨の日」というのをつくるやとか、夏至の日を祝日にするやとか、なんかないか。

5月30日(金)

 今日は職場で健康診断があった。40歳になったんで、胃部X線検診が今年から加わった。つまりその、空腹にしておいて検査直前にバリウムを飲み、X線写真をとるという、そういう検査でありますね。生まれて初めてバリウムなるものを飲まんならんことになったわけです。
 午後からということで、軽く朝食をとることは許されている。食後に消化剤を呑まなならんのやけれど、これを飲むとそのあとは水をがぶ飲みすることも禁止されるというので、出勤してから飲むことにする。そないせんと、汗かきの私はすぐ脱水状態になりかねん。麦茶をがぶがぶと飲み十分に水分補給をしてから消化剤を呑む。
 午前中には生徒の施設実習への付き添いというのがあって、老人特別養護ホームへ行く。ちょうど昼食の介助の時間。生徒たちは弁当持ちでお年寄りといっしょに昼食をとっている。たまたま鰻丼が給食で出ていて、お年寄りがもぐもぐと食べる。目に毒やねえ。腹がぐうぐう鳴る。職場に戻ると、午後からも授業。喉の渇きや口の中のねばつきはうがいでしのぐけど、それでも声はかすれ気味。
 やっとこさ授業が終わり、胸部X線検査、検尿、採血、血圧測定、心電図と進み、いよいよ胃部検診。まず炭酸の粉薬を呑まされる。これで胃をふくらましておいてバリウムを流しこむ。可動式の台に乗ると、技師さんがやれうつぶせろぐるりとまわれ横を向けと実に注文が多い。検査終了後、下剤を呑む。これを呑んでおかんとバリウムが固まって腸にたまるんですな。よーし、やっと昼食と食べたのが16時頃。急に胃にものを入れたんで、一瞬胃がいたんだりする。それでも帰るまではなんということはなかった。
 帰宅後、夕食を食べ始めたところで一発目の蠕動。きたよきたきたきましたよ。最初のはまあ、便秘気味の時の排便と同じ。便の色もそれほど白くない。白い筋がとこどころにはいるマーブル模様。夕食の席に戻って一口とったところで二発目の蠕動がくる。ここでバリウムはほぼ排出した。うすーい色の便やったから、これがいわゆる「白いうんこ」というやつでしょう。さて、それからが問題。出すもの全てを出しても、下剤はまだ蠕動を引き起こす。もう夕食どこやおまへんな。ひっきりなしに手洗いに駆けこみ、下痢と同じ状態の排便となる。これがものすごく体力を消耗するんですな。
 空腹で体を動かし、6時間ほど水分補給もせず、X線を体のあちこちに当て、その後は人工的に下痢を続けさせる。いやいや、こんなもんを毎年1回はやらんならんのかいな。そらみんな嫌がるはずやわ。
 結論。健康診断は、体に悪い。

5月31日(土)

 今日、プロ野球中継を見ていて、真の批評とはなにかを考えさせられた。
 ジャイアンツの抑え投手、河原は、昨シーズンこそリリーフエースとして大活躍し、優勝に貢献したけれど、今シーズンは投げるたびにめった打ちを食らい、今日の試合でもタイガース打線の餌食になっている。
 実は、昨シーズン、河原投手が絶好調の時に、週刊誌の連載であの江夏豊さんが「今はいいが、来シーズンの活躍は保証できない」という主旨のことを書いていたのを思い出した。江夏さんが河原投手に「リリーフをしてみてどう思うか」と質問したら、「楽しい」という返事が返ってきた。それでは本当のリリーフエースとはいえない、このままだと2年続けての活躍は難しいだろう、というようなものやったと記憶してる。
 昨シーズンの今ごろ、スポーツ新聞では河原のことを絶賛し、彼をリリーフに起用した原監督を名将呼ばわりしていたはずや。その時期に、江夏さんだけが長期的な視点で河原投手を分析していた。それが今年、現実のものとなっているわけで、その眼力はさすがやと思う。
 私も書評というものを書いている以上、目の前の1冊だけをどうこういうのやなく、大きな視点で書かなあかんと痛感させられる。江夏さんとまではいかんでも、調子のよい新人作家にも敢えて苦言を呈するべきやし、優れた作家が書いたものでも駄作は駄作として指摘せなならん。今まででもそうしているつもりやけれどね。そして、私の眼力が確かやったらその苦言や指摘は読者のみなさんの支持を受けるやろうし、的外れやったら見放されてしまうやろう。
 泣きそうな顔でマウンドを降りる河原投手を見て、そんなことを考えた。いやいや、タイガースがこうまで強いとただ勝った勝ったと大騒ぎするだけやなく、いろいろと考える余裕ができるもんですなあ。わはははは。


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