ぼやき日記


11月21日(火)

 高野史緒さんがカラーページでインタビューされているというので、何年かぶりにクラシック音楽専門誌「レコード芸術」を購入。いやあ驚いた。
 あ、高野さんの写真に驚いたというんやないですよ。
 特集が「ブルーノ・ワルター」ですもんねえ。戦前戦後に活躍して、ステレオ初期にまとまった録音を残してから亡くなった名指揮者です。まだ手元にある「レコ芸」のバックナンバーをほじくり返したら、きっと同様の特集をやっておるぞ。十年一日のごとく同じことをやりつづけているんやなあ。
 新譜の批評も変わってへん。交響曲部門はあいかわらず小石忠男さんと宇野功芳さんが正反対の批評を書いていて特選盤は一枚もないし、器楽曲部門は浜田滋郎さんは片っ端から推薦マークをつけまくって特選の大安売りやし。
 今のマンションに越してきてすぐに近くの本屋で手に入らなくなったからそれをきっかけに買うのをやめて4年くらいになるけれど、なんか先月買うた続きでも読んでるみたいや。これでも毎月買うていた時期は新譜情報のチェックやら輸入盤の情報やらで入念に読んでいたもんやけど。
 いやしかし、新しいものが次々と出てきてそれに合わせてどんどん生き方も変わっている時代に、こうやってほとんど変わらん世界があるのは安心できるという気もするけどね。
 でも、この変わらなさはただごとやないなあ。勝手に世界遺産に認定してしまおう。

11月22日(水)

 私は仕事をしていたから知らんけれど、テレビのワイドショーでは野良犬1頭のことで大騒ぎをしていたらしい。日本は平和やなあなんていうてる場合やないぞ。その裏番組では国会中継をしていて、愛国心を国民に強制するための布石としてまずは教育基本法を変えようとしているぞ。そして格差を広げて安価な労働力を増やしていくために、法人税の大幅減税を決めようとしているぞ。もうしばらくしたら消費税が上がるぞ。上がったあとでは後の祭り。でも肝心の時に国会をほったらかしにして野良犬で騒いでいた人たちは文句は言えんぞ。
 む、もしかしたら犬は国会から目をそらせるために、しんぞう首相が放った隠密かもしれん。なんちゅう卑劣な男や、しんぞう首相は、と、いわれのない非難でもしてんとやっとれんわい。

11月23日(木)

 北海道日本ハムファイターズの小笠原内野手がジャイアンツに入団することを決めたそうな。小久保に逃げられたから小笠原と、ジャイアンツの目的はこれで果たされましたなあ。小笠原も長年なじんだ東京ドームに里帰りで、これはこれで愛する家族とともに暮らせるからめでたしめでたし。
 さて、求道者タイプの小笠原のことですからね、そのスタイルがジャイアンツというチームカラーに受け入れられるかどうか、ですな。おなじく求道者タイプの松井秀喜選手がジャイアンツ時代はなにか暗い表情でプレーを続けていたのを記憶している私としては、若手の手本になるどころかチーム内で孤立していくのやないかと危惧しているのです。
 小笠原選手は私の中では好感の持てる選手なだけに、ちょっと結果が出ないと江藤選手みたいに飼い殺しを平気でするチームには入ってほしくなかったなあと、そう思うのですね。まあ、今のジャイアンツは結果を出すとか出さんとかいうレベルのチームやないから、そうはならんやろうけれど。
 まあ、4年後に小笠原が小久保みたいに逃げ出さんように、ジャイアンツはせいぜい頑張りなされや。その間に、タイガースは前田大、高橋勇、坂といった若手がベテランと入れ代わって登場し、新たな時代を築いていることでしょう。そして谷や小笠原の加入で行き場を失ったジャイアンツの若手はまたまたつぼみのまま腐っていくのかと思うと、同情を禁じ得ないね。いやほんま。

11月24日(金)

 今日、「なにわ研究」という授業で昔の漫才を見せていたら、生徒からこんなことを言われた。
「京唄子さんって、漫才してたんですね。『渡る世間は鬼ばかり』に出てるのしか知らんかったから」
 そうか。啓介師匠が亡くならはってからずいぶんたつもんなあ。この10月から古い漫才をたくさん見せてきたけれど、たいていはかなり昔に亡くなった漫才さんのビデオをみせていた。1ヶ月半たって、そろそろ現在に近づいてきて、今も現役という人たちが混じってきたわけです。
 そういえば開講した時にとったアンケートで「本物の『やすしきよし』の漫才が見たい」と書いた生徒もいた。今の高校生は、太平サブローさんの物真似でしか「横山やすし」を知らへんのやねえ。
 学校で漫才を見せることを果たして勉強といえるかどうかという疑問を抱く時もあるけれど、ほんまもんを知らん世代にちゃんと文化を伝えるのは大切なことやと、そういう時に思う。
 ほんまはテレビ局がちゃんと「懐かしの漫才コンビ」としてきっちりと定期的にやってほしいんやけどね。

