ぼやき日記


5月1日(日)

 人が何か失敗をした時に、罰を与えるのはたやすい。その罰も、一度だけならば効力はあるやろう。そやけど、罰も繰り替えされるとそこから逃れるために知恵を働かせるようになる。同じ失敗を繰り替えさせないためには、時間と手間はかかるけれど、粘り強く対応してやらなならん。
 そんな初歩的な部分がでけてなんだ。そこにJR西日本の問題点があったみたいやね。指導の一環であったはずの「罰」が、常態化し、その「罰」から逃れるために虚偽の報告がなされたりした。それが今回の大惨事を招いたとしたら……。
 これはJR西日本だけの問題やない。全ての組織に、あるいは教育という行為に必ずついてまわる問題やろう。罰則と指導のバランスをちゃんととらなんだらあかんということやないかと思う。

5月3日(火)

 昨日は職場の歓送迎会。新しく転勤してきた人と同席して楽しく会話。二次会は居酒屋でおしゃべり。すっかりごきげんで梅田からタクシーに乗った。
 さあ、この運転手さんのしゃべることしゃべること。話題はJR西日本の事故だ。
「××電鉄の車掌が近所におるんですわ。そこも失敗したら乗務禁止にされるて。どこの会社もいっしょ。しまいに事故がどこかで起こると、私ゃ思うてましたんや。社員が抗議しても会社は無視しまんねや。事故を起こした運転手には気の毒やけどな、たまたまあの若い人にあたっただけでんねや」
 はあはあ、そうでっか、なるほどなるほどとあいづちを打ってたけれど、途中で辛抱たまらんようになってきた。どうやったってあの口は止まりそうにないなあと思うてたら、家の近くにきたんで降ろしてもろうた。
 あの運転手さんはお客全てにあの話をしてはるんやろうか。他のお客はどう対応してるんやろう。今日も今ごろ「あの事故な、あれはどこで起こってもおかしないんですわ」と口角泡をとばしてるんやろうかなあ。

5月4日(水)

 高野史緒さんの日記にも書かれていることですが。
 実は昨日の昼頃、高野さんから私の携帯にメールがきた。高野さんから携帯にメールとは珍しい。関西に来ているということはないはずやのになあと見てみたら、タイトルもメールの内容もない、いわゆる「空メール」というやつや。しかも、私だけに送ったんやないらしく、「TO」と書かれた欄に複数のメールアドレスが書かれている。その中には高野さん自身のアドレスもある。
 ふむ、これはスパムメールやなと、すぐにぴんときた。私は今は携帯電話のメール設定を「ドメイン指定受信」に設定していて、携帯から送られたメール以外は、たいていはねられるようにしてある。「hotmail」や「yahoo」で取得したサブアドレスはこの段階で受信が拒否される。また、「docomo」や「ezweb」、「vodafone」のドメインであっても、そのドメインを使うてパソコンから発信したものもはねられる。ところが、このサービスをNTTドコモが行う前は、そらもう1日何通スパムメールがくるか数えきられんくらいやった。特に、なんと私自身の携帯から送られたことになってるメールというにはあきれてしもうた。なんで自分に自分で「欲求不満の人妻、多数登録!」なんていうメールを送らんならんねんや。私は暇人か。
 ドメイン指定受信のサービスを活用することにしてからも、パソコンから送っても携帯発信になりすませるソフトがあるらしく、スパムを完全には防ぎ切れてへん。そこで携帯のアドレスを変更し、制限字数いっぱいのむやみに長いものに変えた。これでやっとスパムは減少した。いうても、完全になくなったわけやない。
 今回の場合、犯人は何らかの手段で高野さんのアドレスを入手したほか、どこからか発信履歴をクラッキングしてスパムを送ったんやないかと思われる。どういう手段を使うたんかは私にはわからんけど、悪質というほかない。それにしても、空メールを送りつけてくるというのが気色悪いやないか。それやったらまだ「女子Φ学生の禁断画像満載!」というようなメールの方がわかりやすいからまだましやね。もちろんそういうメールもいらんけどね。

5月5日(木)

