ぼやき日記


7月22日(火)

 第42回日本SF大会「T−con2003」に行ってまいりました。会場は栃木の塩原温泉。私たち夫婦は生まれて初めて東北新幹線に乗るという経験をした。それにしても遠いなあ。大阪の自宅を朝の10時過ぎに出、地下鉄、JRを乗り継いで新幹線で東京へ。そこから東北新幹線「なすの」で那須塩原に。着いたのは夕方の4時頃。ホテルのシャトルバスに乗ること40分。新幹線では爆睡。前日に全ての授業が終り、緊張の糸が切れたという感じやろか。「なすの」に乗っていると、プログレスレポートを広げてる夫婦ものがいたりして、今年もSF大会に来たんやなあという気にさせられたけど、去年は車両がSFファンで占められていたという感じやったのに、今年はそうでもない。大森望さんが「偵察にきた」と知った顔を探しにやってきた。うん、大森さんの顔を見るとSF気分が高まるなあ。
 那須塩原の駅前には会場の「ホテルニュー塩原」の幟を持ったSF大会スタッフの方が並んでくださあいと声をかけてくれる。ここではさいとうよしこさんにも会う。令息のトキオくんはしっかりと歩いていてびっくり。子どもの1年は大きいなあと実感。と、ここで私の携帯にメールの着信音が。SF関係者に設定してある着信音や。いったい、誰が私に……。
 というところでレポートは明日に続きます。としたいところやけど、この手は前にさんざん使うたな。いくらなんでもしつこいのでやめ。メールをくれたのは小林泰三さんでした。もう会場に着いてはるとのこと。
 シャトルバスに乗ってたら、だんだん山深くなる。ううむ、いったいどんなところに連れていかれるのやら。って、ごく普通の温泉街でありました。ホテルに着くと、小林さんや北野勇作さんがいてはった。まずは部屋に荷物を運びこむ。今回は相部屋で、巽孝之さんと小谷真理さんのお二人と我々は同室。お二人はまだ到着してはらへんので、開会式会場へ。一般参加者の人たちも続々到着。ゲスト紹介では小松左京さん、野田昌宏さん、柴野拓美さん、豊田有恒さんといったSF作家第1世代の方たちがスピーチ。司会は東京創元社の小浜徹也さん。京都SFフェスティバルの合宿と同じ調子でできるところがすごいなあ。
 雰囲気がいやが上にも盛り上がったところで、続きは明日。このネタで1週間はもちそうですね。

7月23日(水)

 上方落語協会の新会長に桂三枝さんが選出された。絶妙の人選ですね。つまり、アクの強い芸人集団で、カドをたてずにまとめあげられ、しかも看板としても誰もが納得できる人物。いやいや、選ばれたのをきいてほんまにうまいこと選んだなあと感心も得心もしたねえ。

