ぼやき日記


6月21日(火)

 まだ火曜日やというのにむやみにだるい。ほんまに梅雨かというほど雨も降らへんしね。教育実習生も今週で期間終了。うけもつ授業の指導案作りで毎日きつそうやけれど、指導する立場の私もまた、それをまともに受け止めるから、体力が衰えている分だけ消耗がきついかも。とにかくゴールに向けてあとひと踏ん張りです。

 なんということでしょう。安くでリフォームをしてあげると甘言を弄して老人に近づき、一度リフォームを任せると次々と直さんでもええのにリフォームを押しつけて大金をかすめ取る輩がいてるという。
 知らん間に4人も養子が増えていた老人もいてた。
 老人という社会的弱者から金をむしり取るという卑劣さ。子どものいじめがどうのこうのというけれども、こういう世相が子どもに反映されているのかもしれんなあ。いじめよりも悪質やし、ひどすぎる。
 バブルの後遺症なんかなあとも思う。この不景気の中で生き残るためには弱者やろうがなんやろうが、食い物にしてええんやというすさんだ人間関係が生まれているのかもしれんなあ。
 大人の世界でこういうことがまかり通るということは、子どもを叱るという資格を大人たちが自ら放棄しているということなんやないかな。恥ずかしいことではあるけど。

6月22日(水)

 今日は、タイガースの鳥谷選手がサヨナラホームランを打ちました。テレビの前で思わずバンザイしてしまいました。
 鳥谷選手はサヨナラのチャンスの場面でも、まるで1回裏の打席に入るみたいにいつもと変わらない表情でした。さすがにホームインをした時はにっこり笑っていましたが、ヒーローインタビューではとても落ち着いているように見えました。どこかのチームのキャッチャーみたいに「サイコーでええす」などと大きな声を出したりはしないのでした。
 鳥谷君は、やっぱり大物やったんやと、今日の試合で気がつかされました。ただのマイペース男やなかったみたいです。
 おかげで仕事で疲れてるのに、妙に興奮してよけい疲れてきたみたいです。
 鳥谷くん! ばんざーい!

6月23日(木)

 妻が「堀晃さんのプログを読んだ?」ときいてきた。あ、ここ何日か読んでへんわ。「Musical Batonがまわってきてるよ」。おおう、あの噂のMusical Batonが!
 そやけど、これブログ上でまわしてるんでしょ。私の日記はかたくなにHTMLですからね。まあ、そういうこまかいことはどうでもええのんかも。
 とりあえず質問に答えることにするか。
Q1.コンピュータに入っている音楽の容量。
A1.0バイト。かなり古いMacなんで、音楽を入れるだけの容量があらへん……。ケータイの着メロやったらかなりダウンロードしてるんですが。
Q2.今、聴いている曲
A2.「ルパン音頭」(三波春夫)
Q3.最後に買ったCD
A3.「つなひき帝国/全国無責任時代」(ガガガSP)
Q4.よく聴く、または特別な思い入れのある5曲
A4.「管弦楽組曲 惑星」(G.ホルスト作曲/A.ボールト指揮ロンドンフィルハーモニー)
   「幻想交響曲」(H.ベルリオーズ作曲/I.マルケヴィチ指揮ラムルー管)
   「交響曲第9番」(G.マーラー作曲/L.バーンスタイン指揮コンセルトヘボウ管)
   「ごはんができたよ」(矢野顕子)
   「ホンダラ行進曲」(ハナ肇とクレイジー・キャッツ)
Q5.バトンを渡す5人
A5.うーむ、誰にしよう。中にはミクシィでやってる人もいてるかもしれんが、そういう閉じた世界のことは無視して、開かれた世界でやってね、という指名。最近はインターネットやのに自分たちの世界に引きこもる傾向があるから、このさい表に引っ張り出して、という思惑がないでもない。あと、同い年で(同学年ふくむ)かためてみました。
   おがわさとしさん
   冬樹蛉さん
   小林泰三さん(日記はないけど、「たぶん駄文」で書いてもらおう)。
   田中哲弥さん
   林譲治さん
 以上、お読みでしたらバトンを受けて下さい。冬樹さんと田中さんは日記も書いて下さい。

6月25日(土)

