ぼやき日記


9月1日(金)

雨の甲子園
 昨日は甲子園の三塁アルプススタンドに陣取って、試合開始から終了までたっぷり楽しませてもろうた。やっぱり、常に僅差でどっちが勝つかという試合は面白いなあ。つまらんエラーもなく、プロの妙技もしっかり見せてもろうたし。
 8回裏に逆転ホームランが出て、胸のつかえがとれるような喜びも味わうことができたし、9回表、あと1本のヒットで逆転されるという場面で祈るような思いをし、最後は三振に打ち取るというカタルシスを一気に晴らすような幕切れ。こういう快感はなかなか味わえるもんやないよね。ほんまに。
 試合途中、雨が降ってきて右の写真のように傘やタオルで防備する人も多かったけれど、私は帽子をかぶり首にタオルをまいていたので、それほど体が冷えるというようなこともなくすんだ。というよりは、昼の暑さを適度に冷やしてくれるというくらいの感じやったかも。
 ここのところ、暑さにやられっぱなしやったから、体力はけっこう消耗していた上に昨日の試合みたいに力のはいる展開やと、かなり疲れた。その疲れも勝ったおかげで快いものやったけれど、さすがに今日はしんどかった。
 それにしても今年は甲子園に行く機会が多いなあ。自分でチケットをとってというよりも、無料券が手に入ったからどうやと誘うていただいたり、事情で行かれへんのでかわりに行ってほしいと切符をもろうたり。優勝の年に行く回数が多いというならわかるけれど、今年みたいな年にこんなに行くというのは私にしたら珍しいことやねんけどね。
 実はあと1回は行くことになっている。今のところ私の行った試合は今年に限っては2勝3敗なんで、次で勝ってなんとか5割になってほしいなあ。

9月2日(土)

 アメリカの天文学会が「冥王星を惑星から外した定義について、将来的に改善が求められている」と生命を発表したり、ネット上で新定義を拒否する署名を集めたりしているらしい。
 私には学会のくわしいことは門外漢なんでわからんけれど、以前の日記にも書いたように、政治的な思惑で定義が「改善」されるようなことがあるとしたら、それは違うやろうと思う。新聞や雑誌の特集記事や解説に書かれている内容を総合すると、新定義そのものについては、あれこれといじくったあげくにかなりあいまいな書き方に落ち着いたということらしい。
 科学というのはそんなことでええんか、という気もするけれど、「ファジィ」なんていうのが理論化されたりもしているわけやから、まあ「ファジィ」な定義もありなのかもなあ。
 というても、科学上の「定義」がナショナリズム的なメンツに左右されるというのは、やっぱりよろしくないと思うし、そういう姿勢は非科学的ではないのかねと思う。
 アメリカの学会が、冥王星発見者トインボーのメンツを守るためだけで「改善」を要求しているとしたら、それは「改善」やないやろう。惑星の定義を見直さんと第10惑星やら小惑星やらなんやらややこしくなるから定義を改定したら、冥王星がそこから外れたということなんやったら、それはそれと受け入れるのが科学的に正しい姿勢のように思うんですけど。
 どうもアメリカ人のナショナリズムにはいつも辟易してしまうんやなあ。

9月3日(日)

 「仮面ライダーカブト」は先週までえんえんと料理シリーズをやっていたけれど、本日分から本筋に戻った。とたんにおもしろくなくなるのはなんでよ。脚本家が遊んでいる時の方が役者も乗って演技しているのがはっきりわかるのは問題ではないかいと思うのでありますが、みなさんはいかが。
 昨日の「ウルトラマンメビウス」では、ヒビノ・ミライが実際にいた人間の若者の姿を、その生き方に感動してそのままいただいたということが判明。これは「ウルトラセブン」のモロボシ・ダンが地球人としての姿を勇敢な若者をモデルに決めた理由といっしょ。というか、それを意識してそういう設定にしたんですな。ここらあたりは、ウラトラ兄弟という設定をちゃんと生かした、伝統の強みを感じさせる。
 「仮面ライダーカブト」では、初代「仮面ライダー」の放映された年に「マスクド・ライダー計画」が立てられているという背景がちらりと出ているんやけれど、そこから話が広がっていかない。つまりこれだけ伝統を積み重ねているのはずやのに、それが生きてこないんですな。なんかもったいないなあ。
 この2つのシリーズ、いろいろと比較されることも多いけれど、現在放送されているものはそういう意味では好対照なんやないかと思うね。

9月4日(月)

