ぼやき日記


4月11日(日)

 演劇部の活動の付き添いで出勤。甲子園開幕の3連戦はすへて実況では見られず。ビデオに録画しておいて倍速を併用しながら観戦したけどね。妻がとっておいてくれた「ウルトラQ」はまだ見てへん。こういう状態で読書ができません。いつもは休日にたっぷりと読書の時間をとるんやけれどね。書かねばならん書評も中断しているしなあ。明日は野球中継はないけど妻によると私が見なければならんアニメなどは2時間分くらいあるらしい。
 「SFマガジン」に書評を隔月連載していた時は、アニメや特撮は全くというてええほど見てなんだ。とにかく次から次へと本を読まねばならなんだから、面白そうなアニメや話題の映画があってもそこまで手がまわらなんだ。辛うじて野球と相撲は見てましたが。
 録画してあるビデオを見る時間を作ると、今度は本が読まれへん。とはいえ1冊の本を読み終えるのに1週間近くかかるというのは私にしたらほんまに珍しい。今読みかけの本が読めたら、ものすごすいすい読める肩のこらないエッセイ集かなんかを読もう。ところで、今読みかけの本はいつになったら読み終えるのか。明日は2時間もビデオを見るんやぞ。うーむ。

4月12日(月)

 朝、マンションのエレベーターに乗ろうとした。私の前に隣家のご主人がいる。「おはようございます」と声をかけながら入ろうとしたら、いきなりドアが閉まり腕をはさまれた。しかも外側の硬い部分の角が当たって、痛かった。原因は、上の階から乗っていたご婦人が、一人が乗り込んだ段階でろくに確認もせずにドアを閉めるボタンを押したため。「ごめんなさい」を連発していた。わざとやないから怒るわけにもいかず。朝で急いでいるというのはわかるけど、これはエレベーターに乗ったら必ず閉めるボタンを押すという習慣があるからやと思うね。自動的に閉まるんやから、ふだんはなるべく押さんようにして、よほどの場合だけ押すという習慣をつけんと、私も同じことをしてしまいそうやなあ。それにしても朝からゲンが悪いなあ。

 帰宅してから、やっとのことで最新作の「ウルトラQ」を見る。アイデアは悪くないんやけど、背筋がぞくっとするような怖さはないなあ。日常の何かが崩れる「アンバランス・ゾーン」という根本は押さえているように思うんやけれど、可愛いペットロボットが一転して人間を襲う恐ろしさをもっと暗闇を多用してねっちょりと描いてくれたら怖かったかもしれんなあ。てなことを思いながら見ていたら、エンディングのクレジットで「アニマックス・ブロードキャスト・ジャパン」の文字を見つけた。あの「鉄腕アトム」にもかんでいた会社ですな。おお、ここがかむとみんななにかずれたものになってしまうのか。幸いマーク・ハンドラーもジョー・ダンブローシャも関与してへんみたいやけどね。

4月13日(火)

 授業中、コミュニケーションのために行う鬼ごっこのようなゲームをしていたら、鬼に追いかけられて逃げている時に、折り畳まれた卓球台の金属の部分に思い切り手をついた。薄い鉄板が天板の裏についていて、その表面を右の掌で受け止める形になった。掌の皮が向けてしまい、血がじわじわとしみ出してくる。保健室に行って消毒をしてもろうたんやけれど、痛いのなんの。昨日はエレベーターのドアに手を挟まれ、今日は卓球台で掌を切る、か。疲れているので集中力が欠如しているのかな。明日は何も起こらないように注意しよう。早く土曜になってくれい。一日ゆっくり休みたいぞ。

4月14日(水)

 朝、出がけに、手の傷に消毒液をふんだらふりかけて脱脂綿をあて、テーピングで押さえて出勤。仕事に支障はないけれど、消毒液の匂いが常にただようているのは鼻につくなあ。
 帰宅してテーピングを外し傷口を乾かしながら妻と話をしていたら、サッカーの選手などは傷口にラップのようなものをあてて逆に傷口に体液が常にしみ出ている状態にするそうです。なんでも消毒液は人間の体から出てくる傷を治す成分まで流してしまうので、かえって治りが遅くなるらしい。体液が傷口から出ている状態を保っておくと、その成分が体液とともに傷口にたまるようになり、治癒が早まるんやそうだ。
 ええことなら早速しましょう。サランラップを傷口を覆う大きさに切り取り、上からテーピングする。今、ラップの上から傷口を見たら、掌の皮がふやけている。体液が傷口にたまっているみたいですな。なんでもええから傷口が早くふさがってほしい。風呂には入りにくいし、ポケットに手を入れ物を取り出す時にすべりが悪い。
 こういうのは日にち薬やから焦ってどうなるというものやないけどね。
 ところで、今日は直接身体に被害はなかったものの、授業でDVDを見せようとしたら、教室据え付けのビデオ用プロジェクターが作動しないで難儀した。結局、予定は変更して次の授業の時のために用意していたプリントを配付してことなきを得たけれど、アクシデントはアクシデントではある。これでゲンの悪いのが終了してくれたんやったらよろしいんやけどねえ。

