ぼやき日記


5月21日(土)

 ぼちぼち本を読める精神的余裕ができてきた。たまっている読みたいSF小説にもそろそろ手をつけられそう。いまのところ確実に面白そうな小説から手をつけはじめているんやけれども、それというのも、私は本を途中で読みさしにするとなんとなく落ち着かんという困った性分で、読んでいる本が面白なかったら、読書ペース全体に響いてしまうという難点があるのですね。読みさしのままカバンに入っているものが1冊あって、これを読んでしまわんうちに次の本に手をつけるということがなかなかでけなんで困った時期もあった。今読んでいる面白そうな本で読書のペースをつかんだら、読みさしの本の続きを読もう。そやけど、以前「S−Fマガジン」で書評を連載していた頃は多少面白くなくても勢いつけて読めるパワーがあったのになあ。年をとるというのはこういうとなんか、それとも学校の仕事での消耗度が激しくなったのか、さてどっちでしょうな。今、担任をしている生徒を卒業させたら、かなり気持ちも楽になるやろうから、その時にどっちやったかがはっきりするやろうと思う。
 あ、HDDレコーダーの導入で見るアニメやなんかが激増したのもあるかもしれんな。今日なんか半日以上アニメを見てたもんなあ。「ふしぎ星のふたご姫」やら「おねがいマイメロディ」なんてものまで見てるからそうなるんか。そやけど、「ムシキング」も含めてこういう子どもをターゲットにしたアニメの方が「創世のアクエリオン」なんかよりよっぽどおもろかったりするのも事実やもんなあ。

5月22日(日)

 頭の中で「スキスキスー、フワフワフー」と「おねがいマイメロディ」の主題歌が鳴ってて止まらん。覚えやすくて調子がええ。今日なんかあまりにおもろいんで2回も見てしもうたぞ。だいたいサンリオという可愛いものが好きな女の子を相手に商売している会社のキャラクターを使うて、「可愛いものが大の苦手」という武道好きの女の子をメインに据えたストーリーを作るというところが大胆やなあ。マイメロディが活躍さえしたら何をしてもええということなんかな。確信犯とみたね。そういうの好きや。あの加藤夏希が声優で出演しているというのもポイントが高いぞ。
 声優というと、「ガラスの仮面」で北島マヤの劇団での友人役として「特捜戦隊デカレンジャー」で「デカイエロー」ことジャスミンを演じていた木下あゆ美が出演しているやないですか。たまたま声優の仕事がまわってきたのか、それとも今後は声優の仕事が中心になっていくのかわからんけれど、ええ味だせる役者さんやから、顔出しのチャンスをもっと与えてほしいなあ。
 はいそうです。今日もたまっていたアニメをいろいろと見たりしてました。そやから日記もこんなネタばっかりです。明日は仕事があるからこうはならんと思います。

5月23日(月)

 横綱朝青龍はおでこがまん丸に出っ張っていて、赤塚不二夫「もーれつア太郎」に出てくるデコッ八に似ている。それやったらデコッ八にまげをつけたら朝青龍になるんやないかと、子どもの頃みたいに広告の裏に鉛筆で落書きをはじめた。デコッ八は30数年ぶりに描くというのにすらすら描けるんやけれど、朝青龍に似せようとすると難しいなあ。描いているうちに乗ってきて、ニャロメやケムンパスもどんどん描く。これが、子どもの頃毎日のように描いてきたキャラクターなもんやから、手が覚えててうまいこと描けるんだ。
 妻は「アタックNo.1」のこずえちゃんの目をさらさと描いてみせる。いやあ、三つ子の魂百まで、雀百まで踊り忘れず、というやつですかな。
 そのころから描くのが苦手やったものは、今描いても似ないなあ。鉄腕アトム、ジャングル大帝レオなんかは、昔からへたくそやったし。というよりも、手塚治虫のキャラクターというのは微妙な線で構成されていて、描くのが難しいんですわ。赤塚キャラクターは線が単純かつ洗練されているんで、逆に似せやすいということか。
 それにしても、落書きって楽しいなあ。生徒がノートにこまごまと落書きしているのを見るとなんかこっちも楽しくなってくるけど。今度ノートを点検する時、バカボンのパパでも描いて返そうか。生徒の顰蹙をかうからやめとこう。そやけど、いったん思い出した落書きの楽しさは止められんような気がするかも。

