ぼやき日記


2月1日(水)

 昨日今日とテスト問題作成に没頭。3年生の授業がなくなった分授業時間が減ったわけやけれど、そやからというて仕事量が減ったわけてはありません。採点もせんならんし、その結果を受けて最終の評価も出さんならん。表計算ソフトがあるから点数を入力すれば比較的楽に評価はだせるというようなもんやけれど。よう考えたら、15年前に定時制高校や中学校で講師をしてた時にはワープロ専用機の表計算機能を使うて成績を出していたから、私は全て電卓で成績を計算したという経験がなかったりするかも。ワープロにしてもパソコンにしても、全ての機能を使いこなしているとはとうていいわれんけれど、仕事をする上では必要不可欠なものであることには違いない。
 そういえば、最初にワープロ専用機を購入したのは、学習塾を退職して学校の講師を始めた時やったな。そういう意味では私のワープロ歴は教員のキャリアと完全に重なっているということになる。勘定したら、まる17年ということになるか。もっとも、これは自分が所有しているという意味で、職場などで使用していた分を含めるともう少し長くなるけれど。
 あ、思い出した。学習塾に勤務している時に一心にキーボードを叩いていたら、同期採用の連中から「首を突き出しヒジを曲げている格好がおかしい」とからかわれたことがあったぞ。今から思うと、職場にワープロがあっても、それを使うて仕事をしている人は実は少なかったからな。隔世の感があるなあ。今は逆に手書きでものを書く習慣を失ったという人もいてるに違いない。幸い私は仕事がら黒板に手書きで文字などを書くという作業がある。まだましかもしれん。

2月2日(木)

 今日は3年生の期末試験最終日。3年生たちが公的に登校するのは片手で勘定できるところまできた。いわゆる「終礼」も今日で終了。もっともそんなことを感傷的にとらえているのは教師の方だけで、生徒たちは試験が終った解放感からかいつになくにぎやかやった。まあ、その方が自然やけどな。

 一昨日の深夜録画したアニメ「ガラスの仮面」を見ていてふと何気なく思いついた。今週のラストシーンで速水真澄が演出家の黒沼に「『紅天女』候補は女優だけじゃないんですよ」というようなことをささやいて屋台から立ち去るシーンです。このあと、原作では北島マヤが芸術祭の賞やったかを受賞していよいよ姫川亜弓と「紅天女」を競うことになるわけですな。原作ではまだ決着がついておらんのに、アニメではどうなるんやろう。
 いや、そんなことを思いついたんやない。北島マヤがわの「紅天女」の演出をする黒沼が演出家として選ばれるのは、その演出ポリシーや演劇にかける情熱などを強調して描いているからわかるんや。ところが、姫川亜弓がわの演出を担当する小野寺先生なる演出家は、どうも北島マヤに対する悪役というポジションでしか登場してない上に、演出家としての力量を示す場面が一度もないままに「紅天女」の演出を担当することになるんですな。どうみても姫川亜弓の演技ばかりが強調されるせいか、私の印象では「姫川亜弓の演技のおかげで演出家として生き長らえている男」という感じやねん。はたして小野寺先生の演出家としての力量はほんまにあるのか?
 もっとも、品格力量抜群の姫川亜弓が信頼している演出家ということは、それだけの実力がないとつとまらんとはいえるかもしれんな。黒沼が演出家の力で役者の演技を引き出すタイプなのに対し、小野寺は役者に好きなようにやらせてそれをうまくまとめていくタイプなのかもしれん。
 同じことが気にかかっている人は他にもいてると思うけど、「ガラスの仮面七不思議」の一つにあげてもええかもしれんと思うているのです。あとの6つは何かって?
 えーとね、マヤは大河ドラマに出演し人気者になったあとでスキャンダルを起こしたという知名度があるにもかかわらず、新しい芝居をする度にそのライバルとなる相手は必ずマヤに対して全く無名の役者みたいな扱いをする、とか。マヤの前にあらわれた数多くの登場人物はどんな大物女優や人気俳優であっても再登場しない、とか。マヤの芝居が評判になっても、「劇団つきかげ」の他の団員たちはずっと無名のまま、とか。あと3つはみなさんで好きに考えて下さい。