 浦沢直樹「プルートゥ」の2巻が出たと新聞で見たんで、近くの書店に買いに行く。店頭に平積みになっていたのを手にとって、他にも面白い漫画はないかいなと漫画のコーナーをうろうろする。
 森薫「エマ」を見つけた。4月から始まったアニメが思いのほか面白くて、原作も読んでみたいなとは思うてたんやけど、書店で手にとってみて、絵がきれいなんで思わず全5巻購入してしまう。勢いがついて、久美沙織さんによるノヴェライゼーション版も購入。ご近所の奥様方が子どもを連れてきて女性雑誌や絵本を買うという客層の書店ででかい紙袋を出させるというのは、まあ、なんというか。
 帰宅して妻といっしょに読み始める。
 面白い。ビクトリア朝時代のイギリスが大好きで大好きでたまらんというのが伝わってくる。好きなものやからこそ、面白いものが書けるんやと思う。主人公のメイド、エマの描写だけやなく、はしっこにちらりと登場する端役にいたるまで、ビクトリア朝の空気を漂わせている。いや、私、別にビクトリア朝時代のイギリスで生きていたわけやないから、ほんまにそうやったかはわからんよ。わからんけど、たぶんこうやったんやろうと思うわけです。
 というわけで、同時代を描いた短篇集「シャーリー」もあわせて6冊一気読みしてしもうた。いやあ、さすがに疲れた。妻も一通り読んだ後、再度1巻から開いて熟読玩味している。確かに、描写が細やかやから何度も読み返して全てを味わい尽くしたくなる気持ちはわかる。私はノヴェライゼーション版にとりかかったところ。
 あ、まだ「プルートゥ」読んでへんわ。何が目的で本屋に行ったんや、私は。

5月7日(土)

 プロ野球はセ・パ交流戦が始まった。もちろん公式戦やから、私はふだんと変わらずテレビで観戦をしている。昨日の晩みたいに飲み会があってリアルタイムで見られへん場合は録画しておいて、今朝試合開始から最後まで見たりしている。
 アナウンサーが「ファンが待ち望んでいた交流戦が始まりました」とあおるようにいう。
 そうかなあ、と思う。少なくとも私は交流戦を待ち望んだりはしてなんだんやけどなあ。オールスターやとか日本シリーズやとか、限られた場面でしか対戦せえへんから、2リーグ制は面白いのと違うかなあと、思う。実際に、始まった試合を見ていても、別にわくわくもせんし、同一リーグのチームとの試合の方がおもろいくらいなんやなあ。
 例えば、同一リーグのチームと対戦していると、自分の好きなタイガースの選手の特徴も相手チームの選手の特徴も、あるいは監督の作戦もようわかっている。そやから、この前はやられたけど今度はどうなるかやとか、苦手な投手を叩きつぶして勝つと溜飲が下がるやというのが楽しいんやな。交流戦にはそれがない。相手のことがわからんままに6試合やって、それきりやもんな。
 また、この6試合をしたがために、日本シリーズでの興味がそがれるんやないかとも思う。お互いの優勝チームが白紙の状態で当たるからどちらがほんまは強いんかという興味もわくわけで、交流戦を6試合したおかげで直接対決した時の結果が予想しやすくなるからね。
 そやから、セ・パどちらのリーグでどのチームが優勝するかはまだまだ先にならんとわからんけれど、これまでの日本シリーズのような期待感をもてるかどうか。その時になったら実感するんやないかな。
 交流戦がおもろないというわけやないよ。ただ、テレビでアナウンサーが盛り上げようとするほど、私はわくわくしないというだけのことですわ。今年は初めてやから、それなりにわくわくさせる要素はあるかもしれんけど、来季はどうか。また、別のリーグから移籍してきた選手がどんな活躍をするかという楽しみも減るように思うしね。
 とりあえずタイガースとファイターズの2試合だけしか見てへんけれど、なにかお互いに探りあいをしているうちに試合が進んでいくという感じで、駆け引きの妙味やとかそういうものを楽しまれへんのはどうなんかなあと思うんですわ。少なくともジャイアンツ戦でタイガースが勝つのを見てる方が楽しいということだけは確かやね。

5月8日(日)