5月24日(火)

 やってくれましたねえ「プロジェクトX」。かねてから問題の多い番組やなあと思うていたけれど、いくらなんでも淀川工業高校を「荒れた学校」に仕立てて、合唱部を作って学校を落ち着かせたなんていう筋書きを考え出すとはねえ。
 この企画を立てた人は、大阪のことを何も知らん人に違いない。そやかて、淀工というたら、大阪ではものすごく有名な高校なんやで。いやいや、全国レベルでも有名ですわ。淀工吹奏楽部というたら、プロのオーケストラの管楽器奏者よりもうまいんやないかとささやかれるほどの名門ですわ。そやのに、新聞記事によると、この番組には吹奏楽部のことは一切触れられておらんというやないか。
 いや、プロの仕事です。淀工の吹奏楽部か吹奏楽部の淀工かというくらい不可分の、大阪の吹奏楽の代名詞みたいになっている淀工の、その吹奏楽部に一切触れることなく番組を作ってしまえるんやからなあ。ふつうに撮ってたらどうしても触れんわけにはいかんところやのになあ。それを完全にないものとして扱えるやなんて、ある意味すごいと思うね。
 たぶん企画制作者は大阪以外の人と違うかな。工業高校=荒れている学校、というステロタイプな学校観しかない。淀工は工業高校の中では優秀な学校やという認識があらへんのや。工業高校の学生に対する偏見ですな。そこへもってきて合唱部。「これだ!」とか思うたんやろうね。残念でした。淀工には日本一の吹奏楽部があったのでした。たぶん制作途中でそのことはわかったはず。取材の段階でそれにも気がつかなんだとしたら、よほど物を見る目のない人ですわ。それでもストーリーはでけてる。これで押してしまえ。なに、全国の人は淀工なんかその存在も知らんはず。おお、感動のストーリーだ。「泣き虫先生とラグビー部」の再現だ!
 BK(大阪放送局)はノータッチなんやろうなあ。BKがタッチしててこういう恥ずかしい番組を作ったとしたら、今後淀工はNHKの催しへの協力をしてくれんようになるぞ。ほんまに。
 再放送の予定はないという話やけど、一回でええからしてくれへんかなあ。荒れた淀工を吹奏楽部の存在と無関係に合唱部で建て直す教師の話なんていう珍品を見逃したのは一生の不覚!
 仕事のためなら家族を顧みなくてもええという前時代的な観念を引きずったままの「プロジェクトX」が、親が子どもに見せたい番組の1位というのは危険やないかと思うている。子どもには「日本語であそぼ」やら「ハッチポッチステーション」を見せた方がよほど優れた感性の人間に成長すると思うんやけどね。この事件をシオに番組そのものも終了させたらいかがかな。

5月25日(水)