 「ブラック・ジャック21」が最終回を迎えた。フェニックス病をめぐる最後の戦いは、あの手この手で盛り上げ、あとちょっとで全員病死するか感染を食い止めるために発射されたミサイルで爆死するかというところまて追い込んでおいて、ブラック・ジャックの意識が朦朧となったところであの原作の「人生という名のSL」でBJに関わった人々が次々と現れるという趣向を取り入れて最高潮という場面を迎えさせた。ここで、実はみーんな夢でブラック・ジャックはSLの客席で寝て見ていた夢からさめましたというような落ちやったらおもろかったのに、残念ながらそうはならず、病原菌の抗体は見つかるミサイルは白拍子博士が飛行機を動かして避けるという、予想通りのハッピーエンド。そんなにうまいこといくかい、とツッコみたいところやけれども、まあ最終回であんまり無体なこともでけんわな。
 それにしても、このシリーズ、最初は原作通りにしようと無理して話を引き延ばしたり薄めたりして興を削ぐところもあったものの、「ブラック・ジャック21」に衣替えをしてフェニックス病にからんでブラック・ジャック職業医師がリチャード・キンブルよろしく逃亡者となるというオリジナルの展開がなんとかうまくいったな。原作のエピソードを組み入れながら再構成するという離れ業をやってのけたのは、さすが手塚眞というところでしょう。
 というても、せっかくの名作のイメージがかなり変わってしもうたというのは否定でけんと思うよ。成功したのは犬のラルゴをレギュラーにしたところくらいかも。原作のファンである私には、手塚治虫という漫画家の偉大さを再確認できたという意味を持つアニメ化やったかも。どんな陳腐なストーリーでも、手塚治虫の手にかかるとドラマティックな物語になるんやもんなあ。アニメ化されたものは、陳腐さの部分を拡大したものが目立ったように思われる。
 主題歌全曲集のCDも購入し、聞いてみたんやけれど、「黒毛和牛上塩タン焼680円」以外はほとんど印象に残ってなかったのには驚いた。主題歌から劇伴まで一つのコンセプトを貫いてアニメを製作していた手塚治虫に対して失礼ではないかavex。
 というわけで、次に手塚作品をアニメ化するなら、有名どころは避けて深夜アニメの枠で、やたら暗い「アラバスター」やえげつない「ブルンガ1世」やぐっと大人向きの「人間ども集まれ!」か非道徳的な「奇子」あたりを2クールくらいでやっていただきたい。そうか1年間じっくり時間をかけて「シュマリ」をやるとか。まあ企画段階でポシャるか。

9月5日(火)

 今日も夜はテレビでナイター観戦。中継はよみうりテレビ一局のみ。サンテレビも衛星第一放送もない。まあ、「伝統の一戦」やから、全国のタイガースファンと勝利の喜びを分かち合うかと思うていたら、放送時間終了時にアナウンサーが「それではよみうりテレビをご覧のみなさんはこの結果は『すぽんちゅ』でお楽しみ下さい。G+をご覧のみなさんにはこのまま野球中継をお送りします」という。
 よみうりテレビ?
 関西ローカル局の名前だけいうてるということは、「阪神巨人戦」は関西だけの中継なわけですか。
 確認のために日本テレビのサイトを見て番組表をチェックする。おお、19時からは「伊東家の食卓」で、20時からは「踊るさんま御殿」と明記してあるやないか。日本テレビはついに「伝統の一戦」も視聴率を集めるコンテンツではないと判断した! しかも、タイガースはまだ優勝争いに辛うじて踏みとどまっているというのに! 全国のタイガースファンを敵にまわしたな、日テレ。
 まあ確かに「伊東家」「さんま御殿」は確実に高視聴率を期待できるコンテンツではあるけどね。逆にいうと、関西ではタイガースの試合の方が視聴率を期待できるいうことですかな。それはそれですごいことやな。ただ、よみうりテレビの独占状態やのに関西で中継せなんだら、暴動が起きるぞ。
 確かに、この試合は雨天中止になった試合の予備日やから、日テレは最初から放送する予定やなかったんやろうし、枠もとり辛かったんやろう。
 それにしても、「伝統の一戦」もついにローカル放送枠のものになってしもうたんか。ジャイアンツの凋落ぶりをまたしても見せつけられたなあ。

9月6日(水)

 秋篠宮紀子妃殿下が親王殿下をご出産あそばした。これにより、皇室典範改定問題は棚上げやそうな。予想されたこととはいえ、結局内親王はいらん親王がいればよろしいという、皇族には人権は存在せんのやないかという理屈が露骨にあらわれててなんや見苦しい。
 それにしてもなんです、もしかしたら自分の誕生日がいつの日か国民の祝日になる可能性を有しているというようなことが我が身に起こるとはねえ。本日ご誕生の親王殿下がご即位あそばされたその瞬間に、私の誕生日は祝日になるんやで。皇室典範が女系天皇を認めるという形になったら話は別やけれど。雅子妃殿下が親王殿下をご出産あそばすという可能性がないというわけでもないしね。まあ、祝日になる可能性を有しているということで。もっとも、そうなった時点で私がまだ息災かどうか定かではない。なにしろ皇太子殿下は私と2歳しか年が離れてへんのやからね。まあそんな先のことを心配するより明日の天気を心配しろというところですな。明日はナイターあるかなあ。
 てなわけで、本日をもって私は満44歳になりにけりです。ゾロ目です。バースの背番号です。関係ないか。誕生日を祝うように、夕方から夜までひっきりなしに雷がなっていた。そんなお祝いはいらんぞ。

9月7日(木)