11月25日(土)

 今日の午後は「障害児教育フォーラム」なる催しに参加する。これは障害児の親たちが主催する催しで、母親の方たちの生の声を聞かれたから、義務的に参加したものではあったけれど、それなりに考えるところはあった。もっとも、母親たちの活動を支えるアドバイザーの老人の方法論が数十年前の社会運動家のものやったりするから、そこにはひっかかった。相手の手落ちに対してつけこむように攻撃し、反論を封じるなんちゅうやり方は今どき流行らんのと違うか。どうも団塊の人たちは「闘争」が好きなんで困るなあ。それをやると結局敵をいたずらに増やすだけになってしまうことになるのになあ。

11月26日(日)

 大河ドラマ「功名が辻」もいよいよ大詰めやね。今週は土佐の野武士一領具足を計略にかけて惨殺するというエピソードやった。
 それにしても恐ろしいのは、山内一豊も六平太もそれぞれ歳相応に老けた顔つきになっていたり白髪頭になっていたりするのに、仲間由紀恵扮する山内千代は髪は黒ぐろお肌はつるつるということ。千代というのは実は妖怪で、このあと歳を取らず幕末まで生きるという最終回が待っているんやないか。ああ恐ろしい。
 いくら主演が人気女優やからというても、大河ドラマで人の一生を描くんやから、歳をとったというしるしくらいはつけておくべきやないか。別に顔をしわだらけの特殊メイクにせえとはいわんから、白髪のカツラに変えるくらいはしてほしいね。確か子どもの頃に見ていた「草燃える」あたりやと、大谷直子や岩下志麻でもちゃんと老けたようにカツラに白いものをまぜていたぞ。
 「功名が辻」は面白くて毎回欠かさず見てきたけれど、不満があるとしたらここですな。それともほんまに「妖怪山内千代」というオチなんやろうか。それはまあないと思うけれど。

11月27日(月)

 毎日のように「いじめ」が新聞などで話題になっていると、生徒たちも敏感になるみたいやね。今日、職場できいた話では、仲のよい友だち同士でたまたま一人だけと話をしなかったりしたら、それをいじめととられないか気にしている子がいてるということやった。
 担任の先生がそれとなく話をしたところ、その話をしていない生徒は別にそのことを気にしてはいなかったという。つまり話しかけなかった子が気をまわし過ぎていたということになるわけやけれど、これなんか「いじめ」を大きく報道してなんだらそこまで気をまわすことにはならなんだのやないかと思う。
 もちろん「いじめ」という事象について報道することは必要やと思う。マスメディアの怖いところは、その報道によって現実が過熱してしまうことやないか。「いじめ」による自殺は報道されてなんだだけで「大河内くん事件」以降も途切れることなく続いていたんやないやろうか。それが、一つの「いじめ自殺」報道がきっかけで、これまで報道されてなんだものまでが大きくとりあげられるようになったということやないかと思う。
 その結果、人間関係のささいな摩擦までが「いじめ」につながってしまうということになってしまうとしたら、報道のあり方そのものが問われることにもなるやろう。
 要は、ずっと「いじめ」について積極的にとりあげてこなんだこれまでのマスメディアの姿勢が問題ということになるやろう。その結果、今度は「いじめ」問題が反動的に過熱するとしたら、その責任をマスメディアはとることができるのか。
 私にはまだまだ考えをまとめることがでけへん。それくらい、現場の教師にとっては重い課題といえるわけです。

11月28日(火)