 今日は夜に「虚航船団パラメトリックオーケストラ」の公演を見にいく予定なので、出かける前にナイターの録画予約をしておく。いつもなら22時に録画が終るように設定しておくんやけれど、今朝はふと思いついて22時30分までにのばして予約を設定した。
 仕事が終り、急いで「一心寺シアター倶楽」へ。林譲治さんご夫妻も来てはった。
 今回の出し物は「風呂屋の前」。銭湯の前で起こるできごとという設定で、3人の作者が短いお芝居を競作するというオムニバス仕立てになっている。これは役者さんたちはたいへんやったやろうなあ。3つの芝居を連続してやるわけやから、役作りも3つせんならんわけやし。
 第一場は秋山シュン太郎さんの「風呂屋の前から不安で」。いつものように場面転換の多いお芝居。生まれて初めて銭湯に入る男があれこれといらんことを想像して混乱に陥るという話なんやけれど、その妄想をすべて芝居にするわけやから、場面転換も小刻みになる。それをばたばたした感じにさせへんところがうまいと思うた。
 第二場は吉村シュークリームさんの「風呂より熱い愛のストレート」。銭湯から出てきた大学のソフトボール部の面々が、銭湯の近くのコンビニで仕事をしている男前のお兄さんをめぐって大騒ぎ、というお話。ストーリー自体は特に目新しいというほどのものでもないんやけれど、ソフトボール部のメンバーの個性を非常にうまく描き分けていた。作者の吉村シュークリームさんのことはよう知らんのやけど、女性と違うかなあと感じた。男性では気がつかんようなところへの目配りが行き届いていたからね。
 第三場は北野勇作さんの「風呂屋の前で星に願う」。小説家の作品やなあと感じさせた。つまり、ストーリーの骨格がものすごくしっかりしてるんですわ。小劇団の芝居をあまり数多く見ているわけやないけど、ストーリーよりもキャラクターや場面のインパクトなどが強調されるものが多いように思う。そのてん、北野さんの脚本は、彗星の大接近と謎の記憶喪失者続出事件をからませ、人類滅亡の予兆を感じさせるような、そやけどみんなそれを予感しつつも静かに星を見上げるという、北野さんの小説全般に通じるトーンが見どころ。登場人物たちが見上げる夜空には、もう火星はなくなってしもうているんやろうかなあ、なんて考えてしもうた。これは北野さん自身の手で短編小説にしてもらいたいなあ。
 「パラメ」のお芝居も、ここのところいろいろと趣向を凝らして見せるようになっている。今回もまたこれまでにない冒険といえるやろう。3本それぞれに作者のはっきりとした個性が出ており、とても楽しいお芝居やった。

 22時を過ぎて帰宅すると、まだ野球の試合をやっている。6−6のまま延長戦に突入していた。いつものように22時までしか録画してなんだら、途中で切れているはずや。朝の予感はこのことやったんかなあ。私は予知能力者? 録画終了時間を大幅に延長し、最後まで見る。さあ、この日記を更新したら、野球を超特急で早送りしながら見るとするか。また夜更かししてまうなあ。

5月26日(木)

 今日は生徒の就職先開拓のための職場訪問で、観光バスの会社に行き、学校に戻ってからテストを作ったりテストを作ったりテストを作ったりテストを作ったり、きぃーっ!
 てなわけで、妻が言うには私の日記は最近「ささくれだってる」らしい。まあなあ。確かにストレスはかなりたまってるもんなあ。
 実は体調もあんまりよくない。朝から無性に眠たかったりするし。それでも授業の直前には自分なりにテンションを高めて臨むわけですね。まるで高見盛みたいにね。そのかわり授業が終ったらどっとテンションが下がってしまうね。落差が激しい。
 実は、この日記もそういう「ささくれだってる」のを強調したかなりむちゃくちゃなテンションのものを一度書いてアップロードしたんやけれど、ほんまに壊れたと誤解されたらいかんので、書き直して再度アップロードしているのです。そういうあたりが、ささくれだっているということなんですね、たぶん。

5月28日(土)

 所用で出かけたついでに、梅田の「旭屋書店」に寄る。コミックのコーナーで、かねてより買いたかった、手塚治虫「バンビ」「ピノキオ」の復刻セットを購入。これは、昭和20年代にディズニーの映画を覚えるほど見た手塚さんが自分の手で漫画単行本としたもの。著作権に厳しいディズニーの許可がおりて、このたび復刻版が出版されたというわけです。
 帰宅してすぐに読み始める。
 うまい。ディズニーのアニメーションの絵やストーリーを生かし、ディズニー映画の楽しさをみごとに伝えながらも、自分の作品として完成させている。いやもうこれはマニアやとかファンやとかそういうレベルのもんやないですよ。こんなすばらしいものに著作権を盾に復刻を許してなんだディズニープロダクションを恨むよ。いやいや、今回はちゃんと出版を許可したんやから、まあよしとするか。
 これはファン向けの復刻やから、解説書やケースもついて3800円。そやけど、今の子どもたちのために廉価版も発売してほしいなあと、妻が言うている。それだけ質が高いんだ。そやね、この3800円は、決して高くないね。同じくらいの値段でDVDを買うことを思うたら、2冊セットやから安いくらいと違うか。
 読み終えた私は、手塚全集を並べている棚に片付けた。この全集も完全とはいわれんけれど、こういう復刻版を追加していくことによって、少しでも完全に近いものになればええなと思う。古本を探し回るほどのマニアやないから、こういう形で追加されるのはありがたい限りやね。

