ぼやき日記


3月21日(月)

北野さんと小春ちゃん
 昨日の夜は、北野勇作ご夫妻第一子ご誕生お祝の宴会が、大阪市内某所の某焼肉店で行われ、私もまぜていただいた。堀晃さんをはじめ、菊池誠さん、牧野修さん、我孫子武丸さん、田中啓文さん、田中哲弥さん、林譲治さん、冬樹蛉さんといったそうそうたるメンバーが集まり、北野さんご夫妻を祝う。
 お嬢さんの小春ちゃんはまだ3ヶ月。父親である北野さんはほっぺたをおさえて「アッチョンブリケができるねん」。可愛いてしゃあないんですな。奥さんの森川弘子さんが焼肉を食べられるようにと、堀晃さんが小春ちゃんをだっこしたら、いかにも孫とおじいちゃん然としている。堀さんがおじいちゃんが似合うというのはある意味ショックかも。
 二次会はカラオケボックスに移動。ただし、歌を歌うために入ったんやなく、赤ちゃんも連れていかれてそれなりの人数を収容できる場所というとやっぱりカラオケボックスでしょう、という感じで選んだので、私は適当にBGMとして曲を入れていたけれど、誰も歌いはしませんでした。
 いろんな話をしておもろかった。くわしくは書きません。へへへ、人に教えるなんてもったいなことできますかいな。ものかき連中が集まって話をしているのを聞くだけで脳が活性化するなあ。頭の回転を加速させんとついていかれんぞ。
 というわけで、楽しいひとときでした。ちなみに、写真の小春ちゃんの顔にモザイクがかかっているのは、決して公序良俗に反しているからではありません。子どもに対していろいろな事件が起きている時節柄、顔を出して何か起こったらいかんと菊池さんから指摘を受けたからであります。実物は可愛いぞお。アッチョンブリケ。

3月22日(火)

 日曜の夜、北野さんご夫妻をかこんで焼肉に舌鼓を打っている時から、実は異変は始まっていたのであった。
 ドコモの携帯が圏外になっていた。建物の中やから、電波が入りにくいんかなあと思うた。二次会のカラオケボックスでも、圏外になっていた。ただ、外に出たらちゃんと使えた。これは建物の立地の問題なんやろうと思うていた。
 翌日の月曜日は祝日で、だいたいそうしょっちゅうメールが来るわけでもないから気にかけてなんだ。高層マンションで、比較的高い位置にあるから、もともと電波が入りにくいんやし。時計がわりに携帯を出してちらちらと見た時に圏外になっていても、それはそれでそういうもんやと思うていた。
 ところが、今日、ある用事でメールを打とうかなと思うたら、ずっと圏外になっていて、アンテナの印が立つ様子がない。一瞬たったかと思うと、すぐに圏外になる。
 去年の5月、今の携帯に買い替えた時とまったくいっしょ。なんと10ヶ月半でアンテナがやられた。ずっとズボンのポケットに入れたりしてるから、ホコリが携帯の中に入りこんで傷むんやろうか。そやけどなあ、担任をしている生徒と連絡をとるために買うたボーダフォンの携帯は同じような使い方をしてても実に調子よく動いているよ。
 仕事の休憩時間にネットで携帯電話のページを見て、機能やデザインを確認する。買い換えとなった時に、一応下調べはしとかんとスペックもわからんようでは選びようがない。
 D503iという型から現在のD505isまで、3台三菱の物を使うていたけれど、1年かそこらで新機種に交換というような具合になってしまう。今回もし買い換えるんやったら、メーカーを変えてみよう。
 帰宅途上、自宅に一番近いドコモショップに寄り、店員と相談。なんやかんやで今回も買い替えることにする。今度はますます多機能のFOMAで値段が安く使いやすそうなのを選び、シャープ製のSH901iCというのを買うた。
 家に帰ってカスタマイズを少しだけする。ポストペットの壁紙がデフォルトでついていた。待ち受け画面をそれにセットして妻に見せびらかす。私は子どもか。ええ年したおっさんがモモとコモモが踊ってる動画を見せて「ほりゃほりゃ、モモとコモモが楽しそうにしてるでえ」。
 まあ、あまり人には見せられまへんな。
 別に買い換えたくて買い換えたわけやないけどねえ。私の携帯の使い方が手荒なんかなあ。今度の携帯は2年もたすぞ。なんにせよ、スクーターから眼鏡から携帯からとどんどん新しいものへの買い換えを余儀無くされ、非常に物いりですわ。まあ、スクーターと眼鏡は減価償却はしてる感じではあったけど。携帯は、なあ。

