ぼやき日記


1月1日(土)

 あけましておめでとうございます。今年も「ぼやいたるねん」のご愛読をよろしくお願いいたします。
 さて、元日は例によって京都の実家に帰る。両親や妹たちと揃って、おいしい正月料理に舌鼓を打つ。
 夜、妻とともに電車に乗って帰宅する。何度か乗り換えをして、最後の一駅というところで、私の座っている座席のちょうど向側に座ってた中年男性がおもむろに立ち上がり、私の真ん前に仁王立ちする。つり革をしっかりと握りしめ、私を圧倒するように立ち、じっと見つめてくる。まばたきもしない。
 怖いですぞ。ほんまに怖かったですぞ。
 私は読みかけの本を閉じることなく、さりげなくその男に視線を合わせた。男は私からいくぶん視線を外し気味にしてじりじりと横にずれるように移動をはじめた。それと同時に最寄り駅に到着したので、まず妻が自然に席を立って出口に近寄り、私もあとを追うように立ちあがって開いたドアから出ていった。
 私たちはあからさまにならんように後方をうかがいながら、改札に向かっていった。男は方向転換をして私たちの出ていったドアを指差しているようである。ただ、後を追ってくる様子はない。
 駅を出た後も妻は時々後方をうかがっていたけれど、ついてくる様子はないので、少し安心したけど、「気持ち悪う」「あれなんやったんやろう」と二人して背筋の寒気をふりはらうように話をした。
 筒井康隆さんの「走る取的」という短編やスピルバーグの「激突」という映画を思い出した。見知らぬものに理由もわからず目をつけられるというのが、しかも相手は直接行動をとるわけでもなくただじっと見ているだけというのが、こんなに怖いとは思わなんだ。
 正月早々なんやねんな、これは。つまりこれは私にホラー小説でも書けということを示す辻占なんかもしれん。それはないですか。
 こういう時の対処法というのはどうすべきなんかねえ。いやほんまに怖かった。

1月2日(日)

 お正月はおかげさんで演芸番組が多く、ふだんテレビでは見せてくれんベテランの芸人さんの芸をリビングで見ることができる。ありがたいこっちゃ。「ネタ芸人ブーム」とかいう矛盾した言葉がテレビ雑誌に載ってたりしていて「芸人はネタを見せるもんと違うんか」とぼやいてたりするわけやけれど、テレビでは、タレントをいたぶって笑いをとるつまらん番組のおかげで、見せるネタがなくとも「芸人」とみなされるということになってるんかねえ。
 今日は朝日放送で吉本興業と松竹芸能のそれぞれが作った演芸番組を見ることができた。東京の漫才で江戸むらさきというのが、大阪のベテランコンビのパート2がやる四コマ漫才のバリエーションをやっていたけれど、たぶん自分たちのやっているパターンを新しいと思うているんやろうなあ。なんでそう思うたかというと、番組の最後で舞台に出演者が並んで出てる時に、横山たかし・ひろしをさして「あの人は偉い人なんですか?」と言うておった。不勉強にもほどがある。別に全ての芸人の名前を知っている必要はないけれど、たかし・ひろしクラスのベテランを知らんというのはどうかと思う。もっとも、アメリカザリガニがわかっていてわざとたかし師匠に偉そうな口を聞いて笑いを取ったりしてたからなあ。勘違いしたのかなあ。さすがにますだおかだの増田が江戸むらさきにかなりきついツッコミをいれてはいたけど。
 東京の若いコンビというのの価値規準は、「全国ネットのテレビに出てるかどうか」なんかもしれんなあ。まあ、こういうコンビは早晩つぶれるやろうけれど。トリで出てきたコンビを「偉い人ですか?」ときくということ自体、なんもわかってへんということやからね。

1月3日(月)

 元大相撲関脇でNHK専属解説者やった出羽錦忠雄さんの訃報に接する。享年79。
 出羽錦さんの解説というたら「ここで一句」やったなあ。うまいこと川柳を披露してその場所の雰囲気を表現していた。どんな句やったかきちっと覚えてへんのが残念やけれど。
 飄々とした江戸っ子。厳しい言葉も時にははくけれど、ずばりと言うんやなしにユーモアたっぷりに表現する。同時期に専属解説をしていた若瀬川さんが力士の細かい動きにまで目を配る技能解説やったのに対し、出羽錦さんの解説は相撲全体を大きくとらえるような感じやった。
 現役時代は大横綱大鵬に猫だましをしかけてみたり、大量の塩をまく若秩父に対抗して指先にちょろりとだけ塩をつけてまいてみたりというエピソードが残っている。いわば土俵上でのサービス精神が豊富な力士やったという。引退してからも田子ノ浦親方として放送席に座ったり、テレビのコマーシャルに出演したりと、いわば相撲のPR係的な存在で、高見山(現・東関親方)の先駆者ともいえるやろう。若い頃は後の横綱栃錦とのコンビで初っ切り(相撲の手や反則などを面白おかしく演じる巡業での出し物)をやっていたというから、もともとそういうセンスのある人やったんやろうね。
 逆にいうと、現役の力士でここまでのサービス精神を持ち合わせてる力士がいてるか、ということやねんな。今、CM等で人気があるのは高見盛やけれど、芸達者、あるいは口八丁手八丁というイメージやない。脇役ながらもお客さんを意識して楽しませることができるというのはほんまに貴重な存在やないか。こういう力士がまた出てきてくれんかと思う。
 謹んで、哀悼の意を表します。