2月3日(金)

 今朝の新聞を読んでいたら、大阪府教育委員会が来年度入学する高校1年生対象の新たな合宿を企画しているという記事に目が止まった。その合宿では、ノートの取り方やの授業の受け方やの予習復習の仕方やのを授業開始前に教えるんやそうな。
 複雑な気持ちではある。
 そんなん教えたらなあかんか、今さら。と思うでしょ。そやけどね、いわゆる「学級崩壊」世代がもう高校生になっておるのです。注意しても、それが注意やと理解でけてへんのやないかと思われる生徒が存在してる。私が教えている3年や2年の生徒たちは授業を受けるという点や指導されていることに対する反応に関しては、聞く耳を持っていると思う。問題はそこから下の世代ということになる。
 森毅さんの「予習してなくてもごまかすことを自分で身につけるのも勉強」というようなコメントが掲載されていたけれど、そういうことのできるレベルの学校ではこんな合宿の企画は不要やろう。
 また「教育を行政が統制し、管理教育をすすめる」というような批判も記事にはあがっていたけれど、そんなレベルやないのですよ。高校に入学できるレベルやない生徒でも、受け入れていかんならんのです。むろん、個別の教師が授業をしていく中で指導していければそれはベストやと思う。問題はそれ以前の段階の生徒、つまり小学校で身につけておかねばならんことが学級崩壊のせいで身についてない生徒がかなりの割合で混在しているということやねんな。
 逆に、合宿したら身につくんかという批判やったら、それは納得できると思うね。一朝一夕で身につくもんやないもんな。9年間身につかなんだもんを、1泊や2泊で身につけさせられるわけないわな。
 ほんまに困ったもんです。こういう合宿が企画されたことよりも、企画せんならんという現状が問題なんですわ。

2月4日(土)

 今日は私の勤務している高校の演劇部も含めた4校合同公演があった。諸般の事情で今年度限りで演劇部の顧問から離れることがほぼ確定的になったので、いろいろな思いを抱きながら見る。高校生にはちょっと難しい芝居やとは思うたけれど、全員の若さと勢いが出た熱演で、よく頑張ったなあと思う。それにしても急に冷え込んだんで、外を歩いていてもなかなか体がぬくもらなんだ。引き続き、所用で京都に行ったら、粉雪が舞うていた。ああ寒う。

 私が使うている携帯では、メールを書く時、辞書が予測をして一文字入力する度に変換候補がずらずらと並ぶ。例えば「き」といれると「切り替え」「嫌い」「喜多」「教育」「教科」「休日」「狂言」「今日」「騎士」「休暇」「急用」などという言葉がずらずらっと並んで画面にでてくるわけですね。新しい機種はたいていそういう辞書を搭載しているみたいやけれど、正直なところ、うっとおしい。「き」と打って「気」という一文字だけを出したいと思うても、無用な単語が大量に並んでいるのでとにかくひたすら探さんならん。
 早くメールを打てるようにという需要があってこういう機能がついているんやろうけど、逆に時間がかかる。できたら予測変換の機能を切るというモードもこしらえてくれんかな。機能が高くなったことでかえって不便になってしまうことが多い携帯電話やけれど、これなんか最たるものやないかと思う。
 Mac搭載の「ことえり」という学習機能が著しく低いアホ辞書もかなわんが、あんまり賢すぎて先回りされるのも嫌や。なにごとにもそこそこというところにとどめておいてちょうどええんと違うかな。

2月5日(日)

 NHKアニメ「雪の女王」はいよいよクライマックス。雪の女王に対する敵が、「魔王」なのですね。その対決を見ていて妻が「『魔王』って、いったい何の『魔王』なん」と疑問を口にした。私は、「そらあんた、『雪の女王』の声は涼風真世なんやから、相手は『大地の魔王』でしょう」というと、妻に受けたので嬉しかった。私は妻に受けることを無上の喜びとしているのです。ただ、難点を妻に指摘された。タカラヅカで大地真央は涼風真世よりも先輩やから、「魔王」の方が「雪の女王」よりも格上になり、「雪の女王」は戦う前に負けてしまうのやった。「魔王」の声が大塚明夫でよかったね。

