ぼやき日記


12月21日(日)

 今日は「たちよみの会」。先月は私独りで寂しかったけれど、今月はありがたいことにアンサンブルの湯川さん、古参会員のせんちゃん、京大SF研の六角さんが来てくれはって、年間ベストの話やら、仕事の話やらをする。年末の忙しい時に、来ていただいて、嬉しかった。来月は新年会。たくさん集まってもらえたらええな。

 さて、今週の「鉄腕アトム」であります。今週は第37話「アトラス逆襲」。
 かつて宇宙に消えていったアトムの好敵手、アトラスが、発見された。反ロボット主義者のランプは、かつて天馬博士のもとで科学省の副長官をしていたパブロス博士にあずける。博士は「オメガチップ」という装置を使用して、AIロボットに指令を出して意のままに操るという技術を開発していた。このパブロス博士というのがうかつ者ですにょ。アトムを生け捕りにしたのなら、すぐにオメガチップを埋め込めばよいのに、埋め込む前にわざわざお茶の水博士に連絡を入れてアトムの改造を予告する。よほど自己顕示欲の強い人物らしいけれど、それやったらアトムを改造してから「アトムは俺様のいうことしかきかんのだ」と宣言したらよろしい。しかもアトムが改造アトラスの攻撃で故障したと思い込み、何も調べずに改造しようとして逆にやられてる。改造アトラスを操ってアトムを窮地に追い込んだのはいいけれど、天馬博士が登場してオメガチップの電波を妨害したため、アトムを破壊でけんのだ。この天馬博士も謎な人で、パブロスの秘密の研究所の場所をどうやって突き止めたのか。お茶の水博士は、アトラスの父親である財閥の社長トクガワの協力でやっと突き止めたというのに、天馬の方が早く突き止めてる。どないして突き止めたんや。しかも、オメガチップの実物を入手したのはお茶の水だけのはずで、そのお茶の水が妨害装置も作ってへんのに、天馬博士はいとも簡単にオメガチップのコントロールを妨害するシステムを作り上げている。どう考えても天馬にそんなことができるはずがない。実に謎の人物やね。都合がよすぎるにゅ。
 逃げようとするパブロスの乗った飛行機が故障して、パブロスは絶体絶命。アトムはパブロスを助けようとするが、手の打ちようがない。そこへ目覚めたアトラスが自分を犠牲にしてアトムとパブロスを救う。せっかく復活させたのになんかもったいないなあ。
 アトムのオープニングの主題歌は「どこからこの話を始めよう」という歌詞で始まるけれど、それを聞くたびに私は「最初っからやり直して始めてくれい」とつっこんでいるのであります。

12月23日(火)

 昨日も忘年会。授業も終了ということで、翌日のことは考えず飲む。へべのれけれけになって帰ってきたら、堀晃さんより「古事記伝/桂歌之助」CDが送られてきていた。「桂歌之助」出版記念として製作された私家版の非売品。かつて太融寺でこの落語の原型を聞いたことのある私は、いささか酩酊してはいたけれど、懐かしく聞かせてもらいました。堀さん、ありがとうございました。
 CDというと、あの「日本ブレイク工業社歌」が出ていたんで一昨日買いました。なんとオリコンのチャートにいきなり22位で初登場したそうな。ネット者が発売日にCD店に続々と足を運んだに違いないね。ホームページからダウンロードしたものと聞き比べると、台詞が入っているところが違う。なるほどね。こうやって既にダウンロードした人でもCDを買いなさいよというわけか。私はダウンロードしたMP3版は音質に不満があったんでCDを買うたんやけどね。ネット文化の広がりというものを感じるなあ。
 もっとも、「日本ブレイク工業」社歌のオリコンチャート入りを報じた「日刊スポーツ」ではこの歌の事を「ロック調」とか書いておったなあ。これは「アニソン調」やということで受けたんと違うんか。少なくとも私が初めてネット上で見聞した時にはそういうところが話題になってたと思うけど。というよりも、実際に聞いてみたらわかりそうなもんやけど。ネット文化は思うたほど広がってへんのかもしれん。どっちや。