アトムのケーキ
 というわけで、昨日に続いて、第42回日本SF大会「T−con2003」の様子を書くのであります。
 オープニングアニメは女の子がおっかけあいをするというような内容。まあまあ面白かったけれど、デジタル技術のおかげでアマチュアでもちゃんと見られるものが作れるんやなあと感心した次第。
 チェコの歌劇場にかつて所属していたというヴァイオリニストとピアニストのコンビが鉄腕アトムの主題歌を奏でる。もちろん、古い方の主題歌です。これでZONEの歌う今の主題歌「true blue」が奏でられたりしたらブーイングものでしょうな。ところで、このお二人は毎朝、朝食時に古今のアニメソングを次々と奏でてはった。前もってかなりの量の楽譜を渡してあったということやけれど、それをあれだけきちんと弾きこなしてはったのはすばらしい。出稼ぎやねんやろうけれど、なにも温泉のホテルで仕事をせんなんこともあるまいに。クラシックの仕事というのも需要が少ないのやろうねえ。
 いや、楽士さんの心配をしていても仕方ない。アトムの方です。今年はアトムの誕生した年、ということで、アトムの声(たぶん清水マリさんです。栗田貫一やないと思う)が特別参加。そのアトムへの特大のバースデイ・ケーキが入場してきた。上の写真がそれ。ふるまわれたケーキをいただいたけど、なかなかおいしかった。だいたいここのホテルは食事はよかった。味つけはちょっと濃かったけど、これは関西人の舌やからそう感じたんやろうね。開会式の後は立食パーティー。ホテルの開催という条件を十分に生かした企画やね。
SF新人賞作家パネル
 開会式が終り、一番最初の企画に行く。魅力的な企画の中から「日本SF新人賞作家パネル」を選ぶ。これは、私が去年の「京都SFフェスティバル」で司会をした座談会と同主旨のもの。ただし、顔ぶれが違い、井上剛さん(第3回受賞)と三島浩司さん(第4回受賞)に「SFJapan」の編集担当加地さんがからむというもの。それだけに、裏話的なものもあったりして、楽しかった。ただ、残念やったのはあんまり人が集まらなんだこと。時間になっても人がこないので井上さんはドライアイス倉庫のアルバイトの話を前説でしはじめる。これが実におもしろい。ほんまに関西人はサービス精神満点やなあと再確認。客席には三村美衣さんなど一般の参加者よりもゲスト参加者が目立つ。私もこの2人をはじめとするSF新人賞作家に期待するところ大やねんけど、業界関係者には注目されているのに一般のファンにその存在が届いてへんということなんかなあ。それやったら、書評家である私がその魅力を伝え切ってへんということかもしれんなあ。そやけどね、あと数年してみ、この2人は一般のSFファンなんかの手の届かんところに行ってしもうてるかもしれへんねんで。ああ、あの時行っておいたらよかったと後悔するぞう。
 「死なないで」と「ルナ」の装丁の話なんかも出て、ほんまに興味深い座談会でした。京フェスの時とはまた違う角度のものになっていたのは、担当編集者を司会にもっていくというアイデアがよかったからやろうね。(写真は左から加地、井上、三島の各氏)
 というわけで、続きは明日です。

7月24日(木)

