ぼやき日記


1月1日(木)

 明けましておめでとうございます。本年も「ぼやいたるねん」をよろしくお願いいたします。
 元日は例年通り、私の実家へ。土佐の純米酒をたらふく飲む。純米酒や純米吟醸酒のいいところは、どんなに飲んでも頭が痛くならないところやね。清酒やら安物のウイスキーにビールなんかは合成のアルコールをまぜているせいか、酔いがまわるとずきんずきんと頭が痛む。上等の酒はうまいし酔い心地もよろしいな。

 昨夜、日記を書き終えてテレビをつけると、ちょうどボブ・サップ対曙の試合が終ったところやった。ハイライトの部分だけを見たけれど、曙の体型は現役自体とくらべると無惨にも崩れていて、あれではどないしても勝たれへんと一目見てわかる。大相撲の現役時代も一気の出足で勝負をきめるタイプやっただけに、少しでも時間がのびるとスタミナ切れしてしまうタイプの力士やった。それがあのぶよぶよの体やとよけいにもちそうにない。案の定、3分を超えたところでKO負けしていた。
 正直なところ、曙がK−1の選手として活躍できるようになるためには、あと1年以上は必要なんやないか。相撲の技を捨て、K−1の選手として体を作り直さんと、ただの道化に終ってしまうと思う。私の愛する大相撲の、元横綱が道化になってしまうのは、ほんまに辛い。曙が格闘家転向を表明した時に感じた危惧が現実のものになったという感じやなあ。相手が演出の才のあるボブ・サップやったからまだなんとか形にはなったと思うけど、それ以外の相手やと、今の曙やったら鎧袖一触でことごとくやられてしまうんやないか。
 曙よ、このまま客寄せパンダで終ってくれるなよ。相撲界での栄光を捨てたんやから、K−1の選手としてみごとな復活を果たしてほしい。相撲ファンとして、そう願わずにはいられん試合やった。

1月2日(金)

 昨年は喪中で欠礼をした。そのためやろうか、元日に届いた年賀状は少し減った。これは(私もそうやけれど)前年にきた年賀状を見ながら翌年出す方が多いということなんかもしれん。
 2通、転居先不明で帰ってきた。こちらは元日に新しい住所から送っていただいている方たちばかりやったんで、すぐに出し直しができた。転居通知の葉書はきてなんだから、おそらく昨年の年賀状が転居通知を兼ねてはったんやろうね。私と妻が結婚した時、「結婚しました」という葉書と年賀状を兼ねたけど、年賀状にはそういう使い方はあるからね。
 それにしても、欠礼するということは、けっこう影響のあることやねんなあと感じたね。2年続きで身内に不幸があったりしたら、その時点でそれまで辛うじて年賀状で連絡がとれていた人たちとのつながりが切れてしまうというようなこともあるかもしれんな。
 2年ぶりに、いろいろなデザインの年賀状を見ては楽しんでいる。それにしてもドラマ原作者の特権で主演女優とのツーショット写真を年賀状に使うてきた小林泰三さん(映画化の時に前科あり)は、予想を裏切らんという意味では律儀な方やと思う。桜井幸子さんの顔って、小さいんやなあということがわかった。それがわかったからどないやというわけやないんですが。

1月3日(土)

 今日は妻といっしょに近所の神社に遅まきながら初詣にいく。おみくじは吉。ゲンかつぎでしかないんやけれど、気持ちはよろしいね。
 夜は大阪に遊びにきた妹が家に寄ってくれて、楽しくおしゃべり。落ち着いた三が日を過ごせたと思う。
 昨日、妻が実家から持って帰ってきたおみやげが面白かったんで日記のネタになると喜んでいた。そのおみやげとは「東京大學饅頭」。いや、そういう饅頭があるんだ。私も知らなんだけど。なんでも東大の生協で売っているらしい。普通の桃山饅頭やったりするんやけど、東大ブランドの饅頭があるというだけで驚くね。私の出身校の生協には、Tシャツやトレーナー、ライターなどマーク入りの商品はいろいろあったけど、饅頭はなかったと思うな。
 なんでも、実家のご近所さんの息子さんが東大に合格したけれど、誰も信じてくれへんので、合格した証拠に買うてきて持ってきはったんやそうな。そんなもん、生協に行ったら誰でも買えるんと違うのんとツッコミたくなるけど。おそらく合格記念に買うてきてご近所に配ったり、学生が里帰りのみやげにしたりするというようなもんやねんやろなあ、たぶん。それにしても東大は饅頭まで作ってますか。果たして京大には「京都大学饅頭」はあるんやろうか。今度京大生にきいてみよう。いや、京都やったら「京都大学八ツ橋」やとか「京都大学落雁」みたいなもんを作っていてほしいものです。饅頭くらいどこにでもあるがな。「京都大学ロンドン焼き」があったらおもろいけどね。「ロンドン焼き」はローカルすぎましたか。

