ぼやき日記


6月1日(水)

 昨日の夜は、よみうりテレビ「平成紅梅亭」の公開録画に行った。今回は「桂文枝追善公演」と銘打ったプログラム。桂つく枝「動物園」、桂文珍「稽古屋」、桂きん枝「青菜」、桂三枝「読書の時間」と4席連続の高座のあと、中入り。桂小枝の司会で三枝、きん枝、文珍が師匠について語るトークがあり、最後は液晶モニターで桂文枝「三枚起請」を見る。
 きん枝師匠の落語という珍しい(?)高座も見られたし、なにより何度かビデオで見返していた「三枚起請」は、改めて絶品やなあと見愡れてしもうた。放送は6月18日の深夜やそうですんで、関西地方の落語ファンの方たちはお見逃しなく。
 それはええんやけど、公開録画というと、普通の落語会とはまた違う客層やねんやろうな。私の横に座っていた学生二人連れは、落語会そのものに行ったことがないみたいで、タイミング悪く「まってました!」「ししょう!」てな掛け声はかけるしね。「動物園」のサゲで「いやー、この落ちはうまいっすね」とまるでつく枝さんの新作と勘違いしているかのようなリアクションをしたり。そのくせ中入りの時には「上岡龍太郎が局長の時の『探偵!ナイトスクープ』の公開録画に行ったことがあってね」「彼がやめたのは惜しいねえ」などと偉そうなことを口走っていたり。お子さまやから仕方ないとはいえ、もっと小声でやんなはれ。私の前に座っていた中学生の男の子は、食い入るように高座に目を向けているようやったぞ。かなり好きなんやろうな。この少年を見習えよ。
 妻の後ろに座っていた老人2人は、三枝さんの「読書の時間」が始まったら「ああ、これは息子が親父の本を持っていっとるんや」てな種明かしをでかい声でやる。落語が始まってるのにでかい声で雑談をする。テレビの公開録画やないか。放送するテレビ局の都合も考えたれや。いらん声が入らんように苦労したはるんやで。
 公開録画の場合、客質はさまざま。テレビで落語を見てみて興味が出て初めて聞きにきた人もいてたら、テレビの公開録画やったらなんでもええしあわよくばテレビに映りたいというようなのもいてる。普通の落語会に行くよりも半可通みたいな感じの人が多いように感じるのはなんでやろうなあ。いや、私が特別くわしいというわけやないんやけれど。そやからずっと黙って高座に集中してまんがな。下手に通ぶったことを口にしたりしたら、もっとくわしい人がそばにいてたりして恥をかくことかてあり得るもんなあ。
 ま、ハガキ代だけで行ってるんやから、偉そうなことは言われへんのですけどね。

6月2日(木)

 すごくいいアイデアが浮かんでいるのですが、お話になってくれないんです。お話の場面場面は断片的に浮かぶんですが、それが一つの流れにつながらんのです。そやけど、これはなんとか形にしたいんです。難しいなあ。そうかて、久しぶりに童話にできるアイデアなんやで。S社のNさんにはかなり待たせてますからね。なんとかしたい。
 ちょっと前、授業の間の休憩時間中に女子生徒2人が私の目の前で会話をしていた。どうやら小説を書いているらしい。
「書きたい場面はあるんやけど、そこまでなかなかたどりつかへんの」
「私は書きたい場面を先書くな。それから間をつないでいったらいいやん」
 ああ、つい私は口出しをしてしもうたのでした。
「書きたいところを先に書いたら、それで満足してしもうて、間は書かれへんこともあるよ」
 高校生なんやから、好きなことだけかいてたらええやんなあ。別に今すぐプロになろうとしているわけでもないのになあ。
 ごめんね。
 そやけど、やっぱり全体像はちゃんと先に作っておかな完成はせんのよ。書いてるうちになんとかなるというような書き方は、それなりのキャリアを積まんとでけんと思うよ。
 でも、社会科の先生がいきなりそんな会話に入ってきたから、びっくりさせてしもうたかもしれんよなあ。
 やっぱり、ごめんね。

6月3日(金)