12月24日(水)

 先週の土曜日出勤したので、今日は代休。朝はゆっくり寝て、起きてから書評を書く。これが今年のものかきの仕事納め。来年もコンスタントにものかきのお仕事ができればと願うのみ。
 夜はいずみホールへクリスマスコンサートを聞きにいく。タイトルは「今宵バッハとクリスマス2003」。私は普段あまりバッハは聞かへん。どちらかというとロマン派以降が好きなんです。ほたらなにかい、宗旨変えしたんかい。実は、妻が懸賞でこのコンサートの招待券を当てたんですね。違うコンサートに応募したんやけれど、それは外れてそのかわりにこちらにお一人様ご招待、という葉書が来た。というわけで、私独りでバッハとクリスマス・イヴを過ごすことになった次第。
 門良一指揮モーツァルト室内管弦楽団の演奏で、前半は関西の若いソリストたちを起用して「オーボエとヴァイオリンのための協奏曲」「チェンバロ協奏曲第4番」「コーヒーカンタータ」というプログラム。オーボエとヴァイオリンの演奏者の大学の後輩とおぼしき女性2人が私の隣に座っていて、演奏が終るとやたら嬉しそうに拍手をし、「こっち見てくれはったかなあ」とか言うてる。微笑ましいけれど、アマチュアのコンサートを聴きに来てるような雰囲気になるのはちょっとかなわんなあ。と思うたら、チェンパロ奏者の知人か家族らしき人たちが私の前の席に陣取っていて、「マキちゃん、緊張してへんかな」とか言うておる。ええい、ヤマハ音楽教室の発表会やないぞ、ここは。その若手たちは、かなり緊張してはいたものの、気合いの入った演奏でこっちも引き込まれるものがあった。演奏が終った後の全力を尽くしたというような表情が印象的。
 後半は「マタイ受難曲」から3曲。アルトの井上賀杜代という方はキャリアのある声楽家らしく、深みのある歌唱で聴かせる。そしメインプログラムの「管弦楽組曲第2番」は、フルートのソロに元大阪フィルの主席奏者、高橋成典さんが登場、かっちりとした演奏を聞かせた。私はもう少し流麗な感じの方が好きやねんけど、ここらは趣味の問題か。
 というわけで、ちょっと敬虔な気分になれた今年のクリスマス・イヴでありました。やっぱりコンサートにはちょくちょく行かなあかんなあ。

12月25日(木)

 アメリカでBSE牛が見つかって、大慌てしておるけれど、この前の忘年会では私は「牛角」でたらふく焼肉を食うたぞ。今さら遅いがな。しかし、アメリカ牛は大丈夫とかいうデータはどこから出たんかいね。もっとも、私らの世代はチクロに始まりPCBやら食品添加物やらとにかく体に悪いものが入った食べ物を知らん間に食わされてますからね。今さら慌てても仕方ないわい。

 それはそれとして、今日はクリスマス。真宗の門徒であるはずの私も妻もクリスマスソングをBGMに、忘年会のじゃんけんゲームで獲得したワインを飲みながら、お互いがサンタクロースになってプレゼントを渡したり、ケーキを食べたりして過ごしたのであります。
 今日の夕方、梅田まで出て百貨店でケーキを探したんやけれど、クリスマスケーキはどれも高いねえ。しかも、デコレーションがごてごてしていて、あまり食べたいとは思わん。経験上、デコレーションが派手なケーキはあんまりおいしくないと思うている。シンプルで、クリームなどていねいに塗られているものの方が、味も繊細でさっぱりした後口のように思う。私は別にケーキバイキングなどを趣味としているわけでもしょっちゅうケーキを買うているわけでもないけれど、ここらあたりの勘所は押さえている方なんです。
 というのも、母がお菓子好きで、子どもの頃からお菓子に関してはおいしいものを食べさせてもろうてきたからね。ケーキは、母が自分でこしらえたり、和菓子とケーキの頒布会に入っていたりしてたから、それなりに舌が鍛えられたかもしれんな。
 まあ、ケーキ屋さんも今日が書き入れ時。多少高くてもごてごてしていても、買う人は買うんやから、ええとしようか。