1月4日(日)

 昨日「東京大學饅頭」について書いたら、掲示板で京大SF研の大澤さんより京大グッズについて教えていただいた。うむ、やっぱり八ツ橋はありましたか。ゴーフルと瓦せんべいというのも面白いなあと思うたら、東大にも「東大ゴーフル」があるのを発見。それどころか「東大ワイン」まである。
こうなると、他の大学はどうなっているのかといらん好奇心が湧いてきた。例えば「早稲田グッズ」にも「慶應グッズ」にもラガーキティちゃんがあるのには笑うた。早稲田は食べ物系が充実していて、ゴーフルに瓦せんべい、むき栗、チョコレートと種類が豊富やね。対する慶應は食べ物はまんじゅうと煎餅のみ。関西といえば「関関同立」。立命館には「立命館瓦せんべい」があるけど、同志社の「同志社グッズ」には食べ物がない、であるとか、関西大学の「KUグッズ」には瓦せんべいとやわらかせんべい(瓦せんべいより柔らかいという意味やろか?)にクッキーがあるのに、関西学院大学には「関学クッキー」しか食べ物はないとか、いやい、学校によってさまざまで面白かった。それしても瓦せんべいとゴーフルがやたら目立つのはなんでなんやろう? もっとオリジナリティが欲しいなあ。「京大八ツ橋」はそういう意味では出色かも。
 ところで、あちこち見てまわって一番おしゃれで上品やったのが、さすが「神戸女学院グッズ」! 食べ物がないのは同志社といっしょやけれど、商品の質が段違い。なるほど、イメージ戦略というのはこういう風にするんやなあ。
 大学やないけれど、こんな饅頭も見つけました。どんな味がするんやろ?
 それにしても私は暇人か。探し出したら止まらんようになってしもうたけれど、他にやることあるやろう。

1月5日(月)

 昨日の日記はリンクはりまくりで、動作確認しててもちょっと恥ずかしい。人のなんとかで相撲をとっている気分ですね。
 というわけで、今日は自分のことを書かねばなるまい。
 今日は仕事始め。本来ならば出勤すべきところなんやけれども、研修届けを出しているので自宅で教材研究。3日後には授業開始やから、そろそろ起床時間など、リハビリも必要になってくるなあ。この暮から正月は久しぶりにゆったりと過ごした。そのせいか、心身ともに疲労がとれてきた感じ。
 夕方、なんとなく童話のアイデアを考えていたら、ふっと主人公の顔が見えてきた。そして、ストーリーが頭の中で勝手に動き出し始めた。すぐにMacを立ち上げ、ワープロソフトを開いて、キーボードを叩き始める。これは以前「S−Fマガジン」に掲載された「星の種」を書きはじめた時に似ている感覚や。なんというか、お話の神様が降りてきたというのか。
 一気に書いてしまう。一通り読み直し、すぐにメールで送稿。返事がいつくるかわからんけれど、採用されてほしいな。
 問題は、お話の神様がなるべくコンスタントに降りてきてくれはるようにせんならんということ。昨年1年間は、心身ともに疲れ切っていて、帰宅しても休日でも、お話を考え出せるような余裕がなかった。1年の計は元旦にありというけれど、今年は正月早々こうやってお話の神様が降りてきはったんやから、きっと1年間うまいこと降りてきてくれはるやろうと思う。楽観的すぎるかな。いえいえ、ポジティブ・シンキングでいきますぞ、今年は。