 朝、出勤する直前に、リビングに妻が積んでおいた(すぐ読めるように、やろうなあ)漫画「エマ」についつい手を出して読みふけってしまうのはいかんなあ。体が重うて家の外に出るのがおっくうということもあって、逃避したいのかもしれん。そやからというてそろそろ出勤時間のギリギリになるよというところで、ロンドンでウィリアムとエマが再会するページを開いてはじんときたりしていたんでは、いかんよなあ。
 なんでこんなに体が重くだるいかなあ。うごきたくなくなるもんなあ。タイガースがホークスに3連敗したからかなあ。今日はなんとかマリーンズに勝ったから、明日は体が軽快に動くかな。あ、明日は学校お休みで朝早く起きる必要のない日やんか。勝つんやったらウィークデイにしてよ。
 たぶん、湿度が急激に上がったせいやないかと思う。これで梅雨になったらどうなることやら。今日の授業中に無口な男子生徒が、じとじとに汗を書いている私を見ながらぽつりと一言、「僕は梅雨は嫌いです」。私も嫌いです。
 それにしても逃避するのに「エマ」を読む中年のおっさんというのは……。我がことながらあまり想像したくない。自分のことは自分で見られへんもんね。見たくもないけどね。
 つまり、だるくて体を動かすのがおっくうなだけですわ。まあ、週末の休みでリフレッシュするか。ううむ、毎週同じことばかり考えてるような気がするぞ。いかんいかん。ちいとも疲れが取れとらんということですわ。

6月4日(土)

 今日は演劇部の顧問会議で某私立高校へ行った。現在の勤務校に転勤し、演劇部の顧問になってもう4年目なんで慣れたけど、最初に行った時には併設の大学の校舎に行きかけたりしてしもうたなあなんて思い出す。
 この学校やないけれど、私立の高校の講師となるべく面接を受けたりしたこともあったなあ。その学校の面接では「小説を書いているようですが、売れますか?」ときかれたことを思い出す。もし作家デビューして売れっ子になったりしそうやったら、看板にでもしたいと思うたんやろうね。そんなもん売れるも何も、書評家としてもしばらく仕事のなかった時期やったから、「はい」なんて返事ができるわけもなし。まあ、その学校は落ちましたけどね。
 あの頃は書評家に再びなるというようなことは考えてもなかったし、小説を書くことを楽しみにしてた。あの時に「売れるような小説を書いて、わが校の看板になって下さい」とばかりに講師に採用されてたら、私はどうなっていたでしょう、てな無駄な「もし」は考えても仕方ないからまあ、どうなってたかなあ程度にとどめとこう。今の自分があるのは、「もし」ではなく実際に積み重ねられてきた諸々によって、やからね。
 4年目となると顧問会議にも慣れてきた。あんまり慣れてしまうと、大阪府の高等学校の演劇連盟の委員かなんかに推されたりしてしまうかもしれんので、地味にいきたいとこなんですけどね。

6月5日(日)

 日曜日はたまってるビデオを見る日と完全に化してしまいました。HDDレコーダーに使われてるようなもんですな。
 アニメや特撮ばっかり録ってるわけやないですよ。今朝録画したのは「かんさい想い出シアター」という番組。JOBK(NHK大阪放送局)に保管されている昔の番組のお蔵出しをするという趣向なんやけれど、今朝放送されたのはすごかった。由緒のあるお寺が秘仏を開帳するというような感じやったな。
 阪急グループの創設者、逸翁小林一三と松下電器産業の創業者、松下幸之助の「新春放談」! 逸翁の貫禄たるや凄いもの。さすが商売の神様松下さんも若僧というような扱いでして。そやけど、新年早々こんな狸と狐の化かしあいみたいな番組を見る人がいてたんやなあ、1960年代には。またもうこんな映像をBKは今まで倉庫にほりこんでたわけですか。いやはや。
 谷崎潤一郎がスタジオの中央に座っているところへ今東光がごあいさつにくるという映像も凄い。谷崎先生の存在感がまたもうなんと表現してええのやら。他にも横山エンタツと花菱アチャコが雑談しているかと思うたら、司馬遼太郎が湯川秀樹にインタビューをしていたり、50分ほどの番組の中でここまで放出してええんかという大サービス。それを日曜の朝10時というような時間帯にやりますか。こういうのは全国ネットで夜の9時くらいにやる番組でしょう。
 それにしても、小林一三にしても谷崎潤一郎にしても、生きて動いてしゃべってるという映像を見たのは実は初めて。一代を築いた人というのはそれだけで存在感があるんやなあと改めて感じた次第です。