 今日は生徒を連れて正味1時間ほど歩きに歩いたので、疲れた。
 それにしても、淀川にかかる橋を歩いて往復するのがこんなにしんどいとは思わなんだ。淀川の幅の広さを足で実感した。
 橋の中央なんか、川風と自動車の往来でものすごく揺れてるもんね。けっこう大きくしっかりした橋を渡ったのに、あんだけ揺れるんやなあ。ああ怖い。原チャリでしょっちゅう渡っている橋なんやけれど、そんな揺れは意識したことがなかった。
 自分の足で歩いて確かめることがいかに大切か、ようわかりましたわ。

9月8日(金)

 今日は生徒を連れて池田市にある「インスタントラーメン発明記念館」に行った。一昨年と同様、オリジナルのカップヌードルを作る。スープの種類が1つ増えていた。トッピングの具はほとんど変わらず。今年は生徒にも必ず作らせることにした。おみやげがある方が「行った!」という実感がわくわけですね。工場見学なんかでも、その工場で作っている製品をおみやげにいただくと、なんか得したような気分になるもんね。前任校で毎年のようにパン工場に行っていた時はいろんな菓子パンの入った詰め合わせをもろうてみんなニコニコしながら帰っていたのを思い出す。
 今年の私のオリジナル・カップヌードルは「SiOヌードル」のスープを選び、ひよこなると、豚肉、コーン、そし今月の限定かやくであるフライドチキンをトッピングした。職場に戻ってすぐにいただく。おお、フライドチキンはなかなかいけるやないですか。これ、新作のカップラーメンに使うてくれんかな。「芋煮どん兵衛」の里芋を食べた時に「この食感はまさしく里芋!!」と感激したことがあったけれど、フライドチキンも「おおおおおっ! から揚げっ!!」とビビッドに反応してしもうた。「ごぼう天どん兵衛」のごぼうもシャキッとした食感がすばらしかったし。フリーズドライの技術の進歩というのはすごいものがあるなあ。さすが日清食品。
 生徒たちは家に帰ってからおやつに食べたかな。明日のお昼に食べるかな。どんな感想か、再来週に提出させるレポートが今から楽しみやね。

9月9日(土)

 ドラゴンズもタイガースも勝ったので、ゲーム差は変わらなんだけれど、下り坂のドラゴンズと勢いがつき始めたタイガースという状況なので、セ・リーグのペナントレースからは目が離されへん。
 実は、ライオンズ、ホークス、ファイターズが三つ巴で首位争いをしているパ・リーグの方が本来ならもっともっと盛り上がるべきなんやけれど、どこが優勝するかというわくわく感が今のところ感じられへん。これはなんでかというと、プレーオフ制度の弊害なんやね。確かにプレーオフをすることによってその時は盛り上がる。そやけど、ペナントレースそのものはただプレーオフ出場権とアドバンテージがどれだけつくかを決めるためだけのものになってしまっているからね。ここで無理して首位にならなくても、勢いをつけて2位から一気に優勝したらええんやもん。
 何のための公式戦なんやろう。そのシーズンで一番強いチームを長期間に渡って総当たりで試合することによって決めるのが公式戦なんと違うんかな。プレーオフは、その楽しみをファンから奪ったと、これだけの混戦になった今実感する。
 来年度から「ポスト・シーズン・ゲーム(仮称)」と称してセ・パ両リーグで揃ってプレーオフをするそうな。となると、今年でいうたらタイガースは5ゲーム差から一気に逆転しようという気持ちにならんでも、とりあえず2位を確保しておいて、PSG用に力を温存しておけばええという発想になっても仕方ない。先が見えた時に、手を抜くことが可能になるような制度を作るということで失われるものは大きいのやないか。
 来季、もしタイガースがPSGで日本シリーズ出場権を失うというような場面があった時に日記に書くと「負け惜しみ」「見苦しい」といわれるとむかつくので、今、ここに書いておく。
 私はPSGに反対する! 公式戦の楽しみを奪うな!

9月10日(日)

 子どもというのは、自分が好きなものを目の前にすると、ほんまに他のものが見えんようになるもんなんやなあ。敬宮愛子内親王殿下は、両国国技館の貴賓席におつきあそばれるやいなや、館内の人々に手を振ることも忘れて椅子に座り身を乗り出して土俵を注視していらっしゃった。
 これは、血統や。相撲をご覧になる時の目の光が昭和天皇陛下のものとごいっしょや。隔世遺伝、しかも曾孫にその相撲好きの遺伝子が発現するとは。敬宮愛子内親王殿下も、お年を召されてからも貴賓席に足を運んで好取組に手を叩いてご覧になるんやろうなあ。なにしろあの幼さで星取り表をに印をつけたはるみたいやったもんなあ。鉛筆を持って何かを書き記している。あれはシチュエーションからいうと星取り表以外には考えられん。
 ご成人の後は相撲雑誌に投稿なさるやもしれん。連載を持ったりなんかして。もっとも、女帝となってしまうとそんなことはでけんので、なるべく早くご降嫁あそばして民間人として「愛子の相撲に恋して」などいう連載を寄稿していただきたいものです。
 ところで、その横にお座りになった皇太子雅子妃殿下の笑顔が印象的で、この笑顔はプレッシャーから解放された人のそれやないかなあ。


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