 ドラマ「僕の歩く道」は、自閉的傾向の知的障害者を扱ったドラマということもあってか、あまり週刊誌やテレビのドラマ評でとりあげられることがないな。障害者が主人公ということで、批判もしにくいというか、障害者の実態を知らんから批評の規準が批評家にないといえるかもしれん。
 というわけやないけれど、ここらで私なりに感想をまとめておくことも悪くはなかろう。
 草なぎ剛が演じる主人公は、典型的な自閉である。ただし、彼は非常におとなしく、他傷や自傷がみられへん。パニックは起こすけれど、ツール・ド・フランスの歴代優勝者を暗唱するだけで、特に周囲に迷惑をかけるわけやない。確かにこういう自閉の人はいてるけれど、ごくわずかやということは強調しておきたい。パニックを起こすとそばにいる者を叩いたり、自分の手をかんだり、あたりにある物を手当りしだいに投げつけたりする人の方が多いのである。
 このドラマでは、周囲にいる人たちに理解があり過ぎる。最初は反発している年配の飼育係であっても(実子が自閉であることを受け入れられなかった過去がある)、ついには彼を受け入れる。彼のことを理解しようとしない兄嫁も、自分の子どもの接し方を通じておそらく受け入れることになるやろう。
 そうはいかんのですよ。自閉の人を受け入れるには、自分の中にある自閉的なものを見つめるくらいやないと理解でけんのですよ。そこまでには、戦いがあるんですよ。まさに体を張った戦いですよ。特に他傷のある自閉の人と接する時は。
 そこらあたりの描き方がなまぬるい。もっと戦えよ。もっと暴れろよ。もっとパニクれよ。
 草なぎ君の演技は見事やと思う。地面から離れそうなふわふわした歩き方から、相手と極力目をあわそうとしないところまで、自閉そのものやと思う。もっとも「レインマン」のダスティン・ホフマンはさらに上をいくわけやけれども、テレビドラマでここまでできたらいうことなしやね。
 それだけに、ドラマのつくりの甘さにはがっかりさせられることが多い。特に大好きな女の子の結婚式で、主人公の自閉的傾向ならば出るはずのないセリフを言わせてしまったのは大きいな。こそこでパニックを起こさんでいつ起こす。
 ただ、障害者に対する知識が全くなかったり接した経験のない人に対しては、これでも十分やろうとは思う。電車の中でぶつぶつとつぶやいていたり奇声を発したりしている人を見て、「自閉なんやな」と普通にさらりと見られる程度の知識は得たはずやから。全く取り扱われへんよりは、多少甘くとも取り扱われた方がええのに決まっているし、ドラマで描かれる自閉的な行動に誤りはないんやから。

11月29日(水)

 おやまあなんと、井川慶投手は30億円でニューヨークヤンキースに売れましたか。どうせならその30億円をまるまるトレードマネーにして松井秀喜選手を金銭トレードでヤンキースから獲得したらどうでしょう。ヤンキースが出しませんか。
 それにしてもえらい高額やなあ。吝嗇球団のタイガースが(最近はそうでもないか)これに味をしめて来年は福原を売り、再来年は藤川を売り、その金で甲子園駅を改築したりして。いやこれ笑い事やあらへんで。
 そうか、その金で大物現役大リーガーをばかばか獲得し、そいつらがみんな「神のお告げ」とやらで次々と途中退団するやとか。ああ、グリーンウェルは今なにをしているのでしょうか。
 長いことタイガースファンをしていると、どうも発想がネガティヴになっていかんなあ。
 あ、タイガースはかつて元ヤンキースの伊良部秀樹投手を再輸入したという実績があったなあ。もしかしたら松井も伊良部みたいに「あこがれのタテジマユニフォームに袖を通したかった」というてタイガースに電撃入団するかもしれん。
 だからそういう妄想をついしてしまうところが古手のタイガースファンの悪い癖やと言うてるでしょ。
 なにはともあれ、井川君の米大リーグでの健闘を切に祈るものであります。われらがタイガースを見捨てて異国に行くんやから、活躍せなんだら承知せんぞ。藪恵壹投手の二の舞いだけにはなるなよ。ただいま藪はメキシコの空の下。何をしに異国へ行ったんじゃーい。

11月30日(木)

 実相寺昭雄監督の訃報に接する。享年69。
 思えば、「ウルトラマンネクサス」がこけてくれてよかった(ファンやった人には悪いけれど)。そやないと、その反動として「ウルトラマンマックス」は企画されなんだやろうし、徹底的に「大きなお友だち」に向けて作るというコンセプト(やと思う、たぶん)のおかげで実相寺監督があれだけ好きにウルトラマンを作ることもでけなんだやろう。特に、メトロン星人のエピソードに、監督なりの決着をつけてくれたわけやから。
 ウルトラシリーズがただ単に怪獣退治の話やなかったからこそ、私らの世代はSF的なものに対してなんの抵抗もなく入ることができたわけやからね。特に実相寺監督のウルトラマン「怪獣墓場」やウルトラセブン「狙われた町」などは子ども心にいろいろと大きな印象を残してくれた作品やもんな。
 「ウルトラQ dark fantasy」でも独特の実相寺美学を見せてくれた。遺作となった映画「シルバー假面」はどうなんやろうか。悪と善、虚と実、すべてが表裏一体となった世界か。ただ、土俗的な方向に行くと、ちょっと感覚にずれがあるように思う時もあった。実相寺監督の思い入れが強く出過ぎたのかな。映画版の「ウルトラQ」がそんな感じやった。

 さらに訃報は続く。作曲家の宮内国郎さんは、胃ガンで死去。享年74。「ウルトラQ」のテーマや「ウルトラマン」の劇伴は今サントラで聴き直すと、いかに優れた音楽やったかということがわかる。もともとジャズ畑の方やったというけれど、確かに「ウルトラマン」主題歌の前奏なんかビッグバンドの演奏という感じやもんな。「ウルトラセブン」などを担当したクラシック畑の冬樹透さんとは好一対という感じやったね。
 お二方に、謹んで哀悼の意を表します。


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