 毎日お届けしてます第42回日本SF大会「T−con2003」の私的レポートであります。
 「日本SF新人賞」企画の次は、「ハヤカワSFシリーズJコレクション」パネル。初日は第1部ということで、これまでJコレに登場した作家の方たち、北野勇作さん、林譲治さん、野尻抱介さん、小林泰三さんの4名を、編集担当の「SFマガジン」編集長である塩澤さんが仕切るという形。奇しくも4人ともハードSFもしくは理系SFでくくられる方たちばかり。したがって、話の内容はJコレよりもハードSFパネルというようなものになってしまう。もちろんそれはそれで面白いんやけれど、やっぱりJコレを冠したパネルなんやから、もっとたくさんそっちの話をしてほしかったなあ。同じ思いやったのか、会場にいてた作家の森下一仁さんが質問コーナーで手を挙げはって「もともとはミステリファンであった塩澤さんがこれだけのシリーズを発足させたことについて」というような内容の話を塩澤さんに求めたけれど、そこから話が転がったりはしない。私も作家さんたちに「Jコレに対する意識」をきいてみた。たぶん、自分の書きたいことをこれからも書いていくだけ、みたいな感じの発言が返ってくるやろうなあと思うていたら、やっぱりそうやった。その中では北野さんの「SFとはっきり打ち出したシリーズなんで、遠慮せずにSFが書ける」という発言が印象に残った。SF作家が置かれていた状況を証拠づける発言やなかったか。
蛍雪次郎さんと浅暮三文さん
 この日最後の企画から私が選んだのは「昔、コントを書いていた」という作家の浅暮三文さんと俳優の螢雪次郎さんの対談企画。今から四半世紀も前、ルパン鈴木さんと「螢雪次郎一座」というコントグループを作っていた螢さんの座付き作者としてコントを書いていたのが浅暮さん。コントの会話などを書いたことが今の作品にも生きているという浅暮さん。そして、浅暮さんの作品は全て読んで必ず感想を教えてくれるという螢さん。下積み時代の浅暮さんが自分の師匠と仰ぐ一人(もう一人は森下一仁さん)である螢さんへの敬愛の念が、馬鹿話のなかにもにじみ出てくる。ピンク映画の話、コント時代の話、そこに漫才の笑組の方や落語家の林家しん平師匠も加わって、芸人談義になったりもする。ここで浅暮さんが私のことを「新野新さんのもとで演芸を勉強している」と紹介してくれはった。駆け出しの放送作家と思われたかもしれんけれど。新野さんの名前が出るというのは大きかったみたいやね。実は、笑組の方とは翌日ホテルの廊下でもお会いして「いとしこいし師匠が人間国宝に選ばれてくれたら漫才も正当に評価されるのに」というような話をした。芸人さんとお話できる嬉しさは格別やね。笑組は以前新宿の末広亭で実際の漫才を見ていたから、話もしやすかった。あ、浅暮さんの話を忘れるところやった。今、浅暮さんは作家となり推理作家協会賞も受賞された。そして、そういう立場となって晴れて師匠である螢座長を招いて対談ができる。そう話した時、浅暮さんはこらえ切れずに涙をぬぐうた。見ているこちらも胸がいっぱいになった。私には「師匠」と呼ぶべき人はいてへん。ものかきとなるきっかけを作ってくれはった「恩人」には巽孝之さんや岡本俊弥さんがいてるけれど。ああ、羨ましいなあと思うた。
 企画終了後、会場に残って浅暮さんや螢さんが話を続けてるのを横で聞いてたりする。そのあと、お二人に着いていって温泉に。師弟が肩をよせて話し込むのを見て「ああ、ええなあ」と思いながら温泉を満喫。部屋に帰ったら、相部屋の巽さんと小谷さんがまだ戻ってはらへん。脱いだ服を持ってSFセミナーの人たちの部屋に潜りこんで雑談してたらお二人も妻も帰ってきたんで、速攻で寝る。
 というわけで、なんとまだ初日のプログラムが終ったとこですか。この日記、この調子でいつまで続くやら。それではまた明日。

7月25日(金)

 今日は天神祭。我が家のベランダからも花火が見える。日本一「いらち」な花火と違うやろうか。とにかく大量の花火を短時間のうちにがんがんと上げていくのは壮観。「一発ずつてなもたもたしたことしてられるかーい」とばかりに打ち上げまくる。ぽぽんぽんぽんぽぽんぽんと音を聞いてるだけでも楽しい。「たまやあっ、かぎやあっ」なんて掛け声ではおっつかん。「たまやかぎやたまやかぎやたまやかぎやたまやかぎやっ」と息つく間もなく声をかけなあかんわけやね。そんなことしてる奴はいてへんか。

池田憲章さんと伊藤秀明さん
 それはともかく、SF大会レポートの続きです。
 朝食はバイキング。時間に遅れたら食べられへんので、夫婦揃って必死のパッチで支度をしてレストランに。巽さんと小谷さんを起こした方がええんかどうか迷うたけれど、疲れ切って寝ているのを邪魔するのも、なあ……という感じがしたので、やめておく。格調高いヴァイオリンとピアノのデュオが奏でるアニメソングをBGMに食べる。
 朝イチの企画は、妻は「Jコレクション」企画に行ったけど、私は「ネット書店繁盛記」という企画に。出演はbk1の福原俊彦さんと東京創元社の小浜徹也さん。実は私はbk1で書評をしている関係で、客席にいながら大森望さんとともにコメンテーターみたいなことをすることになっていたのです。話の内容は、ネット書店の実態をかなり細かく教えてくれるもので、観客の中には「リアル書店」員である安田ママさんがいて、小浜さんはそちらに話を振ってみたりしたんで比較できて面白い。それにしても、「ネット書店」に対して「リアル書店」という言い方をするのが変やねえ。「ネット書店」には実態はないんか。書籍の売り上げによる利益をサービス分の送料が食うているというあたり、ネット書店間の競争が過当競争にならんことを願わずにはいられん。私はたいしたこともしゃべれずに終了。福原さん、ごめんね。
 続いては「NHK子ども番組の部屋 人形劇スペシャル」。「NHK連続人形劇のすべて」の編著者である池田憲章さんと伊藤秀明さん(上の写真では、左から池田さん、伊藤さん)を中心に、NHKエンタープライズ21の後藤克彦さんがコメンテーターみたいな感じで参加。とにかくコレクター魂というか、池田さんと伊藤さんの執念のすごさを思い知らされた企画。散逸して手に入らない資料が、古書店の目録にあったりすると、すぐに発表するあてがなくても購入する。そうせんと一般のコレクターによって死蔵されてしまうこともあるから、という。「少年ドラマシリーズ」といい、NHKはなんでこれらをフィルム撮りしておかんかったんやろう、子ども向けの番組に対して使い捨てみたいにしよって、と怒りすら覚える。それに対して作り手の方たちは人形を完全な形で保存してたりと、すごく愛着を持ってはる。それを追いかけて岡山や長野にまで行くお二人の執念たるや! ほんまに面白い企画やった。
 さて、企画が終って昼食をとろうとした私たち夫婦を待ち受けていた受難とは!
 というところで、本日これまで!