1月6日(火)

 今日は1日教材作り。明後日から授業がいきなり始まるから、すぐに授業に入れるようにプリントを作っておかんと対処でけへん。研修日やとはいえ、職場で教材作成してるのとほとんど変わらんぞ。
 ところで、新年が明けてそろそろ1週間になるけれど、また正月料理の残りで食事をとったりしている。2人暮らしやから、店で売っているままやと分量の調節がきかんのですね。
 今年の餅は雑煮にした時にえらいとろとろに溶けるんで、腰のない餅やなあと思うていた。餅の残りは焼いて食べるとうまい。オーブントースターで5分ほど焼く。まだふくらんでへんので、例年の餅と同じつもりでさらに5分追加して焼く。チン、と音が鳴ったんでレンジの蓋を開けたら、餅の外側だけが残っていて、中身は溶けてトースターの網にべっとりとくっついている。はがして食べるのが大変やった。
 なんやねん、この餅は。餅の入っている袋をよくよく見ると、こない書いてある。
「餅米粉100%!」
 粉……ですか。つまり、餅米を蒸してついたもんやないんですな。餅米の粉をといて練って粘らせて作った、いわば「餅団子」みたいなもんやったんですなあ。道理ですぐにとろとろになるはずや。
 というわけで、来年こそはちゃんとついた餅を買いに行かねばなるまい。みなさんもお気をつけください。

1月7日(水)

 今日から本格的に出勤。会議がある。そのあとは昨年末から続いている仕事の続き。さくさくとはいかんまでも、それなりに進む。とはいえ、明日からいきなり授業はきついねえ。前後期制なもんで、始業式ではないんです。

 長野県知事の田中康夫さんが「長野という呼び名よりも信州という呼び名の方が親しまれているので、県の名前を変えることを検討したい」とというニュースを正月早々きいて、なるほど、作家だけに言葉にこだわるんやなあと、当初は感心したりした。そやけど、「信州県」となると、言葉の由来からいうと違和感があるね。
 信濃の国という正式名称を略して「信州」という。これは長門の国を「長州」、遠江の国を「遠州」、甲斐の国を「甲州」、播磨の国を「播州」というのと同じ。木村拓哉をキムタク、渡邊恒雄をナベツネというのとはちょっと違うかもしれんが、まあ似たようなもんです。
 ところで、「県」というのは中国の「郡県制」に由来した呼び名やね。ただし、本家本元では郡の中に県がある。「州」には「国」の意味がある。ということは、「信州県」という呼び方は、「信濃の国の県」という意味になってしまう。屋上階を重ねるようなおかしな名称ということになるんやなかろうか。
 ただ単に「長野」よりも「信州」の方が使用頻度が高いという理由で県名を変えるというのは、実は言葉に鈍感なんやないかなあと感じた次第。変えるんやったら「信濃県」とした方がまだましか。そやけど、明治政府が律令制の時代から使用されていた「国」の名称を「県」に転用しなかったのには、ちゃんと理由があるはずで、「国」の名と「県」の名は別物という意識は働いていたはず。現在の都道府県をよく見ると、旧国名は一切使用されてへん。「信濃県」にはするべきやなかろう。まして「信州県」とは実は噴飯ものに違いない。
 地名というのはその土地の歴史を刻んだものやし、その歴史を考慮に入れへん変更は歴史そのものをないがしろにする行為やないかなあ。

1月8日(木)

 昨日の日記で「信州」について書いたところ、田中康夫長野県知事の意向は「信州県」ではなく「信州」だけにするのだというご指摘を受けました。正月のTVニュースで見た時に、手前勝手に「信州県」にするんやと思い込んでいたのです。事実誤認をおわびいたします。となると、「都道府県州」ということになるわけで、法律からまず変えていかんとあかんのと違うやろうか。またそうなると「信州」やなく「信濃州」にせんならんのと違うやろうかなどと、いらんことばかり考えてしまうわけですが。