5月29日(日)

 役者というのは面白いものやなあと、ただ見てる立場からだけでも思う。例えば、朝に「仮面ライダー響鬼」を見ていると、若い俳優たちや子役俳優たちがたくさん出演している中では主役の細川茂樹さんは頼りになる存在やなあ、ちゃんとした役者が出てこんとあかんなあとおもうたりする。そやのに、夜に大河ドラマの『義経』を見ていたら、同じ細川茂樹さんが平重衡役で登場し、そうそうたるメンバーの中にまじっていると、若手俳優ががんばってるなあという印象になってしまう。共演者とのバランスもあるし、役柄の違いもある。それだけに、一日のうちで朝と夜にこうはっきりと違う姿を見て比較できるというのが、なにより面白い。
 それにしても仮面ライダーと平家の若武者というのは極端に違うよなあ。役者さん自身はけっこう大変やねんやろうなあ。
 といいつつも、私は私で1日のうちにわずかな休憩時間をはさんで、8時40分からは現代の経済の仕組みの説明を、10時40分からは古代ローマの物語を語るというようなことをやっているわけで、同じ「授業」という形式ではあるけれど、これはこれでなかなか頭の切り替えが大変ですねんで。いやほんま。

5月30日(月)

 高度経済成長時代というと、私が生まれてからものごころつく頃がちょうどその時期にあたる。私の記憶の中でも薄らぎつつある時代のことを、昭和62〜3年生まれの生徒たちによくわかるように伝えるというのはなかなか難しい。それでも子どもの頃の記憶というのはすごいもので、こう教えよう、ああ教えようとプランを練っている時に、教科書に掲載されている断片的な題材から思わん言葉が引き出されてくる。
 今日教えたところでは、「三種の神器」が白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫で、「新・三種の神器」がカラーテレビ、自家用車、クーラーという記述があった。プランを練っている時には、例えばテレビのチャンネルがゆるんで取れてしまうと、ペンチを使うてチャンネルをまわしたことやら洗濯機には脱水機はついてなくてローラーにはさんでまわして絞ったことを話そうかなあと考えたりしていた。そやけど、ローラーはわかるやろうけれど、チャンネルをペンチでまわすというのはちょっと具体的にイメージでけんかもなあと思う。
 そこに天啓のように浮かんできた言葉があった。
「家つきカーつきババアぬき」!
 当時の女性の理想の結婚相手の条件でありますね。持ち家と自家用車はあるけれど姑との同居はしない、という。いや、今でもそうかもしれんけれど、ただこの言葉はもう死語ですわな。こういう言葉が出てきたら、私の脳内はもうタイムスリップ状態。ようし、今度はバブル景気の時には「3高」が理想の条件やったとつなげることができるぞう。と、宝の山を当てたみたいになってくる。えー、「3高」は何やったかなあ。身長と学歴と収入やったかなあ。まあバブル景気の時代を教えるのはもう少し後やから、それまでに調べよう。
 それにしても今思うと「家つきカーつきババアぬき」という表現はストレートやなあ。えげつない言い方やなあ。子どもやった私は意味もわからんと口にしていたように思うけど。そんな子どもでも口にしていたんやから、当時はそうとう流行した言い回しやったんやろうなあ。うーむ、わかりやすくはあるけどね。

5月31日(火)