7月26日(土)

 先週の今ごろは塩原温泉にいてたんやなあ。一週間は早い。東北地方で大規模な地震があって、驚いたけど、もしこれが一週間前に起こってたら私たちも地震を体感していたということになる。被害にあわれた方には申し訳ないけれど、これが先週やったらSF大会どころやあらへんわな。

 さて、人形劇企画が終ったのが午後2時半。その後私と妻は昼食をとろうとホテルの中をうろうろ。ところがやね、ホテルの昼食タイムはとっくに終っていて、どっこも店はあいてへん。これは困った。さんざん歩き回った後、ほかのホテルの店は開いてへんやろかと外に出る。ちょうど、食料調達から帰ってきた人たちがコンビニの袋を下げて歩いているのを発見。おおおお、これやこれやとコンビニを探す。すぐにみつかり、夕食の時におなかがふくれてたらもったいないんで、パンやそばなどを買う。あとは部屋の鍵を持っている小谷真理さんをつかまえたらええだけや。
 ところが、これがつかまらんのです。小谷さん出演の企画はもう終ってて、どこにいてるか見当もつかん。あちこちうろうろしてから結局SFセミナーの人たちが使うている部屋に行く。そこでお昼を食べた時は、3時をとっくにまわってた。いやあ、歩いた歩いた。尾山ノルマさんが小谷さんと連絡をとってくれはって、食べ終ってから部屋に戻る。なんだかんだで「SFセンター試験」は受けず。妻は終りがけに行って問題をもらうたりしていたらしい。私はSFセミナー部屋で大相撲の千秋楽を見ていた。おお、魁皇が優勝したか。てな感じでテレビを見てたら、菊池誠さんが部屋に入ってきた。私は高校の教師、菊池さんは大学の教授。ともにテストを出題する側であって受ける側じゃないもんねーと勝手なことをいうている。妻はテスト問題といっしょに4色ボールペンをもろうてた。そうか。そんなもんがもらえるんやったら試験を受けたらよかった。物がもらえるとなると積極的になるという情けないやつではある。
 夕食兼「星雲賞受賞式、受賞パーティー」には参加。結果が発表されるたびに会場からは「おおおー」とどよめきの声。翻訳家の内田昌之さんがソウヤーさんのお面をかむって登壇したのは受けていた。山岸真さんは3年連続の受賞ということで、昨年の副賞の浴衣と一昨年の副賞のTシャツを着て登壇。見せびらかしている。人間型ロボットHRP-2は本人(?)が出演でけへんのでビデオ出演。おじぎだけやなしに土下座までする。そこから立ち上がる映像には感嘆。もっとも、私はこのあとの「星雲賞受賞者パネル」の司会を仰せつかっていたんで、結果は事前に全て知っていたから、感動は薄かったかも。
 サンダーバードのテーマ曲に乗り、ホテルの人たちが食事の準備を始める。ここらあたりの演出なんかうまいと思うた。大会の警備スタッフも、ホテルの人たちが動きやすいようにすばやくロープをはって道をこしらえたりと機能的に動く。こういうふうにスタッフがしっかり働いている大会は見てて気持ちがいい。立食パーティーなんであっちこっち移動しながら食料を確保。そやけど、お昼が遅かったからあんまり入らん。それと、次の企画の司会もあるし、そのプレッシャーもある。
 壇上では「ファンジン大賞」やらコスプレ・コンテスト「小谷杯」の企画をやっていた。だんだんそんなんも目に入らんようになり、いったん会場を出て一服つける。菅浩江さんが座ってはったんで、隣に座ったら、一般参加者の方がサイン帳を出してきはった。菅さんは手馴れた感じでサイン。私はというと、こういう感じでサインを求められたのはおよそ20年ぶりくらいか。大学でファンジンの編集をしていた頃、1983年の「DAICON IV」の同人誌売り場で高校生らしき男の子にサインを求められてどぎまぎした、あれ以来やな。私はアマチュア時代の方が知名度が高かったらしい。「私なんかでええんですか?」とサインをする。
 パーティーが終ったらしい。さあ、いよいよ司会する企画が始まるぞ。ここにきて私はかなり落ち着きが無くなってきた。大会に行く前から一番気にかかっていた企画やからね。
 さあ、私の司会はうまいこといったのか。いよいよ明日はレポート最終号であります。