4月15日(木)

 イラクで人質になっていた3人の邦人が解放されたというニュースを見ていて、違和感を感じてしまった。人質にされていた人たちはこざっぱりとした格好でにこやかに笑うている。彼らを人質にとっていた団体は、彼らを賓客として扱うていたんかいな。1週間も監禁されて無精髭も生やしてへんし、疲労の色も感じられん。そういう映像を30分ほどの間に何度も見せられると、彼らよりも家族の方が憔悴していたやないかと思うてしまう。
 ところが、私がテレビの映像から目を離している間に、助けられて感極まって泣いている女性の映像なんかも流されたと妻に教えられた。どうせやったらそっちも何度も流さんかいな。元気な姿だけ何回も見せられると、あの大騒ぎはなんやったんやとつい思うてしまう。
 まあ、二次情報というのはそうしたものではあるのやろう。とはいうても、私たちが得られるのはそういう情報だけなんやし、こういう映像の出し方はまずいんと違うんかな。編集された映像情報の怖さみたいなものを、ニュースを見ていて感じてしもうた。

4月16日(金)

 横山光輝さんの訃報に接する。享年69。死因は失火による火傷。一時代を築いた人がこういうような形で事故死してしまうのは残念なことやね。
 私が横山さんの漫画を初めて読んだのは「仮面の忍者赤影」で、「少年サンデー」の増刊号やったと記憶している。むろんテレビの「赤影」が好きやったから、その漫画ということでわくわくしながら読んだことを覚えている。忍者の使う忍術がかっこよく、何度も読み返した。忍者の名前もええんやなあ。「むささび道軒」やとか「ましらの甚内」なんて響きが魅力的やった。社会人になってから、再刊された「赤影」や「伊賀の影丸」を購入して再読したけれど、とにかくテンポがよくスマートで、この時分の横山漫画はどれも面白かったんやないかな。
 小学生の時の友だちが持っていた「水滸伝」がまた面白かった。以後、「三国志」「史記」「項羽と劉邦」「殷周伝説」と続いていく中国ものの最初の作品ということになる。歴史ものは、大河ドラマの原作小説を次々と漫画化する時期があったけれど、わかりやすいコマ割りと構図で安定感はあったがなんか余生という感じがしないでもない。
 私が一番衝撃を受けたのは「マーズ」で、「少年チャンピオン」連載の最終回を読んだ時に受けたもの。主人公のマーズは強力な敵と戦い続け、やっとのことで地球を守る。ところが、滅亡せずにすんだ人間たちのエゴ丸出しのあさましい姿を見たマーズは「こんな者たちのために俺は戦っていたのか!」と失望し、それが怒りへとかわり、その力を地球へと振り向ける。最後のページは黒ベタのコマに白ヌキの文字で「一瞬にして地球は滅んだ」とだけ書かれている。記憶に頼って書いているんでセリフなどは正確やないかもしれんけれど、このラストの運びはいまだに鮮烈な印象が残っている。正義のヒーローが自分の守ってきた人間に失望してあっさりと地球を滅ぽうさせてしまうんやからね。私はその時は中学生くらいやったと思うけど、あれは強烈やったなあ。「鉄人28号」もそうやけれど、正義の味方はその力ゆえに守るものから滅ぼす側に転換した時には脅威的な存在となるということを子どもにここまで冷徹に提示できるというのは凄いことやないか。SFの面白さの一つを教えてくれた漫画やったと、今でも思う。
 そう考えると、ここ20年ほど歴史ものばかり描き続けてきたというのは、「勝者が正義である」という概念を提示できる格好の素材が歴史ものやったからなんかもしれん。
 それにしても、枕元においた寝たばこの失火で死んでしまうというというのは本人の不注意とはいえなんとも寂しい亡くなり方やないか。
 謹んで哀悼の意を表します。

4月17日(土)