12月26日(金)

 昨日と今日は自宅研修日なんで、教材に使えそうな本をひたすら読む。研修ばかりしていたんで特に何も書くことはない。嘘じゃありゃせん、ほんまじゃで。ところで、今「ほんま」と打って変換したら「本間」になった。ほんま、というのは共通語でいうと「本当」という意味やから、「本間」という漢字は当てはまらんと思うんですが、生徒に文章を書かせたら、「ほんまに大変やと思う」となどと書く時に「本間」という漢字を当てる生徒がいてるんですねえ。これは、やっぱり携帯でメールを書く時に「本間」と変換されるんで、それがほんまの漢字やと思うて書くのかもしれん。それがもし定着して「ほんま」を「本間」と書く世代が台頭し、それが正しいというようなことになったら、携帯電話が文化を破壊したということになるんかもなあ。
 そんな先のことを考えている暇があったら、年賀状の一枚も書いた方がよろしいか。いやはや。

12月27日(土)

 先のことなど考えている暇はないので、年賀状を書く。昨年は喪中で欠礼をしたんで、2年ぶりの年賀状やね。以前にも書いたけれど、表書きは手書きにしている。裏はパソコンで印刷するんやから、表くらいは手書きで1枚ずつ書いて、お世話になった人、長い間ご無沙汰してる人、それぞれに顔を思い浮かべながら書く。基本的には一昨年にいただいた年賀状をもとに出しているので、もしかしたらもれがあるかもしれん。住所変更の葉書をいただいておきながら、古い住所の方を書いてしまい、あわてて没にし新しい住所に書き直した人もいてたり、集中力がだんだんなくなっていくのでうっかり自分の住所を書きそうになってしもうたり。
 こうやって年賀状を書いていると、年の瀬を感じるねえ。テレビは基本的にはつけっぱなしにはしてへんので、年末特番なんかも見ないしね。
 年賀状の図案ですか? 結局今年もスキャナで好きな絵をとりこんで作りました。年賀状のデザインをフリーでアップしているサイトにもいったけど、あまり気にいったものがなくてねえ。年賀状を書いたからというてほっとしてたらあかんのやけどね。書いた年賀状は出しましょう。手元においたままでは意味がない。なんで出してへんのか? 寒いもん。今日は大阪市内でさえ雪がちらついたんやからね。

12月28日(日)

 年賀状を出しに行った後、少しだけ片付けをする。ほんまは大掃除をしたといいたいところやけれど、いや、そこまで大胆なホラはふけません。いたって根が正直なもんでね。ちょっと片付けるだけで疲れてるんやからどうしようもないなあ。