 昨日で教育実習が終り、昨夜は打ち上げ会。帰宅して一息入れると、むやみと疲れが出て体が動かん。うーむ、自分では意識してなんだけれど、かなり緊張の続く2週間やったということか。たいした指導はでけなんだかもしれんけど、この2週間が彼女にとって実りあるものになってくれたことを願うしかないな。今朝も起きてからしばらくぼーっとしてて、朝食をとりながら昨日録画したプロ野球の試合をビデオで見ていた。見終ったくらいに作家のKさんより電話があり、話をしているうちに体も完全に起きた。
 とにかく、教育実習の指導というのはほんまに初めてやったから、いろいろと勉強になった。自分が教えることによって、自分自身を見つめ直すことができたというのかな。ただ、見つめ直しただけで実践に生かさなんだらなんにもならんわけで、来週月曜からは私の授業がごろりと変わる……ことはないやろうな。まあ、自分のペースでぼちぼちいきまっさ。
 午後からは所用で京都に。担任を持ってる生徒から「とらのあなにしかないらしい」などと聞いていたコミック「げんしけん6巻」の初版限定の特装版を梅田の旭屋書店で購入する。「通常版」やったら近所の本屋でも売ってるんやけどねえ。ふふふ、日本橋まで行かんでも、あるところにはあるのだよ。なに、旭屋になかったら阪急グランドビルの紀伊國屋漫画専門店かてあるしな。そんなん高校生と張り合うてどないすんねん。こういう担任をもって彼らは運がええのか悪いのか。
 あと、付録の「ケロロ軍曹」腕時計ほしさに「ケロロコミック」なる子ども向けの雑誌まで買うてしもうた。こういう担任をもって彼らは運がええのか悪いのか。

6月26日(日)

 うーむ、「ウルトラマンネクサス」終了したなあ。途中打ち切りという形で最後をはしょらんならんことになったのは気の毒やけれど、まあ、あのままずるずる続けてても面白くなったかどうかわからんしなあ。全体の構成を受け持つ長谷川圭一さんは、「鉄腕アトム」の時も最後までおもろならなんだから、てこ入れで會川昇さんとチーフを交代するくらいの荒療治でもせんとあかなんだやろうと思う。
 私は、最初の段階でつまずいた。レスキュー隊の落ちこぼれみたいな存在やった主人公が、なんでやしらんけど謎の組織にスカウトされ、特訓をするところまではええ。そやけど、実戦のチームに入っても、何と戦うておるのか、なんで戦うておるのか、どう戦うたらええのか、いっさい何も知らされんままに投入され、おたおたしてたら気のきつい副隊長にボロカスに言われ、というところで「研修なしで現場に出すな!」とつっこんでしもうた。組織たるものにリアリティがなくて、なんでその中にいる個人が描けるか。
 さらに、怪獣(ビースト)を目撃した一般人はそれに関する記憶を消されるという設定にぶったまげた。おそらくそれをかいくぐった人々の間から都市伝説が生まれ、それによって外部から組織が崩壊するのかなと思うてたら、そういうこともない。だいたい光かなんかを目に当てたくらいで特定の記憶が消せるかいな。無理に特定の記憶を消したら、その人間の精神にかかる負荷の大きさは相当のものなんやないか。中には精神に異常をきたすものも出てくるんやないか。
 そういうことを妻と二人でつっこみ始めたところで、もうあかん。ストーリーに没入でけんようになった。話が進むにつれて矛盾はどんどん大きくなっていくんやけれど、何カットか説明をするようなシーンをはさんだらすむのに、そこをはしょってるから話がよけいわけのわからんものになってしまうように感じた。このわけのわからなさは「前衛」というような高級なもんやないやろうなあ。単に設定の作り方や物語の進め方があんまりお上手やないだけやないかなあ。
 そやからというて次の「ウルトラマンマックス」にはほとんど期待してませんよ。かなり後ろ向きな作り方の番組みたいなんやけど、やるんやったら徹底的に無邪気なまでに後ろ向きなもんを作ってや。結局虻蜂取らずの中途半端に終りそうな気がしてるんやけどねえ。さてどうなりますか。

6月27日(月)

 絵本作家の長新太さんの訃報に接する。享年77。死因はガン。
 小学生の頃、学研の学習の「読物特集号」で初めて長さんの絵に触れた。独特のおおらかな絵柄、そして徹底したナンセンス。こんな絵本作家は他にない。そのワン・アンド・オンリーというべき世界は、死ぬまで変わらなんだ。長さんの絵本を読むたびに、ナンセンスのセンスというべきものを育ててもろうたと思う。
 10年前、小学館の第1回「おひさま大賞」で優秀賞をいただいた時、長さんは審査員の一人やった。受賞式の控え室で角野栄子さんが私の作品について「よくわからない」とおっしゃった時に、長さんはやんわりと肯定的なことを言うてくれはったと記憶している。はっきりとほめてくれはったわけやないけど、あれは長さんなりの心遣いやったと、今でも確信している。
 その時の印象は、作品世界同様、現実とは違う時間に生きてはるような、そんな感じがした。なにか超越した雰囲気をかもし出してはった。受賞式が終ったあと、FM東京の建物を出た時、私と妻の前方を長さんが歩いてはった。皇居のお堀端やったと思う。長さんの姿は、闇の中に溶け込むように消えていった。きっと、長さんは自分の世界に帰っていかはったんや、なんて感じたりした。
 それから10年、童話作家としてはほとんど実績がないまま今日を迎えている。長さんは90歳になっても100歳になっても同じように飄々と生き続け、書き続けるものと錯覚していた。その長さんはもういない。
 書かねば。あの時の気持ちを思い出して、書かねば。長さん、書きますよ。楽しくってナンセンスなお話を。
 謹んで哀悼の意を表します。