7月27日(日)

大会プログラムブック
 いやもう一週間前のことを思い出しながら書くというのも大変ですな。最近記憶力が頼りなくなってきたんで、正確に思い出せるか不安でしゃあない。と思いつつキーボードをたたいていると、あら不思議、けっこう鮮明に思い出されてくるんですなあ。
 というわけで、ちょうど一週間前に行われた「星雲賞受賞者パネル」について書くわけであります。この依頼を受けた時は、あまり深く考えてへんかった。ところが、6月の中ごろに受賞予定者のリストが送られてきた時には、うーむとうなってしもうた。というのも、パネル・ディスカッションというのは出席者に共通のテーマがあって、それについて意見を戦わせるというようなもんですからね。が、リストのメンバーを見るとあまりにも多種多様すぎて接点がなさ過ぎる。ちなみに受賞者の一覧を遅まきながらあげておきます。太字は出席者です。

・日本長編部門「太陽の簒奪者」野尻抱介
・日本短編部門「おれはミサイル」秋山瑞人
・海外長編部門「イリーガル・エイリアン」ロバート・J・ソウヤー 内田昌之
・海外短編部門「ルミナス」グレッグ・イーガン 山岸真
・メディア部門「ほしのこえ」新海誠
・コミック部門「クロノアイズ」長谷川裕一
・アート部門 新海誠
・ノンフィクション部門「宇宙へのパスポート」笹本祐一
・自由部門「人間型ロボットHRP-2最終成果機(Promet)」出渕裕・川田工業株式会社 五十棲隆勝・産業技術総合研究所 梶田秀司