 さて、今年最後の「鉄腕アトム」ぼやきです。今週の脚本は、マーク・ハンドラー! 事前に知っていたので、どんなものになるか楽しみで楽しみで。
 第38話「エミリーの願い」。宇宙環境で人間が生活する時に起こるアクシデントを事前に察知するために、感情を持つロボットを家族という形にプログラムしてどこかの惑星に居住させている。父親はマグマ大使で、母親はモルである。となると、子どもはガムのはずやけれど、なぜかエミリーという女の子やねんな。マーク・ハンドラー君、わかってないねえ、ちっちっち。その家族を反ロボット主義者の「スペースレーダー(?)」なる無法者が襲撃する。彼らは確か「ロボットは人間の道具であればいい」という主張の持ち主のはずで、エミリーの一家はまさしく人間の道具として使用されてるのに、なぜか単に「感情のあるロボットだから襲う」ということをする。私は、ここでこの話がコメディであることを看破した。非常識な行動をとる人物を登場させて起こる変なところを笑わせたいという、アメリカンコメディなんですな、マーク君。
 エミリー一家が襲撃されたことを知ったお茶の水博士はたまたま近くにいるアトムに連絡をとる。なるほど、ここで笑いをとるか。そんなに都合よくアトムが宇宙にいるというはずないもんな。マグマ大使はエミリーだけを脱出ポッドで助け出す。アトムはこの脱出ポッドを発見するんやけれど、相手がロボットやのに通信回路を開いたりせず、窓をノックして注意を喚起する。これが笑う場所かと思うたら、違うんですな。音声でのみコミュニケーションをとるという設定をここで示しておいて、その後でアトムとエミリーを宇宙空間で会話させるという変なシーンに続けることで笑いをとっているわけです。なかなかひねった笑わせ方ですな。しかも、人間の実験のために作られてプログラミングされてるはずのエミリー親子はなぜか青騎士の信奉者。アトムと「青騎士に言って私は戦う」と宣言するエミリーの前に、たまたま青騎士の移動基地が出現する。この都合のよさには笑えるね。
 反ロボット主義者は、捕まえたマグマ大使をすぐに壊すか人工知能だけ外しておけばええのに、なぜか檻に入れてレーザー砲でいつでもすぐに破壊できるように檻をセットしておく。このトンチンカンな行動をとるというギャグは、伏線であります。青騎士に「戦闘ロボットに改造してほしい」とエミリーがすがれば、なんとロボット学者のシャドウは「改造しても訓練に数カ月かかる」と、とても技術者とは思えない発言をして笑いを誘う。プログラミングの変更ですむだけの話ではないか。結局、別なメモリーを入れ替えてエミリーを戦闘ロボットに改造するんやけれど、メモリーを入れ替えただけやのに、顔つきまで変わってしまう。妻曰く、「それは(人形浄瑠璃の)ガブでしょう」。マーク君は日本文化に精通していると見える。なお、改造する際にエミリーのスイッチを切らずにことを始めるというシャドウの小さなギャグと、ロボットなのに通電した時に痛そうな苦悶の表情を浮かべるエミリーというくすぐりもマーク君は忘れない。
 かくして戦闘用ロボットと化したエミリーは、アトムと青騎士の噴射エネルギーを借りてシールドを突破する。そんな力づくでシールドを破ることなんてできるはずがないのだが、たぶんこれもギャグとして入れたんやろう。ちょっとギャグがすべってしまっているところですね、ここは。で、シールドを突破されたらすぐに質にとっている檻の中のロボットを壊したらええのに、この悪役はアホやから、エミリーやら青騎士やらに反撃をする。すぐに檻を破壊させることにも気がまわらんというボケなんやろうけれど、ここは誰かがつっこむ場面を入れてほしかった。ボケが生きてへんね。
 エミリーは両親を守り切るんやけれど、人間の攻撃を受けて壊れてしまう。もとのメモリーと交換し、修理も終るけれど、目を開けない。両親が必死に応援する。シャドウは「あとは回復待ちです」とボケる。ロボットに回復待ちがあるかっと誰かつっこんだれよ。ここでもギャグがすべっている。
 最後は目を覚まし、二度と戦闘ロボットにはなりたくないとエミリーがいうハートウォーミングなラストもアメリカン・コメディらしいところやね。
 思うに、今回欠けていたのは、ボケの台詞のところで間の手のようにはいるギャラリーの笑い声やなかったかと。……ここまで書いていて思うたけれど、私は本気で今週のアトムをコメディと思うたわけではありませんよ。時々字面通り受け取ってメールを送ってくださる方がいてはるんで、念のため。

 ほんまに笑うたのは「M−1グランプリ2003」。今年はフットボールアワーが優勝。昨年、惜しくも優勝を逃し、今年は本命視されている中での優勝なんで値打ちがある。3位に入った東京のコンビ、アンタッチャブルは初めて見たけど、ツッコミの側がツッコんだあとにぼそりと捨て台詞を言うのがよう効いていた。テンポもよく、吉本優勢の中で健闘していた。最終決勝には残られなんだけど、りあるキッズの20年くらいやってるようなしゃべくり漫才が私にはみごとに思えた。フットボールアワーにしても、りあるキッズにしても、しゃべりの間のええコンビがこうやって出てきているのは子どもの頃からの演芸好きとしては嬉しいね。