6月28日(火)

 元阪神タイガース一塁手、遠井吾郎さんの訃報に接する。享年65。死因は肺ガン。
 太めの体に、背番号24の数字が。ネームは「TOI」。パスポートに記載する規準で当時のタイガースはローマ字表記をしていたんですな。川藤外野手は「KAWATO」やった。
 春風駘蕩というような感じに眼鏡がよく似合っていた。そしてのっそりとした動きに反して、打棒はシャープやった。守備範囲は広くないけれど、ミットさばきは確実。全盛期の吉田、三宅、鎌田の鉄壁の内野陣は、遠井さんの捕球があればこそその実力が発揮でけたということか。
 私は「阪神部屋」と呼ばれ、江夏、田淵といった巨漢たちが主力やった時代にタイガースファンになった。遠井さんは選手としては晩年で、一塁はアルトマンやブリーデンというような外国人選手が守るようになっていた。出番の多くは代打。そやけど、代打男というイメージはないな。代打の切り札は桑野外野手やったし。それでも、存在感はピカ一で、遠井さんに出番がまわってくるのを心待ちにしていた記憶がある。
 プロ野球選手とは思えないような超然としたムードは独特のもんやったなあ。「仏のゴロー」と呼ばれたのもわかる。タイガース一筋20年は藤村冨美男につぐ2位。タイトルには無縁やった遠井さんらしい。まさに「記憶に残る」選手らしい記録やろう。引退後は後藤監督のもとで1年だけコーチをし、スナック経営に転じた後は球界に復帰することはなかった。よほど性に合わなんだんかなあ。
 古きタイガースをつたえる生き証人であった。
 謹んで哀悼の意を表します。

6月29日(水)

 だいたい昨晩の寝つきがいかなんだ。蒸し蒸ししてて寝にくかった上に、やっとこさうつうつとしかけたら、寝返りの仕方が悪かったかベッドからどたあああんと墜落してしもうた。下の階の方、すみません。わざとやないですよ。当たりどころは悪くなく、太股が少し痛かったくらい。そやけどこれで一発で目がさめてしまい、気分転換に一服つけてから、再び寝なおすけど、一度目がさめるとなかなか寝られへんもんやねえ。
 今朝はわりと早く目がさめた。眠りは浅かったやろうな。職場についてもなんか眠い。さすがに授業の時は睡魔に襲われることはなかったけどね。
 授業をしていたら、窓の外ではにわか雨。かなり激しいのが降り始めた。次の時間プールに入る予定の生徒たちがざわつきはじめる。これはもう空気の問題やから、一喝したくらいではおさまらんし、逆効果にもなりかねん。今朝の天気予報の内容を話しながら、板書を始めると、ノートに写さんならんから気持ちが窓の外から黒板に向いた。あ、こっちに向いたなとわかりますな、不思議と。空気が動くというのか。それでも、いろいろとテクニックを使わんと、ざわついたのをもとに戻すのは難しい。
 放課後は蒸し暑さでゆだりそうになりながら仕事をしてたら、気がつけば6時半をまわっていた。効率良く仕事をしたいんやけど、体力の消耗が激しく、集中力も途切れそう。
 昨晩のベッドからどたあああんがいかなんだ。あれが元凶にちがいない。
 こうやって言い訳を探してたらいかんなあと思いつつ、なにか言い訳がないと精神衛生上よろしくないなあとも思う。それもこれも梅雨のくせに早くも7月下旬なみというこの天気がようない。そうやそうや、全て天気のせいにしてしまおう。いやいや、言い訳やなく、ほんまにこの気候はたまりませんわ。助けてくれえ。

6月30日(木)

 日記を書いている時くらい仕事のことは忘れて呑気でお気楽なぼやきを綴りたいんやけれど。なんかひきずっているなあ。いかんなあ。土曜日は午後からクラブの付き添いで出勤せんならんけど、せめて朝寝坊くらいはして睡眠をしっかりとろう。自分でねえ、なんだかねえ、追いつめられてるのがわかるんですよ。あ、こら危ないなあと思うような思考のスパイラルに落ち込みそうになるのを、なんとか理性的になろうとやっきになってるという感じかな。自覚症状があるうちに少し休めなあかんとは思うんですけどね。次の日曜はしっかり休まんとな。やっぱりこの気候がいかんのやと思うね。全て天気のせいにせんとやっとられんわい!
 今の心のよりどころは、タイガースが首位を突っ走ってくれていることかもな。これで最下位まっしぐらやったら、私、今ごろ壊れてますわ。


てなもんや囲炉裏端 ゆっくりまったり掲示板ですお気軽にご利用下さい。

メールはこちらまで。どうぞよろしく。


過去の日記へ。

ホームページに戻る