 どうですか。この人たち(ソウヤーとイーガンは除いても)を横に並べてどんな意見を戦わすというんですか。こういう企画はSF大会史上初めてらしいけれど、そらそやろ。私は頭を抱えましたよ。とはいえ、引き受けた以上はとにかくやらなならん。十数年来の友人もいるし、何度か話をした人もいてれば、もちろん初対面の人もいてる。受賞式の前に簡単な打ち合わせはしたんやけれど、新海さんは間に合わずパーティー会場でご挨拶しただけ。もうこれは出たとこ勝負みたいなもの。
 事前に考えていた原則は、「インタビュー形式にする」「発言は機会均等」「質問を一人だけに集中しない」ということ。それからありきたりであるけれども「受賞した今のご気分は?」「どういうところがSFファンに受けたと思うか」「今後の抱負」あたりの質問事項だけは用意した。質問したら、座ってる順番に答えてもらう。これはわりとうまくいったみたい。というのは、自分の番がくるまでに回答を考える時間ができたようやからね。それと、1つ目の質問は向かって左から順番に答え、2つ目は右から答えというようにした。これは現場で思いついたもので、マイクの数が少ないからそれをまわすという関係上、そうせざるを得ないという感じではあったんやけれど、これで考える時間もほぼ均等になったんと違うかな。
 内容に関しては、実はあんまり覚えてへん。私も夢中で緊張してたからね。
 企画終了後、牧眞司さん、風野春樹さん、井手聡司さんといった方たちからうまくまとまってたよと声をかけていただいたんで、やれやれ。大失敗はせんかったらしい。もっとも、「来年も喜多くんで決まりだな」と言われた時には思わず「もうやりたないーっ!」と叫んでしもうた。ああしんどかった。でももし来年同じ依頼がきたら、引き受けてしまうんやろうなあ。
 企画が終り、ほっとした私は座敷に行ってビールを飲む。志村弘之さんや野田令子さんがいてたんで飲みながらわいわい。もっとも、私のよう知らんファングループの部屋に行ってしまわはったんで、私は失礼してSFセミナー部屋に。深夜、最後の企画である「奇跡の詩人・論評」に行ったけど、酔いがまわって半分ねてました。小林泰三さん、ごめんなさい。
 自室に戻り、仮眠程度の睡眠をとる。朝食の後は、エンディングはパスしてシャトルバスに乗り、那須塩原〜宇都宮〜日光と電車を乗り継ぎ、東照宮観光。栃木なんかめったに行かへんから、せっかくやし観光もしようというわけ。いやいや、京都の観光地にはいっぱい行っているけれど、東照宮はそれとは違うてものすごく面白かった。
 いやまあとにかく2泊3日はやっぱり長かった。特に、大阪から遠距離移動をしたということもある。新幹線のシートが比較的座り心地がいいとはいえ、同じ格好でじっとしている時間も多かったしねえ。ただ、内容的にもまた運営上もかなりいい大会やったということだけはいえると思う。スタッフのみなさん、ありがとう。そして、お疲れ様でした。
 この1週間、日記につきあうてくれはったみなさんにも感謝します。レポートと称しながら内容をくわしく書いてるわけやないもんね。
 それでは、明日から通常の「ぼやき日記」に戻ります。

7月28日(月)

 今日は帰宅してから締切りギリギリの書評原稿を一気に書き上げる。書き始めたら早い。短距離走のタイプなのか、集中したらぐんぐん原稿が進むんやけど、問題はとりかかるまでが遅いということ。計画をたててきっちりと仕事をこなしていくのはどちらかというと苦手。これは稼業の学校の仕事でもそうで、今日もやらねばならない仕事がなかなか進まない。手をつけると一気にかたづくんやけどなあ。
 仕事のやり方としては効率は悪いと、自分でも思う。そのぶん、集中した時の効率はかなりいい。なんか組織を動かしていく人から見たら、きっと扱いにくいのと違うかなあ。私自身、組織の中で着実に業務をやっていくということについてはかなりしんどさを感じたりもしている。父はどちらかというと職人気質の人やねんけれど、それを受け継いでいるのかもしれんなあと思う。
 ぼちぼち童話の新作にかかろうと思うてるんやけれど、とっかかるまでが難しい。気が入ったらあっという間に書けそうやねんけどね。S学館のNさん、もう少し待っててね。

7月29日(火)