12月30日(火)

 昨夜は京都にあるクラシックファンの集まるスナック「ショパン」の忘年会。ゆらむぼさんはじめ、10年来のクラシック仲間が集まり、CDを聴きながら楽しく飲む。ノリントン指揮シュトゥットゥガルト管の「ベートーヴェン第九」は終楽章にきて弦楽器が疲れ果ててへたっとるねえ、上原彩子のライヴはいいですぞお、ワルターの同じCDのリマスター盤はどちらが音がええか聴き比べよう、てなことをわあわあと言い合えるのがすごく楽しい。おたくという点においては、SFであろうとクラシックであろうと、たいして変わりはせんということですわ。
 私はあまりに楽しすぎて終電を逃してしまい、深夜2時頃までハイピッチで飲んでへべのれけれけ。ゆらむぼさんの宿泊するビジネスホテルはシングルルームながらベッドが2つあるということで、別料金を払うて泊めてもらうことにした。助かった。なんせ、過去にはやはり京都で終電を逃してラブホテルに一人で泊まるという実に虚しい外泊をしたこともある。たちんぼの年をとったおかまさんが袖を引くのを振り切って敢然とラブホテルに入り、緑や赤の電気になぜか部屋の中に屋瓦が見えてるというけったいな内装の部屋で、ダブルベッドに一人で眠ったなあ。広いダブルベッドに一人で寝るというのは贅沢なんか孤独なんかようわからんが。テレビをつけたらポルノビデオがいきなり始まるし。何が悲しくて一人ぽっちのラブホテルでポルノビデオを見てんなんかなあ。いや、テレビは消したらそれでええわけですけどね。とにかく今回はそういう思いをせんですんだ。あらためて、ゆらむぼさんに感謝。
 朝食後、ゆらむぼさんと別れて大阪へ。昼過ぎには帰宅。まだ酔いが残っていて、しんどいしんどい。結局、帰ってからまた寝る。起きたら外は暗くなっていた。おおお、年末の貴重な1日を無駄に過ごしてもうたやないかいな。明日は梅田に出てお正月の買い物に行こう。なんとあと1日で新年を迎えてしまうぞ。こんなんでええんか。

12月31日(水)

 今日は年始の手みやげなどを買いに梅田へ。ディアモール地下街や大阪駅前第一ビルなんかは、もうすでにシャッターがしまってて「謹賀新年」と書かれたポスターがそこら中にはってある。もう新年がきたんかと思うくらい。
 阪神百貨店のタイガースコーナーに行ったら、そらもう人でいっぱい。グリコのCDつき食玩「逆転劇場」を箱買いするお客さんがかなりいてた。あれは関西地方限定販売やから、地方へのみやげにするのかなあ。地下の食品売り場では歳暮くずれの焼豚を格安で投げ売りしてる。
 大阪駅前第一ビルのチケットショップに行く。親戚におめでたがあるので、お祝いに全国共通の商品券をあげようと、見に行ったわけです。目当ての券があり、購入。
「袋にお入れしましょうか?」
 店員さんが言うてくれるので、入れてもらう。だいたいこういう場合はそれ専用の袋に入れてくれると思うやないですか。ところが、帰宅して見てみたら、「りそな銀行」と書いてある。ATMコーナーに束になっておいてある、あの現金を入れる袋ですわ。近くの銀行からごっそり持っていってるんと違うか。これは、この袋に入れたままで金封に入れるわけにはいかんわなあ。やっぱり、こういう券は百貨店で買わなあきませんか。さすが大阪、そこまで始末するかね。生っ粋の大阪人である妻でさえ驚いていた。
 というわけで、今年もおしまい。あと少しで新年やねんなあ。
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