 妻が嬉しそうに新聞の折り込みチラシを私に見せる。
「なんや、ラブホテルの開店のチラシか」
 私がそう言うと妻は「なんでわかったん?」と面白くなさそうに言う。
 なんでて、「梅田阪急東通り商店街だからとっても便利」やとか「十三にP完備の新しいレジャーホテル誕生」てなことが書いてあったら、普通のホテルやないことはわかるよね。あ、大阪のことがわからん人にはわかりませんか。つまり、「阪急東通り商店街」や「十三」というのはそういう庶民的(?)な場所なんです。
 ではなんで妻がラブホテルのチラシを普通のホテルのチラシと勘違いしたか。一番目立つキャプションが「ハーブとアロマに包まれた、新しいスタイルの癒し系ホテル誕生!!」やったからですね。「無料ウェルカムドリンク」がハーブブレンドティーやったり、「エアアロマで空気が違う」という見出しの下に上品な感じの茶器やアロマオイルの写真が掲載されていたら、ぱっと見たところラブホテルとは見えんかもしれんな、確かに。
 ラブホテルのことを「ファッションホテル」と言い換えたりしていることは知っていたけれど、最近は「レジャーホテル」ともいうのですか。それは知らなんだなあ。まあ、そこで気持ちいいことして楽しむ場所なんやから、「レジャーホテル」というのも間違いやとはいわれへんか。でも、リゾート地にレジャーで行く時に泊まるホテルかてあるわけやしな。けったいな言い換えやなあとは思う。
 どんな呼び方しても結局そこを使う目的は「さかさくらげ」の時代から変わらんやんか、ねえ。

4月18日(日)

 実は「仮面ライダー剣」があまりに面白くないので、終ったあとなんとなく「仮面ライダー龍騎」のDVDを取り出して見ていたら、妻が起きてきた。「そこまでして『剣』を見続けること、ないやん」と言われてしもうた。うん、そやねえ。おもろなかったら見るのをやめたらええんやねえ。
 「たちよみの会」の帰りにアニメショップに寄って「イノセンス」「ガングレイブ」のサントラCDと「攻殻機動隊 GOHST IN THE SHELL」のDVDを買う。最近、アニメのサントラCDをよく買うようになった。クラシックのCDでは新譜で食指が動くものが少なくなっているから、全体にCDを買う枚数は減っているとは思うけど。音楽のいいアニメが増えてきたんかな。例えば「十二国記」はアニメのできはそれほどとは思わんけれど、音楽が気に入ってこれもサントラは買うた。実は「犬夜叉」のサントラも持っている。アニメは途中から見るのをやめたのにね。単なる劇伴というだけやない、質の高い音楽が使われるようになったという感じかな。映像を見ていなくても、CDだけでも楽しめる。むろん、CDもアイテムとしてファンに購入させようという戦略もあるのかもしれん。しかし、それだけやないように思う。プロデュースする側の意識が本物指向になっているんやろうね。
 J−POPのことはくわしくないけれど、深みも面白みもない歌詞と打ち込みで作られた新味のない曲がまだまだ主流なんかなあ。そういうものとは違う方向にアニメの音楽が向いているということか。そんなJ−POPがただ人気アニメの主題歌になったら視聴者に覚えてもらいやすくなるというだけの理由でオープニングとエンディングに使われたりするのはそれに逆行しているように思うね。あれはそろそろやめてほしいものです。

4月19日(月)

 新しい「鉄人28号」の音楽は千住明なんやなあ。オープニング主題歌なんか、最初の「鉄人28号」のテーマを美しくオーケストレーションしてるんやなあ。またCDを買うてしまいそうやなあ。これで「グリコ、グリコ、グーリーコー」という歌詞がついていたら凄いんやけど、そこまではでけへんわなあ。というようなことを思うていたら、コマーシャルタイムにグリコのCMが流れていた。おおお、ここまでこだわるか。もっとも、「鉄腕アトム」の提供にはちゃんと明治製菓が入っていたのに私はまったく何も感じなかった。この差はどこからくるかというと、やっぱり作品に対するスタッフの思い入れみたいなものの差なんかもなあ。

4月20日(火)

 今年は私は勤務校の図書委員会にも関わることになったので、図書委員の生徒たちと顔合わせをする。チーフの先生が、「図書室便り」の編集の話を生徒たちにしている。新着図書の紹介などをする新聞なんやけど、生徒たちに「書評を必ず書くように」というようなことを言うてはるのを聞くと、本職の書評家である私は複雑な心境になってしまう。書評なんて難しいことを高校生に書かせるなよと思う。けれど、くだんの先生の用法を聞いていると書評とは「面白いと思う本の紹介」程度のものみたいやねえ。うーむ、そういう側面はもちろんあるけれど、それだけが書評やったら私はうんうんうなりながらパソコンには向かっておらんよ。そやからというてそんなところで「書評論」を戦わせたって意味ないから特に口を差し挟みはしませんでしたけどね。ただ、生徒たちが「書評」をそういうものやと誤認してしまうのは怖いけど。「図書室便り」なんやから「本の紹介」でええのになあ。まあ、高校生に「書評」を書かせようなんちゅう先生に限って、自分は書評みたいなもん書いたことないんやろうとは思うけどね。つまりその、書評というのは誰にでも簡単に書けるように思われてるのかもなあ。ああ切ない。


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