 元大関、貴ノ花の二子山親方の訃報に接する。享年55。死因は口腔底ガン。あまりにも若い死やとしかいいようがない。
 私がまだ小学生やった頃、京都巡業に連れていってもろうた。これで私は相撲の面白さにとりつかれた。身長150cmに満たなかった小さな私は、貴ノ花と輪島が談笑する姿を見上げた。貴ノ花はほんまにかっこよかった。次の本場所から、私は新聞を切り抜いたりするようになった。そして、細い体をしならせて逆転のうっちゃりを見せたり、足一本で土俵際で粘る貴ノ花の相撲から目が離せなくなった。北の湖や高見山、黒姫山、大受というような重量級の力士にはときには一気に土俵の外に持っていかれた。それでも貴ノ花は立ち合いの変化などで勝ちにいったりはせなんだ。真っ向勝負で相撲をとっていた。体の小さな私は、貴ノ花や旭国という小さいけれどもしぶとい力士に自分を重ね合わせていたんかもしれん。
 そして1975年春場所。テレビにかじりついていた私は、優勝決定戦で北の湖を下して初優勝をした貴ノ花の姿に熱狂した。翌夏場所は9勝に終り横綱の夢は遠ざかった。名古屋場所で休場し、もうあかんと思うた。ところが次の秋場所で再び北の湖と優勝決定戦となり、土俵際、逆転の投げで2度目の優勝を果たした。この年が貴ノ花の最高の年やったかもしれん。
 そのあとも貴ノ花は優勝こそでけなんだものの、千代の富士が台頭してくるまで、50場所も大関の座を守り続けた。実兄の元横綱初代若乃花幹士である二子山親方の著書「貴ノ花に賭けた」は紙が真っ黒になるまで読んだ。引退記念の相撲雑誌は今も書庫の書棚にある。私の中学時代は、タイガースと相撲と手塚漫画、これが全てやと思う。それくらいこの3つに自分の思いを注ぎ込んでいた。クラスの嫌な奴にいじめられても、貴ノ花がいてた。横綱にはなられへんけれど、大関という位置で最高の記憶を私に刻み付けてくれた。勝つことだけが人生やないことを、貴ノ花や旭国やタイガースは教えてくれた。
 貴ノ花は引退して鳴戸親方になり、藤島親方に名跡を変更して部屋を開いた。安芸乃島、豊ノ海、貴闘力、若乃花(勝)、貴乃花、貴ノ浪など、個性豊かな力士が藤島部屋から生まれ、それぞれが相撲界をにぎわせた。私は藤島部屋の力士も続けて応援した。
 そやけど、兄の二子山親方から名跡を譲られ、二子山部屋と藤島部屋が合併したあたりから、おかしくなっていった。一人一人の力士に目が行き届かんようになったのかもしれんし、自分の師匠が育てた力士に対しては自分の弟子と同じような指導はでけなんだのかもしれん。しかも、名跡譲渡の際の会計が不明朗やと摘発されたり、若貴兄弟の確執が発覚したり、憲子夫人には暴君ぶりを訴えられて離婚となったり……。一切弁明らしいことをいわんのが貴ノ花らしいといえんこともなかったけど、みるみるうちにやつれ果てていく姿からは往年の「角界のプリンス」をうかがわせるものがなくなった。きつい言い方になるかもしれんけど、晩節を汚したという感じやろう。
 ガンでの入院中は、週刊誌の恰好のネタになった。こんな形であの憧れの貴ノ花が泥にまみれていくのは見たくなかった。そして、闘病の果てに迎えた死……。
 今朝のテレビ局のワイドショーは貴ノ花一色やった。おそらくNHKも追悼番組を作るやろう。できたら、現役時代のあの美しかった貴ノ花の姿だけを見せてほしい。今朝の日刊スポーツの一面では「貴ノ花死す」と大きな見出しでこの名大関を悼んでいた。そう、貴ノ花には現役時代の輝きが似合う。整理部のデスクの思いが伝わってくる気がした。
 ワイドショーや週刊誌は今後、貴乃花親方をめぐる花田家をネタにあれこれいじりまわすやろう。その輪から死という形でしか逃れられなんだ貴ノ花。兄若乃花の起こした相撲一族は、初代の作り上げた呪縛の中にとらわれているんかもしれん。そやけど、もうそれに煩わされることはないんや。ゆっくりと、休んで下さい。あなたは私の憧れでした。
 謹んで哀悼の意を表します。


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