3月23日(水)

白鵬関幟
 学校の仕事も一段落したんで、春休みを利用してたまっていた有給休暇を使い、しばらく骨休めすることにした。ものかきに集中したいという気持ちもあったりする。
 で、予定では今日は一日ゆっくり休み、明日にでも相撲見物をするはずやった。ところがですな、昨日、相撲中継を録画したのを見ていたら、朝青龍と白鵬の取り組みが今日に組まれている。今場所一番の好取組やないですか。別に前売りを買うていたわけでもないし、予定を変更して雨の中、難波の大阪府立体育会館へ。
 当日売りの椅子席指定券を購入。昼過ぎに行ったら、三段目の取組みの途中やった。今年から館内全面禁煙ということになったんで、タバコを吸いたいと思うたら廊下の外側にあるベランダに設けられた喫煙コーナーに出んならん。幕下の注目株が土俵に上がるにはまだ間があったんで、一服つけに行った。
 そのベランダにたたずんでいたのは、間垣親方やないですか。元横綱二代目若乃花幹士ですよ。うわあ、うわあ、と少し興奮しながら、灰皿の前に。親方はタバコを吸うわけでもなく、ただ外の風景を厳しい顔をしてにらんでいる。あ、そうか。親方は春場所担当の理事やったんと違うたっけ。雨が降ると客足は鈍る。一人でもお客さんに入ってもらいたいのに、この雨ではなあ……。というようなことを考えてはったんと違うやろうか。
がらがらの桝席
 西側の椅子席は体育館の構造の関係からか横一列のみ。目の前には一番値段の安い桝席が並んでいる。私がきた時からほとんどそこに座っているお客はいてなんだけど、中入りが過ぎて幕内の取組みになっても写真の通り。
 帰宅してから見た録画しておいた相撲中継ではそこらあたりはなるべく写さんように気をつけていたけど、隠せるもんでもないよなあ。
 私の左隣には、まるでこれからロックのコンサートにでも行くような風体の若い男性が座った。幕下の相撲では居眠りしていたその若者は、枡席が空いているとみるや、中入り後にさっと席を移動して枡席で手足をのばして観戦していた。ううむ、その手があったか。来年もいけたら私も真似しようかな。
 肝心の朝青龍と白鵬の一番は、白鵬がなすすべもなく敗れてしもうた。わざわざ日を変えてまでして見にいったのになあ。

3月24日(木)

 建築家、丹下健三の追悼記事を新聞で読むと、偉大な建築家であったことが強調されているのは当然やけれども、功罪の「罪」の部分について語られてないのがひっかかってしまっている。
 高度経済成長時代の建築の象徴であった丹下氏の建築物は、その時代とセットにして語られるべきやないかと思う。開発が最優先され、保存をないがしろにしてきた時代やったからこそ、丹下建築には大きな意味があったはずやないかと思う。
 古いもののよさを見直したり、素材の質感を大事にしようという時代になり、安藤忠雄が建築のトップランナーになっても、丹下氏は新東京都庁に象徴されるような、高度経済成長期の発想から脱し切れん建築物を作り続けた。バブルの時代の見せかけだけの好景気がそれを助長した。というように私は感じている。
 建築ついては門外漢の私がいうのもなんやけど、丹下氏の死で、またひとつ「昭和」が消えていくように思う。そやけれど、建築物は形として残る。丹下氏の残した建築物は、たとえば明治時代に辰野金吾が残した建築物のような評価を100年後に受けることができるのやろうか。
 まあ、追悼文というのはふつう批判は書かんもんやとは思うから、私の見方はおかしいのかもしれんけど、なんかひっかかってしまうんですわ。

3月25日(金)