2月6日(月)

 最近はスナック菓子もタイアップの時代でして、かっぱえびせんが「永谷園のお茶漬け海苔」味や「都こんぶ」味を出したかと思うと、フリトレーは「笑笑の鶏なんこつ揚」味や「桃屋キムチの素」味を出したりしている。いちいち試食するつもりはないけれど、「都こんぶ」味のかっぱえびせんは気になったので食してみた。
 すごいもんやねえ。酢こんぶの風味があるもんな。ただ、やっぱり酢こんぶは味がなくなるまで口の中でねもねもして味もしゃしゃりもなくなって口の中でとろろになった昆布が溶けてしまうまで味わい尽くすのが礼儀であるから、ばりぼりばりとやめられなくとまらなく一気食いするようなお菓子の味となると、その風情がなくなっていかん。
 その「かっぱえびせん」も、夏には季節限定で明星食品発売のカップ焼そばと毎年タイアップしてるからな。つまり「かっぱえびせん」味のカップ焼そばが発売されるわけです。となると、焼そば風味の「都こんぶ」や「お茶漬け海苔」が発売されるとちょうど一周して具合がよくなるということか。なんの具合がよくなるのかは知らんけど。もっとも、ソース焼そばの味がするこんぶなんぞ口の中で長い時間ねもねもする気にはならんなあ。ソース味のお茶漬け海苔となると、味が想像でけんぞ。なにも一周させんでもよろしいですか。そらまあ、そうやけど、なんか一周しないと落ち着かんというような気にはなりませんか。

2月7日(火)

 深夜アニメの「Fate」を見ていると、旅館みたいに広いところに一人暮らしをしている高校生のもとに幼なじみで近所にすんでいる女の子が毎日朝食と夕食を作りにくるという設定になっている。この設定はどう見ても不自然やないかな。飯ぐらい自分で作るべきやろう。しかも、夕食など学校の先生が食べにきている。彼がどういう境遇かは知らんが、担任としては職分を超えた行為やないか。妻が「これは家事は女という役割を当然とする設定やないの」と不快な表情で言うているけれど、まさにそうやないかと私も思う。他のアニメやゲームやなんかでも男が一人暮らしをしていて女の子が世話をするという設定のものがけっこう見られる。こういう設定のアニメやゲームを喜ぶ人が一定数いてるということか。
 これらに関してはジェンダー論的にはどうなんかなあ。
 「タクティカル・ロア」という深夜アニメでは乗員が女性ばかりの戦艦が舞台となり、艦長と、コンピュータ会社から派遣されてきた男性社員が幼なじみで、唯一の男性である彼をめぐって恋の鞘当てがあったり、あるいは同性愛らしい女性たちも登場する。なにやらエロティックな雰囲気を出したいらしいんやけど、エロティシズムに対する根本的な誤解があるのと同時に、同性愛者の描き方が興味本位的であるように思える。性同一障害で苦しんでいる人たちから見たらどうやねんやろう。
 あまり質がいいとはいわれん作品を槍玉にあげても仕方ないかもしれんけど、こういうものを喜んでみている層がいてるということなんやろうなあ。ええんかそれで、という気がするけど。

2月8日(水)

 毎日スポーツ新聞を読んでいると、バファローズの清原選手がえらく楽しげで、チームの雰囲気もええみたいな感じやねえ。「清原軍団は作りません。それで僕は巨人を出されたから」などというている。東京発の週刊誌では、なんとキャンプインの前からバファローズの谷選手や村松選手が清原選手と反目しているというような書き方をしていたけど、大阪のスポーツ紙はおおむね清原選手に好意的やね。中村監督も自らノックバットを握ってコミュニケーションをはかっているみたいやし。
 今、清原選手は純粋に野球をすることを楽しんでいるように見える。
 ジャイアンツというところは、そういう野球少年みたいな心ではいてられんところらしい。
 もっとも、好きなことを仕事にするというのは逆にしんどいことも多いということはいえるわけやけれども。それでも、好きなことをして評価をいただける喜びは、何ものにもかえがたいものはあるね。最近ものかきでお座敷がかからんから、そういう面でのフラストレーションはあるなあ。自分の書いたものが活字になるというのは、あとから読み返すと恥ずかしくなるような仕事しかでけへんだとしても、やっぱり快感であるのですよ。