6月6日(月)

 以前に注文していたDVDが届いたというので、仕事帰りに旭屋書店のDVD売り場に寄る。「上方漫才まつり 昭和編」全3巻と、夢路いとし・喜味こいしの漫才ばかりを収録した5巻組のDVDボックスであります。
 帰宅してすぐに封をとき、デッキに入れて漫才を楽しむ。レツゴー三匹の体を張った漫才、ネタよりも何よりもその存在感で笑わせるコメディーNo1。狂気としかいいようのない迫力で迫る西川のりおやぼんちおさむの芸。確かに今の若手漫才師はテクニックもありしゃべりも達者やけど、この迫力がないように思う。むろん、時代の違いもあるんやけれど。そやけど、横山やすし・西川きよしの両人も以外と舞台で走り回ったりしてるんだ。舞台の上を走ったらええというもんやないけど、若手のうちはうまさよりも力ずくで笑わせる漫才がもっとあってもええと思う。そういう漫才の間にいとし・こいしの漫才が入るから、そのコントラストがまた新たに笑いを呼ぶんやなあと感じた。
 もったいないと思うたのが太平サブロー・シロー。コンビ別れがなかったら、どんな境地にまでいっていたやろうと思わせるコンビネーションやった。漫才コンビとしての相性は抜群でありながら、人間関係での相性が決してええといえんというところにこのコンビの悲劇があったといわれるけれど、サブロー師匠もやすし師匠の物真似漫才やなくて、自分のオリジナルの漫才をしてほしい。それができる相方はシロー師匠以外にいてへんことはご存知やねんやろうなあ。そやから若い漫才師と組んだりせんのやろうなあ。二人とも吉本に復帰してるんやから、1日だけでもええからもう一度サブ・シロ漫才を見せてくれへんやろうか。
 とにかく、こういうDVDは発売された時に買うとかんと、じきに廃盤になるからねえ。割り引きのクーポンもたまっていたから、けっこう割安で購入できたし、内容も考えたらずいぶんお得なDVDかもね。

6月7日(火)

 渡邊恒雄元読売巨人軍オーナーが取締役会長として10ヶ月ぶりに球界復帰やそうですな。この老人は今さら自分が出てきてなにかできると信じておるんやろうか。球界改革は動きだしている。セ・パ交流戦は、いろいろと課題はあるとは思うけれど、今のところ成功している。ジャイアンツ一極集中やった球界が変わろうとしている。ジャイアンツ戦やから客が入るんやなく、面白い野球をしているチームに注目が集まるという気運が生まれつつある。たぶん、交流戦が終ったあと、マリーンズの勝敗がジャイアンツの勝敗よりも注目されるようになるやろうと思う。
 この老人は交流戦の「成功」をたてに1リーグ制への移行を目論んでるのかもしれん。そやけど、ファンがオールスター戦や日本シリーズの消滅を願うとは思われん。イベントは多い方がええんや。
 そういう意味では、この老人の復帰で時計の針が戻るとは思われん。そやから、まあいろいろと異論はあろうけれど、私はさほど危惧は抱かんのですね。
 それよりも、この老人に期待したいことがある。アメリカのメジャーリーグがもちかけている不公平な世界選手権に対し、おおいに抵抗してほしい。「何がメジャーだ、ばかもん!」と一喝できるのは、ジャイアンツが世界で一番と信じている(と思われる)この老人だけやないかと思うんですわ。「私には何の権限もない」と何もしようとせん頼りにならんコミッショナーがいまだにその地位に居座っている現状を考えると、せめてナベツネ氏にはこのくらいのことはしてほしいもんだ。そしたら、日本のプロ野球のプライドを守った男として後世にその名を残すこと受け合いですわ。これまでめちゃくちゃしてきたんやから、これくらいのことはしてほしいもんです、ほんまに。

6月8日(水)

