ぼやき日記


2月11日(日)

 変な夢を見た。
 私はどうやら大学生で、選択した授業が定員いっぱいやというので別な授業にまわされる。その授業にいってみると、大教室での大講義で、壁に受講者の名前を書いたカードがはってあり、それを提出することで出欠をとるというシステムになってるらしい。私は直前にその授業にまわされたため、カードがない。カードを提出するための列の最後尾について順番を待つ。教授はかなりの高齢で、しかも若い女子生徒の尻を平気でさわるというけしからん爺さんである。そして、自分が講議するのは今日だけで、次回からは院生に講義をまかせるとか言うておる。
 そんな講義でも受けねばならん。私の座った席の前後には、高校時代の同級生の女の子が座っていた。あれ、この子、同じ大学やったっけ。それにしても、今年こそちゃんと卒業せんなんから、こんな講義でもまじめに出席しよう。ちゃんと出欠もとるわけやから。そやけど、これ毎週出るとなったら、仕事を休まねばならんなあ。この時間帯に授業を受け持ったらどうしよう。
 そんな現実的なことを考えた時に目がさめた。
 私はもう一度学生をやりたいのか。それとも4年で卒業でけなんだことをまだ気に病んでいたのか。それでも仕事はちゃんとせんならんというプレッシャーを感じているのか。
 目がさめて横を見ると、妻が布団にくるまって心地よさそうに寝ていた。えと、今は何時かな、仕事にはいかんでええのかな。
 頭はまだ現実に戻ってないらしい。今日は休みやし、明日も休みやってのにね。

2月12日(月)

茂山千作
 今日は午後から京都の観世能楽堂へ行ってきた。妹がお稽古に行っている狂言の発表会があったのです。今回は人間国宝四世茂山千作さんの米寿記念も兼ねた会ということで、お客さんもぎっしり。私はプログラム半ばくらいに会場に着いたんやけれど、一時は立ち見やったもんね。「靭猿」という演目が終るとかなりお客さんが出ていった。おそらく猿の役をした子どもの関係者がかなり多かったということやろうね。
 私の妹はお稽古を初めてからけっこう長いということもあって、終りから3番目という出番で、いやこれはたいしたものですよ。けっこう年配の出演者でも台詞が出てこなくて後見の茂山千五郎先生に教えてもらったりしてたけれど、妹たちは一切それがなかったもんね。
 最後の出し物は千作先生をシテとした「福の神」。千作先生の福の神は、ほんまに福の神以外の何者でもないという存在感があった。千之丞先生と千五郎先生がワキを固めるという、お稽古の会ではまず見られん豪華版ですわ。橋懸かりのところで千作先生の福の神が両手を広げてばっと登場した時は、思わずそちらにひきつけられてしもうたね。そういうところに人間国宝に認定された「藝」を感じるね。私は妹の写真をとるために最前列に陣取っていたんやけれど、そのおかげでええもんを見させてもらいました。
 米寿ということは88歳ですか。いやまったくお元気です。それもまたすごい。全身を使う「藝」やから、体力もなかなか衰えたりせんのやろうね。

2月13日(火)

 しかしまあ中村紀洋という野球選手の行動を見ていると自分が何を求めているか見失ってしもうたとしかいいようがないなあ。これは私の推測でしかないけれど、中村選手はほんまは自分に自信がないんやないやろうか。自分に自信のない人ほど虚勢をはりたがる。「中村紀洋というブランドを大切にしたい」と本気でいうたんなら、ドラゴンズから「育成選手枠ならとる」と申し出があったら「何が育成枠や!」と本気で怒ってアメリカに行ってメジャーを目指したらよかろうと思う。
 育成選手枠という形で入団したら、一軍の試合には出られん。「中村紀洋というブランド」はそれに耐えられるんか。中村選手にしたらどこでもええから採ってくれという心境なんやろうけど、それやったらオリックス・バファローズと8000万円の年棒で再契約しといたらよかったのにね。つまらん虚勢をはるから、「あんたが思うてるほど自分の値打ちは高くないよ」と突っぱねられた時に頭を下げられんのやないかと思う。
 そやから、どことも採ってくれへんとなると焦って「二軍待遇やったら採ったるわ」といわれて「へいへいありがとうござい」と入団することになってしまうのですね。虚勢やから首尾一貫したものがない。
 ほんまの自信があるなら、年棒を下げられたら「来年は倍にして取り返したる」と涼しい顔で契約し、タイトルの一つも取ってみせるやろうに。その自信がないからことさら強い態度に出て自分を大きく見せようとしたんやないかと思うわけですね。
 もっとも「そんな奴はいらんわい」と中村を切ったバファローズは、なんと引退したはずの元近鉄バファローズのタフィ・ローズ外野手の入団テストをするらしい。このチームの選手補強の首尾一貫性のなさは読売ジャイアンツに匹敵するなあ。中村もオリックス球団もなにがなんだかもう。

2月14日(水)