1月4日(火)

 ものかき関係のある縁で一度だけお会いした方から、毎年年賀状をいただいている。今年いただいた年賀状の文面を見ると、どうやら私の勤務している職場の同僚の奥さんやないかなと思えるようなことが書かれている。それを読むまで、同姓であることに気がつかなんだ私もうかつなんやけれど。もしそうであれば、私はものかきの顔で奥さんと、教師の顔でご主人と顔をあわせるという非常に珍しいケースに出くわしたことになる。冬休みが終ったら、そのことをご主人に確かめようと考えていた。
 ところが昨日、そのご主人の御尊父が鬼籍に入られたという連絡が入ってきた。今日、お通夜に参列したんやけれども、そのことを確かめられるというような雰囲気でもなかった。職場の同僚の関係者として参列したんやけれども、もし奥さんがものかき関係の方やったら、そちらの縁でも参列したということにもなる。
 冬休みが終ったら、確かめようと思うけれども、おそらく間違いないやろう。とすると、不思議なご縁というほかはない。こういうことが現実にあるんやなあ。ほんまに。

1月5日(水)

 プロ野球「東北楽天ゴールデンイーグルス」のユニフォーム発表のニュースを見る。
 なーにが地域密着型球団やねんな。ビジター用のユニフォームには麗々しく「RAKUTEN」と、ホーム用のユニフォームの「EAGLES」のロゴの上にも小さく「RAKUTEN」とあり、「東北」はどこへ行ったんやという感じ。写真ではわからんけれどおそらく袖口にでも小さく「TOHOKU」と縫い取られてるんやろうな。
 球団が親会社の宣伝媒体として有効であることは承知の上で書く。せめてビジター用のユニフォームには「TOHOKU RAKUTEN」と入れるべきやった。あるいは3〜5年後には「RAKUTEN」を「TOHOKU」と入れ替えるとでもしてほしかった。
 せっかくあの騒動から生まれた新チームなんやから、ユニフォームで「改革派」の心意気を示してほしかったのにねえ。従来の球団と変わらんというのは実に残念。
 さて、「福岡ソフトバンクホークス」はどう出るかな。商売上手の孫社長やから、「FUKUOKA」を抜くというような真似はせんやろうとは思うけれどね。

1月6日(木)

 まだ流通しているうちに使うてしまおうということなんやろうけど、旧1万円の偽札が大量に出回っている。奈良県内の喫茶店で使用した男が逮捕され、その男のパソコンに偽札と同じ番号のスキャナ取込み画像が保存されてたそうな。そやけど、同じ番号の偽札が東北や関東中心に出回ってるわけやから、奈良の容疑者だけが使用していたというわけやなかろうなあ。メールに画像を添付してあちこちに配付してたんやろうか。
 それはそれで捜査は警察に任せたらよろしい。
 わからんのは、この偽札が初詣での賽銭箱からかなり見つかってるということやね。コンビニや喫茶店で偽札を使い、おつりをだましとるというのはわかる。賽銭箱というのがわからんなあ。そんなところに偽札をほりこんでおつりがくるわけやなし。偽札の賽銭ではご利益もなかろうに。それどころか神さんをだましたということで天罰でも下るんやないか。たいていの神さんはもともとご利益を与えてくれるという性質のもんやなく、天災というかたちで人間に危害を加えるので神さんとしておまつりして機嫌をなおしてもらおうというもんやからなあ。ただでさえこの1年は天災続きやったのに、神さんというものをまったく理解してへんこういうたわけもののせいで天災が増えたらどないすんねんや。
 それにしても、偽札を賽銭に使うたら、逆に使うた奴は経費の分だけ損をしてるということになる。なんのために賽銭箱に偽札を投げこんだんやろうか。それとも、それだけ偽札が全国に流通しているということやろうか、ねえ。

1月7日(金)

 昨日の日記で「偽札を賽銭に使うのはなんでや」などと書いたけど、新聞を読むと、偽札はお守りやお札を買う時に使われたらしい。これで合点がいった。偽札本来の用途(というのもおかしな言い方になるけど)で使用されたんですな。ところで、そうやって買うたお守りを犯人たちはどうしたんやろう。捨てたら罰が当たりそうやけれど、偽札で手に入れたお守りを身につけていたらよけいに祟られそうですな。とんど(注連飾りなんかを焼いて厄を落とす焚き火のことです)してそこに放り込んだかな? そこまで信心深かったら最初から神社で偽札なんか使わんか。