 職場の仕事で翻訳を少しやってみている。アメリカのNGOが主催する学生によるエッセイコンテストの入賞者が訪日し、交流の一環として私の職場である学校に来るんですわ。で、そのエッセイを生徒のために邦訳することになったんですな。
 もともと英語が得意というわけやないけれども、辞書をひきひきやっていると、時間はかかるけれども、言葉そのものによる考え方の違いというものが実感できて、それが面白い。なるほど、原書で海外SFを読む方たちは、こういう楽しみも味わうたはるんやなあ。
 それにしてもわりかし平易な英語で書かれている(高校生の作文ですからね)にしても、慣れんことをすると非常に疲れる。帰ってきてから本を読もうとページを開いたけれど、時を読むこと自体が疲れる。こういうことも珍しい。英和辞典の細かい字を追うだけで疲れ切ったらしい。
 しかしまあ、直訳するとへんちくりんな文章になるんで、かなり意訳してるんやけれど、単語そのものを知らんので、辞書をひくだけで疲れる。で、辞書をひいて初めて「おおそうや、私は昔受験勉強でこの単語を調べたぞ」と思い出す。そうです。高校時代に使うていた辞書なんですな。つまり、私の受験英語は身についてはいないけれども、かろうじて記憶の片隅に残っているという、実に不経済なものなんですなあ。辞書をひく前に思い出せよ。

1月9日(金)

 翻訳はなかなか進まず。参考にと翻訳ソフトで訳してみたけれど、そんなもんでうまくいくくらいやったら翻訳家はいらんわな。だいたい何を言わんとしているかは見当がついたけれど、逆にかえって意味がわからんようになってしまう部分もあって、翻訳ソフトなんか使うたのは失敗やったかな。

 先場所限りで、テレビ朝日系の「大相撲ダイジェスト」という番組が終了した。いろんな事情で夕方の相撲を録画でけへんかったり、取り組みの進行が遅くて結びの一番がテープにおさまってなかったりした時に、「ダイジェスト」があったおかげで助かったことが何度あったか。そやのに、なくなるとはなあ。民放はやっぱり視聴率次第で番組が切られるんやなあとがっかりした。
 ところが、NHKがかわりに0時台に「相撲ダイジェスト」を放送してくれることになった。いやいや、ありがたい。だいたい相撲は平日でも夕方の時間にやったりしてるから、リアルタイムで見るのはお年寄りばっかり。昔は子どもも見たかもしれんけど、現在は子どもはその時間は習い事などでテレビなんか見てられん。
 確かに一時に比べると相撲人気は落ちてるかもしれん。そやからこそ、少しでも露出を多くして相撲を見られる機会を増やしてほしい。そう願うファンの一人として、NHKの編成の決断はありがたい。
 問題は、その時間帯はちょっとしたニュースで時間が大幅に変更になったりすることがよくあるということやね。録画予約だけでは不安やね。民放の場合はスポンサーの関係でそういうことはあんまりないからなあ。まあ、全くないよりも時間がずれてでもある方がいいには違いないんやけどね。

1月10日(土)

 今日、私がしたのは京都に行ってそこで薬をもらうことをしました。今日は寒くなるだろうと私は予想をしましたが、京都は私が予想していたよりも寒くはないそれでした。なぜなら私は大きな書店にはいるのは久しぶりでしたので、予想していたよりも多くの本を買うという故障がありました。なぜなら私は疲れていましたから、いっぱいに人が入っている電車には乗りませんでした。そして、その次に来た電車は空席を持っていました。私はその電車に乗り、そして座ることができました。
 ううむ、翻訳ソフトの日本文を真似して書こうと思うたが、これはこれで実に難しい。実際に英語で書いてみてから、翻訳ソフトならそうするやろうと思うて文章を組み立てるくらいのことをせんとあかんかなあ。あれはあれでちょっと真似のでけへん文体かもしれんな。
 暮に買うた本がほぼ読めてきたと思うたら、久しぶりにでかい本屋に行くとまた読んでみたい新刊がたくさん出てるやないかいな。明日はクラブの付き添いで出勤。翻訳はそこでけりをつける予定なんで、ゆっくり読書というわけにもいくまい。ううむ。


てなもんや囲炉裏端 ゆっくりまったり掲示板ですお気軽にご利用下さい。

メールはこちらまで。どうぞよろしく。


過去の日記へ。

ホームページに戻る