 今日は聖バレンタインズ・デイであります。障害児学級との交流サークルの生徒からチョコレートをいただいたのであります。生徒から先生に渡すチョコレートを「先(セン)チョコ」というんやそうであります。女の子の友だち同士でやりとりするチョコは「友(トモ)チョコ」というんやそうですな。つまりは「義理チョコ」もそうやって細分化されていき、コミュニケーションの手段として拡大していくということになるわけですな。
 しかしまあなんですなあ、最近の子は大変ですな。大人が御中元の御歳暮の心付けの付け届けの鼻薬のとあれこれ儀礼的なコミュニケーションツールを発達させてきたように、もともとはモロゾフがチョコレートの需要拡大策として作り出した「愛の告白」の手段を「おつきあい」の作法として儀礼化させているわけですからね。だいたい「本命チョコ」の「義理チョコ」のというものは、会社で女性社員が男正社員とのコミュニケーションを儀礼化させるのに使い出したものやなかったか。それがどんどん子どもの世界にまで下りていっているということやなかろうか。そういうコミュニケーションの手段をうまいこと使いこなせる子どもと使いこなされへん子どもとの間になんらかの格差が生じるということも当然起こっているやろうしね。
 私は人とまめにつきあうのはあまり得意やない。なんというのかな、好きなことをして遊んでいたらそれで充足してしまうのですね。特に中学生くらいのころは人付き合いがほんまにヘタクソやった。高校に入ってからだいぶスキルを磨こうと努力した。ちょっとはましになったかもしれんけれど、女の子とつきあうのはやっぱり苦手やったなあ。そういう人間が今の時代に高校生やったりしたら、きっと生き辛いやろうなあ。

2月15日(木)

喜多第一文化
 今日、街角で見かけた物件です。いやなに、文化住宅の看板なんですけどね。あ、文化住宅がわからん人もいてるか。かんたんにいうと安いアパートです。「文化」という言葉をつけて上等なイメージを持たせてるわけです。この文化住宅の隣は家主の経営している石材店になっており、これは新しく立派な建物やった。石材店をはさんだ向こう側には「キタマンション」なるこれも新しく立派なマンションが建っていて、家主は土地もかなり持っているみたいやね。
 だからどうしたというわけやないけれど、この看板の字面を見てると、歴史上に栄えた「喜多王朝」があって、その王朝のもとで何度か文化が起こった、その一番目の時代の文物を展示した博物館の表示みたいに見えませんか。喜多なんていう文化やからきっとSF的な上方風の文化に違いない。「喜多第二文化」はこの「喜多第一文化」が爛熟してオタク的に細部にこだわったものなんやろう。
 いや、それにしても同姓ながらこの分限者ぶりはちょっと羨ましいね。家賃収入で生活できる身分になってみたいものです。しかしそうなるとますます惰弱な生活を送ってしまいそうやな。爛熟した「喜多第二文化」が惰弱で退廃してしまったものが「喜多第三文化」かもしれん。こうして喜多王朝は滅びの道を歩むのでありました。
 おっ、大河ファンタジーのプロットができたぞ。どこが。

2月17日(土)

 藤原紀香さんと陣内智則さんが挙式を生田神社で行ったということで、朝日新聞夕刊にはなんとトップ面に写真が掲載されていたし、テレビ「ブロードキャスター」でもじっくりと会見のもようを放送していた。
 アホ辞書は「ふじわらのりか」と入れて変換すると「藤原の理科」になる。塾の有名講師の書いた参考書ですなまるで。「じんないとものり」は「陣内智則」と一発で変換するのに。持ち主が演芸ファンやと辞書もそうなるのか!
 そんなことはどうでもよろしい。
 テレビでの芸能レポーターの質問は藤原紀香さんに集中していたみたいですな。陣内君はどうしても格下という印象があるのかな。単に東京のレポーターは陣内君になじみがないので質問を思いつかんのかもしれん。「日清食品とタイアップして『なるトモ・紀香ラーメン』を発売するという企画はありますか」とかいうわけのわからん質問を発する記者はいてなんだのでしょうか。いてへんわな。
 でもねえ、これからが大変ですぞ、陣内君。しばらくは「紀香の夫の陣内智則さん」という肩書きがはずれんぞ、きっと。たぶん「R−1ぐらんぷり」で優勝しようと、「上方お笑い大賞」をとろうと、東京のメディアでは「運よく紀香と結婚してもらえたお笑い芸人」というような見方しかしてもらわれへんのやないやろうか。ただ、関西の芸人というのは、それをまたネタにして笑いをとるというしたたかさを持っているものやから、「おいしいネタがでけた」くらいの感じてみるのが正解かもしれんなあ。
 陣内君、がんばってね。

2月18日(日)