 昨日鴫野の眼鏡屋から電話があって、眼鏡ができたので取りにきてといわれていたので、寒風吹きすさぶ中、原チャリを走らせる。この冬最後の寒の戻りとやらで、走っている最中に粉雪やらみぞれやらが降ってきたのには難儀した。ああ寒い。
大阪相撲の歴史展ポスター
 今日は迷わずに眼鏡屋に到着。前のものより小ぶりではあるけど、軽くてかけ心地は悪くない。これでいかにも教師でございというような銀縁外バネ眼鏡は再び眼鏡ケースの中で予備としてしまわれることになった。もっとも、予備の眼鏡もないと困ることも多いんで、妻からは不評の銀縁外バネ眼鏡も私にとっては重宝はしているんやけどね。新しい眼鏡も外バネ式で、着脱が楽なのはありがたい。
 せっかく外出してきたんやから、先日相撲中継で紹介されていた「大阪相撲の歴史展」を見に、法円坂の「大阪歴史博物館」へ行く。今月は「阪神タイガース展」に続いて2回目ですな。ただし、相撲展は常設展示の中にある特設展示室で密やかに行われていたので、常設展示もいっしょに見ることにした。
 実は、常設展示を見るのはこれが初めて。平日で、しかも地味な常設展示とあって、観客も少なく、自分のペースで見てまわることができたのがありがたい。難波宮跡の発掘物はかなり充実してて、社会科の教師としてはとても参考になった。ただし、勤務校では日本史は江戸時代以降しか教えてへんけど。ただ、新年度は日本史の先生が転勤するんで、前近代も教えなならんかもしれんから、無駄にはならんはず。できたら授業の時間を利用して見学ツアーを組みたいところやな。時間的に無理か。
 目当ての相撲展やけれども、これについては説明が必要かもしれんね。江戸時代から大正末期まで、大阪には東京とは別の組織で相撲協会があり、番付を発行し、興行をしていたわけです。大阪の横綱も存在し、若島権四郎、大木戸森右衛門、大錦大五郎、宮城山福松と4人いてる(八陣調五郎なども別の宗家から横綱免許を許されたけれど、現在の横綱の代数には数えられてません)。大正末期に弱体化して、昭和2年に東西合併という形で東京の協会に吸収されてしもうた。
 相撲が好きで、現在の協会につながる歴史についてはいろいろと本を読んで少しばかりは知ってはいるけれど、大阪相撲については普通に手にはいる本なんか出てへんから、わずかな知識しかなかった。今回の展示はそういう意味でも非常にありがたいものやったね。無料のパンフレットには大阪相撲の沿革が簡潔に記載されていて、これもありがたい。
 それにしても寒かったなあ。粉雪舞う中、原チャリで走ったりして体が冷えきってたから、博物館でやっとぬくもっただけに、外に出るのが嫌になったくらいですわ。ゆっくりと展示を見てたんで、博物館を出たらもう昼過ぎ。ラーメン屋を見つけて入る。「亀王ラーメン」の油そばというのを食べてみたんやけど、私の口にはあんまり合わなんだ。ここはやっぱり「天下一品」のこってりスープで体を温めるべきやったか。

3月26日(土)

 私が現在の勤務校に転勤してから3年、毎年開講していたユニークな授業があった。「舞台表現」という授業で、場面設定に基づいて即興で演技をすることにより自分を表現することを身につけるというもの。
 もちろん私にそんな授業ができるわけがなく、劇団を主宰し、ワークショップの講師の経験豊富な講師の先生にお願いをしてきてもらい、指導していただいていた。私の役目は生徒の出欠管理や講師の先生のサポート役。これにより、「文章で自分を表現する」ということが専門の私にも、「表現」とは何かということをいろいろと考えさせてくれる得難い体験をさせてもろうた。
 そやけど、諸般の事情から、この授業は今年度限りで閉講ということになった。やっと授業の形ができ、講師の先生もこれからもっといろいろなことを試したいと思うていただけに、残念なことではある。
 そこで、過去3年にこの講座を受講した生徒たちを呼んで、ささやかながら送別会のような場を設けることにした。先日、ファミリーレストランと一悶着あったのも、この会の会場を確保しようとして予約を取る過程でのできごとやったわけです。
 結局、そういう場所で行うことは難しいということになり、学校の教室を使用することにした。卒業生にお願いして、花束の用意や茶菓の買い出しをしてもらう。いろいろな進路で散り散りになっていた生徒たちも快く参加してくれて、思い出話で盛り上がった。
 生徒たちが集まったのは、この授業から得るものが大きかったからやったことが、今日の話で明らかになった。反面、私はそこまでの授業ができているかと自分を振り返る機会にもなった。
 最後は講師の先生に花束を渡して閉会。閉講は残念やけれど、こういう形で最後に花を添えることができたことで、講師の先生に対する私なりの感謝の気持ちを示すことができて、よかったと思う。
 次年度からはあのなにものにも代え難い時間、空間を共有することがでけへんようになるんやな。生徒たちと同様、私もこの講座から得たものを自分のものとして消化し、自分なりのやり方で出していくことがでけたらなあと思う。
 3年間の感謝の意をこめて、ここに記しておく。