1月8日(土)

 所用で京都へ。梅田の地下を通って阪急の駅まで行ったんやけれど、梅田の地下街も阪神や阪急の百貨店も、とにかくお客でいっぱい。バーゲンなんですな。
 バーゲンというのはかつては会計を締める節季の直前にやった大売り出しやったはずやねんけれど、年々前倒しになってきてここ数年は新年の初売りの時期にバーゲンをするのが一般的になってきたらしい。
 それはともかく、通りすがりにちらりと阪急百貨店をのぞいてみたら、レジのところやろうか、多数の女性客が列を作って並んでいて、警備員の方が交通整理をしているくらいやった。バーゲンいうたかて、阪急百貨店やもんなあ。もとの値段が高いからなあ、安うなったからというても、やっぱりそこそこの値段はするやろうし。多少は景気が回復しているのか、あるいは貧富の階層差が年々開いているのか。私は後者やないかとにらんでおるのですけどね。
 で、私はというと、バーゲンとは全く無関係の書店に寄って文庫の新刊をチェックしたりしてるのでありました。えらい違いだ。

1月9日(日)

 昨年の11月は、土曜と日曜の休みを家でゆっくり過ごすことができなんだ。そのためにせっかく録画したテレビ番組をほとんど見ることがでけんという状態になっていた。この正月はそうやって録画した番組をどんどん見ていっている。2ヶ月分たまっていた「仮面ライダー剣」は、やっと先週片付き、昨日からは「ウルトラマンネクサス」を一気に見ている。「ネクサス」など、第1回を見て以来、ずーーーーーっと録画だけして見とらんかったからね。
 やっと11月の第2週まで見た。なんというのかなあ、チーフの脚本家の長谷川圭一さんという方は、あの「鉄腕アトム」でもさんざんぼやかせていただいた脚本家なんやけど、「ネクサス」もぼやきのネタ満載の脚本を書いているやないですか。怪獣の存在を秘密にするために、怪獣を倒す組織〈ティルト〉が目撃者の記憶を全部消すという設定はあまりにも無茶ですな。記憶を消す技術があるにせよ、完全にそれをすることは難しかろうし、巨大な怪獣なんかその目撃者全員の記憶を消すことなんてまず不可能やないか。おまけにこの組織は現場の隊長が、基地にいてる参謀のたてた作戦を何の検討もせんと実行しよる。その参謀は怪獣発生現場にいてる人間の命よりも怪獣退治を優先させるという作戦をたてるわけやけれど、何のために怪獣退治してんのやら。人間を助けるためと違うんか。あ、違うのかも。という風に、まあもう出てくる出てくる。リアルタイムで見てたら、毎週土曜日のネタに困ることはなかったんと違うか。
 「鉄腕アトム」にしろ、「ウルトラマン」にしろ、昔からのファンの思いをあまりにもないがしろにしてくれてへんかい。長谷川さんには、こういうもともとイメージのあるものやなく、オリジナル作品で本領を発揮していただいた方がええんではないかと思うた次第。まだ2ヶ月分くらい見てへんのやなあ。「京フェス」で「『ネクサス』が面白くなってきた」という声を聞いたけど、よう考えたら「京フェス」当日の分以降をまだ見てへんのですね。これから面白うなるんか? それやったらもう少し辛抱して見てみよう。

1月10日(月)

 「ABCお笑い新人グランプリ」を見ていたら、審査員で喜味こいしさんの口から出るアドバイスが実に厳しくも深いもので、さすがというほかなかった。「NON STILE」というコンビには一定のファンがついているらしく、あまり面白くないところでも若い女性のものらしい笑いが起きていた。これに対しこいしさんは「何を言うてるのかわかりにくい」と苦言を呈した後で、「お客さんにわかるようにしゃべらんと笑うてはもらえん。自分でネタをやって自分ではわかってもらえていると思っている。今はそれでも笑いが起きているからそのことがわかってないだけやけれど」という意味のことを言う。これはなかなか言われん言葉やと思う。テレビで見ていた妻も同じことを漫才を見ながら言うていた。私もそう思うた。ただ、テレビで見ていると、なんでここで笑いが起こるかなと気がつくけれど、会場にいたらその場の雰囲気で笑うてしまうこともあるやろう。審査員がそれに流されてはいかんのやけれど、流されてしまう審査員もいてるやろう。そやからこそ、こいしさんの言葉は重く響く。
 最優秀新人賞は女性コンビのアジアン。まだツッコミが少し弱いようにも思われるけれど、コント漫才やなくしゃべくりで聞かせるタイプだけに大きくのびていってほしいものです。


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