2月9日(木)

 作曲家の伊福部昭さんの訃報に接する。享年91。
 むろん、「ゴジラ」をはじめとする東宝怪獣映画の映画音楽はすばらしかったし、名曲ぞろいで、新聞等の見出しが「『ゴジラ』の作曲家、死去」でも問題はなかろう。
 ただ、クラシックファンとしてはゴジラだけやないよ、とちょっと言いたくなったりするのも事実。「伊福部昭全歌曲/藍川由美」というCDに収録されている「ギリヤーク族の古き吟誦歌」を一度お聞き。その土俗的な民族歌謡をとりいれた音楽が、あの映画音楽のベースになっていることを実感できると思う。
 しかも、門下には芥川也寸志、黛敏郎という現代音楽のそうそうたるメンバーが揃っているというから、教育者としても一流やったことがわかる。東京音大の元学長という肩書きもある。芥川さんや黛さんが映画音楽やテレビ番組の音楽、歌謡曲にまで手を染めているのは、師である伊福部さんが映画音楽やからと手を抜かずに独特の伊福部サウンドを次々と作り出していくのを見ていたからなんやろうかと思う。
 今、パソコンでそれら映画音楽のメインタイトルがおさめられたCDを聴きながらこの日記を書いているんやけれど、伊福部サウンドの他に佐藤勝、古関裕而というまた違う作風の作曲家の音楽がところどころに入っているから、伊福部作品の独特のリズムのとり方や音色が耳に残るという具合なんであるね。東宝怪獣映画のラインはもちろん本多猪四郎監督と円谷英二特技監督がつくりあげたわけやけれど、そのカラーを決定づける重要な要素として伊福部サウンドは無視でけんということは、今さら私がここに書くまでもないことやろうとは思いますが。
 謹んで哀悼の意を表します。

2月10日(金)

 昨晩サンテレビでの放送された深夜アニメ「ノエイン」の録画に失敗した。これはもう量子論SFアニメでありまして、第1回からずっと見てきたしDVDにも保存してただけに、録り逃したのが悔しくてならん! どなたか録画してはりませんか。VHSでもHDDレコーダーでもかまいません。ダビングさせて下さい。よし、ダビングさせてやろうという豪儀な方はこちらへお知らせ下さい。えーん、悔しいよー。

 週末、目一杯で仕事をした上にかなりきつい会議を長時間こなして、へろへろになって帰宅。しかも「ノエイン」を録り逃しててさらにショック。こういう時に私の心を癒してくれるのはタイガースの選手の躍動する姿と福本豊さんの解説であります。というわけで、サンテレビの「熱血! タイガース党」を見ていると、久しぶりに福本節が炸裂していてもうたまらん。
 投手陣の練習風景がビデオ映像で流れたあと、福本さんが解説する。
「去年ピッチャーを見たらワーッやったけど、今年もワーッやね」
 ワーッですか。そうですか。言わんとするところはわかるけれど、ワーッの一言で全てを表現してしまう福本さんの大阪弁は今年も健在ですわ。できたら全国放送の時もワーッで表現して下さい。全国放送になったら福本さんは急にお行儀がようなるんやもん。
 もっとも、ワーッのニュアンスを理解でけん人が聞いたら「だからどうなんだよ!」とツッコミをいれるかもしれんけど。関西ローカルだけの楽しみにしておきましょう。
 とにかく今年もタイガースのピッチャーたちはワーッやから、安心して野球を楽しめるに違いない。バッターもワーッやったらええのにな。


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