3月27日(日)

 昨日録画したよみうりテレビ「懐かしの漫才コンビベストテン」に失望。例年やっているんやけれど、毎回同じような顔ぶれで、毎年使うているVTRの使いまわし。しかも漫才は1本ちゃんと見せるんやなく、変にカットをしている。以前は新野新さんをはじめとして造詣の深いゲストを呼んでいたもんやけれど、今年は中尾彬さんやら高田純次さんやら「なんでこの人?」というゲストが並んでいた。そういう人の話が面白いわけがなく、それやったらゲストなしで漫才をちゃんと見せてよ、と言いたい。企画の立て方に問題あり。知名度のある人を出演させたら視聴率が上がるというもんやなかろう。
 今、「お笑いブーム」といわれている。そやからこそ、こういう過去の遺産を見せる時にはそれなりにちゃんとしたものを提示して「芸」とは何かを若い視聴者に見せるような作りにしてほしいもんです。いくら視聴者の投票とはいえ、ベストテンにダイマル・ラケットが入ってへんのは時代を感じさせたけど。それやったらダイラケを別枠で見せたりするとか、何か方法はあるはず。
 そうや。「芸」に対する愛がない。それに尽きる。

3月28日(月)

 うーん、と考えさせられた。来年のSF大会の広告をSFマガジンで読んでの事です。
 来年のSF大会は、ゲストを大量に呼ぶということはせずに、プロやセミプロであっても参加料を払うてもらうという、世界SF大会のシステムと同じ方式をとっている。それはそれで一つの見識であるし、私もファン活動からものかきに転じた口であるから、ものかきの活動がファン活動の延長やということでは、こういうプロもアマもみなファンという考え方は理解できると思うている。
 反面、それやからこそ、プロに対しては敬意を表するべきやないかと思う。プロとアマを同列に並べてしまうということに対しては、ちょっと納得でけんところがある。
 今日呼んだ広告では、プロが企画に協力することを「ボランティア」と位置づけ、企画をプロモーションの場と定義づけている。
 作家の方にとっては、ファンに自分の作品を売り込むええ機会になるかもしれん。そやけど、私のような零細書評家にとっては、どうやろうかと思う。アメリカの事情はよう知らんけれど、評論家の需要や市場があるんやろうな。それやったら、評論家や批評家が自分をプロモーションする場としてSF大会が機能することもあるやろう。そやけど、著作もないし固定ファンのつきようもない、私のような請負仕事中心のものかきには、プロモーションの場になるとは思われんのですね。
 そんな風に考えると、ファン代表として企画に参加すると面白いなあと考えていた気持ちがいささか萎えてしまう。ボランティアのプロモーションのと言葉はきれいやけれど、私のような存在になると、その言葉にはあんまり意義を感じんのですわ。
 参加しようかどうか迷っているけれど、もし参加した場合には、一ファンであるという立場をはっきりさせて、企画には協力しませんよ、と表明しといた方がええんかなあ、てなことを考えてしまう。一般のファンに対してプロモーションしても、お仕事が増えるわけでも本が出るわけでもないもんね。
 別に偉そぶるわけやないよ。ものかきとしてSF大会の企画に協力するメリットがない以上、金を払うて参加するんやったら、それに見合った代価がないと、と思うんですわ。企画に協力してもあんまりメリットがないんやったら、協力なしでただひたすら企画を見てまわって楽しみ、もとをとる方が楽でええやん。
 まあ、自分についていろいろと考えさせられる広告でしたわ。