 今日は「たちよみの会」例会日。京大SF研のNさんが、就職で東京に行くということで、これが京都での最後の例会参加となる。せっかくおなじみになったのに、寂しい限りです。
 帰宅後、録画しておいた「R−1ぐらんぷり2007」を見る。今年は「なんでこの人が決勝に残っていたのか」と首をひねるようなレベルの人はいてなかった。毎度惜しいのが友近で、今年は団塊世代が宅配ピザの受付をしたらという設定の秀逸なコントを演じたけれど、5位に終る。この人はやはりイッセー尾形路線に行くしかないように思う。「お笑い」として評価されへんのやから仕方ない。
 漫才「チュートリアル」の徳井義実が「変な外人落語家ヨギータ」に扮して独りよがりな笑いを演じては勝手に受けるというのと、漫才「ザ・プラン9」のなだぎ武が「ビバリーヒルズ青春白書」の登場人物が日本でオーディションを受けるというネタをやって同点1位に。最後の審査員投票でなだぎ武が優勝した。2年連続で漫才師がピン芸をして優勝するという結果になったけれど、これは結局「一人コント」というジャンルがまだ「笑芸」のジャンルとして成熟してへんからかなあなんて考えたりする。徳井義実のネタは、隣に相方の福田がいても成立するもののように感じたし、ケーシー高峰ミスター梅介イエス玉川らにつながる正統派の漫談(数学者としてなんでもかんでも素因数分解してしまうというネタ)をやった大輪教授が最下位やったのが象徴的なんやね。漫才の笑いの面白さと漫談の面白さは違うし、一人コントとなるとさらにこれに演劇的要素が加わる。審査員はなかなかいい顔ぶれ(桂三枝、高田純次、間寛平、大平サブロー、ダンカン)やけれども、その3種の笑いを区別して審査していたかというと、結果の点数や順位を見てるとそうとはいえんような感じがしたし。
 ともあれ、この大会も年を追うごとに傾向などが見えてきた。漫才の息を体得している演者が有利ということやないかな。ピン芸のコンクールとしてそれがええことかどうかはわからんけれども。

2月19日(月)

 花粉症が発症したのか、突然目がかゆくてかゆくてたまらんようになった。休憩時間に、以前、目が充血して白眼が真っ赤に染まった時に買うた目薬が手元にあったんで、それをさすと幾分ましになった。さした後で目薬を確認したら、去年の11月で使用期限が切れてるやんか。こんなんさしたらかえって目に悪いかもしれんぞ。
 帰り道では目がむずむずしたりすることがなかったんで、新しい目薬を買うのをつい忘れてしもうた。配置用の鼻炎用の薬を使うしかないかな。そやけど、鼻や目のむずむずは止まっても、喉は乾くし眠くなるしトイレは近くなるし仕事に支障をきたすことおびただしい。とりあえずはマスクでもしてしのぐかな。幸い学年末試験前の授業は全て終了したから、目をしょぼしょぼさせながら教壇に立つということはないのは助かったけれど。
 今週末には入試の試験監督をしないといけないから、その時は鼻炎薬を飲まんとあかんやろうなあ。医者にいってちゃんとアレルギーの検査をしてもらった方がええかもしれんな。やれやれ。

2月20日(火)

 昨日の日記に書いたように花粉のせいで目がむずむずするんで、仕事帰りに薬局に寄って目薬を買うたのであった。いつまでも賞味期限切れ、ではなく使用期限切れの目薬をさしているわけにはいかんのである。雑菌が目に入ったりするかもしれんのである。
 帰宅して昨晩録画したアニメ「デス・ノート」に今朝録画したドラマ「芋たこなんきん」やら夕刻録画したアニメ「ディー・グレイマン」、それに昨晩録画した台湾ドラマ「山田太郎ものがたり」などなどいろいろな番組を夕食をとりながらあるいは食後にゴロゴロしながら見て(本を読め)目が疲れ、またむずむずしはじめたんで、さっそく購入したばかりの目薬をさす。
「あーっ、使用上の注意を読んでへん」と妻に言われたけれど、目薬の使用上の注意などたいていどれも同じやろう。おお、目がすっとするぞ。気持ちええぞ。と、横で妻がいきなり話しかけてきた。
相談すること」。
 まぶたの下で目をぐりぐりさせながら続きを待っていたら、あとは沈黙。
誰に! 何を! どう相談すんねん!」。
 目をつぶったまま私が叫ぶと、妻は大爆笑。
「あーごめん。目薬さしてたんや。何してるか見えへんね」
 妻は「使用上の注意」を音読しようとしてすぐに面倒くさくなり、黙読に切り替えたのであった。そんなもん天井向いて目をつぶっててわかるかいな。ええい、いつまでも笑うてるんやないっ!
 ひとしきり笑い終えたあと、妻は言うた。
「あー、『探偵! ナイトスクープ』よりも笑えたわ」。
 目薬はメントールがようきいて、非常にスッキリしました。


てなもんや囲炉裏端 ゆっくりまったり掲示板ですお気軽にご利用下さい。

メールはこちらまで。どうぞよろしく。


過去の日記へ。

ホームページに戻る