 SF大会に行ってたり、そのレポートを書いてたりしてて、すっかり忘れていたのがアニメ『アストロボーイ・鉄腕アトム』へのぼやき。こんなもんでも楽しみにしてくれたはる人もいてくれてるから、2回分まとめて書かずばなるまい。
 まず第15話。これはもうぼやく気にもなりません。脚本家が「技術」というものや「人工知能」というものに関して何もわかってへんとしかいいようがない。ストーリーは、反ロボット主義者がロボットが知能を持つことで社会がダメになるということを示そうとするために、悪党スカンクにロボットの人工知能を吸い取るロボットを作らせて、知能を吸い取られたロボットが初期設定だけで動いたために町が混乱に陥るという話。これって、逆と違うん。人工知能で制御してるから正常に動いてるロボットから知能を取ったらあかんという証明をしているだけでかえって逆効果になるやん。スカンクの操作するロボットは管を出してロボットの頭部から知能を吸い取るけれど、これってどういう仕組みになってるわけ? しかも暴走した敵ロボットはなんと人間の少女から知能を吸い取ってしまう。どういうテクノロジーを使うてるの? 初期設定だけで暴走するロボットたちやけれど、初期設定に自動制御プログラムは組みこんでへんのか。新シリーズは「手塚的」やないのとSFやないという理由でなじめん私やけど、この回はそれ以前の問題。と、思うてエンディングのクレジットを見たら、脚本家はどうやらアメリカ人2人組。何者か知らんが、少なくとも二度と日本のアニメにタッチせんといてほしい。あんたらが考えてるよりも日本のアニメの脚本は水準が高いんや。
 それと比べると、第16話は途中まではかなり面白かった。ロボットを狩るロボットが出現し、それに対してロボット刑事たちが導入される。アトムが手伝おうというと、「私たちはこのために作られたロボットだ」とアトムの介入を拒否する。ロボット・ハンターたちも「なぜそんなことをするんだ!」というアトムの問いに対して「おれたちはロボットを狩るために作られたロボットなんだ」とアトムの〈良心に訴えて改心させる〉作戦を拒否する。〈心のあるロボット〉には、一定の目的のために作られたロボットのことは理解できない。ここらあたりの食い違いが悲劇をうむという筋立ては前の回とは大違い。そやのに、ロボット・ハンターを操るスカンクが逃げ出してしもうたら、ロボット・ハンターたちは自分を犠牲にして自分たちが狩ってきたロボットを助け出す。辻褄は合うてるけれど、ここはアトムとほかのロボットたちはすれちがったまま理解し合えない、という結末でないと問題提起にならんのやないかな。まあ、アメリカに売るという前提があるから、そんな難しい話は作られへんのかもしれん。第15話程度のもので十分なんやろう。それやったら『鉄腕アトム』でやるな、といいたい。マーク・ハンドラーとジョーダン・アプローシャという名前がメインスタッフに見えるけど、こいつらがいかんのかもな。
 さて、こうやってアトムをぼやいてきたけど、毎週書いているうちになんか虚しくなってきた。このまま続けるかもう書くのをやめるか迷ってる。もし続けてくれという人がいてたらこちらまでメールを下さい。楽しみにしている人がいてたら、途中でやめるのも申し訳ない気もするんで。

7月30日(水)