 JR西日本の事故がらみでいろいろと会社の体質が非難されている。まあ、非難されてもおかしいことはないですからね。それはええ。被害者の遺族たちの哀しみや怒りも報道されている。そらそうや。マスメディアには、弱者の視点に立った報道を心がけてもらわなあかん。
 実は、報道されてへん人たちの怨嗟の声があるのですよ。
 通常からJR福知山線を利用して通勤通学してる人たちの声は、ニュースバリューがないせいか、大きくとりあげられることはないのですね。なんでかというと、事故のあった路線は新型のATSを設置せんと運行再開をしてはいかんという国土交通大臣の鶴の一声で、再開が大幅に遅れてるわけですね。で、通勤に利用してはる人たちにしたら、ものすごく不便を強いられているわけです。
 こういう人たちの本音は、「新型ATSはぼちぼちつけてくれたらええ。過密ダイヤを見直して、本数を減らして、運行を再開してほしい」やったりする。そうでないと、通勤で労力をそがれて職場への行き帰りのことを考えるだけでげんなりするんやな。これは、私が、通勤に福知山線を利用してる人から直接聞いた意見やからね。ところが、これを大きく報道すると新型ATSを全線に導入して安全運行をせよという「世論」を逆撫ですることになる。
 報道とは難しいもんで、あちらを立てればこちらが立たず。それやったら悪者は誰かを明確にし、誰にでもわかりやすい「正論」を表に出した方が大多数の「JR福知山線非利用者」に対して共感を抱いてもらえる。そやけど、全国大多数の「世論」に当てはまらへん人の思いを黙殺してええということにはならんと思う。
 なにが現実的かつ最善の方法か。ここらあたりを追及していくことが、理想的な「正論」を錦の御旗にして「悪者」をひたすら叩く(ボウリングしていたり酒を飲んでいたことまで徹底的に叩いてますからね)よりも建設的で有意義なことなんやなかろうかと思うのです。
 1社くらい「沿線の人間のために1日も早く運行を再開せよ」と主張するマスメディアがあってもええと思うんやけどねえ。

5月9日(月)

 JR西日本の各駅で、駅員乗務員に暴力をふるうたりする連中が続出し、20〜30件を数えるというから、呆れるな。
 缶コーラを投げ付けられた運転士、20台の男性二人に車掌室に入り込まれ、ホームに降りて対応したら足を蹴られた車掌。しかもその二人組は「人殺し」と罵倒し、他の乗客が仲裁に入ったりしたこともあって電車の運行が遅れることになったという。それで事故が起きたら「人殺し」はその二人組やないか。乗務員室から引きずり出された運転士もいれば、ホームで電車を見送った女性の運転士などは何者かに蹴られて危うく線路に落ちるところやったという。
 なんというか、世間の非難を浴びて弱い立場にいると思うてから、こういう悪質な「いじめ」をする連中の気がしれんわ。JR西日本に対してマスメディアがひたすらバッシングするから、自分らもやってええと勘違いしてるんか。暴行を働いたら犯罪やぞ。ストレスをJRの社員にぶつけることで解消するか。しかも自分の顔がわからんようにやってる奴も多いらしい。
 それで事故がなくなると思うてるんか。そんなことは何にも考えてへんのやろうな、こういう手合いは。

5月10日(火)

 書店で「ブラック・ジャック〜黒い医師〜」という漫画の単行本を見つけたので買う。手塚治虫さんの「ブラック・ジャック」を、山本賢治さんという若い漫画家がリメイクしたもので、ストーリーはあくまで原作に忠実に描かれている。もちろん絵柄は違う。コマ割りや話の運び方も当然違う。
 読んでいて思うたのが、今さらながらに手塚治虫さんはすごかったということですわ。山本氏が何コマかかけて躍動感あふれる展開にしているんやけれど、手塚原作では実は一コマで表現し尽くしていたりするシーンやったりする。強引に動かさんでも、一コマの中で絵が動いているんやな。原作ではブラック・ジャックが無表情であるところを、山本氏は薄笑いを浮かべさせてみたりかなりオーバーアクトにしてみたりと工夫している。そやのに、手塚原作では無表情さの内側に隠されている心情がぐっと訴えかけてくるのに、山本氏の作品では伝わってこない。
 山本氏には酷な話やけれど(なにしろ相手は漫画の神様や)、これはもうどうしようもないさというものがあるね。
 そやから浦沢直樹「PLUTO」のすごさが際立ってくる。鉄腕アトムという作品を一度解体し、完全に自分のものにしてから再構築している。これは浦沢氏ほどのキャリアと実力があるからこそでけてるんやなあと思う。「手塚治虫文化賞」2回目の受賞も当然でしょう。
 逆にいうと、ここまでせんと「手塚治虫」に呑み込まれてしまうんやないかなあ。山本氏は完全に呑み込まれてしもうてるように思う。
 手塚治虫さんのすごさは、いろんな人があちこちで書いているし研究もされているからそこに私が付け加えることはないと思うけど、映画でいうところのカット割りのうまさはまた格別なんですわ。アニメ化されたものを見たらわかるけど、手塚さんが漫画で描かなんだカットは、ちゃんと描かなんだ理由があったということですわ。アニメやとそこも埋めていかんならんから、どうしても冗長になってしまう。
 それでも「ブラック・ジャック」に挑戦し続ける山本賢治さんには呑み込まれずにオリジナリティを発揮していただきたいと、応援することにしよう。


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