 今朝、「その時、歴史が動いた」の録画予約をする。今日はなんと横山エンタツ・花菱アチャコをとりあげるんやから、録り逃したくないところやったからね。
 予約をしていたら、テレビから女性アナウンサーの声で番組案内のアナウンスが聞こえてきた。
「今日の『その時、歴史が動いた』は、エンタツ・チャコを……」。
 耳障りな発音ですわ。アチャコはどちらかというとフラットに発音し、イントネーションで「チャ」の部分を少し強調する感じの発音になる。ううう、音声を文字だけで表現するのは難しいなあ。とにかく、このアナウンサーは「ア」にアクセントを置くのですな。そういう発音をすると、まるで「アチャ子」という女性みたいに聞こえてしまう。
 関西人やないからか、あるいは関西人であっても花菱アチャコなんていう人物の名前なんかきいたことのない世代なんか。知らんのやから、発音が間違うてても責められんとは思うんやけど、耳障りで背中がむずむずすることは確かでね。
 以前読んだ「関西弁講座」という本には関西弁はアクセントの言語やなく、イントネーションの言語なんやという指摘がなされていたけど、こういうのを聞くと、なるほどそうなんやなあと実感させられる。関東弁式やと、どうしても単語の頭にアクセントをつけたくなるわなあ。
 そのうちフラットに発音されるべき「やすしきよし」も「すし・よし」というような感じで発音されるようになるかもしれんなあ。そうやって時代は過ぎ、関東弁に限り無く近づいたごった煮関西弁がまかり通るようになるのかもしれんなあ。
 私はあと何年生きるのか知らんけど、できたらそういう時代には生きていたくないもんです。そうならんかったらええだけのことなんやけど。言葉だけは生き物やからどう変わるか予測がつかんのやわ。

6月9日(木)

 昨日の夜のニュースを見ていたら、サッカーのワールドカップの予選を応援するために、わざわざタイまで行っている人たちがたくさんいたみたいやね。まあ、好きで行ってはる人たちのことをとやかくいうのもなんなんやけれど、会場に入られへんのをわかってて行くというのが、なんか不思議ですわ。まあ、祭やから、何らかの形で参加したいということかな。タイガースが優勝したら道頓堀に飛び込むことで祭をするのとかわらんということかもしれん。
 取材のカメラの前で、競技場の柵にしがみついて叫んでいる人物を見た時は、なんか不快やったけれどね。自己陶酔というよりは、そういうパフォーマンスをしている自分を見てほしいというような感じがしたんでね。「日の丸じいさん」とたいしてかわらんのやな。応援というのはそういうものやないでしょうが、と思う。タイまで行くのはええけど、そこまでしている僕を見て下さーいというのは、なんか嘘臭い気がする。
 本人はそのつもりやないと思い込んでるかもしれんけれど、どうしてもそういう心根が透けて見えるような気がしていやになるわけですね。ほんまにサッカーが好きなんか、ワールドカップというイベントが好きなんか、さてどっちでしょう。そういうことです。

6月10日(金)

 今日はコンビニで横山光輝「項羽と劉邦」のコンビニ用コミック第2巻を買う。
 これが面白いような面白くないような、不思議な漫画なんですなあ。動きは少ないし、パターン化しているし。アニメでセルを使いまわしする手法がありましたよね。バンク・システムというやつ。あれと違うかと思うくらい。悪役人が庶民をいたぶる場面にしても、堕落した皇帝が酒池肉林に溺れている場面にしても、「三国志」で見たような絵づらやなあと思う。
 むやみにセリフで説明するし、どう考えても「漫画としての面白さ」には乏しいんですわ。そやのに、読み始めたら止まらん。コマの運びの「間」がええんかなあ。大げさには動かさんのやけれど、ドラマをさりげなく演出している。
 これが日本の戦国時代を描いても同じやったりするのに、それでも読ませるし退屈せんのやから。いとしこいしの漫才みたい、というのとはちょっと違うか。ただ、ベテランの芸というところでは同質のものかもなあと感じたりしている。
 そうやなあ。「伊賀の影丸」あたりを今読み返してみると、ダイナミックでわくわくはするんやけど、やっぱり様式みたいなもんがあって、そこに読者を引きずり込むような、そんな芸風やねんな。
 横山光輝は漫画界のいとしこいしやったんか。うーむ。これはもしかしたらすごい発見かもしれんぞ。どこがやねん。


てなもんや囲炉裏端 ゆっくりまったり掲示板ですお気軽にご利用下さい。

メールはこちらまで。どうぞよろしく。


過去の日記へ。

ホームページに戻る