3月29日(火)

 林家染語楼さんの訃報に接する。享年54。死因は胃ガン。実父は先代染語楼。長い間林家市染の名で活躍し、実子も落語家となり林家市楼を名乗っている。落語家で54というたら、これからええ味が出てきて芸に磨きのかかる年齢やというのに。また、林家一門らしく下座でも活躍してはった。笛や太鼓もネタによっては若手ではちゃんとでけへんわけやから、こういう存在が失われるのは大きな損失やないかと思う。
 文紅、文枝、染語楼と、タイプの違う落語家さんが立て続けに亡くなってるなあ。こう訃報が続くというのはやりきれんぞ。みんな天満に定席ができるのを楽しみにしてはったやろうに。定席ができるまで、もう落語家さんの訃報は聞きたないぞ。
 謹んで哀悼の意を表します。

3月30日(水)

 テレビアニメ「ファンタジックチルドレン」が最終回を迎えた。
 もう、毎週楽しみで見ましたよ。第1回に、白髪の子どもたちが何かを探し求めて登場する場面からスリリングで、主人公の少年トーマと謎めいた少女ヘルガが出会い、そこに急速に老化した人物が現れ、ヘルガたちが助けようとしたら、政府系と思われる追っ手がその老人をつかまえにくる。白髪の子どもたちが追い求めているのは100年おきに誕生する女性で、それそれが同じ風景の絵を描くという共通点を持っている。ヘルガはその風景の絵を書く少女で……。
 仏教系の「輪廻転生」という概念を科学的(に見えるよう)なシステムで解明し、遠くの惑星で起こった惨劇に地球に生きる少年たちがかかわりを持っているという設定が、前半部分で少しずつ明らかになっていき、中盤で一気にそれが明らかになる。明らかになった後、後半ではその惑星での惨劇の後始末をどうつけていくかが物語の焦点となる。この構成がうまい。
 実は非情に陰惨な話やねけど、なかむらたかしの独特の丸まっちい漫画的なキャラクターでその陰惨さを隠している。これが劇画的にリアルなキャラクターでやられたら、とてもやないけどきつすぎる。
 とにかくまあ、この半年の間に見たテレビ番組の中ではだんとつに面白かった。1話ごとの密度も濃く、何気なく挿入されている場面が重要な伏線になっていたりするところにも構成のしっかりしたものを感じさせた。
 こういうものを見た後で「ウルトラマンネクサス」を見ると、設定の細かい部分や人物造形に穴がぼこぼこあり過ぎて見てられんようになるのですね。アニメであろうとドラマであろうと、小説であろうと、漫画であろうと、そのあたりは同じこと。
 山本二三らによる背景画の美しさ、上野耕路の音楽の素晴らしさも特筆しておきたい。私はサントラCDを買いました。主題歌のCDも買いました。ほんまによろしい。見てなかった人は、そろそろレンタルビデオが市場に出る頃なんで、まあ見て下さい。SF者必見ですぞ。

3月31日(木)

 鼻の下のヒゲを剃るのをやめた。もうそろそろ3週間になる。実は、昨年の春休みにもヒゲをのばしかけたんですね。そやけど、始業式前日にそり落とした。
 以前日記にも書いたけど、私の鼻の下のヒゲはSF関係者については記号になっていたわけです。やっぱり、記号は復活させた方がええかなあと思い直したのでのばし始めた、という理由がまずある。それから、担任をしているクラスは、クラス替えなしで担任も持ち上がり。3年生に進級したことでもあるし、気持ちを切り替えるのにヒゲという小道具を使うてイメージを変えてみようかなという理由もある。
 担任しているクラスの生徒には始業式まで見せたくなかったんやけど、今日出勤したら、クラブ活動できている生徒に発見されてしもうた。まあ、一人くらいやったらええか。ふふふ、見とれよ。始業式の日には驚かしたるからな。……何の反応もなかったらどうしよう。それが怖いといえば怖い。
 というわけで、妻には嫌がられてるけど、とりあえずヒゲ復活です。もっとも、昨年と同様に始業式前夜になったらふと気が変わってそってるかも。そこらあたり、まだ流動的ではあるんやけどね。


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