 関西地方在住の方ならご存知かと思うけれど、阪神タイガースが快進撃を続けているのにみごとに便乗して「ローソン」では大々的なキャンペーンをはっている。黄色と黒のしましまのポスターがずらりと並べてはられてて、そこに数字がでっかく入っている。7、53、6、24、8、14、9、39、3……。タイガースの選手の背番号ですな。近くに寄って見てみたら、なんや小さい字で書いてある。何が書いてあるんかと目を凝らすと「燃える闘魂、この一振りに……」、「フィールド駆け抜ける、セ界一のスプリンター……」、「打球がライトスタンドをひとまたぎ……」と各選手がバッターボックスに入った時にファンが歌うヒッティング・マーチなんである。字が小さすぎて見えへんて。
 むろん、商品にもタイガースのマークが入っている。春先から売っていたコインビスケットやらのどアメやら。最近発売されたものでは「タイガース選手カードつき乾燥納豆」なんちゅうもんまである。タイガースのマークが入ってへんものには2個を1つに組み合わせてタイガースのマークのついたカバーをくっつけている。
 雑誌のコーナーを見たら、「週刊ベースボール」を筆頭に、「週刊朝日」「SPA!」「別冊宝島」「サンケイスポーツ」「デイリースポーツ」などなどの「タイガース増刊号」が目につくように並べてある。それだけやなく、「Number」「Sportiva」などのスポーツグラフ誌もタイガース特集を組んでいる。
 かつて1985年の優勝時にABCの道上洋三アナウンサーが出した「タイガース数え歌」という曲の歌詞に「なんでもかんでもタイガース 阪神阪神タイガース」というフレーズがあったけど、現状はまさにそう。それだけタイガースファンの需要は大きいということなんか、それはようわからんけど。それにしてもタイガースファンの私でさえ目に余るものがある。
 ローソンのレジではバイトの女性が黄色いハッピを着ている。支払いの時に失礼にならん程度によくみたら、ハッピには黒でローソンのロゴが入っていた。まいったなあ。この便乗商法に乗ってしまうタイガースファンはおめでたいというべきか、18年間の鬱屈が爆発して変な方向に行ってるというべきか。
 それでも、やっぱりやり過ぎでっせ、ローソンさん。どうせ九州では同じことを福岡ダイエーホークス版で展開してるんやろうなあ。福岡の方、もしよかったら教えてください。掲示板に書き込んでくれはったらありがたいです。

7月31日(木)

 先日の話。愛用の原チャリのバッテリーがかなり怪しくなって、もう替えへんとあかんなあと思いながらだましだまし使うていた。エンジンをかけるのに手元のセルスターターではかからんのやからね。幸いというかなんというか、キック式のスターターを使うと何度かキックしてるうちにかかったりなんかするもんやから、それでエンジンをかけていた。ところが、外出先で用事をすましてエンジンをかけようとすると、キック式のスターターがなんかひっかかってしもうたようになって動きにくい。ムキになって蹴ってたら、とうとう動かんようになってしもうた。勤務先の近くやったんで、とりあえず押して運び、しばらく校舎の裏に置いていた。職業別電話帳でバイク屋を探したけど、職場の近くにはあらへん。一番近いところでも30分はかかるような場所にしかない。1週間近くほったらかしにした後で、なんとか30分かけてバイク屋にまで持っていった。
 バッテリーとプラグを交換してもらう。キック式のスターターまでいかれていたのは、エンジン内部が汚れていたかららしく、「エンジンの掃除をしたらまわるようになりますよ」ということやったんで、それもお願いする。つまり、一発でエンジンがかからんもんやからしつこくしつこくスターターをまわしていたためにガソリンの混合気が燃焼されんままにエンジン内部にこびりついてしまうということらしい。早い話がずぼらをかましてバイク屋にすぐに持っていかなんだのが元凶というわけやね。
 原チャリはだいたい何年くらい乗り続けられるもんなんかなあ。スーパーカブみたいな業務用車やったら手入れをおこたらなんだら一生乗れるかもしれん。私の乗ってるようなスクーターはエンジンがツーサイクルやから、寿命はもっと短いはず。これまで乗っていたのは運転の未熟さから事故をしたりなんやかんやでそれぞれ5年以内に乗り換えていたと思う。今乗ってるのは少なくとも6年以上は乗っている。なんとか10年はもたしたいと思う。これからはずぼらせずにおかしいなと思うたらバイク屋に持っていこう。
 それにしても、意外とバイク屋って少ないんやなあ。電話帳を見ててそう思うた。自宅の最寄り駅近辺に1軒見つけたんで、次に「おや?」と思うたらそこに持っていけるからええけどね。バイクを押して30分はやっぱりきつかった。SF大会の疲れの取れへんうちにそれをしたもんやから、よけいしんどかった。そうやって苦労しただけに、今、手元のセルスターターで一発でエンジンがかかるのがありがたくて仕方ない。人生、簡単に便利さを手に入れるのはやっぱりよくない……ことはないと思うぞ。できることならもっと近くですましたかったわい。簡単に便利さが手にはいる方がもっとありがたいわい。

 明日は都合で更新は休みます。次回更新は土曜深夜の予定です。


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